もちろん、宗教自体が組織を維持するために信者を一定数確保する必要があるのはわかるが、それはさておいて。
宗教への加入が、当事者の精神的問題から発生するとするならば、宗教はある意味で精神的治療のひとつだと言えるが、
それならば上述のように、宗教からの「退院」、すなわち脱会こそが最終目標であるべきように思う。
つまり、その宗教に頼らないで生活できることが「完治」という考え方だ。
そういう点で、代々信仰を続けている家庭というのに違和感を持つ。
それは、本人たちにとって伝統を受け継いでいるかのようなプラスのイメージがあるのかもしれないが、
上記の視点に立つと、自身の精神的治療を自身で完了することができずに、次世代に任せてしまったかのように見えてしまう。
再び病院で例えるならば、治療の必要の無い子供を、自分が治療を受ける病院がいくら素晴らしいものだからといって、
無理やり病院に連れていくことはないだろう。信仰の継続には、そういう違和感を感じてしまうのだ。
もちろん信仰は自由であるべきだと思うが、それは世代内でクローズすべきとも思う。
ちなみに話は変わるが、上記の特集では、親の立場になった宗教2世が登場していた。