「ならない?」
男を取り囲んでいた記者のひとりがたずねた。
「そうだ」
「なぜですか」
「興味がない。それに」
「それに?」
野球部の練習が終わった帰り道。
幾人かの記者に囲まれていたその男は、なんのためらいもなくそう言い放った。
異様な威圧感をたたえた男であった。
洗いざらしのTシャツとジーンズ、履き古しのスニーカーというラフな格好にもかかわらず
その装いとは比べ物にならぬ凄みが、男の周囲には漂っていた。
男は、背が高かった。
その肩は分厚く、Tシャツの生地を破らんばかりに膨張していた。
胸板も厚く、肩幅と同じくらいにせり出したそれは異様なほどの圧力を放っている。
まるで荒削りの岩をシャツの中に無理やり押し込んで、人の形をつくったかのようであった。
そして、そのごつごつとした胴体に、丸太のような太い首と手足がつながっていた。
およそ十七歳の高校生とは思えぬ偉丈夫であった。
その偉丈夫こそ、甲子園の怪物、その人であった。
男はピッチャーとして、過去二年間の試合すべてを勝ち抜いていた。
弱小であろうと。
強豪であろうと。
いっさいの躊躇なく、そのすべてを力でねじ伏せていた。
甲子園すらも例外ではなく、打席に立ったすべての相手を男は嬉々としてねじ伏せた。
はじめての投球で、球速百三十キロを記録した。
それからわずか二ヶ月あまり――みるみる実力を身に着けていった男は、球速百五十キロを記録。
百六十キロを超えたのが二年前――夏の甲子園、決勝戦のことであった。
ごうという音とともに放たれる球は、対峙する相手をすくませた。
並の高校生ならば触れることすらできなかった。
超高校級のスラッガーと言われた猛者でさえ、内野フライがやっとであった。
その威容は高校野球界にとどまることなく、たちまち日本中の注目の的となった。
プロ野球のスカウトにしても、訪ねてきたのはひとりやふたりではない。
それほどの偉業――。
それほどの実力を持った男が、プロにはならぬと言い放ったのである。
男が記者たちにそのことを告げるのは初めてであったため、男以外の全員が息をのんだ。
その場にいる皆が、つづく男の声を待っていた。
男は、金色に染め上げ、短く刈り込んだモヒカン頭をなでつけていた。
そうして静かに周囲を見渡し、小さな笑みを口元に浮かべた。
「おれは、おれとおなじ高校生どもを圧倒的な力でねじ伏せるのがすきなんだ」
ふふん。
男は小さく笑った。
「圧倒的な力で、おまえはおれには敵わないといってやるのが心底たのしかった」
「たのしかった?!」
記者のひとりが男に続く。
「ああ。おれ自身の力に、肚のうちから笑いがこみあげてきて止まらなかった」
かかっ。
さきほどの笑いとは打って変わって、それは愉悦に満ちていた。
「では、なぜプロにはならぬと言うのですか」
「なぜか、だと?」
「それほどの実力があるのに、なぜなのですか」
男の眼差しに一瞬の躊躇いを見せたものの、若い記者は再び問うた。
「おれは圧倒的な力で捻じ伏せることができればよかった。それに――」
「それに?」
「終わりが見えていたから、己を磨くことができていたのだ」
「終わり……ですか?」
「そうだ。三年間だけであったからこそ、なまなかではない鍛錬を積むことができたのだ」
「では、この先もそれを続ける気はないと?」
「プロになって、終わりの見えない苦行を続けるのはごめんだ」
「しかし――」
「それに、俺みたいな奴がプロの世界に入ったところで通用しない」
「おれは考えながら投げるのが好きじゃない。力でねじ伏せてきただけの人間だ」
「むう……」
「そんなことでは、どうせプロでは通用しないし、最初は良くてもじきに潰れるだけだ」
「…………」
「いままで勝ち誇っていた相手にさえ、じきに通用しなくなる」
「…………」
記者たちは、ただ男の声に聞き入るばかりであった。
「だからおれは次の甲子園でも優勝し、最後にやつらから永遠に勝ちを取とりあげてやるのさ」
にやり。
男の口元には、今までとは違った笑みがこぼれていた。
「それが終われば、おれにはもう野球でやりたいことはない」