2016-09-30

例の自殺者の遺書ページを読んで

何となく思ったことを書き散らかす。

あそこで提示されてる問題の1つは、人生はそれ自体、生きるに値するかという問題だ。

まり、中卒で女にモテず、金もなく、コミュ力もない。家族とうまくいかず、友達もいない。この状況でも、自殺しないでいられるのか、生きる意味はあるのか、という問題だ。

この問題については、宗教哲学文学などでさんざん論じられていて、それなりに答えは出ている。

キリスト教であれば例えば以下のように答えるだろう。

人生価値幸福)は神との関係回復にあり、経済的安定や社会的地位にはない。

そしてそのためには信仰と、それに伴う人格の完成が必要だ。

信仰人格の完成を得るためには、上のような困窮はむしろ望ましい環境と言える」と。

実存主義やその影響を受けた文学はどう答えるか。

「神がいない以上、すべてのもの本来的に無価値であって、人生意味努力して獲得していくしかない。

からからでも頑張れ」というところか。

どちらの議論も良いところ、悪いところがあるが、どちらにしてもそれなりの慰めや考えるきっかけにはなる。

ただどちらにしても、これらの議論理解するにはそれなりの知識と労力を要する。

中卒で友達のいない彼がこれらの議論アクセスするのは困難を極めたのではないか

問題がでかすぎるので歌詞を貼って逃げる。

「エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい

エレーン その答を誰もが知ってるから誰も問えない

エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい

エレーン その答を誰もが知ってるから誰も問えない」

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