はてなキーワード: 増田民とは
というかワイがこれして今も後悔してるもの。なぜか人命よりも仕事を優先したんだよな、重要な仕事がある日でもなかったのに
なので今はその場におるで。なお、かなりの確率で意識復活すると逃げられ、到着した救急隊員に口頭説明してるで
税の仕事をしてるのだけど、今年入った新入職員の子が、机の上にぬいぐるみを置いている。
なんなのこれ、と最初は思ったけど、職員同士の雑談でわかった。あれは「すみっコぐらし」のキャラクターのようだ。
それを見たほかの部署の人が、その子に「それ、かわいいね~」とか「○○のおかあさんだ」とか、からかって談笑してた。
それはまだ許せるんだけど、そのぬいぐるみは市民からも見える位置に置いてある……。
さすがにまずいだと思って、上司2人(係長と課長)に「あれはいいんですか?」と相談したものの、「いいよ、それくらい」とか「あれぐらいの年の子なら……」など、聞く耳をもってくれなかった。
あの子は未成年とはいえ、社会人だ。職場にあるデスクに手のひらサイズのぬいぐるみを置くのはやりすぎである。
女一人で飲食店へ行くと舐められる
https://anond.hatelabo.jp/20211113021340
要約すると、若い女性が鳥料理の有名店を予約しようとしたところ、ナメた態度で断られたということだ。
上記のエントリで取り上げられた、とり篠という高級飲食店があるのだが、この店の前を先日通ったら閉店していた。
地元民だが、別に潰れてもおかしくなかった店だと思う。他店に行っても悪い評判が多かった。
以下にグーグルマップの口コミを引用するが、私もほぼ同じ感想である。
H A
2 年前
近所に住んでいます。美味しいと聞いていたのですが今まで行く機会がなく、今回グルメな友人に連れて行ってもらいました。
料理はコースのみで、どれも素晴らしく美味しかったです。今まで食べた鶏料理の中でもかなりハイレベルでした。鶏が好きな方にはオススメします。
ただ、料理は素晴らしいですが、店の前が不潔で、お店の備品で歩道の一部を年中塞いでいるのが残念です。店内はキレイで換気も十分ですが、歩道側に排気していてお店の前が常に焼き鳥臭くなってもいます。店内が良ければ外のことは知らないというスタンスだと思いますが、なんというか店内と一歩外に出た印象のギャップが凄い店です。それなりの値段を払うお店だけに余計に気になりました。
美味いが高すぎる。
2人で9万円。
しかも高いのを売りにしているようで、入店時から「うちは高いですよ」と連呼する店主。
お言葉の通り高かった。
多分相手を見て値段を変えてそう。
yoo nyam
7 件のクチコミ
1を付けるのも不本意です。
人を見て金額を決めるお店でしょうか?信じられないくらいの高額請求に空いた口が塞がりません。
二度と訪れることはないでしょう。
京都なんかでも、「創業百年以上の鯖寿司のお店に行ったけど、ぜんぜん期待外れ~」「祇園の一等地にあるだけでおいしいとかありえない~」みたいな口コミは結構見る。
私も、いいお店を探すのには今でも難儀する。
50年以上も生きているけど、おいしい飲食店、居心地のいい飲食店、コスパ抜群の飲食店とか、いわゆる『いい店』を探すコツみたいなものは、ほぼ持ってない。
そういうコツとかってあるのだろうか。
話は逸れてしまったけど、増田民とかブクマカ民で、もしそういうコツをご存じのかたがおられれば教えていただきたい。
前
https://anond.hatelabo.jp/20240502193040
この大学を卒業してから長い時間が経った。あれから1回転職して、新卒で入った会社とは別の電子機器メーカーで働いてる。今はキーボードとか作る仕事をしている。東京~神奈川にオフィスや工場がある会社である。もしかしたら、地下鉄なんかで増田民やはてな民とニアミスしてるかもしれない。
今では佛教大学に感謝してる。あの頃はいろいろ思うこともあったけど、だからこそ今の自分があるのだ。
仮に、第一志望だった同志社大学に進んでいたとしたら、きっと、ここまで努力は重ねなかった。自分に実力があると勘違いして、学業に力を入れるとか、TOEICで相応の点数を取るとか、就職活動に超力を入れるとか、そんなことはなかっただろう。
この道は、正しかった。第一志望の大学に不合格でよかった。親や兄弟や親戚に不合格をバカにされてよかった。だから、悔しさをバネに努力ができた。
自分は運がよかった。今ではそう思って、歩んできたこの道に感謝してる。
でも、実は後悔がひとつだけある。卒業式である。実は、自分は卒業式に遅刻している。その前日にアルバイト+飲み会があって、就寝が遅くなった。朝起きたら卒業式開始の10分前だった。
失敗はそれだけじゃない。なんと、卒業式の最中にゲリピーブレイクになってしまい、トイレに行っている間に式が終わっていたのだ……あれはショックだった。遅刻だけならまだいい。遅刻してる学生はたくさんいた。しかし、これは……「失敗した」という思いが強かった。ずっと引きずっていた。
というわけで、先日3/18(月)に佛教大学の卒業式に参加してきた。もちろん保護者席である笑
後ろの方の席だったけど、約十年前もあんな感じだったな、としみじみした気分になった。この時はさすがに遅刻はしなかった。しかし、残念なことに……式の最中にゲリピーブレイクが再発した。
焦った。これは焦った。けれども、ここで奇跡が起こった。十年前のことを思い出したのだ。十年前の失敗は確か、最後まで我慢しようとしたのが原因だった。それで、学歌斉唱が始まったあたりで体育館の和式トイレ(※洋式はない)に駆け込んだ。それで、失敗した。
式次第を読んでみる。そして、学長その他3名による卒業祝いの挨拶が長時間になると踏んだ。「よし今なら……いける!」と、その時間帯に会場を抜け出し、体育館の和式トイレ(※洋式はなかった)に駆け込んだ。
会場に帰る頃には、ちょうど学歌斉唱が始まっていた。そういえば、大学の学歌ってほとんど聞いたことがない。どこの大学でもそんなものだろうか。
とにかく、卒業式は無事に終わった。終わったのだ。十年来の無念が晴れた気がした。最後はプロジェクションマッピングがあって、マジでびびったわ……。
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ところで、式次第には学位記授与のことが書いてあった。卒業式の後、それぞれの教室で学位記を受け取る儀式があるのだ。
ああ、確かこんなのあったなと思いながら、ついでに保護者枠で参加することにした。幸い、見た目は学生時代から老けている。今ではすっかり小太りのおじさんである。社内では、同輩や後輩から「部長」と呼ばれることもある。保護者に見えなくはないはずだ。
卒業式の会場を出てから、100席ちょっとの教室に入ると、今まさに社会学部のとある学科の学位記授与が行われようとしていた。この時も、約十年前にあった学位記授与の記憶が蘇ってきた。
約十年前は、学位記授与の担当教員に怒られたんだっけ。小さい講義室で、学生たちがあまりに煩いものだから、学位記を授与する前に怒号が鳴り響いたのだ。懐かしい。4年前の入学式でも、やはり怒号が鳴っていた笑
あとは、その日の夜にあったホテルでの謝恩会の時も、一番最後に卒業生代表が、ステージ上で「私がこの学校に入学が決まるまで、大学受験で苦戦しました~3月の最後の最後まで受験を続けて、それで最後に合格を掴み取ったのが、この佛教大学でした~卒業生の皆さんも~(以下覚えていない)」といった卒業記念の挨拶をしていた。が、当時の卒業生諸君は大騒ぎだった。卒業生代表の話なんて聞いちゃいなかった。
今では、そんなことは一切ない。みんな、小さい教室の中で静かにしている。雑談している子は1人もいない。こういうのって、なんだろうな。もしかして、少子化によって選ばれし優秀な遺伝子しか世の中に存在できなくなりつつあるのか?
それはいいとして。学位記の授与では、一人ひとりが名前を呼ばれて学位記を受け取ってたんだが、やはりその……しみじみとした思いがした。自分はずっと、彼ら彼女らが教員から学位記をもらうのを眺めていた。全員が終わるまで30分以上もかかった。
(以下要約)
・あなた達はコロナ禍の大変な時期(※2020年度)に入学してきた
・入学式はなく、授業はリモートだった。学食でも黙食であり、不安も大きかったと思う
・社会人になってもどうかそのことを忘れずに、自信をもって働いてほしい
すべてが終わると、学生たちは粛々と立ち上がって、静かに退出しようとしていた。俺がいた頃とは大違いだ。あの頃は、絶対にみんな大騒ぎだったと思う。懐かしい。「威勢のよさ」と「常識の順守」がトレードオフになっている。そんな気がした。
※推測だが、2020年当時って、入学式やオリエンテーションはないし、マスクオンで皆の顔わからないし、何より授業はリモートだし、学食でも黙食が義務だった。ということは、学生間の絆のレベルがコロナ禍以前に比べて低かったのかもしれない。
ちなみに、ほかの学部の学位記授与の教室もチラッと外から覗いてみたのだが、どこもいい雰囲気だった。先生も学生も、熱の篭った感じで最後の儀式に興じていた。特に、教育とか保健とか看護の学部がよかった。
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大学を出た後、近くにある千本北大路の交差点で、卒業生達が「じゃあな」と言いながら別れていくのを見た。
社会人をやって十年以上が経つけど、今日という日は感慨深いものがあった。涙までは出なかったけどな。
これで結びになる。
若い頃は楽しかったってよく聞くけどさ。実際、そこまで楽しくはなかったよな。当時の日記を読み返してて感じたんだけど、「早く実力を身に付けたい」の一点張りだった。あの頃は、自分が雑魚すぎて嫌だった。
「あの頃はキラキラして、いつでも輝いていた~」みたいなことは絶対なかった。あるわけねーだろ。当時の日記を参考に、あの頃の気分を一文で表すと、砂漠をうろついてるフンコロガシみたいだったよ。でっかい玉を作りたくて、己のショボい脳と身体でどこまでも足掻いていた。満たされなくて、いつも飢えていた。心が。
大学の中も、大学以外の外にある世界全体も――学業、アルバイト先、恋愛とかでも、自分よりはるかに格上のヤツがいっぱいいた。劣等感が凄かった。自分が何者でもない感じがして、苦しかった。自分の雑魚さ加減が嫌になったよ。そんな4年間だった。
今でも夢に見る。学生時代の下宿で、コタツ机に昔の自分が座ってる。深夜1時だというのに、アルバイトから帰った後で、TOEICの教材でリスニングの勉強をしている。
なんだか寝落ちしそうな雰囲気なのだが、その度にコタツ机から立ち上がり、頭をそのへんの壁に打ち付けていた。一息を吐いてから、それでまた、勉強に戻る。
「あきらめないでくれ……」
夢の中にいる自分には、そう応援するくらいしか手段がなかった。でも、勝手に声が出ていた。
「昔の俺よ、どうかあきらめてくれるなよ」って、そう祈っていた。そしたら、いつの間にか目が醒めていて、いつもの布団の中にいる。天井を見上げている。
でも、学生時代が楽しかったかといえば、楽しかったよ。当時は辛かったんだろうけど、でもなぜか、今になると「あの頃は楽しかった」に記憶がすり替わっている。
苦しかったはずの日々なのに、どうして「あの頃は楽しかった」ということになるのか? それって錯覚じゃないか? 自分で自分を騙してる。なぜ、こんなことが起きる?
確信はないけど。【一所懸命】だったからじゃないか。自分は忘れても、脳は覚えてる。あの頃、一生懸命に苦しんで、欲しがった何かが――今、自分の手元にあるんだって。無意識はわかってる。
だから、それまでの過程がぜんぶ、愛おしくて、切なくて、やり切った感があって、いい思い出として変換されるのだ。実際は辛くてしょうがなかったのに。
苦しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく。それだけだ。
今回、自分の記憶を整理する機会に恵まれた。十年ぶりに大学の卒業式に参加することができた。おそらくもう、あの大学の門をくぐることはないと思うけど、本当に運がよかった。
まぁ下記に繋がる話ですかね・・・
リアルだと情報量が増えるので許容値が爆上がりするけど、ネットだと情報量が下がるので許容値が爆下がりする
『学生時代』と『あるオタクコミュニティ』のオフイベントに出ていた時にどうしようもない虚言癖のあるお嬢さんがいた(それぞれ別人)
みんなヤベーやつ扱いしたり、面と向かって意地悪を言っていたけど、常に不安そうなのとご家庭に問題がありそうなのが見て取れたので
職場にどうしようもないネトウヨがいた。発言が完全にネトサポ+嫌韓嫌中のそれ
ただし、仕事には非常に真面目に取り組む人で行政やベンダーから色んな表彰を受けていた
そもそも前職がITとまったく関係ないスーパーの店員なのにも関わらず、僅か数年でこのレベルに到達出来るのかみたいな
職場には中国人エンジニアやそちら方面にルーツを持つエンジニアもいたので、いきすぎた発言をする時は釘を刺したが、
彼が話好きでどうしようもない差別的な政治発言をよくしていたのは皆認識していたので、
なんとなくそれを許容するみたいな職場の態度が本当に良かったのか?と言われたら全くダメだったと思うけど、
エンジニアとしてはとにかく真面目で優秀な人だった。あと多忙でも歓送迎会みたいなイベントは率先してやってくれる人だった
むかし運営していた小規模SNSの話
内向きな傾向にある人が気軽に過ごせる場をということで作ったんだけど速攻で投げた
原因は3つ
1つ目、
内向きの人の中でも更に内向きかつ傷付きやすい人たちがどんな書き込みを見ても
『だから私はダメなんだ』『ここにいてはいけないと感じる』『XXXって○○○って言えるのかな』
『壁打ちみたいで悲しい』ってサイト内だけでなくTwitterなどで綴っちゃう。
基本的にみんな内向きなのでSNSサイト内では面と向かって説教やポジティブの押し付けをする人はいなかったが
場外乱闘は起きてた(激しい言葉は使ってなかったけど)、あと何なら書いても良いのか?みたいな雰囲気になった。
2つ目、
メンタルを病んだ人の過剰な要求。仕事でもなく有償サービスでも無いので過剰な要求はサクッと無視していてたんだけど、
まぁ諦めないよね。本気で言っていてしかもまったく悪気が無いのが見て取れる。
これはめちゃくちゃ荒れた。例によって例のごとくSNSサイト内は平和なんだけど場外で荒れる荒れる。
内向きな人が気軽にという趣旨なのに過剰な要求をする人に対する個人攻撃まで始まってしまって、
サイト外でもそういう行為は控えるようにとルールを追加するはめに。もちろん増田民的な自由を愛する人から大不評だった。
『なぜSNSサイト外の行動を指示されなきゃいけないの?』的なことを非常にマイルドな表現でチクチクと。ごもっともで。
しかしそれでも過剰な要求がは止まらず、そしてそれに対する攻撃も止まず、それを目にするのが辛いという反応でも止まらず、
もうどうにもならねぇなって思って第三者を装って『意見を出すのは自由』『お互いを尊重しましょう』的なことを書いて鎮火を試みた。
概ね、思惑通りいったのだけど、なぜか最終的に運営者(自分)の判断を仰ごうという流れに。
なんの判断だよ、”要求にすべて応えることはできない“、”個人攻撃はやめましょう“ってSNSサイトに書いてあるじゃん?って思ったが、
まぁ仕方ないそのまま返そうと待てど暮らせど、SNSサイトの公式フォームにその判断を仰ぐご意見とやらは来ない。
場外でのやり取りをSNSの公式リリースとするのも変だし、なにこれ?放っておいていいの?と思い放置。
やーめた\(^o^)/
3つ目、
運営するにあたり基本的になにも考えていなかったこと。仕事じゃないしお金も取ってないしみたいな
京都在住。夫婦ともに登山が趣味にしてる。先日夫と一緒に、山の中にある神社から山頂に続く登山道を登っていた。すると、道の真ん中にウリボウの死体があった。成獣に近いサイズの。
可哀想だと思ったのと、早くどかさないと病気が広がるかもしれないと思い、下山後に市役所に電話をした。その時は、こんなやり取りだった。
「それはどなたの所有の土地ですか」
「そこは神社の土地と思われます。神社の人が撤去してもらう必要があります」
「里道なのに?」
「林道や市道はうちで管理しますが、山は対象外です。所有者責任になります」
「どかしません。自然に死んだものであれば、山の中にそのままにしてください」
「病気が広がったらどうするの?」
「土地の所有者の責任です。豚熱の可能性もありますが、人間には感染しません」
取りつく島のない様子だった。私は、こういった仕事は公共機関の人が処理すべきだと思っている。
今も、あのウリボウは登山道の真ん中で死んでいる。可哀想に……。
ほかの登山者のためにもアレをどうにかしたい。増田民の人で、何かお知恵をお借りできる方がいたら何卒お願いしたい。真剣に悩んでいる。