2013-05-06

情報ソース権威の高い低いで信頼する・しないを決めるのは時代遅れ

自然科学トピックについてネットで議論になった時“(超有名な雑誌)”にのってたから間違いないの一点張りで,途中の理屈妥当性の議論に入れない人がいる.

学術雑誌レフェリーと全く相容れない感じになっても論文が載ることもある.議論を敢えてよぶためだ.

昔,英語があまりできなかったので間違いであれば指摘いただきたいが,Physical Review Letters って巻末の“こないだの○○の話,XXだからおかしいぞ”みたいなコーナーが結構盛り上がってたような気がする.

例えば CERN中洲産業大学理論が食い違ったとして,ヨーロッパの一流機関からCERN を信じちゃうのはせいぜい新聞社まで.(もちろん中洲産業大学浜名湖ホトトギスの凄い分解能のいい検出器を使ってるからとかなら別)

全てについては,i) その議論を咀嚼して正しい・筋が通っているとあなたが思う. ii) データに信頼が(まあ)おける. iii) 追試可能である.これらのうち一つでもかけてるものは,まあ,せめて“保留マーク付きの付箋”をつけてアタマしまうべきである.それをごっちゃにしてサイエンスに載ってるから,とか国際なんとかコミッティーの声明をそのまま報じちゃうのはせいぜいテレビまで.

それができない限り日本技術立国になれないし,787 の電池は再び出火する(と思う).

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