つい先日、医師から ADHD(注意欠陥・多動性障害) の診断を受けた。
過去に別のクリニックで ADHD の可能性を相談しても「君はそんなこと気にしなくていい、どんな病気かはこちらが判断する」と一蹴され、うつ診断ばかりが下されてきた。
それが、今通っているクリニックでは、ADHD の相談は一度もしたことがないのに、これまでの生活状況などからあっさり判断されてしまった。
あきらかに、診断テストの点数が「低すぎる」のだそうだ。
ADHD は、その名の通り不注意と多動性を主に症状とする。
時間感覚が鈍い、忘れ物が多い、部屋が片付けられない、集中力の欠如、衝動買いをする、計画的行動が不得意、などなど。
おそらく誰にでも状況によっては起きうることであり、これを病とするには無理があるからだ。
ADHDについては賛否両論あり、精神科医の中でも疾患とすべきか否かで意見が分かれているようだ。
過去に診断を受けたクリニックでは、チェックシートを持ち込んで見てもらおうとしただけで、「そんなものあてにならない」と丸めてゴミ箱に投げ入れられてしまってきた。
どうやら、一部医師の間では、診断を下す必要すらないものと取られているようだ。
自分もこのような症状が出ていたが、ずっと「自分がだらしないからだ」と思い続けてきた。
「集中」と書くと、意識的な行動のように取られるかもしれないが、もっとシンプルな状況での意識的の「ちらつき」が起きてしまうのである。
例えば、誰かと喫茶店に入って談笑しているときに、新しい客が入ってくるとそちらに意識が向いてしまう。上司と面と向かって話している最中に、頭の中で別のことが浮かんで、相手の発言が頭に入らなくなってしまう。
そんなことが常時起きていて、日常生活に支障を来すような状況なのである。
自分としてもADHD は「個性」の一種であり、本来治療が必要な疾患・障害ではないと考えている。
のだけれども、個性で日常生活が阻害されるのであれば、なにか手を打たねばならない。
薬に頼ってでも、障害者のレッテルを貼られてでも、「集中力」を手に入れたいのだ。
現在、治療薬ストラテラが処方されて3週間目。未だ効果は出ていない。
はやく物事が冷静に見られるようになれば、とつくづく思う。
自分の望む診断結果が出てうれしいのだろうが 昔の医師が正しくて今の医師が間違ってる可能性というものも、頭に置いておかなくてはいけないのでは 薬効いてないみたいだし