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2012-05-09

http://anond.hatelabo.jp/20120508232816

人を救うものは単に心奪うというよりは心奪い返すものなんでないの。

ニルヴァーナは「思春期のやり場のない鬱屈した感情から心を逃がして返してくれた、的な。

共感が救いになるっていうのは、「同じ(ような)ことに苦しんでいる人」の姿を提示してくれるものからでしょ。

自分ある意味この人と同じだ、自分はこの人なんだ、というのを、外部視点から見させてくれる。

苦しみの渦中から多少なりとも出してくれるし、出るとその苦しみをどうやっつけていいかがわかるから「救われた」って感じるわけよ。

元増田はそもそも自分がどこにいるのかっていうのを見失わないタイプなんじゃないの。

例えば音楽だったら音楽終った瞬間に我に返るタイプ。あるいは鳴ってる間もどっかしら我が残り続けるタイプ

そういうのって体質みたいなもんだからそれ自体は別にどうってことないけど恥ずかしいっていうのはちょっとアレではある。

いったい誰に対して何を恥じてるん?他人事だろう?

救いがどうこうとかめっちゃ言いふらす人間が周囲に居て辟易してるってとこだとしても、それはせいぜい単にその個人がイタイだけであって「救われたという思い込み」なるものがあるという話にはならない。

2012-05-08

救われた・共感した

よく「○○に救われた・共感した」的エピソードを語る人がいる。

(○○は音楽映画、本etc何でもいい。例えば『高校生の頃に聴いたニルヴァーナ思春期のやり場のない鬱屈した感情を解き放ってくれた』のような)

自分にも繰り返し聴いた音楽、読んだ本、見た映画はあるが、それに「救われた」という感情はなかった。

その時、心奪われたかもしれない。しかし、日々の生活は代わり映えもないものだった。

「救われた」という思い込みが出来る人は簡単に自己肯定のツールが見つかって幸せということなのか。

モノから読み取れる心情や価値観ストレート自己同一化を出来ることが恥ずかしいという思いが

から自分にはあるのだが、そういう感情の動き方はおかしい?

仮におかしいとしても、「共感した」「救われた」なんて簡単に口にしないよね。

2009-12-26

ジャーナルズ。

これはニルヴァーナの話に成るね。90年代を代表するロックバンドの。

カートって結局「売れたく無いのに売れる」ってグチグチ悩んで鬱で自殺した奴なんだけど、

普通逆だよね。「売れたいのに売れない」ってグチグチ悩んで鬱で死ぬんじゃないんだ。

で、彼の遺書だか日記だかにファンからのメールがちゃんと保存してあって、

それは「大ファンです、頑張って下さい」とかは多分読んでも無くて、

わざわざ「ニルヴァーナなんてクソだ!」って書いてある方をちゃんと取ってあるの。

それがどんなに神域にあろうと、人間人間

マイケルジャクスンが死んで皆気付き始めたんだ。その事にさ。

http://anond.hatelabo.jp/20091226091358

2009-12-16

世界の終わりに2。

(一続きの文章なのであるが、増田だからという理由だけで4分割。長いと読まれないので。

因にこの一連が最後の書き込みである。もう神みたいに3日後に復活はしない。神に誓う。ってか8日後に神の子が生まれたらしい。

王様」だって言っているのに何故か「神」って呼ばれる。「神に近い!」神って何なんだ?括弧の中が長いので以上。)

で、クリスマスですが、三年前は「とても特別な日です。」と教えられ、二年前は「この日に大いなる意義を与え過ぎました。」と言われ、

去年は「今年は日本人の庶民が、心から楽しむ事が出来る、最後のクリスマスだなんてファックだ。フランス人ネズミの肉を喰らってでも祝う。」

などと教えられました。菊地成孔教授に。

今年のアンサーを待ってますが、「20世紀最後のクリスマスです。」だと予想されます。

ガキの頃21世紀への憧れを随分と刷り込まれました。結局何も変わらなかったと最初は嘆いていたのでしょう。

ですがそれは1つの事実を気付いていない者の言い分です。

「20世紀が終わる」というのは去年あたりからようやく効力を発揮したマジックワードでしょう。

マイルスニルヴァーナも、そしてマイケル・ジャクスンも不在のクリスマスは今年が最初だからです。

http://anond.hatelabo.jp/20091216231359

                                 〜T/H

2008-01-17

新説?輪廻解脱ニルヴァーナ

僕は哲学とか宗教とか倫理観にちゃんとしたバックボーン(哲学科とか)がある訳ではないので、諸所の綻びがあるとは思いますが、お手すきの方に読み流して頂ければ……。

百億の昼と千億の夜」(光瀬龍)とか「幼年期の終り」(クラーク)を読んでいて、輪廻転生であったり解脱に対してのちょっと角度の歪んだアプローチを思いついたので、メモがてら書かせて下さい。

『こんなん全然新しくねーよ!』な方は、既に語られてるそっちの説について教えて頂けると嬉しいです。読みにいきますw

以前はてなでバークリを教えて頂きまして、非常に楽しませて頂きました。今回も新たな発見に期待。

輪廻解脱ニルヴァーナ

解脱」っていうのは、一つ上の次元・階層で目覚めること。なんじゃないかと思ったんです。

例えば細胞って、それ自体生きてるし分裂という形で繁殖世代交代もするじゃないですか。だけど細胞たちは自分が「"僕"の細胞60兆分の1」である意識は無い。(…と、思う)

だから、僕らが"細胞"的な存在でない、とは言い切れないよなー。と時折思うのです。

"国家"(←これはちょっと違うか)とか"地球"が、"宇宙"にとっての心臓とか肝臓みたいなものかもしれないし、むしろ"銀河"がもっと上の何かの胃かもしれない?

個人的には、その"もっと上の何か"が「神」なのかなー、なんて思ったりもしますが。

だから"細胞"である僕らの1サイクルが終わったときに、次はその一個上の"僕"(仮に"神"としましょうか)の意識として目覚められたらいいな、と希望的に思います。

人間として死んで、人間に生まれ変わる("細胞"→"細胞")のが「輪廻」。

人間として死んで、上の階層に生まれ変わる("細胞"→"神")として目覚めるのが「解脱」。

……って解釈はどうでしょう?

2007-12-17

むかついた

コンパで女と話した。

趣味音楽鑑賞っていうから何聴くか聞いてみた。

「私、マイナーなのが好きでぇー」

ほう

「いつも好きなバンド言っても共有できないから盛り上がらないんだ」

あるある

「知ってるかなぁー?たぶん知らないと思う」

早くいえよ

「知ってる?ニルヴァーナって言うんだけど」

眠いけどかなりむかついたから書いてみた。

本当にしたり顔でそういいきったんだ奴は。

トラウマものだよ、あれは。

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