2020-05-04

何もしてこなかった大学三年目の絶望

僕は旧帝国大学の3年生。私立中高一貫校を出て一浪後に今の大学合格した。客観的に見て恵まれ環境で育ってきたのは間違いないだろう。

そうなのだ。恵まれているのだ。大した悩みなんて無いはずなのだ。それなのに、死にたくて死にたくてしょうがない。自分死ぬ勇気もないから、何かが自分を殺してくれるのを待っている。

ああ、二年はあっという間だった。自分無能さを知るのが怖くて怖くて、何に対しても真剣に取り組むことができなくて、気づいたらもう三年生。二年間、見るのはスマホの画面ばかりだった。スマホ依存する自分が嫌いで、それでもスマホから目を離すと死にたくなるから、ずっと無味乾燥な画面を目で追い続ける。そんな日々。

そうして二年の日々を空費している間、同じ年に入学した人たちは多様な変化を遂げていた。

難しい本をたくさん読んで学問知識をどんどん深めていく人。月に何十時間バイトをして仕事経験を積む人。サークル趣味に打ち込んで強固なアイデンティティを築いている人。

彼らのような充実した大学生活が僕にもありえたかもしれない。それなのに、今となっては一生届かない。

え?今から一念発起すれば間に合うかもしれないだって?無理だ。もう取り返しはつかないんだ。僕はどうしても小さなプライドを捨てられない。自分だって彼らに追いつくことができたはずなんだ。そうじゃなきゃいけないんだ。そんな思考に取り憑かれている。どうしても振り払うことができないんだ。心の奥ではそんなことはもうできないってわかっているのに。現実の彼らに追いつけない自分を僕はどうしても許せない。現実意識した瞬間に死にたくなる。だからスマホに逃げる。そうしてますます自己嫌悪が募っていく。

もう勝ち目のない戦いから降りたい。勝てない自分を許したい。けれども、どうやらそれがどうしてもできないらしい。きっとこれからもずっと僕は自分が嫌いで退屈なスマホいじりに逃げてまた自分が嫌になる。そんな人生の繰り返しに違いないだろう。

虐待とか生活苦とか何か苦しさに理由があればまだよかった、と思うときがある。自分の苦しみに意味を見出せるからだ。

特に何か理由もあるわけではないのに精神をすり減らすのは心底疲れる。なんとなくだけど、30歳になるまでに自殺するような気がする。いや、自殺結構するほどの実行力が自分にあるとも思えないな。死という形でこの苦しみが終わるならそれでいい、と思うのだけれど。

  • 多分普通に生きてると思うよ

  • 真面目過ぎて自信の無さと友人が少ない事が拗らせている原因だろう。自信喪失は東大生でも聞く話。 理系なら大学院進学を考えて2年先延ばし、 文系で時間に余裕あるなら家庭教師の...

  • 明日になったら今日が人生最後の日だと思って、マスクをして外に出なさい。 もうこれが最後だと思って閉まってるかもしれないけど好きなお店に行ったり、思い出の場所に行ったりし...

  • どうしたんだよ! fxにであって金持ちになるサクセスストーリー書くんだろ!

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん