増田を見ると、ありがちな過ちが目に付く。"言葉の意味を重視しすぎる"ということだ。嘆かわしいことである。
人々の会話の中で、言葉それ自体は重要ではない。言葉それ自体は意味を伝えない。人間のコミュニケーションの作用機序を考えると、"話者の思考感情の顕現→話者が言葉を発話→聴者による受領→聴者が辞書的知識と経験から言葉の意味を"想像"する→聴者が全体の発話を一連の意味として受け取る"と形式化できる。言葉自体の意味が、呪文のように"直接"聴者に影響を及ぼす場面はない。例えば、「maot! Anjeun jalma awon.」なんて知らない言葉で罵倒されても意味が分からないだろう。態度に気分を害することはあるが。
言葉が意味を伝えないからこそ、我々はコミュニケーションを行うためには言葉の意味に拘泥するのではなく、"話者の思考感情"を発話から体感する必要がある。そうしなければ、辞書的な言葉の意味に囚われ、相手の思想を見失い、会話は成立しなくなるだろう。"言葉が通じているのに、話が通じない人"と成り果ててしまうだろう。ディスコミュニケーターの誕生である。言葉に引きずられて幻覚を見てしまうことは悲しい。
相手の言語化が完璧とは限らない。相手が表現の語彙を持っていないかもしれない。我々は言葉と会話するのではなく、人間の思想と会話するのだ。
それは自分の中の思考でもそうだ。言葉を疑え。意味を疑え。君が本当に表現したいものは何だ?それを本当に言葉で表現できているのか?世にある言葉は誰かが作った、誰か(もしくは大衆)の思想を表現したものだ。
思考を既存の言葉に落とし込むと、ポロポロと細かいニュアンスがこぼれ落ちて、まるで別物になってしまった、という経験はないか?
我々は言葉によって世界を定義し、「アレ」と「コレ」の分別を身につけた。しかし真に世界を、人々を正しく見るなら、言葉で考えることから脱する必要がある。世界は言葉で構成されていない。人々の思考もまたそうである。
そうして「アレ」と「コレ」の分別をなくすからこそ、そのアナログな接続が論理的に顕現し、既存の枠組みにない概念となってそれを言葉で表現することができる。不思議なものである。
最近言語化がうまいっていう表現をよく見るようになったしどうやら褒め言葉として言われる頻度も増えてきたんだけど、言われると結構気持ち悪いと感じてしまう。みんなそんなに言...
増田を見ると、ありがちな過ちが目に付く。"言葉の意味を重視しすぎる"ということだ。嘆かわしいことである。 人々の会話の中で、言葉それ自体は重要ではない。言葉それ自体は意味...
嘆かわしいとか言う話かな? 場によると思うけど 対面ならともかく増田みたいな(似非)言論場では あなたの言う所の「話者の思考感情」を慮る事に長けている、と勘違いした者ど...
ディスコミュニケーターの奏でる 奇怪で不快な音が三界で鳴り響き いま、ゲシュタルトの王が見える 寛解に至るまで曲解を為すだろう
いうほど最近か? 漠然と感じているモヤモヤを具体的かつ丁寧に文章に表せる人を褒める言葉だと思う。
仰っていることはとってもよくわかる その上でみんなそんなに他人から言語の枠組みを与えられるまでそのモヤモヤとやらをぷかぷか頭の中に浮かべっぱなしで生きてるの?嘘でしょ?...
無口な人が周りに居ないっぽい
生きていれば自然と色々なことを感じるし、それら全てをいちいち丁寧に言語化するほどのゆとりがないってことかと。 あと言語化が上手い人には想像もつかないんだろうけど、自分が...
なんとなく好きとか、なんか気に食わないとか、直感的にAとか、そういう事ないの?
言語化、それはね、ぼくの頭の中をぷかぷか漂う思考の藻屑くんにみんながアクセスできるように言葉のおうちを建ててあげる行為のことだよ
頭のもやもやを形にするとすっきりする 子供がオノマトペを使ってどのように具合が悪いのかを自分自身と医者に伝えることが出来たら初めての時は嬉しいだろう
でもネコやイヌがYouTubeでしゃべってるってのはぜんぶ空耳ですよね