私は刑法には疎いということを承知の上で読んでください。
さて、私の常識では、日本の刑法は「法を犯した者」と「法を犯させた者」、前者の側が槍玉に挙げられるケースが多いと感じます。
と言うよりかは、日本の刑法のほとんどは、前者のケースばかりではないでしょうか。
教唆犯のようなケースぐらいしか後者には当てはまるものはないのではないか、とも思います。
ここ最近、自動車事故の厳罰化を求める主張が増えてきたように思います。
それに対して批判をしている人は、概ね構造に目を向けています。
その主張、私は概ね、いや、間違いなく正しいと言い切れますが、それだと、かなり大変なことになるように思えるのです。
まず、軽犯罪を例に取りましょう。
窃盗を犯したものが補導、逮捕されたとして、では、その店に責任はないのか、ということです。
万引きされやすいところに商品を陳列させていないか、売り場に一人しか人間がいなくて、目の届かないような態勢になっていないか、商品を盗まれないような工夫がされていないか、
などなど、店側の問題も考えられます。また、万引きをスリルで楽しんでしまうような学生は、その生活環境はどうなのか、など、構造に目を向けると枚挙に暇がないと思います。また、最近の店は、たぶん窃盗ごときに対策してられないほどに経費を削減していると思われます。
まあ、これは軽犯罪の例ですから、今回の自動車で人を轢き殺してしまったような事例とは比べるべきではないという人もいるでしょう。
でも、私は構造に目を向けるとは結局こういうことなのだと思います。
構造に目を向けるのは、はっきり言ってキリがありません。どこまで、という線引きが出来ますか?無理でしょう?
だからこそ、始末をわかりやすくするために「やった人とやりそうな人だけ」が責められるような状態になっているのだと思います。
ところで、構造と言えば、先の震災で東電管轄の原発整備が杜撰だったことがいろいろ暴かれましたが、彼らが逮捕されないのは多くの人から批判されようと、原発が爆発しなかったから一線は越えてない、ということでいいんでしょうか。
ブラック企業で過労死した人が外食チェーンにいましたが、企業経営者が罪に問われないのはやはり一線は越えてないから、ということでいいんでしょうか。
構造が変われば、彼らは裁きを受けるのでしょうか。