2018-05-02

子どもを産んで失ったもの、あるいは初夏の四条烏丸

最近四条烏丸をうろつく夢をみた。

地下鉄の駅を出て路地を入り、大丸の裏にある紅茶がおいしいカフェを外から眺める。中華料理屋のメニューを眺め、錦市場に足を踏み入れ、適宜左折して京都で一番おいしいケーキ屋さんに入る。そういう夢。

学生の時分に何度も歩いたコースから、夢からさめても鮮明に思い出せる。あの頃私はいつも新規開拓を目論んでさまよっては結局あの店に通っていた。タルト生地ナッツとを噛み砕く感触もまだ感じられそうだ。

こっちに引っ越しから数年来、その界隈からは足が遠のいていたのでとても懐かしい。夢にみてから、あの街並みを、そこに差し込む日差しを思い返しては眩しく思う。

しかし再訪できるのはずっと後のことだろう。なぜならうちには乳児いるからだ。少し前に私が産んだ小さな赤ん坊彼女がふにゃふにゃと頼りないうちは、500kmを移動した後よさげカフェを探してあてどなく散歩するなんてのは難しいだろう。

それに今はあまりそうしたいとも思わない。子連れで移動が面倒だとか、家族が預かってくれないだろうとか、そういうことではない。

もっと根本的に、行きたいという気持ちが起きないのだ。

はいま、温かいものに浸っているような恍惚の中で生きている。

それは授乳によって分泌されたプロラクチンオキシトシンをそう解釈しているかなのだろうけど、脳を直撃される側としてはなかなか悪くない感じだ。人間という動物はよくできている。

かように問答無用幸福感に押し流されているためか、あまり新規性の開拓ということにうまみを感じない。新しいものに触れるとわしゃわしゃ出るのはドーパミンだけど、今はそのあたりが優勢でないのだろう。

産前から理屈としてはそのことを聞いていたので、そうなる前にと急いで色々なことをしておいてよかった。具体的には少しでも行きたい企画展があれば行っておいたり、一度やってみたいと思っていた読書会主催をしたりなんかだ。

産後は新しいことに踏み出すハードルが高くなるし、新雪足跡をつけるみたいにやっといてよかったと思う。産後の手数も増えるし。

産前にもっていた、外へ外へと自分駆動させるものはなくしてしまった。まあ、それでもいいんじゃないかと思う自分がいる。

日々ふくふくとかわいくなっていく我が娘。先週くらいから笑うようになってきて、そのかわいさはもはや暴力的である。笑おうと思って笑ってるわけではない、単に顔が笑顔を形作るだけの生理的微笑ではあるのだが、その破壊力はすさまじい。父母祖父祖母を次々と陥落させてゆく。

追記

娘の寝顔を見ながらふと、この日々を懐かしく思い返す時がくるのだろうなという確信が訪れた。

日々重たくなる娘を夫と代わる代わるだっこしながらきゃあきゃあ騒がしく過ごした夢をみて、その頃のことを大きくなった娘に繰り返し話してはうんざりさせてやろう。今からそれが楽しみだ。

  • はてなじゃなくてリアル日記帳に書いとけ ここは怨嗟を書き連ねるところ

  • 500kmを移動した 福岡あたりまで移動したの?

  • 錦市場に足を踏み入れ、適宜左折して京都で一番おいしいケーキ屋さんに入る。 もしもオ・グルニエ・ドールのことなら、今月末で閉店するから今行かないと再訪できないままだよ。

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