大学の先輩が結婚した、そのことに対しては普通におめでたいと思うが、でも寄せ書きはしなかった。
ある日同級生から、先輩が結婚するので集まって寄せ書きをしよう、とメールが来た。
昔の仲間とは久しぶりに会いたかったが、特に返信はしなかった。
寄せ書きと聞いて、一応なにを書こうか考えてはみたのだが、あまり気の利いたことが言えるとも思えなかった。
大きなサークルだったから先輩はたくさんいる。この人はそれほどお世話になった人でもなかったし。
ただ、この先輩のことを考えると、いつも思い出すことがある。
それは俺が女にフられて通学路をトボトボと歩いていたときのことだ。
(正確に言うと、一度だけセックスして恋人同士だと思い込んでた女に正式な恋人がいたと知ったのだ)
俺は悲しくて悲しくて声も出せそうになかったのだが、無視するのは先輩に失礼だから「あっ!お疲れ様です!」と挨拶をしたのだが、無視された。
今となっては仕方のないことだと思う。
恋人と楽しそうに見つめ合う先輩の目には、俺のことなど、もはや見えていなかったのだ。
いつでも真面目で気配りができて、周りの人のことばかり考えていたようなあの先輩が、あんなに自分本位な顔をしているなんて。
心から憎いと思った。こちらのタイミングも悪かったが、それでも妬ましかった。
さて、先輩が学校を出てから顔を合わせたことはほとんどなかったはずだが、現代にはFacebookというものがある。
先輩は海外へ旅行に行ってみたり、仕事帰りに皇居を走ってみたり、絵に描いたような余裕の社会人ライフを満喫していたが、なにを思ったのか退社。資格取得からの再就職。結納の写真、わずか数ヶ月で退職の報告、そしてその報告の下の方に書かれた結婚の文字……いいね!の嵐。
Facebookにはほかの先輩もたくさんいるから、きっと結婚式の写真は盛大にアップロードされることだろう。
そして俺はまたきっと、あのときと同じ、あの幸せそうな顔を見ることになるのだ。
俺は寄せ書きをしなかった。
ただひとつ気になることは、先輩はあのときの恋人と結婚したのだろうか、ということだ。
そうであることを願う。でなければ、あのときの俺があまりに救われないから。
なんだこの自己中の極みみたいなやつは
共感する。 Facebookを見ていていつも思うのは、他人の幸せを祝えるのは、自分も幸せなヤツだけだと。