2013-03-31

「どうしよう」は負け組馬鹿言葉

変化を恐れず前に踏み出すにはしばしば多大な勇気が要る。だから逃げたくなるんだ。逃げて悩んでいるフリをする。どうしよどうしよとホザく。

だがしかし答えなんてとっくに分かってるんだよ。分かってるのに馬鹿どもは「どうしよどうしよ」と大騒ぎする。

答えは分かってるくせに踏み出すのが怖いから分からないフリをしてるだけ。言うなれば自己憐憫満載の子供じみたお悩みゴッコをしてるだけ。

そんなことしてるからそのうち本当に答えを忘れてしまうんだよ。自分が答えを知ってた事実までも消してしまう。もうどうしようもない。

いかい。どんな苦難にぶちあたって挫折し心が引き裂かれ身体がズタボロになっても、答えを知ってる事実には変わりない。

苦しいからって答えが分からないフリして甘えるのだけはやめよう。悩んでいるフリもやめよう。

そりゃ人間苦しいこともある。苦しいのは苦しいと感じて当たり前。でもだからってくよくよ悩むのは愚かなことだ。

まずはこう考えよう。いまは前に踏み出せなくてもいい、苦しいのだから苦しんでもいい、ただし、答えを知ってるんだから悩む必要はないよな!そう自分に声をかけてやろう。

答えから逃げるからどんどん脱出口が見えなくなって泥沼にはまりこむんだよ。簡単なことだ。

であれば答えの実行は保留してでも、答えが分からないフリだけはなんとしてでも食い止めたほうがよい。そういうことなんだよ。

これからは「どうしよう」は禁句にしよう。「どうしよう」と思いかけた時にほんとは答え知ってるくせにっ!とセルフツッコミを入れよう。それが勝利の方程式

常に答えと向き合うこと、そのことがどんなに未来の可能性を開いてくれるか、知らない人がほとんどだろう。そんなの知ってるよと思えるお前は優秀なんだよ。

それくらい答えから逃げてる人が多い。少数の優秀な人だけが答えと向き合うことで起きる魔法を知っている。

魔法なんて大げさなと思うかもしれない。でもこれまでの人生で見て見ぬフリをしてきた、封印してきた答えの数は計り知れないんだよ。よく考えてみるがいい。

それらの封印を全て解くことで俺達は宝物を手にするんだ。封印を解かないのは大馬鹿者だよ。

そりゃな、答えどおりにやってもうまくいかないことも多いよ?だけどうまくいかなくても新しい答えが見えてくる。

それなのに愚かな人たちは、うまくいかなくなった時点で、お悩みゴッコモード突入してしまって、新たな答えに気付こうとしない。そこが馬鹿馬鹿たる所以。

面白いことに、悩み好きな愚か者は、新たな答えを2つに分類してしまうんだよ。すなわち、ありきたりの答えと突拍子もない答えの2つに。

そしてこう考えるんだ。ありきたりだから向き合う価値いね。突拍子もないから向き合う価値いね。そう考える。とにかく彼らは悩みゴッコをしたいから、

どうにか向き合うことから逃げようとする。そのためなんとか向き合わないで良い理屈を探し出すんだ。たいていはありきたりに分類してしまうんだよね。

大抵のことはありきたりに分類し、それ以外は突拍子もないに分類してしまう。だがこう思って欲しい。「本当に苦しんでる人間ならそんなことしないよ」と。

本当に苦しんでるなら藁にもすがる思いのはず。答えが出たらすぐにでも飛びつく。人生でそれくらい苦しい場面なんてそうあるもんじゃない。

どこかで大丈夫だろうと思ってる。だからお悩みゴッコを始めてしまうんだ。しかしどう見てもそんなことするのは大馬鹿ものである

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