2012-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20120813213141

 

ふと思ったんだが

こういう風に、パートナーの「悪口」をいいたがる人間って、

パートナー欠点をみつけてあげつらうことでしか、己の「愛情」を自覚できないんじゃなかろうか

 

『夫は良い人だ。基本的には朗らかで優しいし、趣味や話はあうし、家事育児も私の負担になりすぎないよう配慮してくれる。』

 

実はこういうふうに、不満がないことそのものが不満なのではなかろうか

 

「こんなにもイヤな、ダメなところがある相手だが、にも係わらず私は『我慢してあげて』『愛してあげている』」

「それができるほど私は我慢強くて愛情深い人間なのだ

「こんなひどい欠点と引き替えにしてまでも、私は相手を愛している」

 

という形でしか、相手との関係性を認識して、維持することができないのではないだろうか

ダメ男にハマる女性や、メンヘラ女性につくしたがる男性に、そういう心理状態の人間が多い気がする

 

もっとも、普通はあまりに極端な欠点ある人間は困ると理性が働いて、まともな人を選ぶけれど、

やがて不満がない人生に耐えきれなくなって、無理にでも不満を見つけ出さずにいられなくなってるのかもしれない

そのネタが今回たまたま虚構新聞であったというだけで、それ自体に特に意味などないのかもしれない

 

からこの場合旦那は「妻のために態度をあらためよう」と頑張ったりするのでなく、

常にほどほどの不満を妻に与え続け、

周囲は「そのくらいのことで」と奥さんを嗜めたりせず

そうなんだ~ひどいね~そんなひどい旦那さんに我慢してあげてるんだ~えらいねえすごいね

と、褒め称えてやるのが正しい対処法なのではあるまいか

 

http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2012/07/post-f40b.html

この記事でいうところの、「愛されているという感じ」ならぬ「愛しているという感じ」を必死に求めているのかもしれない

この増田に限らず、やたらと些細な不満を常に述べたてているタイプ人間に対する疑問がひとつ解けた気がする

そう考えればあながち悪いことだとばかりもいえない……かもしれない

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