はてなキーワード: ホワイトバンドとは
まだありそうだけど、忘れた
嫌がる人もいるみたいだけど、障害者が頑張って作ったという感動ストーリーを全面に打ち出して売るのが一番だと思う
バンクシーですら名前を伏せて路上で売ってもだれも見向きしなかったって言うし、感動ポルノコンテンツとして金持ちとかに売りつけるのがいいんじゃないかな
商品の位置づけとしては昔流行ったホワイトバンドみたいなコンセプトになると思います。
ただ、こういう製品はなかなか捨てづらいから、所持するとずっと家の中に居座ってしまう。なので個人的には買いたくない。
なので消え物もいいかもね。
色とりどりの合成着色料で何層にも重なったメガ盛りクレープとかにすれば、感動ポルノで頭をやられた小金持ちの女がマウント合戦のために、写真取ろうとして買うんじゃないかな
金持ちにリーチさせるなら、もうちょっと上品な食べ物がいいかな。上品でインスタ映えする食べ物あるかな
とにかくあの手の見栄っ張りは一点物、レア物、数量限定生産、イベント限定、とかその手のものに弱いので、うまく価格を上げるためのストーリーを作れば、化ける可能性あるかもしれない。
ただそれは障害者の方として受け入れられるかどうか微妙かもしれないけど。せっかく障害があるんだから200%それを使って金儲けしたほうが有意義ではある。
差別しないで別け隔てなく接して欲しいという気持ちはわかるけどね。
大企業が第三世界に作った巨大工場で奴隷みたいな賃金で現地の健常者を使って大量生産している製品に勝てるわきゃないので、正面から殴りあうのは絶対ムリ
お金だったら出してもいいけど、もう家の中に不要なものを入れるスペース無い。私が買うものは大企業が計画設計した品質の保証されている生活に必要な大量生産品です。
それでなければ、大企業が手を出せない特許を利用した先進的な製品サービスになります。
私は物質の利用価値にバイアスが掛かってるタイプの理屈バカですが、一般的に物の価値は利用価値だけでは無いです。
やっぱり障害者が頑張って作ったものを買ってあげてる。そういったストーリーとか社会貢献している(風に感じさせる)のがいいと思う。
こうしてファッション化することを、気持ち悪く思う人は少なからずいるでしょうし、実際に僕も、「またそんな、流行りに乗っかったようにアイコンだけ変えて、とくに何も調べたりはしないんでしょ? そんで2ヵ月後には元のアイコンに戻してるんでしょ?」と、疑っています。
https://note.mu/katsuse_m/n/n5735a1299d6d
何故なら、友人たちのFacebookのレインボーアイコンを見て、当事者である僕は涙が出たからだ。
1週間後に元のアイコンに戻しても全く構わない。
僕は、その意思を一瞬でも感じられた事がこんなにも嬉しい。
それなのに、この方は、発信者の本気度を問う真面目すぎる人で、当事者の気持ちは見えていない人なのだ。
僕は、日々誰にも疑われず、セクシャルマイノリティであることを隠せて生きている。
いつも表情には出すこと無く、隠れ蓑のスキマから飄々と小さな発言の矢を放ちながら、いつも観察している。
小さな発言をリトマス試験紙にして、「打ち明けられる人」であるか試しているのだ。
だから、今回友人たちのレインボーアイコンを見て、すごく嬉しかった。
周りから見ていてもわからない、本当は受け入れてくれる人がこんなにたくさんいたんだなと初めて気付かされた。
なんだ。日々観察していても、僕は何もわかっていなかったのだ。
気付いたら僕は画面の前で泣いていた。
それを「ホワイトバンド」のようにファッション化することは、認知させる意味では手っ取り早いのでしょうが、はたして本当の理解につながるのかは不明です。
それでもきっと、アイコンを変えた彼らには、彼らなりに周りに伝えたい「何か」があるのだろうし、また、それをたまたま偶然受け取った誰かが、今度は偽善ではなく、本心として、制度や国や、誰かを変えるために動き出すかもしれないじゃないですか。
そう考えたら、偽善であれ、行動することは大切なんじゃないかと、そんな風に思うのです。
LGBTの性差別問題は、ホワイトバンドの貧困問題のように、(大抵の)誰にとっても正しく見えることとではない。
正しいと思っていない人たちは、例えファッションであろうと、意味が分かっていればレインボーアイコンにすることはない。
別に本当の理解をしてもらえなくてもいい。本気で動いてくれなくても良い。
貧困問題のように具体的な行動を必要としているんじゃない。軽い気持ちで構わない。
僕たちは、ただ自分の友人たちが、自分の事を「否定していない」ことを、知りたくて仕方なかった。
『彼らなりに周りに伝えたい「何か」』の価値は、アイコンを変えた本人たちには、上手く感じられないかもしれない。
しかし、そのメッセージは、近くの隠れた当事者たちに底知れない勇気を伝えている。
少しの間だけでもレインボーアイコンにしたり、「俺は否定していない」という一言が見られるだけで、
あなたの友人にも混ざっている7.6%のLGBTの当事者たちは、僕と同じように涙を流すかもしれない。
みんな、ありがとう。
それでも、君たちの反応が変わる事が恐くて、まだ上手く言うことができない僕を許してほしい。
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参考
http://www.dentsu.co.jp/news/release/2015/0423-004032.html
LGBT層に該当する人は7.6%(2012年調査では5.2% ※3)と算出されました。
※3 前回調査からの増加理由としては、調査手法の変更、社会環境の変化や関連情報の増大によって該当者の自己認識に影響があったことなどが想定されます。
ここ数日でこれだけ「チェンメですよ」情報が拡散しているにもかかわらず、どうもまだわかってない奴がいる。
それがただの情弱じゃなくて大学教授(@tkchmsysh)とかホワイトバンドの仕掛け人(@maekitam)とか会社社長(@KahokoTsunezawa)とか、普通に考えればアンテナの高そうな連中ばっかり。
おそらくフォロアーからも「チェンメですよ!」っていわれてると思うのに、かたくなに認めようとしないのは、やっぱり拡散効果でフォロアーの増加を狙ってるからなんだろうか、元記事の神戸の奴(@yoyosshi)も含めて。
おい、こういう奴らを、どうしたらいい?(デーモン閣下風味で)
エコキャップ活動が批判されているけど、関係者は誰も損していないので、詐欺ってのは言い過ぎだろう。
元々、ペットボトルの回収効率を上げるための方便だったみたい。
それが人々の心に訴えかけて流行した。
で、便乗して儲けることを目的にする人たちが出てきた。
このビジネス考えた人はすごい、とか言ってる人もいるけど、別に最初からビジネスとしてひらめいたわけではなくて、結果としてサービスを作りこむ隙間が見つかってしまったという感じがする。
神社が儀式とか神話を裏づけにしてお札を売るのと同じで、古典的なファイナンス。
まぁでも、足し算掛け算のできる大人がまじめに取り組んでるのを見ると、やっぱり何だか救われない気分になるよな。
ナナロク世代という言葉が定着しだして以降、色んな若者がぼくたち○○世代!と年齢で壁を作ってるわけだが、同じ年代で集まって彼らは一体何をしたいのだろう?
最近注目されているハチヨンイズム。 ttp://84ism.jp/
ハチヨンイズムとは?というページにサイトの主旨が書かれているが、どこかの古い会社のファジーな経営理念と言ってる事は何ら変りなくつまらないので、このサイトのライターをしているお方の設立主旨をもとに思うことを列記。
ttp://84dialog.blogspot.com/2010/01/198484ismweb.html
ハチヨンイズム内のどこに苦手なタイプがいるのだろう。まあこの人苦手ですとネガティブな空気をわざわざ作り出しても意味無いけど、メンバー同士が仲良しこよしの似たようなノリの人ばかりではないか。
ラブプラスネタが唯一上記のような他者からすればウザったい空気を一蹴してる点で良いだろう。
ほー、と思い本サイトを見ると、
ノリノリやんけ。
人気トップの記事最下部のアマゾンを押せば編集長のアフィだった。どっちやねん。
もう「営利目的ではない」と人間がメディアを通していってる時点で胡散臭く聞こえてくるもので、本気でそうするなら明文化して徹底して欲しいし、儲けたいなら本気で稼いで欲しい。儲け目的では無いライターさんと儲ける気のある編集長と考え方が違うとしても、ここを統一しないと賎しく見えてしまう。
全体的に言えることは、世代間固有の価値を生み出す事は容易では無いということ。
トップページに並んでるコンテンツを読んでみると、1984年生まれじゃなくても書ける記事ばかり載せて、文末に「ハチヨン世代の自分としては~」と無理やりこじつけたような言い回しで締めくくるのがテンプレの如く共通している。
じゃあハチヨンならではのものって何?と聞かれると、自分としては当時流行ったものとか遊びを棚にあげて自分の年齢±2くらいまでの人らと懐かしむ程度しか出てこない。
とまあ批判ばかりしてしまったが、参加者の皆さんは独立志向できっとご立派な方達だろう。
しかし、このウェブマガジンを通して出てくるものは学生のノリを再現して「ぼくたちハチヨン世代!」と壁を作り、その中で仲良く男女がワイワイ騒ぐコンパに毛が生えた程度のものであり、そういったコミュニティ(死語)を作って楽しむのは勝手だが、1984年生まれの総意のようなノリで進めるのはやめてほしい。
政治家が「国民は○○といっている」といってみたり、故人をソーシャルメディアで復活させて本人じゃない人間が発言したりするのと似たような生理的嫌悪感を抱く。
発表する手段がないので、初めて増田に書いてみる。賛同ならブクマされたし。
痴漢冤罪が最高裁で無罪になったのはけっこう画期的だったと思う。
痴漢冤罪がけっして他人事と思えない男性として、被告扱いをされていた方にはお祝いを述べたいが、同時に不毛な争いに不運にも巻き込まれたことに深くご同情申し上げる。
痴漢の起訴件数が増え、冤罪も増えた原因として、「被害女性の泣き寝入りが問題になった」ことがあるそうだ。
では、今回の判決を元に振り子が逆に振れていいのか?再び、痴漢大喜び、被害者泣き寝入りでいいのか。
いや違う。テクノロジーで解決するべきだ。
冤罪を防ぎ、痴漢の証拠を確実にするためには「容疑者の指先の付着物(繊維だの分泌物だの)」を分析することが行なわれているそうだが、
分析の費用もかかるだろうし、「この人痴漢です」と言った時点で指先を拭かれてしまえばおしまいだろう。
警察官だって面倒くさい。
発想を逆にして、「容疑者の指紋」を被害者の下着などから得られれば動かぬ証拠となるはず。
「ハンニバル」で、レクター博士の指紋を得るため、磨いた金属の腕輪をはめて、わざとレクターに捕まったジプシー掏りと同様。
下着メーカーが「指紋が残りやすい下着素材」を開発してくれればいいのだ。
服の上から触るようなライトな痴漢は無理でも、報道されるような「下着をめくって指を入れる」とかいうヘンタイさんは確実に有罪にできる。
下着だけでなく、スカートなどに応用することも考えられる。
付け心地の問題もあるだろうから、全面にその素材を使わなくてもいい。
着るには邪魔にならず、痴漢にとっては触れざるを得ない箇所にワンポイントで使えばいい。
トリンプさん、くだらないブラを毎年発表する元気があるなら、こういうのを作ってくれ。
ネクタイから指紋を採取できるという話を聞いたことがあるから、不可能ではないだろう。
手袋をはめるとか、指紋を削るとか、何か指先に塗るとか、痴漢側も考えるだろうけど、それはそれで明らかな状況証拠となるはず。
そういう下着を下着メーカーが開発してくれるのを待つまでもない。
布より指紋が残りやすい、つるつるした素材のキャラクターものシールなどを下着の一部にでも貼っておけば、被害にあったときに証拠を提示できる確率はグンと上がる。
そして、ピンクリボンやホワイトバンドみたいに社会的な運動にする。
「私はこの運動に参加しています、応援しています」という目印を付ける。
目印を付けた上で、指紋確保下着を付けてもいいし、普通の下着を着けてもいい。
逆に目印を付けずに指紋確保下着を付けて「痴漢トラップ」になる勇士もいていいだろう。
大事なのは「無視できない確率で地雷を踏む」ことを痴漢に認識させること。
1パーセントの確率で地雷を踏むことが分かっていれば、筋金入りの変質者は別として、出来心の痴漢は激減するんじゃない?
指紋の残りやすい繊維が下着やスカートに使われることが普通になれば、痴漢以外の性犯罪も検挙率が上がると思う。
今までに誰も考えたことがないはずはないと思うけど、少しの工夫で男も女もハッピーになれるはず。
なんとかならんか?
そうか!ホワイトバンドなんだあれは。なんとなく感じていた違和感を一言で示すとそんな感じだよね
もちろん一日一チベットリンクは金がからまないけど、思想的思考的にはホワイトバンド臭がする
リールたんって、日本人を中傷したりとか何か悪いことでもしたの?
ホワイトバンドや死ぬ死ぬ詐欺は宣伝や会計に問題があったけど、リールたんには今のところ特に問題らしき問題はないだろ。わざと混同するな。
と釣られてみるクマー
「すべてのレイシストたちに捧げる歌」
http://blog.livedoor.jp/oospexxx/archives/51060824.html
ニコ動で『らきすた』などのアニソン歌う、韓国人の女の子リールさんが話題になっている。
(中略)
だけどどうも様子がおかしい。
褒めてる奴らの歯に衣を着せたような、ムリヤリな賞賛コメントがイラつく。イラつくのだ。
なんだこの気持ち悪さは。
上手く言葉にできない。
しかし気持ち悪いのだ。
このエントリー自体は別個な問題を並べて相対させる構図であって適正な論理かどうかには疑問がある。しかし言わんとすることに一理あるのも確かだ。
そしてその一理のために手を挙げることにすら勇気が要る現状に問題があることを指摘したい。
ホワイトバンドのときもそうだった。死ぬ死ぬ詐欺の時も。騒ぎ立てる彼らは下品で卑しいがその根幹には明示できない欺瞞への怒りがあった。
ポリティカリーコレクトネスの尻馬に乗って正義面するのは簡単で楽しい。名誉の聖戦には思う存分名乗りをあげて敵を罵倒すればいい。自然ブックマークも進むしエントリーを立てることに戸惑う必要もない。抗いがたいゆえに反論するものは少ないのだ。