そして幾つか考えた。
「全国の書店員が一年間の『いちばん!売りたい』本を選ぶ『本屋大賞』」だけど、大賞受賞作は既に売れているよね。
それに対して「本屋大賞どうぞ!」とやって、何か意義があるのかな。
「本屋大賞のランキングがベストセラーのランキングと一致してる」とみんな思ってるけど、まだ続けるかな。
「出版界は相変わらずの慢性不況下にあり、書店員の労働条件も改善に向かわずにいる。長時間のハードワークをこなしたうえ、十作品すべてを読み、投票する。そういう書店員の本屋大賞と本への熱い思いを、この一冊から感じ取っていただければ幸いである。」
って、おい、おいおい。難解な分厚い本を読み込んでレジュメにまとめるような話じゃないよね。エンタメ小説十冊読んで、売りたい順に並べろって言ってんだよね。
しかも本屋大賞に参加するぐらいの書店員だから本好きだよね。それがエンタメ小説10冊読んだら「本屋大賞と本への熱い思い」になるの。
まあ良いんだけどさ。「書店が大変だ」という話が本になるとね、なんか「大変だよねえ」「ねえ」「解る解る」みたいな内輪話が始まるのが気になるんだよね。
本屋大賞における書店員は内輪なのか外部の人なのか微妙なところあるから、まあ、この話は微妙な線だけど。
「書店が大変だ」という話が書かれるときに、なんか著者と編集と書店で話が閉じてんだよね。
本のお勧めコメントの中に「映像が頭に浮かぶ」「映像化希望」「キャストは誰々で」みたいなのが非常に多い。
「映像化されると本の売上も伸びるから、どんどん映像化されて欲しい!」という商売根性で言っているなら良い。
そうではなく単純に「映像化されるような小説が面白い小説なんだ」と考えているなら、それどうなのよ。
映像が頭に浮かぶような話は読んでて面白いしサッと読めるしで、私も大好きです。
でも、そういう小説だけじゃ、駄目だよね。
映像にはしづらいんだけど、文章でなら語れるというのが、良い小説なんじゃないの。
そういう本は売れない。売れないから「売りたい!」といって売る気がするんだけど、違うのかな。
ランキング下位からランク外になってくると、ベストセラーから外れる本も出てきて「あ、こんな本あったんだ」と面白い。
そういう本に対するコメント読むのが面白くて「本の雑誌 増刊 本屋大賞」は毎年買ってます。
書店員さんも「この本はランキング外になるけど、本当に面白いんだよ!」という本は是非推薦してもらって、そして熱く長くコメント書いて欲しい。
本屋をぶらぶらするのは趣味で色んな本屋へ行きます。だから厳しい状況のなかでも潰れないと良いなとも思ってます。
でもシビアに言えば、Amazonにない付加価値を提供できない本屋に存在価値はないよね。
「ハードワークで大変で棚作る時間も取れないよねえ」「ねえ」「そうそう」と内輪でいくら言っていても、お客さんが価値を見出さなかったら潰れちゃうよ。
Amazonと差異化する手段は幾つかあるんだろうけど「書店員さんがいる」というのは大きな差異化のポイントだよね。
その人達が「売りたい!」という本を選んだときに「なるほど。売れてる本はあっちだけど、売りたい本はこっちなんだ!!!」という本が並んでたら嬉しくなる。
海のものとも山のものともつかない「本屋大賞」のために、10冊本を読んで投票した93人(第一回の二次投票者)は、相当意識が高かったんだろうな。