はてなキーワード: 寝落ちとは
昨日1:30に寝て8:00に起きた。昼あまりにも眠かったから30分くらい仮眠しようと思って、アラームかけて11:30に寝たら次起きたのが14:00だった。どちらもふかふかの布団の上。
22歳の時に過眠症を発症した。それまで寝ても9時間程度が限度で昼間は眠くなることもなかった。正直言って居眠りするという感覚が分からなかった。
発症しただろう日は今でも覚えている。12月15日から毎日10時間寝るようになった。始めは卒論を提出した後で疲れてるのかなと思って様子を見ていた。2月になっても状況は変わらずメンタルの問題を疑って大学内の診療所で相談したら疲れてるのかもしれないからゆっくり休んでとだけいわれた。そうこうしているうちに昼間から強烈に眠くなるようになった。業務日誌が白紙のまま2週間が経過したあたりで睡眠外来を予約した。
病院では一般よりかなり眠い状態ということが判明して検査をして特発性過眠症と言われた。目を覚ますための薬も処方された。でも動けなくなるレベルの眠気は変わらなかった。文献によると私のタイプの過眠症は薬が効かないことがままあるらしい。絶望である。
効果があるとすれば、友人が席を外した時に寝ることは防ぐことができる。あとは一人だと4時間とか居眠りをしてしまうのが2時間になるとかくらい。マシになるとはいってもこの状態で人生を送るのは不本意としか言いようがない。薬よもっと効いてくれ。
さらに辛いのは症状が重くなり続けていること。今は睡眠時間は平日12時間、休日18時間寝ている。これでフルタイムで働いてるの偉くないですか。誰か褒めて。そしてこれだけ寝ていても眠い。この前はトイレで寝落ちして友人を待たせた。
眠気を水位に例えると高い波が何度も打ち寄せるのがナルコレプシーで高潮のままなのが特発性過眠症というイメージ。個人差があるけど、私の場合は急に寝てしまうのはあまりなくて眠気でふらつくとか会話が出来ないとかの症状がメインになる。睡眠酩酊というらしい。数時間耐えて耐えた結果の居眠りしてしまうと、もう少し頑張ったら寝なくて済んだかもと思ってしまうので罪悪感がすごい。
一度寝ると数時間起きられないので、ちょっと仮眠するという戦略も取れない。
稀に目が覚めているなと感じる時には、本を読めるしピアノは明らかに普段より上手いし、眠いことが人生を変えてしまったのだと実感する。
症状が重くなっていることが怖い。休日に出かけたい。朝にスッキリ目覚めてみたい。もっと趣味に時間を使いたい。
いつまで働けるのだろう。
体質的・性格的な要因によって、自然と倹約家になってしまった私の特徴をつらつらと書き綴ったものであります。
飲まないので出費ゼロ。職場の飲み会はない。友人と遊ぶのは昼オンリー。
眠いでござる。0時をまわると意識を失うでござる。これでも起きられるようになった方。高校生くらいまでは10時には寝落ちしてた。
元々薄味派。私が料理を作ると、母に味が薄いと怒られていたほど。しかし、母も健康に気をつけるようになって薄味派に。家で食べる食事が全て薄味に。すると、外食の味が濃い、辛いと感じるようになり、外で食べたいと思わなくなってしまった。惣菜やコンビニ弁当もしかり。
食べたいと思うことがない。不思議。お酒苦手な人は甘いもの好きなんて言われるけど、あてはまらない。よって、コンビニでスイーツを買うこともアイスを買うこともない。
これは全然いいことではない。お祭りやテーマパークに誘われても行けないから。人混みへ行くとものすごく頭が痛くなってしまう。薬も効かないくらい。
傘もファッションの一部という認識なので、お気に入りの傘3本から服に合わせて選択。街を歩いていると、結構ビニール傘の人が多い。緊急時に買ったものなのかな?天気予報を見ないタイプ?
化粧品の場合は肌に合うかどうかが一番大事。財布やバッグはインスピレーションで決める。どこのブランドかには興味がない。
よほど気に入った物以外は買わない。ということは、「気に入った!」という直感がとても大事ということでもある。
とはいえ、すぐにボロボロになる物もある。例えば夏服は汗をかいて何度も洗ううちにヨレる。すぐにダメになる物にお金をかけるのは合理的ではない。ダメになってしまうからと着るのを控えるのは更にもったいない。服とは着るものである。
夏服で水洗い不可?買いませんよ、絶対。
月に10冊、中古本をまとめ買い。合計1500円くらい。予算は3000円くらいだったんだけど……。
読書以外の趣味は小説を書くこと、たまに手芸。料理はするけど趣味ではない。食べたいものを作って食べる。それだけ。
あと、ゲームはしない。人と一緒なら楽しめるけど、一人では楽しめない。
次の電車は10分後かぁ……。待つor歩く?→絶対歩いてしまう。
買い物の醍醐味は、いかにお得に購入できるか頭をフル回転させることにある。
これは次のポイント10倍デーまで待って買う。これは今買わないとなくなる→どこで買えば一番得か、即座に調査。
何にどれだけ使ったか、把握しておきたい。スマホ時代。アプリでつけられるの便利だね。子供のころはおこづかい帳に記入して、毎回電卓叩いてたよ。
飽きたのでこのへんで。
せんせ、涎たらしながら寝落ちしたね
かつて深夜ラジオ番組の中で語られた親との関係において不快だったエピソードとして、
朝6時にラジオ体操に出かけたもののその日は中止となっており、予定より早く帰ってみたらお父さんとお母さんが愛し合っていた、
というものを10年以上前に耳にしたことがありますが、その当時はいい歳をした夫婦が朝から愛し合うとかないわー
などと考えておりましたものですが、今まさにそのような状況が大変なリアリティを持って当事者としての問題に直面している訳であります。
彼らにとってその時間しかなかったのだということを切実に理解することができます。
平日朝6時半に妻からセックスを誘われた私でしたが、その場では通常「B」と呼ばれる段階の交渉にとどめ、
夜遅く暗く寝静まった段階において「C」に至ろうという計画を立てておりました。
「B」を執行する過程において妻はなぜかいつも以上に発情しており、私も大変エロティックな気分が高まってきたところでしたが、
鉄の意志を持って途中で中断し、妻を叩き起こしたわけでございました。
ところがその夜に限り、不登校気味の上の子が大幅に夜更かしをしてなかなか寝ず、下の子を早く寝かせて準備万端といった状態の妻を
イラつかせていました。ようやく気配が消え寝静まった頃には、夜中3時を回っていたのでございます。
意気揚々と全ての電気を消し、暗闇の中妻の待つ寝室へと参上したところ、早く寝かせた下の子が起きていたのでございます。
とはいえ所詮保育園児、夜中に起きることはあっても暗闇の中添い寝していればすぐにまた寝るものでございます。
大人しく布団に入ってムラムラしながらその時を待っていましたが、ひそひそ声で喋り続け一向に寝ないのであります。
そのうち、私も眠くなってしまい寝落ちしてしまったのであります。
しかし、妻の方は諦めていませんでした。
https://anond.hatelabo.jp/20240507161600 の増田だけど、金曜夜に物凄い疲労感で寝落ち→翌土曜の昼過ぎまで寝て起きたら熱っぽい&喉が少し痛い→体温36.5度の微熱(平熱35.7)で、また謎の微熱症状。
そこでふと、部屋にある芳香剤の香りを嗅いでみたんだけどどれだけ鼻に近づけても何の匂いもしない。この芳香剤はガラス瓶に棒を数本入れると香るという、ちょっとオサレっぽいやつでGWに買ったやつで当時は間違いなく匂いがしていた。鼻水が詰まってる感じはするが、それにしたってここまで匂わないのはおかしい。
なお前回微熱症状が起きた4月頭の時は、鼻に棒突っ込まれて検査した結果インフルでもコロナでもなかった(当時は芳香剤がなかったので匂いチェックなし)。
前
https://anond.hatelabo.jp/20240502193040
この大学を卒業してから長い時間が経った。あれから1回転職して、新卒で入った会社とは別の電子機器メーカーで働いてる。今はキーボードとか作る仕事をしている。東京~神奈川にオフィスや工場がある会社である。もしかしたら、地下鉄なんかで増田民やはてな民とニアミスしてるかもしれない。
今では佛教大学に感謝してる。あの頃はいろいろ思うこともあったけど、だからこそ今の自分があるのだ。
仮に、第一志望だった同志社大学に進んでいたとしたら、きっと、ここまで努力は重ねなかった。自分に実力があると勘違いして、学業に力を入れるとか、TOEICで相応の点数を取るとか、就職活動に超力を入れるとか、そんなことはなかっただろう。
この道は、正しかった。第一志望の大学に不合格でよかった。親や兄弟や親戚に不合格をバカにされてよかった。だから、悔しさをバネに努力ができた。
自分は運がよかった。今ではそう思って、歩んできたこの道に感謝してる。
でも、実は後悔がひとつだけある。卒業式である。実は、自分は卒業式に遅刻している。その前日にアルバイト+飲み会があって、就寝が遅くなった。朝起きたら卒業式開始の10分前だった。
失敗はそれだけじゃない。なんと、卒業式の最中にゲリピーブレイクになってしまい、トイレに行っている間に式が終わっていたのだ……あれはショックだった。遅刻だけならまだいい。遅刻してる学生はたくさんいた。しかし、これは……「失敗した」という思いが強かった。ずっと引きずっていた。
というわけで、先日3/18(月)に佛教大学の卒業式に参加してきた。もちろん保護者席である笑
後ろの方の席だったけど、約十年前もあんな感じだったな、としみじみした気分になった。この時はさすがに遅刻はしなかった。しかし、残念なことに……式の最中にゲリピーブレイクが再発した。
焦った。これは焦った。けれども、ここで奇跡が起こった。十年前のことを思い出したのだ。十年前の失敗は確か、最後まで我慢しようとしたのが原因だった。それで、学歌斉唱が始まったあたりで体育館の和式トイレ(※洋式はない)に駆け込んだ。それで、失敗した。
式次第を読んでみる。そして、学長その他3名による卒業祝いの挨拶が長時間になると踏んだ。「よし今なら……いける!」と、その時間帯に会場を抜け出し、体育館の和式トイレ(※洋式はなかった)に駆け込んだ。
会場に帰る頃には、ちょうど学歌斉唱が始まっていた。そういえば、大学の学歌ってほとんど聞いたことがない。どこの大学でもそんなものだろうか。
とにかく、卒業式は無事に終わった。終わったのだ。十年来の無念が晴れた気がした。最後はプロジェクションマッピングがあって、マジでびびったわ……。
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ところで、式次第には学位記授与のことが書いてあった。卒業式の後、それぞれの教室で学位記を受け取る儀式があるのだ。
ああ、確かこんなのあったなと思いながら、ついでに保護者枠で参加することにした。幸い、見た目は学生時代から老けている。今ではすっかり小太りのおじさんである。社内では、同輩や後輩から「部長」と呼ばれることもある。保護者に見えなくはないはずだ。
卒業式の会場を出てから、100席ちょっとの教室に入ると、今まさに社会学部のとある学科の学位記授与が行われようとしていた。この時も、約十年前にあった学位記授与の記憶が蘇ってきた。
約十年前は、学位記授与の担当教員に怒られたんだっけ。小さい講義室で、学生たちがあまりに煩いものだから、学位記を授与する前に怒号が鳴り響いたのだ。懐かしい。4年前の入学式でも、やはり怒号が鳴っていた笑
あとは、その日の夜にあったホテルでの謝恩会の時も、一番最後に卒業生代表が、ステージ上で「私がこの学校に入学が決まるまで、大学受験で苦戦しました~3月の最後の最後まで受験を続けて、それで最後に合格を掴み取ったのが、この佛教大学でした~卒業生の皆さんも~(以下覚えていない)」といった卒業記念の挨拶をしていた。が、当時の卒業生諸君は大騒ぎだった。卒業生代表の話なんて聞いちゃいなかった。
今では、そんなことは一切ない。みんな、小さい教室の中で静かにしている。雑談している子は1人もいない。こういうのって、なんだろうな。もしかして、少子化によって選ばれし優秀な遺伝子しか世の中に存在できなくなりつつあるのか?
それはいいとして。学位記の授与では、一人ひとりが名前を呼ばれて学位記を受け取ってたんだが、やはりその……しみじみとした思いがした。自分はずっと、彼ら彼女らが教員から学位記をもらうのを眺めていた。全員が終わるまで30分以上もかかった。
(以下要約)
・あなた達はコロナ禍の大変な時期(※2020年度)に入学してきた
・入学式はなく、授業はリモートだった。学食でも黙食であり、不安も大きかったと思う
・社会人になってもどうかそのことを忘れずに、自信をもって働いてほしい
すべてが終わると、学生たちは粛々と立ち上がって、静かに退出しようとしていた。俺がいた頃とは大違いだ。あの頃は、絶対にみんな大騒ぎだったと思う。懐かしい。「威勢のよさ」と「常識の順守」がトレードオフになっている。そんな気がした。
※推測だが、2020年当時って、入学式やオリエンテーションはないし、マスクオンで皆の顔わからないし、何より授業はリモートだし、学食でも黙食が義務だった。ということは、学生間の絆のレベルがコロナ禍以前に比べて低かったのかもしれない。
ちなみに、ほかの学部の学位記授与の教室もチラッと外から覗いてみたのだが、どこもいい雰囲気だった。先生も学生も、熱の篭った感じで最後の儀式に興じていた。特に、教育とか保健とか看護の学部がよかった。
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大学を出た後、近くにある千本北大路の交差点で、卒業生達が「じゃあな」と言いながら別れていくのを見た。
社会人をやって十年以上が経つけど、今日という日は感慨深いものがあった。涙までは出なかったけどな。
これで結びになる。
若い頃は楽しかったってよく聞くけどさ。実際、そこまで楽しくはなかったよな。当時の日記を読み返してて感じたんだけど、「早く実力を身に付けたい」の一点張りだった。あの頃は、自分が雑魚すぎて嫌だった。
「あの頃はキラキラして、いつでも輝いていた~」みたいなことは絶対なかった。あるわけねーだろ。当時の日記を参考に、あの頃の気分を一文で表すと、砂漠をうろついてるフンコロガシみたいだったよ。でっかい玉を作りたくて、己のショボい脳と身体でどこまでも足掻いていた。満たされなくて、いつも飢えていた。心が。
大学の中も、大学以外の外にある世界全体も――学業、アルバイト先、恋愛とかでも、自分よりはるかに格上のヤツがいっぱいいた。劣等感が凄かった。自分が何者でもない感じがして、苦しかった。自分の雑魚さ加減が嫌になったよ。そんな4年間だった。
今でも夢に見る。学生時代の下宿で、コタツ机に昔の自分が座ってる。深夜1時だというのに、アルバイトから帰った後で、TOEICの教材でリスニングの勉強をしている。
なんだか寝落ちしそうな雰囲気なのだが、その度にコタツ机から立ち上がり、頭をそのへんの壁に打ち付けていた。一息を吐いてから、それでまた、勉強に戻る。
「あきらめないでくれ……」
夢の中にいる自分には、そう応援するくらいしか手段がなかった。でも、勝手に声が出ていた。
「昔の俺よ、どうかあきらめてくれるなよ」って、そう祈っていた。そしたら、いつの間にか目が醒めていて、いつもの布団の中にいる。天井を見上げている。
でも、学生時代が楽しかったかといえば、楽しかったよ。当時は辛かったんだろうけど、でもなぜか、今になると「あの頃は楽しかった」に記憶がすり替わっている。
苦しかったはずの日々なのに、どうして「あの頃は楽しかった」ということになるのか? それって錯覚じゃないか? 自分で自分を騙してる。なぜ、こんなことが起きる?
確信はないけど。【一所懸命】だったからじゃないか。自分は忘れても、脳は覚えてる。あの頃、一生懸命に苦しんで、欲しがった何かが――今、自分の手元にあるんだって。無意識はわかってる。
だから、それまでの過程がぜんぶ、愛おしくて、切なくて、やり切った感があって、いい思い出として変換されるのだ。実際は辛くてしょうがなかったのに。
苦しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく。それだけだ。
今回、自分の記憶を整理する機会に恵まれた。十年ぶりに大学の卒業式に参加することができた。おそらくもう、あの大学の門をくぐることはないと思うけど、本当に運がよかった。
在宅フリーランスだから拘束時間はないに等しいのだけど、日中不定期に寝てしまうからその日の予定を立てづらいし、
16時間以上連続で起きれたことがこの5ヶ月間でただの一度もない。1日も欠かさず日中寝てる。
仕事は暇というわけではなく、食べる間も惜しいほど忙しかった時期もある。
自律神経には気をつけていて、睡眠薬も処方してもらって夜は6~8時間くらい寝れてる。それでも絶対日中寝てしまう。
ちなみに純粋な睡魔に負けて寝落ちすることもあるけど、どちらかというとそれよりも、眠いかどうかに関わらず何故かどうしても横になってしまう。布団に入る欲に勝てない。それで気づいたら寝てしまう。
自分だけなんだろうか。なんとかならんだろうか
転職してからもう何年も使ってる最寄駅の壁は前からこんなに煤けた色だっただろうか。
初めてこの通路を通った時は、最寄りがこんなにきれいな駅だってことに密かにモチベーションを上げて面接に挑んだような気がする。
壁から目を離して看板を見上げる。エスカレーターを登って、ホームに着いて、先頭車両へまっすぐ向かう足に淀みはない。
一連の動作を身体は覚えてるのに慣れない景色を見ている。毎日いかに歩きスマホをしていたかが浮き彫りになって少し怖くなった。
昨日充電せず寝落ちしてしていなかったら、ずっと気がつくことはなかったんだろうな。
辺りを見渡すと、1人の人はほとんどが俯いてスマホを眺めている。私もいつもはこの風景の一部なんだと思うと、1人だけ夢から覚めてしまったような変な感覚に囚われて、帰宅するまではそれを楽しむことにした。
こうして見ると、世の女はみんな可愛い。
「SNS見て病んでる人は外に出ろ 美女なんかいないから」という言葉に勝手に安堵してた自分が恥ずかしい。外に出て勇気をもらえる人は私とは次元の違う容姿で、芋ブスが共感するのなんか身分違いにも程があったことに気がついてしまった。
みんな髪の毛は綺麗にセットされていて、ほんのりシャンプーのいい香りがして、化粧も姿勢も崩れてないし、平均体重を下回ってるはずの私よりもずっと細い人がそこらじゅうにいて、なんか上品な服を着てる。
私はこのホームの中で、最も階級が低いダサくて清潔感のないおばさんなんだ。三食チーズ牛丼なんだ。
朝洗濯物の山から拾い出したしまむらのシャツと、GUでセールになってたやたら厚手のパンツが急に気になり始める。前髪を整えてみるけど、半年以上美容室に行ってない、セットもしてないような髪はすぐに元の寝癖に戻った。
可愛くなれるとは思わない。ただ、このまま生きてたら私は化け物になる。なんとかしないと、取り返しがつかなくなる。
やらなきゃいけないことは山ほどある。やめるべきこともたくさんある。
まずは帰って、風呂に入って、髪をちゃんと乾かしてから寝るところからだ。
俺は歯磨き一日3回必ずしてるしフロスも使うしマウスウォッシュも使うし
夏場なんか毎晩風呂に入った上で出かけるたびにシャワー浴びるぐらい口臭体臭には気を使ってる
歯医者行くときは行く前に歯磨くし美容院行く日は必ず風呂入って髪の毛洗ってから行く
でもこんだけ神経質になっててもなんか清潔感がない気がする そりゃ目に見えて汚くはないだろうけどどうもさっぱりした感じがない
女がよく言う清潔感というものが自分には生まれつき無いんだろうなと思う
仲のいい友達はフロスなんか使わないし美容院行くときもいちいち風呂なんか入らない、前の日の夜に入るだけで十分
こないだなんかマックで昼飯一緒に食ったあとに「このあと歯医者だけど歯磨いた方がいいんかなー」とか言っててさ え!?磨かないの!?って驚いた
結局家帰って歯磨いたって言ってたけど
でも俺よりそいつの方が見た目綺麗なんだよ
そりゃ人並みには見た目に気を使ってるだろうけど
俺の家で酒飲んだときは風呂入らずにそのまま寝てるけど朝起きてもなんかそんなに汚くないんだ
同じこと俺がやったらすぐに髪の毛汚くなりそうだけど
口臭もそんなに気にしてなくて歯磨いたらそれで十分って感じ
前の日に餃子食べたって言われたときも、「確かににんにくの匂いするな」とは思っても別に不快とまでは感じなかった
別に俺が仲いいから贔屓目で見てるわけじゃなくて、そいつはやっぱ誰から見てもウケが良い
長く付き合ってる彼女もいるし、仕事も営業職で多分うまくいってる方で他人に嫌がられてるのをあまり見たことがない
清潔感≒顔の良さって言われることもあるけど、そうでもないよね
顔が整ってなくても歯並びとか悪くても太っててもなんとなくさっぱりしてる人っているもんな
なんなんだろうな本当に
※追記
色んな人がコメントくれてるな
コメントで肌の白さ大事って言ってる人いるけど、それは俺も思った
同じ太った人でも白い方がなんとなくクリーンに見える
肌というか皮脂かな?油っ気は少ない方が綺麗に見える
余談だけど、前に雑誌かなんかで松坂桃李が好きなタイプ聞かれて「何日か風呂入らなくても平気な逞しい子」って答えててさ(うろ覚えだけど)
「そんな奴いる!?汚いじゃん!」って俺は驚いたんだけど
今考えてみると、そういう人もいるだろうなと思う
松坂桃李もまさか「風呂入ってなくて汚い子」のこと想定して答えてるわけじゃないと思うんだ
多分「風呂入ってない、でもそんなに見た目は汚くない子」のこと想定してるんだよね
何日か風呂入らなくてもそこまで汚くならないタイプの人は割といるんだ、世の中に
知り合いにもそんな感じの人何人かいる
ほんとなんなんだろうな清潔感って
でも顔の良さ=清潔感ではないと思うよ
発達障害、精神疾患持ち顔面偏差値低のメンヘラ女なんだけど、縁に恵まれ(?)理解のある彼くんと結婚できた。
ヘラって入院すれば仕事の合間にお見舞いにきてくれ、深夜鬱で寝れないと電話をかければ毎日寝落ちするまでつけておいてくれるような人。
ご飯を作れなければ用意してくれるし、家事ができなければ家事代行頼んでくれる。
汚部屋でマトモにご飯食べてないことも多かったから、ほんとありがたい。
男社会で生きて来て女耐性ないとこでこんなメンヘラに捕まっちゃって可哀想だな〜と思ってたけど、何年経っても私にベタ惚れで、なんだかんだで結婚することになってしまった。