投票は、あるグループの中でどんな意見を持っている人がどのくらいいるのかを示すことが出来る。
しかし、そのグループ内にどんな人間がいるか既に分かっていれば投票は単に「自分たちがどんな意見を持っているか」を確認し念を押す道具でしかない。
にも関わらず、投票を元々の意味で使って印象を恣意的に操作しようとしている人間が多い。
たとえば、ヤフーの意識調査。よくNHKがやる無差別の電話調査とは違って、そもそもネットは受動型のメディアではない。
これはつまり、何をするか、どこをクリックするかはあらかじめ本人が決めているということ。
よって、こういう場所で意識調査をすれば、当然その調査の内容に関心の高い人間しか集まらない。
以前外国のメディアがネットで人気投票をやった際に投票が操作されるということがあったけど、これも当然。
ネット上では投票がまともに機能しない。だから、やっても無意味。
思えば投票というのは非常に古臭いシステムで、ネットのようなものが登場する前は有効だったんだろう。
ネットは引きこもりを助長するが、逆に言えば「人間の本来の欲望を満たす」画期的な装置だ。
誰だって自分と合わない人間、嫌いな人間とは一緒にいたくない。好きなもの、好きなことだけに囲まれていたい、それを助けてくれるのがネットなのだ。
ネット以前の社会に住んでいる人間には「甘え」としか思えないだろうが、そもそもの欲望に忠実なだけなのだから何も批判されるようなことはない。