当時は自分のことを、ハイスペで頭が良いのに傍若無人で破天荒な振る舞いをして、それでも何故か自然にみんなから好かれている人気者だと本気で評価していた。ハイスペな私はハイスペだったので受験戦争を勝ち抜き、高校から現役で数年に1人しか入れないような都内の大学のハイスペな学部のハイスペな学科に進学した。
東京での明るく楽しいキャンパスライフに想いを馳せ意気揚々と門をくぐったものの、そこには私の求めていたものはなかった。学業でも趣味でも同級生より劣り、その上クラスにもサークルにもうまく馴染めない。今までは何もしなくても良く出来たため、普段の授業に対して熱心に打ち込む習慣がなかったので自習などせず、成績は落ちぶれる一方であった。そして自分をちやほやしてくれるはずである先輩や同級生はみんな他の人を褒め称えるか、私の知らない世界で自分の道を見出してそれぞれに行動していた。私を凄い、凄いと褒めてくれる人はどこにも居ないのだ。寂しさを紛らわすべくかつての同級生に連絡を取っても、彼らの態度も高校時代とは比べものにならないほどよそよそしいものであった。ここで、彼らは私のことを特に好きではなかったし、私が他人に対して思っていたように私のことをどうでも良いと思っていたという考えに至った。そうか。校舎という閉鎖空間の中で面倒ごとに巻き込まれないようにうまく調子を合わせてくれていただけだったのか。それならば、自己評価にしがみついて生きてきた私より、彼らの方がよっぽど出来た人間だったのだ。
自分がハイスペ人間であるという認識は自意識過剰であり、間違っていることを受け容れてゆくことはとてもつらく、恥ずかしく、長い時間がかかった。当時の自分の振る舞いは所謂黒歴史カテゴリに分類され、極力思い出したくないものだ。
しかし数ヶ月前、歳納京子というキャラクターを知ってしまった。これは…!当時の自分が「なりたかった理想像であり自分がその様であると信じて疑わなかった立ち位置のキャラクター」そのものではないか!つらい。どこにいても心はもんもんサンミシェル
なんていうか、容姿が悪いわけではないけどモテない人っぽい。
普通の人は高校入学でそのギャップにぶち当たるんだけどね 育った環境の程度が低かったのか、中途半端に有能だったのか