ウメハラの『勝ち続ける意志力』に日常ちょっとでも心に引っかかった出来事はメモすることが推奨されていた。
例えば人と話していて少し不思議なことを言われて違和感をもったとしよう。
ここで何言ってるんだコイツと思うのも、面白いと思うのも自由である。
違和感はプラスの感情を生み出すこともあればマイナスの感情を生み出すこともある。
どちらにせよ違和感に気付けば、そこから思考が始まり違和感を読み解く作業がはじまる。
だから違和感を読み解くことは、これまでの理解を修正する新しい理解が生まれる可能性が高い。
日常気付いていない微小な違和感はたくさんあるが、重要性を感じないからスルーしてしまっている。
反対に、スルーしていると歳をとるごとに違和感の感覚が鈍くなってしまう。
スルー力といえば聞こえはいいが、ちゃんと対象を見極めずに妄想で決めつけてスルーするのは間違ったスルーである。
違和感をスルーしているとそういうおかしなスルー力が身についてしまう危険がある。
自分の理解と合わないものでも無理矢理自分の理解の枠に押し込めてしまう。
それでは何も学びは得られない。古い間違った理解が修正されることなく、現実との食い違いが拡大していく。
その結果、頭が固く融通のきかないオッサン扱いされ、時代からますます取り残されていく。
頭を柔らかくしたいと相談されることがあるが、自覚のあるうちはまだましで、
本当に頭が固くなると自分の頭の固さを認識することすらおぼつかなくなる。
変化や違いに鈍感じゃありませんか?それって頭が固いってことですよ、と言われて初めて気付くのは相当に重症。
ウメハラの『勝ち続ける意志力』に日常ちょっとでも心に引っかかった出来事はメモすることが推奨されていた。 これには俺も同意。違和感はもっと大切にされてよいと思う。 例え...