はてなキーワード: どんどんとは
どうなるんだろう自分。
自分のことがわかってない自分って糞だな。
考えようとしてない、いつかは本気出すだろみたいなそんなこと思ってる。ありがちなパターン。
でもな、お前もういい年だぞ。ていうか、今やらないって相当のアホだぞ。でも俺そういうの苦手だし、
わかるよ、確かにお前はこういうことが苦手だ。でもさ、苦手だからでよろしいのでござるか?
拙者はそうやって一段ずつこの良き人間としての道から降りていくのでござるか?
そしたら拙者、何者になってしまうのでござる?何も持たないものになってしまうのではないのでござるか?
拙者、忍者としての誇りを捨てとうないでござる。拙者、拙者。
自分の誇りは消え失せていた。まるで誇りを持たないことが美徳であるかのように生きた。
人間として最低の生活をした、最低限の生活とはきちがえて。
どんどんどんどん程度を下げていった。いつしか自分は嫉妬のあまり、上の者達のようになるには心がうんこでなきゃなれないんだなんて思った。
あの人たちと自分は違うんだなんて思った。
あぁ、自分はまだあの世界へ戻れると思っている。どこまで阿呆なんだこいつは。
現実とはなんだ。見えない、見えない、瞼を閉じているから見えない。阿呆か。
志だとか、希望だとか、愛だとか、抽象的な馬鹿な自分の行動原理からは外れた話はもういい加減によさないか?
くだらない、くだらない。
迷ってばかりだ、適当な感じで考えるばかりだ。結局何もしない。
考える意味はあるのか?考える意味ないよ。何のために君は考えるんだい?逃げるためかい?考えてなんとかするフリをしているからかい?
考えることの意味がここまで薄れてしまったら、もう君は受身でなにもかもやっていくのかい。
なにもかもそうしていくのかい。
自分は多分良き人間になりたいのだと思う。あれ。そうだよな?って確認したら。どうだろ、そうでもないかも。って答えが返ってきやがった。びっくりだ。あまりに想定外だったので笑ってしまった。
今わかったことは、多分こいつにはなりたいものなんてそんな高尚な思い入れすらないということだ。
びっくりだ、たまげた。こいつほんまものの人間じゃ。人間なんてこんなもんじゃ。ふぁっく。
べーつに、生きていければいいし。なんて思ってるんだなお前は。わかった、わかった。
適当でいい加減だな。なんて言ってやると、だってどうしたら何かになりたくなれるんだいなんて聞いてきた。
こ、こいつ、人間を捨ててやがる。ただ生きてるだけだ。
二回目に梅干食べたときの気持ち、今でも覚えてるか?
一回目食べてから、すっぱいってわかってるのに、敢えてチャレンジしにいった、あの時の気持ち、まだ覚えてるか?
お前の今の生き方に足りないのはな、それだよ。
そのすっぱいもの、実は美味しいんだぜ。
俺を規定するもの。そうでなければ生きられない。そういうことは出来ない。
それ以上そっち側へはいかない原因。ひっぱられる原因。
本人のやる気次第。熱意。そういうキャラ。俺はそういう人間だから。性格。
自分のことをどう思っているか。好きだから。嫌いだから。そうはなれない。
多分人間には集団生活の中で培った役割というものがあって、頭の中にそういうのがあって自分はどういうキャラだとかそういうのがあって、それに従ってるんじゃないかってこと。
俺のこの姿が偽りだとしたら。だとしても性格や行動が変わるだけか。それがでかいのか。
こうなりたいんだあああという意志。なにかになりたいのか。ならなければいけない。
これはたぶん性格の問題じゃない。自分が自分のことをどう考えるか。実はまっさら。
まっさらだからこそ、軽く、何もない。あるのはこの体だけ。
今まで貯めたものでどうなるかな。俺はどう考える?
はてな日記 id:fromdusktildawn:20061227 を読んでいて、国家という枠組みがようやく市民レベルでも崩壊してきたかという印象を受けた。
ちょっと前までメディアでも愛国心・ナショナリズムという言葉が目立っていたが、それらは庶民を国家という体制の中に押しとどめるための精神的な檻を設けようという試みだったのだなとオモタ。
グローバル企業は既に日本の外(タックスヘイブンとか)に資産を移し市場だけでなく自分自身さえも分散させている。企業だけではなく、個人資産家さえもどんどんと流出している。政府はその流れを抑えるための税制を打ち出し美味しい餌で釣る。下層市民にはナショナリズムという無料の檻で押さえつける。
みたいな事をちょっと妄想した。これ以上、煮詰める気も食べる気も無いのだが。ちょっと呟いてみた。
結局、声のデカい図々しい奴の文章が活字となりデカい面してのさばっている。
そんなものには終始一貫して「NO!」と言ってやろうじゃないか!連中の書いている文章なんて、「やれ誰がどうした、こうした」だの回りくどいのが味気なく続くだけで中身は何もない。「とにかく金が欲しい!」だの「何でもいいからSEXがしたい!」といった興味深い人間の深層心理が痛々しい絶叫とともに吐露されている文章ならば、こちらもぜひ読みたいという気分になるだろうが、己を偽ったコジャれた駄文ばかり連中は書きたがる。
(中略)
僕らが今、必要としているのは声の小さい連中が自信なさげに書いているモジモジした文章なんだ。
徹底して才能のない奴の首根っこ掴んで無理矢理書かせてみるのだ。テーマなんて自発的に考えるわけないから、映画の感想文なんて簡単なものでも良いから、どんどん書かせてみようじゃないか。
中原昌也『エーガ界に捧ぐ』p150より
大切な能力だ.
これがないと,いまの俺は生きてはいけない.ワイドショーにいちいち反応してしまう.
新聞の社説を信じてしまう.政府の嘘を見抜くことができない.まともに日常なんか送れねぇ.
そんなリテラシーについてよく考えてみた.正直いって,
今後生きていく上で,リテラシーはますます重要性を持ってくると思う.
だけど,そんな世界に俺は住みたくない.
選択の自由はどんどん増えてくると思う.でも,どんどんつらい世界になっていくような気もする.
もし,どんどん情報にたいする不信感が高まっていったらどうなるのだろうか?
大好きなナスが本物のナスなのか,農家にまで確認にいかなくてはならなくなったら?
今すんでいる家が鉄筋コンクリートでできているのか,一斗缶でできているのかわからなくなったら?
個人が一日に使える時間はかぎられている.あらゆることを疑問に思っても,そのすべてのことをチェックすることはできない.
どう考えても,人間には時間的な物理的なボトルネックが存在している.
俺は朝日新聞の世論調査がどのような確率モデルを採用しているのかまで,いちいち確認したくねー.
現状は不完全な社会システムが個人の犠牲のもとに成り立っているように思える.
社会が個人に責任をなすりつけている.いちいち俺等に,逐次的に情報を確認しろと言ってくる.自己責任のもとに.
「イスラエルでは,爆撃や銃撃戦が常態化しているそうだ.その結果,その恐怖に耐え兼ねて精神を侵される子供があとを立たないらしい.
この子供達を治療するために,戦争状態にある社会全体をどうにかしなけりゃ」って話だったと思う.
こんなもん,原因は個人にあるわけがねえ.戦争状態にある社会全体をどうにかしなけりゃ直るはずがねぇ.
俺が言いたいことはこういうことだ.
現状の原因が社会に100%ある.
なんてことじゃない.もちろん原因が自己責任のもとに個人にすべてある.でもねぇー.
俺が言いたいことは社会と個人どちらに原因があるのかその場その場の文脈で決めろってことだ.Closureってことが言いたいんだ.
決してelispじゃねぇ.
でも,この結論って情報量ゼロじゃん.結局何も分かってないってことじゃん.
いっつもこのくだらない折衷案でおわってしまって,その壁を乗り越えられない,それ以上深くものを考えられない.
この先を考えてぇ.
せんせい あのね
あさおきたらさ てーぶるをかこんで ままと おともだちのおばさんたちが たのしそうに おすしをかこんでいたの
ぼくのぶんものこしといてね ってままをじーっとみつめていたんだけど おすしはどんどん なくなっていきます
おばさんたちは せけんばなしをするふりをしながら つぎは どれをとれば まわりからの むごんのくじょうをふせぎ じぶんのいちゅうのねたを しぜんなかたちで てにいれられるかを にゅうねんに ぎんみしながら かつお たまご あなご かっぱ ちゅうとろ と しんけいせんをてんかいしていきます すしおけは からっぽになりました
ぼくは けっきょく じぶんのおすしが ひとつものこらなかったので おばさんたちを じーっと にらみつけて やりました
おばさんたちは あー おいしかったわ またくるね といいながら ぼくのなかをすりぬけて かえっていきました
ブログって良くも悪くも続けてると書き手の思考や嗜好パターンが蓄積されていったり文体が固定化したりして、キャラが立ってくるじゃん。
読者が増えたり、知り合いにばれたりすると、誰かに強制されているわけではないんだけど、もう自分がその場所で書けることがどんどん限定されていってる気がしてくるんだよね、セルフメンタルブロックって言うか。で、書きたいことと書けることの距離がどんどん離れていく。
増田のいいところは、そういったしがらみがなくて、自分がそのとき書きたいことを何の脈絡もなく書けるとこ。
ハンドルネームを使うことであわよくば手に入るはずであったウェブ上での名声は得られないけれど、自分が言いたいことをまじりっけなしで見てもらえる増田はライティングジムとしては最適です。