嘘つくなよ。
広く日本の世間に共通しているらしい最大多数認識を採用するのと同じだろうがよ。
大学入試の足切り問題よろしく「ブー全員ふせいかーい!」とかやれて満足かい。
ところがこれは自由記述の増田記事だから正解も不正解もないんだよ。
元増田は「最近悪女見ない」を前提に、「悪女これから増えないかなー?」と言っている。
この「増えないかな」は疑問文だけれども意味するところは「増えて欲しい」という期待だ。それは明白だ。
分析派は「悪女見ない」という前提を分析して、「見ないのは何故か?」をはじき出す。
そして「見ないのは何故か?」が覆えることで、「増えて欲しい」という期待が叶うかもしれない、という話をする(覆らなきゃ無理じゃね、という話もする)。
いるよ派は「悪女いるよ。これなんかそうじゃね?」と、「悪女見ない」の前提をいきなり覆す。
「既にいるけれども見つかっていない(らしい)悪女」を新たに提示することで、「増えて欲しい」の期待に応える。
キミは日本語がちょっと不自由だから、元増田の期待を読み取れない。疑問文の形しか見えてない。
あるいは意地を張りすぎちゃって、今更頓珍漢な自分の指摘を引っ込めるわけにもいかなくなったので、敢えて元増田の文を徹底して機械的に解釈し、文章の背後にある元増田の「増えて欲しい」という期待を無視する。
だから回答はイエスノー形式にこだわるし、そうでない回答は一律間違いということにしたい。
ので必死こいてそう主張し、「とにかく自分は間違ってない」という点にしがみついている。
しかしイエスノーで答えていないツリー記事のいずれもが回答として間違っているなんてことはない。
どんな根拠を並べようと今後増えるか増えないかなんて未来予知は誰にも出来ないし、行ったところで検証できないんだから水掛け論にしかならない。その意味では誰も正答できない。
いるよ派は「悪女いるよ。これなんかそうじゃね?」と、「悪女見ない」の前提をいきなり覆す。 「既にいるけれども見つかっていない(らしい)悪女」を新たに提示することで、「...