在籍状況を詐称してたという以前から、なにかものすごい違和感を感じていたサービスだったのだけどそれがなんなのか言葉にできなかった。
そんな中、ネット著名人の人がStudygiftを擁護し出して、なるほどそういう見方もあるよねと納得しかかってたところ、切り込み隊長からの批判もあり、なるほどそういう見方もあるねぇと、だんだん自分の意見を色々な素材を元に自分で考えるというよりも、ネットでの趨勢を確かめてどうやら正解であろうことを見極めるといった立場に変わってきている自分がいた。
要するに思考のアウトソーシングしていたってこと。自分で考えずに、流れに乗って気持ちよくなることだけかんがえていた。
そもそも、僕がStudygiftについてなんらかの意見をもつ必要なんてなにもないのに。
大多数の人もそうなんじゃないだろうか。ほとんどの人にとって、Studygiftなんて関係ないはずだ。
なのに、みんな必死になって自分の意見らしきものをもとうとするし、隙があれば叩く姿勢でいる。なんでだろう?
Studygiftの気持ち悪さの本質は、建前は公共的なものをうたっているが実質的には内輪ノリの遊びの延長のようなものでしかないということなんだと思う。
一部のネットで影響力があるひとたちが、その影響力を使って外部を巻き込む形で内輪ノリをしている。気持ち悪い。
人気者はいいですねぇ。
そういう嫉妬のようなもの、怨嗟、etcを引きつけてしまったのがStudygiftなのだろう。
ネットは自分の居場所だと思っていたのに、結局は一部の特権的な人達の内輪ノリを外部から眺めるだけ、挙げ句の果てには利用されてる、そういう空間だったということを思い知ってしまったということなんじゃないだろうか。
サービスそのものについてもそうだし、それを取り巻く批判や擁護についても自分の居場所はなく、ただネットで影響力をもつ人に左右されてしまう居場所のないあやふやな自分。そもそも、自分が意見をもったって誰が聞いてくれよう?
僕は影響力がある起業家ではないし、ちやほやされる女子大生でもない。
Studygiftについて考えれば考えるほど、僕は部外者であること、ネット内の社交界にはいないこと、影響力などない無力な人間だということだという現実を知るだけである。
この問題解決する方法はひとつしかない。そもそも自分とは無関係であるネット社交界の出来事に僕があれこれ考えたってなんにもなりはしないのだ。だって関係がないんだもの。関係してちやほやされたいなぁと思ってる哀れな自分がいるだけなんだもの。