2020-08-29

キショ遺書

私は私のファン第1号だ。

たとえ活動が無くてもどこかでまた輝く私を夢見て、私が幸せになることを毎日祈り続けている。

自分で歌っては「なんて綺麗な歌声なんだ」と思い、自分の書いた文章を読んでは「こんな文章は私以外の誰にも書けやしない」と感嘆して、可愛く着飾った自分の姿を鏡で見て「こんなの映画主人公じゃないか」と息を飲む。

自分というアイドル偶像崇拝をすることで自分のあぜ道を照らし続けてきた。

壊れかけの懐中電灯のような頼りない光は私に三叉路の間違った道を勧める。

迷っているのはとうの昔に気づいているけど「もうこんな所まで歩いてきてしまった」と見栄を張って気づかないフリして自分が正しいと疑わずずんずんと進み続けた先には何も無かったのだ。

いつか見えない手が私に救いを差し伸べて私はただその時が来たらその手に縋ればいいと機会を待ち続けていた。

本当にしょうもない人生だった。ずっと夢ばかり見てきたと思う。

歩き続けてれば勝手に上手くいくほうに導かれるだろうと思ってたけど本当に何も無かった。真っ暗闇に意識けがふよふよと漂っているのだ。

偶像は振り向かない。微笑んで手を振ってはくれるけどあくまファンサービスだということを忘れてはいけない。夢を見せてくれるけど夢に見せられてはいけない。応援し続けていればいつか見返りがあるだろうと期待することは甚だおかしい。

私は私の人生自分の足で歩まなければいけない。叶える気もない夢は幻想しかなく幻想に囚われていたと気づいた時には見惚れていた夢が煤になり自分容赦なく降りかかるのだ。自分のことを灰被りの少女だと思っていたけどそれこそ私が作り出した幻想に見せられていたのだ。

毎年8月を思い出せない。毎日家の天井ばかり見つめている。

誕生日が来る度に「来年もっと多くの人に祝ってもらえるように頑張ろう」と心に誓うようになってから4年は経った。今年は家族に祝ってもらえたので2人増えたと言っていいんだろうか。

そんなのでもいつか絶対にこの日々が光を帯びて眩い思い出として何度も振り返られる時が来ると思う。

この先の人生で得るはずだった休暇を全てこの瞬間に閉じ込めて消費しているんじゃなかったら何なんだとすら思うほどに自由に生きている。

何にもない私にも自由だけは有り余るほどある。

私は私のファンだけどプロデューサーなんてついていない。「こういう私が見てみたい」「きっと私ならこれができるはず」と思ってもこれまで私一人だけで叶えられなかったことも多かった。

さっき見た映画の余韻に浸っていたらもう既に2時間が経っていた。こうやって限りある人生というのは私の意図に反して終わっていくのだろう。

私は私を幸せにしたい。これは自分という名の偶像と決別するための1200文字遺書。よってこれを最後ファンレターとして筆を折ろう。キショ。

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