どれだけ気を遣ってたって、迷惑をかけてしまうのが人間ってものなんじゃないかな。
だから想像力のある優しくて良識のある人間ばかりがどんどん窮屈な思いをしてばかりだと思うんだ。
だって、自分の行動によって迷惑をかけてしまうかもしれないって想像ができて、それを悪いことだって思ってるんだから。
それだけなら問題にはならないかもしれないけど、何が質が悪い問題かって迷惑をかけていることを認めない人がいることだよ。
電車内へのベビーカーの持ち込みだって、それを迷惑かもしれないって人が遠慮して乗らなくなって、迷惑じゃないって思ってる人だけがそのまま乗り続けているわけでしょ?
当然迷惑だと思ってないから人に遠慮もしないし乗り降りの邪魔になったって謝罪の一言もないわけじゃない。
それを見た普通の人がキレてベビーカーの持ち込み禁止を声高に叫んだってそれはしかたがないことだと思うんだよね。
さらにそうやって迷惑だって騒いでる人って、「人に迷惑をかけてはいけない」っていう正義を元にして相手への攻撃を正当化してるわけでしょ?
だったら本当にその人達は人様に一度も迷惑をかけたことってないのかなって思うんだ。
回収に出したゴミがうっかりカラスにつつかれそれを他の人が掃除したなんてことも一度もないのかな。
普通に生活しているつもりでも、例えば朝の支度の音が深夜勤務の人の眠りを妨げたりしてるかもしれないとかって考えたことはないのかな。
そういう人に限って、カラスとかネットを用意しない自治体が悪いって言ってたり、深夜勤務してる相手が悪いとかっていいながら自分のことを正当化しているよね。
世の中そんな人ばかりが道路の真ん中を歩いているかと思うと本当に窮屈に思えてしょうがないんだ。
そう考えると「人に迷惑をかけてはいけない」っていう教育のもとで最強な人って、迷惑かけていることを全く自覚してない人たちってことになってしまうと思うんだよね。
だって、自分は人に迷惑をかけていると思っていないからいつだって遠慮しないし謝りもしないんだから。
その反面、優しくて良識のある人は自分の行動によって迷惑をかけてしまうかもしれない人のことが想像できてしまうから、どんどん自分の行動を制限してしまっているんだ。
だからさ、もう「人に迷惑をかけてはいけない」って教育はやめようよ。
だって生きていれば大なり小なり必ず誰かに迷惑をかけながら生きているんだから。
それでそのかわりにね、こうすればいいと思うんだ。
誰かに迷惑をかけないようにって毎日ビクビク生活しているより、誰かに迷惑をかけていることを認めた上でそのことに対する感謝を忘れないことが大切だと思うんだ。
だって誰だって迷惑をかけているんだから。かけた分の感謝を忘れなければお互い気持ちいいと思うんだよね。
そうしたら想像力のある優しくて良識のある人は率先して感謝を表現すると思うんだ。
その反面、人に迷惑をかけているかもしれないって想像力を働かせられない人は、人に感謝を表現できずに今度は批判の対象になると思うんだよね。
世の中にどっちの人が多いほうが過ごしやすいと思う?
だからもうやめよう。「人に迷惑をかけてはいけない」っていう教育を。
そんなこと恐れて人に遠慮してる人は、この言葉を持って外に飛び出せばいいんだ。
お前迷惑なやつだな
同じようなことを考えたことがあるけど、たとえそういう啓蒙活動をしたとしても、 結局は「日々感謝って言いながら迷惑をかけ続ける人間」よりも「少しでも迷惑を他人に掛けないよ...