2020-12-31

年末人間になりたかった

2020/12/30

明日って、来るだろうか。

アラームと共に起き仕事へ向かい歯車ひとつであることを自覚させられつつも帰宅後のクレープよすがに心を無にして働く。

クレープの味はわからず涙も出ず一人部屋の隅を見つめながら鎮痛剤を飲む。

明日って、なんだろうか。

気がつくとベッドの上で少し寝ていたようでふとみた時計の針は明日を指している。

大晦日年末今年最後の日だそうだが歯車には関係ない。年末のお忙しい中ご来店ありがとうございますアナウンスは繰り返すがお忙しいのは歯車たちであり幸せそうな家族連れや時間をかけてお問い合わせするようなクレーマーのことではない。

きっと彼らも過去未来歯車なのかもしれないが現在君たちが人間としていられるのはまぎれもなく私らのおかげなのだから心の中でくらい悪態をつかせておくれとも思う。

明後日は、新年らしい。

新しい年にむけて人間たちは豪華な食事を用意したり念入りに掃除したり酒を交わしたりしている。

ない。そんなものはない。

歯車にとって明後日とはただの2日後であり溜まった洗濯物とカップ麺ゴミに見送られて社会を回しに行くだけの変わり映えのない1日である文化とは社会とはつくづく人間のものなのだなと思う。はやく人間役に交代させてくれよとも思うし美味しい時期に人間役をゆずらないような奴は文化社会も味わえない身になってしまえとまで思う。

明日なんて、来なくていい。

そうすれば人間歯車平等に美味くも不味くもない時を過ごせるわけで、そんな中口いっぱいに頬張るクレープはさぞ美味しいだろう。

美味しいだろうか。

きっと明日ボイコットしようと自分人間役を選んでも他の歯車負担をかけるだけで社会には軋みなんて微塵もでないだろう。そんな中食べるクレープは美味しいだろうか。

歯車として食べるクレープが美味しいとは思わない。思わないが、他の歯車がせめて少しでも人間でいられるためにも、私が人間の心を保ち完全な機械にならないためにも、私は明日歯車になってクレープを買おうと思う。

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