2019-05-18

飯塚幸三可哀想

幸三君は、足が悪くて歩くのが億劫、車を運転していた。彼はもう歳だったが、免許を返納していなかった。それは良いことではなかったかもしれない、でも皆仕方なしにしていることだった。

運が悪かった。事故だったのだ。ブレーキアクセルの踏み間違え。車を運転する人なら誰にでもあるリスク

87歳まで彼は懸命に生きてきた。勉学に励み、東京工業大学に進学。身を粉にして働いて家族を養ってきた。努力が認められ勲章を授かった。きっと彼自身も、彼の周りの人も受勲を誇りに思ったことだろう。しかし、彼の輝かしい経歴は、たったひとつペダルの踏み間違えで大きく変わってしまった。

阿鼻叫喚交差点の真ん中で、フロントドンドン、とぶつかる小さな女の子母親に頭を真っ白にして、心配する妻に対して「…どうしたんだろう」と呟いた。わざとではなかった。しか自分運転する車は人を殺していたのだった。

気が動転したのかもしれない、救急車を呼ぶより先に息子に電話した。事故を起こした際に警察でなく身内にかけてしまうのは珍しい話ではない。

SNSアカウント削除が救急車を呼ぶ事よりも彼の中で優先されたのだらうか?トラブルおかし、気が動転してつい保身に走ってしまった彼の人としての弱さはわからなくもない話である

インターネットでは、そんな可哀想飯塚容疑者上級国民と叩く声が憤慨した。幼い娘と妻を失った遺族の事を思うと、誰もが胸が張り裂けるような気持ちになった事だろう。彼への忖度のせいかマスコミもおずおずとした報道で、警察も彼を逮捕しなかった。同時期に起きた似た事故と比べられ、飯塚幸三に制裁を!という声は高まった。

87歳までの人生はたったひとつ事故で塗り替えられようとしていた。飯塚幸三の名は、素晴らしい科学者の名では無く、大量殺人犯名前になってしまった。

可哀想な人である

しかし、彼への批判は当然だ。事故加害者になるリスクは誰しも負っているもので、それで人生が全く変わってしまうのも仕方のない事だ。事故を起こせば加害者として罪を受け入れ、刑に服すことは、全ての運転手が追っている当然の責任である故意であろうとなかろうと、人を殺したのだ。

マスコミは、運悪く事故を起こし、勲章を持っていたばかりに叩きの的にされてしまったので可哀想な人と捉えるが、それは間違いだ。

加害者になったのは確かに可哀想だ。

しかし、罪を償わないことへのバッシング可哀想でもなんでもない。87年も生きていながら、自らの非を認めて誠心誠意謝罪をするということをしなかったのだから

彼が許されるためには、刑務所に入り殺した人、傷つけた人、遺族に対して償いをしなくてはいけない。

もし彼がそれを甘んじて受け入れて、反省することができない人間だとしたら、やはり本当に可哀想な人と言えるかもしれない。

  • インターネットでは、そんな可哀想な飯塚容疑者を上級国民と叩く声が憤慨した。 声が憤慨ってw お前は小学生からやり直せゴミが。

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