ツリーにぶら下げとく。
そんなの何十年前からある。
ヨシケイなんかは、むしろ20年前くらいがピークだったんじゃあるまいか。
http://www.yoshikei-dvlp.co.jp/
#パッケージ化された食材デリバリーサービスは、昭和50年からスタートしておるそうです
セブンイレブンで受け取れるサービスもある。これも5年以上前からあるな。
http://www.7meal.com/contents/0000/
確かにappleの売り方は上手い。Macを買えばあんなことやこんなことが出来ますよってのを具体的に示してくる。TVショッピング的な手法だよね。
その点iLifeなんかは良くできてて、専門的な事になるといまいちだけど、それぞれの分野に詳しくなくてもとりあえず遊べるようになってるよ。
こういう機能をわかりやすく説明したり、選択と集中をしていくことが必要って言いたかったんだよね。たぶん。
あとはiPhoneのビジネスモデルのことを言ってんのかな?構造に利益ってのは。
ただ前半はもう出来ることも多いから、ちょっと昔の本に載ってた未来像に影響受けすぎロマン持ちすぎなところがあるね。
最後の行に違和感だなー
弱い男が頼れる女を欲するのは自然な成り行きじゃないかい
SとMはくっつく。MとMもまぁくっつく。SとSは駄目。君が言いたい事はそういう事なんじゃないかい。
横増田だけど、本当に当時からマイナスイオンは疑似科学扱いだったよ。
と学会とか知ってる?
ああいった連中が叩きに叩きまくってた。
友人がそうだ いわゆるヘタレで俺が女だったら論外だってぐらいダメなのがいる。
ナヨナヨしてるからホモっぽいし
「うちの子と仲良くしてくれてありがとう」みたいなwメシおごられたw
でも何年も付き合っててお似合いだったよ。
まだ出会えないだけで、合う相手ってのは誰でも絶対いると思うんだけど。
タマネギは鼻からも来るからゴーグルじゃ防げないよ
という冗談は置いといて、確かにそう思う。ただ、世の中にはいろんな人間がいる。はっきり言えば「バカ」もいる。というかバカが多い。それを含めて世間を感じないと大人とはいえない。とはいえ、バカは明日から少なくなるが。
本当の自分を見せたくなくて、被る仮面。
仮面と割り切ってこそ芸になる。が、仮面と割り切るからこそ、魂がこもらず、最近の芸はつまらんと言われる。
昔は、本気で毒舌なオヤジが毒舌芸やってたんだから、魂こもって、そりゃ面白いよ。
芸における魂の定義とか、話長くなるから置いておく。
そうそう、平時におけるペルソナは単なる仮面。君は「やりたい自分」をさらけ出したいと思うけど、それもまたペルソナの反対を演じてみたいという欲求に過ぎない。
よく言われる「社会人になったら自分の時間の使い方が問われる」ってヤツじゃないのか?
読みたい本があるなら、移動時間、会社の行き帰り、休み時間などで読める。もっと時間制約がキビシいモノかと思ってたけど、読書っていうなら話は別。単に君の時間割り振りスキルが無いだけ。
忙しい事からの逃避、そんだけだろう。
普通は
(1)忙しくても本当にやりたい事への時間は何としても作る
(2)転職する
(2')職場での立場を気にせず定時出社定時帰社
のどれかだろう。読書なんて(1)が一番やりやすいし、自由だ何だというなら(2')あたりが妥当。でもどれもせず
(3)不平不満を言うだけ
が一番タチが悪い。受身で自由を取れると思うな。
大学時代の思い出を語ってくださいなんて言われても、僕には何も浮かばないだろうし、言い訳じみた生き方だなあってことを実感せざるを得ないので、なるべくなら避けたいことの一つだ。
それでも語るとすると、読書をしていたってことになると思う。それでも何百冊も読んだなんてことはなくて、ただ読んだ思い出しかないんだってことだ。
僕の卒業した大学は付属の私立高校からエスカレータ式で入学してくる奴らが大勢いて、彼らは入学当初からひとつの集団で、施設についても高校時代に来たことがあるのか、先輩が教えてくれたのかわからないが詳しいので、なんだか半年先輩面していた。友達が多いことが力になるんだとすれば、彼らは間違いなく権力者であった。
彼らと仲良くできればもっと楽しい、有意義な大学生活が送れていたんだろうと思うんだけど、僕にはそれをよしとすることができなかった。なんだか気持ち悪いんだよやつら。
おそらく付属校からのエスカレータ式入学者の中にも気の合う仲良くなれた奴もいただろうに、僕は一絡げに「付属校で入学して、しかも大学にはいってまで五人十人で徒党を組んでいる奴は馬鹿」なんて頭から決めつけていた。
人を勝手に蔑んでいる自分の中の弱さを知ることもできた。知り合いが居ないと僕はなにもできないんだってことを知った。友達を作るどころか、授業に参加する意識も希薄になってきた。勉強はすべからく自分のためにするのだというのは真実であろうけど、僕にはそんなことはどうでもよくて、ただこの非常識な仲間内とのやりとりを授業中に大声で喋りつづけるエスカレータの乗客と、その乗客とすでに顔見知りである、デパートの従業員のなあなあなやりとりをただ黙って聞いているなんて無価値な時間を僕はもう二度と味わいたくないと思った。何かを変えてやるなんてことは微塵も感じず、ただ席を立った。
これは私立に入学した貧乏人のコンプレックスのなせる業なんだと思う。高校時代には部活動ばかりに明け暮れて、勉強なんて一切しなかった僕が、二ヶ月勉強しただけで入学できたことがとてつもないひがみ根性を生み出したのだった。
僕の通った高校の偏差値は40中頃で、学区で言えば下から二番目。三年生の進路は就職、専門学校が二割、大学が一割(うち四分の三が短大やら指定校推薦やら。一般受験は四分の一程度)、残りの七割が進路なしという有様。そんな学校に通っていた僕が、二ヶ月ちょっとだけ勉強すれば大学に入れたことで当初の志望校であったこの大学に失望し、入学当初から大学に付随するすべてを嫌悪しながら図書館に通学するというなんとも不健全な学生となった。そしていつのまにか大学は卒業していた。
早々に実家を出て杉並区に居を移し、バイト先は池袋のとあるぼろビルで出会い系サイトから客を引っこ抜いて別のサイトに振るという、悪から見ても悪というだれから見ても害虫的な仕事を選んだ。
池袋には巨大なデパートが西口と東口にあって、海のものとも山のものともわからないものが流入してくる土地で、僕もまたその一人で、その僕の目指す東口はいつだって人混みにまみれていて、声のでかい男が目つきの悪い女と後ろ髪の長い子供を連れて徒党を組んで歩く後ろをついていかなければ、バイト先に着かないのかと思うとこれはもう恐怖なんだ。そんなときトイレの中にホームレスが居着いている、池袋始発でゆっくり座れる、適度にお日様を浴びながらも地下鉄と言い張る、あの電車に乗りたいと思うんだろうよ。
丸ノ内線はいつもお祭り屋台のヨーヨーつりの仕掛けのような形をして、山手線をひっかけようとするんだけれど、いっしょに成増なんてついてこられたら困るから、交差することだけで満足しているように思うんだ。そのうちにこよりに水がしみてあんなにひねくれたんだと思う。だれかのように。
ああ、そうか。
「話って、思った以上に伝わんねーなー…」っつーこと。
皆にも経験あると思うけど、あるホッテントリを見てさ、「ほうほう。なかなか納得できるな」とか思いながら読んだ後に、それについてるブクマコメントを見るとさ……
……なんか、時々「は?なんでこのエントリを読んでそうなっちゃうの?」っていうコメントをやらかしてる奴、たまに見かけねえ?
50users以上だと、数人いたりする。
それがさ。まだ、「あなたの言い分は分かったけれど僕は反対だ」っていうのは、いいんだよ、全然。それなら分かるんだけどさ。それ以前の話で、「あんたこれ本当に読んだのか?」っていうコメントを書いてる奴とかいるだろ?
たまねぎを切るときには涙が出ることが多い。
この間も同僚で一人暮らしをしているS君が、家でたまねぎを切って涙を流したといっていた。
そういうときはゴーグルをつけると、涙が出なくなるのでオススメ!
というエントリがあったとすると、これに
たまねぎ切って涙が出るんならゴーグルでもつければいいのに
(だから最初からエントリ主そう言ってるよ!最後まで読んでやって!型)
(何かと「はいはいスイーツでしょ、おなご様でしょ」と女に対して拗ねる型)<絶対一人はいる。何故か
たまねぎ切ると涙が出るのは当たり前じゃないの?
(……な、なにを言ってるんすか?型)
などなど、そんなようなコメントがついたりする感じだ。
話って、結構、伝わらないんだな。
俺は、どこか無邪気に、懇切丁寧に話せば誰でもとりあえず「分かる」ことはできる……と考えていたが、それは間違いだったようだ。
伝わらない奴には本当に伝わらない。
最近それを本当とみに感じる。
この世界にあふれる情報には、分かりやすさという名のバイアスがかかっていて、分かりやすい情報を優先的に人間は選択しがちだから、
したがって、人々は繰り返し誤った理解や行動選択をしてしまいがちである。
例えば、スイーツ(笑)は、分かりやすい情報(キャッチーな情報、釣り情報)に翻弄されやすい人種であるが、スイーツ(笑)だけがその被害者ではないのである。
全ての人間は分かりやすさという名のバイアスにさらされているのである。
そもそも、分かりやすさと正確さはほとんど関係がないどころか相反するものである。
第一に、分かりやすい情報は正確な情報であるとは限らない。本当に正確な情報となると、分かりやすさが損なわれる傾向が強い。
なぜなら、本当に正確に説明・描写しようとすると、複雑さ・難解さが避けられないことが多いからである。
そして、その複雑さ・難解さが大多数の人間にとって理解しがたいレベルであることも少なくない。
例えば、医学的に高度でこみいった知識が無いと、病気について一定以上に正確に理解することは出来ない。
第二に、分かりやすい情報を書くには、一定の努力が必要であるが、人は何らかの動機・見返りが無いと一定の努力をすることが少ない。
具体例で言えば、営利目的で分かりやすい情報を書くのはたやすいが、非営利目的で分かりやすい情報を書くのは精神的努力が要ることになろう。
だから、分かりやすい情報の多くは何らかの営利目的で書かれたものだったりするので歪んだ情報であることが多かったりする。
たとえば、テレビの情報は分かりやすいが、放送業という営業の性質上、スポンサーを悪く言うような情報は流せない。
上記の二点、すなわち、「正確な情報ほど分かりやすさが損なわれやすい」と「分かりやすい情報の多くは営利バイアスのかかった不正確なものである」
という二点から、情報の分かりやすさと正確さがいかに相容れないものかということが改めて分かるのではないだろうか?
分かりやすさが悪だと言いたいのではない。分かりやすさは素早く概要把握するには便利であるから、時として有用である。
例えば、科学知識を得るのにブルーバックスの本を読むのは、正確さに欠くものの、有用である。
脇道にそれるが、ここで「正確さ」とは、必ずしも誤っていないという事だけを言っているのではなく、偏りがないということも含んでいることに注意する必要がある。
世の中には、嘘は言っていないが本当のことも言っていないというケースがあるもので、情報送信者は意図的に偏った情報を提供することで
また、モレがないということも正確であるために必要なことである。偏りがなくともモレがあるような例として、高校生物の教科書が挙げられる。
確かに教科書だけに偏りなく書かれているが、医学の専門家から見ればモレがたくさんあると言わざるを得ない。
だが、高校生にそこまでの知識を要求するのは酷なので大幅にカットしているのである。
以上、正確さには、誤りがない以外に、偏りがなくモレがないことも必要であるという脇道話だった。
さて、分かりやすさは時として有用であるが、世間ではその有用な面だけが過剰にもてはやされているところがある。
会社でもインパクトがあり分かりやすい企画プレゼンが採用され、本当に会社に利益をもたらす企画が採用されにくいというバイアスがある。
また、消費者は分かりやすい商品を優先的に選択し購買行動を起こす。
こうした背景には忙しい現代人にはゆっくり価値を吟味したり理解を形成する時間が無いということもあるだろうが、
先ほども触れたように分かりやすさと正確さは相容れないものなので、分かりやすさを優先的に選択している限りは、
一定以上の正確さのある情報を獲得することは出来ず、かえって問題解決が遅れてしまうことが少なくないのである。
これは単に、分かりやすさも大事だけどその情報が正確か気をつけたほうが良いよという情報リテラシーで良く言われることを言っているのでは無いことに注意する必要がある。
そうではなく、かなりそうしたことに気をつけている人でも分かりやすさという名のバイアスに支配されていることを自覚したほうがいいかもしれないということを言っている。
なぜ自覚したほうがいいかもしれないかというと、そうしたバイアスのせいで、本人がいくら努力しようとも、一定以上の認識の正確さに至れず、
従って、正確な行動選択が出来ず、繰り返し失敗し、もがき苦しみながら「あきらめの境地」に至る例が非常にありふれているからだ。
そうした人生の苦しみ・失敗の原因が一体どこにあるか自覚していない人が多いが、私が思うに、これは分かりやすさという名のバイアスに無意識レベルで支配されているからなのだ。
これはちょっとやそっとでは抜け出せないバイアスである。
誰もが(スイーツ(笑)でも無い限り)分かりやすい情報をもとに行動して失敗すれば、少し正確さを意識して情報ソースにあたるようになるだろう。
確かに、そうした意識的努力により、分かりやすさという名のバイアスに支配されにくくはなる。
だが、いくら意識していても、多かれ少なかれ分かりやすさという名のバイアスには支配されていることには変わりないのだ。
だから、どうしようもないという話なのではなく、自分がいかに正確さに非忠実かということをシビアに自覚していき、
より分かりやすさにとらわれない認識形成を行っていくように努力することが場合によっては必要だという話である。
もちろん、何も苦しんでない人はそういったことを考える必要がないが、失敗を繰り返している人はそういうところに原因があるかもしれないよという話である。
追記
ブクマコメにやる夫で学ぶで分かった気になってる人が挙げられていた。確かにそれも危ういと思う。
苦しみの原因が分かりやすさという名のバイアスにあるということを自覚するまでは、そういう簡易な理解に安住しつづけるのだろう。
たとえ、正確な情報ソースにあたったとしても、そういう人は過度に単純化して読んでしまうものだし、その結果誤読してしまうことも非常に多い。
何か文章読むにつけ「当たり前のこと言ってるだけじゃん」と思いやすい人は、単純化して読んでいる危険性が濃厚である。
きっと周りにすごく迷惑をかけている
独りよがりな新人なんだろうな。行間からそれがよく伝わってくる。
がんばるのもいいが自分の存在がどれだけ迷惑なのか
それもきちんと考えて行動してくれ。
あなたはあなたの幸せを求めるべき。
家を出るべき。家族を捨てるべき。
おそらく追いかけてくるだろうけど、
そのときはストーカーとして訴えるべき。
べっきべきにしてやんなさい。
でないと、いや、したってわかんないよ。
…あ、そっか、あなたの家族は、
そもそも家族内を含む世の中に不条理があるってことが、解ってないんだよ。
そうして、苦労して苦労して人間成長していくもんですね。
苦労して初めて自分の血肉となる。
最近そういうことがよくわかる。
誰でも最初から苦労しない人はいないんだ。
趣味でやっていた人も昔、苦労したからこそ今がある。その苦しみを乗り越えたから楽しさを覚えたのかもしれない。
若いうちはもっと苦労しなさい。
もっともっと、自分が成長しているのを実感できるのだから。
安易に非モテネタで思いつきのネタを書いてしまった私が悪いのですが
あくまで矛盾はしていないよね?っていう指摘なだけでアドバイスではありません(そもそも私の言葉ですらないです)。というか元ネタもアドバイスじゃなくて批判だったはず。
前者と後者はヒモ手さんと関わる立場が違う(男と女とか)人の言葉の場合もあるということも念頭においてご鑑賞ください。
非モテは自分が嫌いだと言う。非モテは人の気持ちばかり優先して自分の気持ちを押し込んでいると言っている。
でも本当は非モテは自分が好き。非モテは自分の事しか考えず他人の気持ちを考えない。まず人を好きにならなきゃ誰も好きになってくんねーぞ
社会は優しい。非モテが勝手に防衛しているだけ。いつまで意地張ってるの?
だからといってサバイブじゃないわけじゃないよ。自分の力で道を切り開け。人間だろ。
仲良くなったらとりあえず口説け。チャンスを逃すな。迷惑だと思われる?そんな事はない!被害妄想だ!
でもこっちに全然その気がなかったら、空気でわかるよね?それなのに勝手に勘違いしてしつこく押し続けてくるのはうっとうしいです。
自分を営業しろ。会社での活躍を自慢しろ。ただしあくまで聞かれたときにさりげなく。
聞いてもないのに自分アピールばかりしてくる人にうんざりして、自意識過剰だと思うのは当然です。
非モテは少女キャラに救われたがっていて男らしさのかけらもないくせに、少女キャラを救う本当の俺はかっこいい。と思っている。
好きになってから口説け。
非モテは他者不在。まず相手を好きになって口説け。
口説いてから好きになれ。
好きになれなきゃ口説けない?だからモテないんだ。まず口説いて付き合っていくうちに好きになるものなんだ。
ここは私にもイミフです。
恋愛って夢に拘っているからモテないんだよ。あきらめて自意識薄くなったら自然と彼女できるって。
ていうか彼女ほしいなら自分の殻に逃げちゃだめだ!戦わなきゃ現実と。
非モテは女を人として見ているからダメ。女なんかメス豚だと思え。
適当に嘘並べて騙して押し倒せ。相手は人間なんだ?青臭いこと言ってんなよ。
非モテは女性を人として見ていない。
これは言っている人が違うだけかと。前者は間違いなくたらしか種馬か犯罪者予備軍です。
非モテ(オタク)は観察する側になるのは得意だけど観察される側になるのは苦手。弱点を見せまいとするので深いコミュニケーションを取りにくい。
だからいざ親密な関係になったときに「自分をまるごと(ry。」とか重い言葉を一気に吐き出しはじめる。
矛盾してないじゃん!と思ったのは私だけだろうか。
面白かったけど。
周囲の人間を使うって、ちょっと陰険じゃないかな、、、。
本人がハッキリと(は口では言わずに)態度で示すのが一番かと思う。
必要外は話さない、笑顔を見せない、徹底的に無関心を示すっていう。これと時間が解決すると思う。
告って来たらそれこそきっぱり断るチャンスなんだし。
前提っちゅうか、文化の問題なんですよ。
そりゃ日本で生まれ育ったからって日本語使えなきゃいけない決まりなんてないけどさ、
みんな使ってるんだし使っとこうよ的な。
既出だけど自分もまずは家を出たよ。
貯金が貯まった頃に勢いで某代理店に飛び込んだ。
全部手配して、あとは保証人の判子もらうだけにしてから報告した。
親に断られたら保証人代行業者使うつもりだった。
自分のほうもそれなりに親兄弟に依存してたのが見えて泣いたりもしたけど、今はすごく気楽だよ。
もしかして「ワシ(鷲)」と「烏合」をかけてるのか?