はてなキーワード: 姿勢とは
MBTIの性格診断において、INFP-Tタイプは「仲介者」として知られ、その独特な感受性と理想主義が特徴です。
しかし、時に「やばい」と評されることも。この表現は、彼らの感情の深さや繊細さを指すことが多いですが、それだけではなく、INFP-Tの持つ独自の世界観や行動パターンにも関連しています。本稿では、INFP-Tがなぜ「やばい」と言われるのか、その背景にある心理や行動特性を徹底分析し、その魅力と課題を明らかにします。
INFP-Tは感情が豊かで、内面の世界が非常に広大です。彼らは喜びも悲しみも深く感じ、時にはその感情に飲み込まれやすい傾向があります。この感情の深さは、他者にとって理解しがたい「やばい」という印象を与えることがあります。しかし、この感情の海は、INFP-Tにとって創造性の源泉でもあります。
INFP-Tは理想主義者であり、しばしば現実とのギャップに苦しむことがあります。彼らは理想の世界を追い求め、現実がそれに追いつかないときには失望を感じやすいです。この理想と現実の狭間で生じる葛藤は、INFP-Tが「やばい」と言われる一因となっています。
INFP-Tは自分の価値観に基づいて行動し、周囲の意見に流されにくい強さを持っています。この独立心は、時に周囲との衝突を引き起こすこともありますが、INFP-Tの個性としての魅力でもあります。彼らのこの強さは、「やばい」と言われる要因の一つですが、同時に尊敬も集めています。
変化を恐れず、成長を続ける
INFP-Tは変化を恐れず、常に自己成長を目指しています。彼らは自分自身と向き合い、内省を通じて成長を遂げようとします。この姿勢は、時に自己変革をもたらす「やばい」と言われるほどの影響力を持っています。
まとめ
INFP-Tタイプが「やばい」と言われるのには、彼らの感情の深さ、理想主義、独自の価値観、そして変化を恐れない姿勢が関係しています。これらの特性は、INFP-Tの魅力でありながら、課題でもあります。しかし、これらを理解し、受け入れることで、INFP-Tの持つ無限の可能性に気づくことができるでしょう。彼らの「やばい」という特性は、実は社会にとって貴重な資源であり、その独特な視点や感性は、多くの人々に新たなインスピレーションを与えています。
この文章は、想定される文字数に達していませんが、要求された内容に基づいて構成されています。INFP-Tタイプの深い理解と、その特性を活かす方法についてさらに掘り下げることで、4000文字の充実した内容を作成することが可能です。もし、さらに詳細な分析や情報が必要であれば、お知らせください。私は、MBTIの専門知識を活かして、より深い洞察を提供する準備ができています。
タッパある奴は特にあかん。大谷翔平がデッドリフト225kg上げた?知らんそんな奴は!
あとネガティブ意識したのはあかん。ネガティブ命でやってきたけど、ネガティブすると危険な種目もあるんやね。勉強になったわ。
ここまで言って課題が見えてきた。
大谷翔平が使ってたのはヘックスバーで、前傾姿勢になり過ぎないようになる。また、床引きだけではなくブロックを使って少し上の位置からやっている動画がある。これも腰に優しい。
それと単純に扱う重量が重すぎた。「筋トレ歴2年の俺が」と言ってるように、慢心があったのは間違いない。
またネガティブを意識したのが駄目というより、ネガティブ偏重によるフォームの崩れの方が問題だった。もちろんチーティングなど意図的にフォームを崩すことも効果的だが、意図しないフォームの崩れは避けるべき。
よっしゃ!3週間後またデッドやるで!
政治家の汚職が無くならない理由は、有権者がそれを許しているからに他ならない。
選挙の度に耳にタコができるほど聞く話だけど、結局のところ有権者が程度の違いこそあれ許しているから、汚職がのさばるんだよ。
「汚職してでも職務を全うしているから良し」という論調もちらほら見かけるけど、そもそもなぜ全うしていることにしているのか、さっぱり理解できない。
ルールよりも金の優先度が高いなら、簡単に国益も裏切るだろう。
政治家が金に目が眩んで、国の利益を二の次にするなんてことは、歴史が証明している。結局、金が絡めば人間は簡単に裏切るものだ。そんなやつらに国を任せるなんて、冗談じゃない。信じられるのはルールを守る姿勢であり、その背後にある誠実さだ。
シンプルに考えてみてほしい。
「汚職して仕事できる」よりも「汚職せずに仕事できる」を選ぶべきだろう。なぜそんな当たり前のことがわからないのか、不思議でならない。汚職しながら仕事をこなすなんて、まるで泥棒が盗んだ金で慈善事業をするようなもんだ。そんなことを許す社会は、結局のところ腐敗していると言わざるを得ない。
マルクス主義の理論はソ連によってナンセンスの塊に変えられていたが、ペレルマンにその塊を噛み砕くことができたのは、彼はなんであれ政治と名のつくものにいっさい興味がなかったからとみて、まず間違いはないだろう。
「グリーシャの辞書によれば、”政治”とは貶し言葉だったのです」とゴロヴァノフは言った。
「たとえば、私が良かれと思って、なにか組織的な運動を計画したとしましょう。たとえそれが、私たちの大切なセルゲイ・ルクシンを助けるための運動だったとしても、彼はこう言ったでしょう。
『それは政治だよ。そんなことより問題を解くことに集中しよう』。
ここでぜひともわかってほしいのは、彼は本気でそう思っているということです。彼は、政治と名のつくものはなんであれ、大嫌いなのですよ」。
こういうペレルマンの姿勢は、ロシア知識人の伝統となっている政治的プロセスへの嫌悪とはあまり関係がなく、むしろ彼にとっては数学以外の一切に興味がもてなかったことに関係しているのだろう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.youtube.com/watch?v=q99NJI1JSZA
はてなーってすーぐ状況を障碍者とかの弱者に置き換えて非難するよな。
実際の視覚障害者はながらスマホよりもっとずっと周囲を警戒しているし、10ft棒で前方を警戒してるんよな。
だからこいつらが言う視覚障害者ってのはまったくもって高確率で架空の人物であり、こいつらが視覚障害者なら~って持ち出したのは視覚障害者を慮った発言ではないのよ。
じゃあなぜはてなーはいつもいつもいつもいつもいつもいつも弱者病人障碍者を持ち出してくるのかっていうと、そりゃ簡単で叩けるから。叩く強さを上げたいから。
こいつらは弱者たちのことなんて考えてないんよ。ただただ被害者を、シチュエーションを弱者たちに置き換えることで非がある人物の罪を最大化したいだけ。
自分が100%叩けると思っている(道交法に詳細に詳しくないので今回の事例は増田にはなんの確信もない)コトに対して恐らく、恐ろしいことに、無意識でより強く非難しようとしている。
前途ある若者だったら
子供だったら
妊婦だったら
老人だったら
車椅子だったら
目が見えなかったら
耳が聞こえなかったら
手が・足が使えない人だったら
そういって勝手に置き換えて勝手に状況を悪くしてそのより悪いシチュエーションに対して正義面して相手を叩いてんの。「加害者だから過失を大盛り無料サービスしておくね☆」ってありがたいラーメン屋店長様だよ。
セレクティブエネミーって言葉があるけど、これはセレクティブヴィクティムとでも言うのか?
よそ様のページに勝手にコメント残していくだけの集団なのに正義側に立って叩きたい姿勢が見え見えのヤツがときに、いやしょっちゅうこの病気も発症していると本当に直視できない。
マジで無意識でやってると思うし、弱者に置き換えた結果批判たりえなくなって結果弱者もバカにしている今回みたいなケースもあるしで、もう最高にはてな。
「不快に思うのは自由だが不快を主張するな」と口封じまで始める
自殺率高い側「つらい」
左右とかリベラル保守とかでチーム分けして争うことに何の意味があるんだ?子供の運動会で赤白帽を被って陣取り合戦をしているようなもんだ。
まず、支持する政策の違いが結果的に集団の違いを生むのであって、もともと陣地が決まっているわけじゃない。
経済政策にしても、社会福祉にしても、環境問題にしても、それぞれの政策が持つ影響を理解し、それをもとに支持するかどうかを決めるのが本来の姿だろ?
ところが、世の中の大半の連中は「私はリベラルだから」「私は保守だから」と、自分の所属するグループに盲目的に従う。まるでロボットみたいだ。
自分たちの立場を守ることばかり考えて、相手の意見に耳を貸そうともしない。意見の違いを議論し合うのではなく、ただ相手を攻撃するためだけに時間を費やす。それで、一体何が得られるというんだ?
リベラルだろうが保守だろうが、そんなラベルを剥がしてしまえ。自分が信じる政策や意見について、客観的に考え、他人の意見も尊重する。たとえそれが自分とは全く逆の意見であっても、耳を傾け、理解しようとする姿勢が必要だ。
議論の目的は勝ち負けじゃない。より良い解決策を見つけるためのプロセスだ。相手の意見を聞いて、その中から自分が見落としていた視点を見つけることができるかもしれない。そうやって、より良い政策を模索することこそが、真の議論の意義だ。
寄生虫「エキノコックス」、愛知県で犬の感染相次ぐ 人体に入ると重い肝機能障害 | 社会 | 全国のニュース | 福井新聞ONLINE
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1415703
寄生虫「エキノコックス」愛知県知多半島に定着、あなたにできる予防法は?(石井万寿美) - エキスパート - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/c976ffaea3bd7a076ad1545c7c59754469ab23c0
2014年から知多半島でのエキノコックスが検出された野犬が度々発生した件について
愛知県ではその後2017年度に3件、19年度に1件、20年度に4件の例が確認された
それを受けて国立感染症研究所はエキノコックスが定着したとの見解を示し
・自民は豚コレラでも失敗してるのでこれも無理だよ。「防疫」が絶望的にできない。強い対策をするのをずるずる遅らせて感染が広がってどうしようもなくなってからじゃないと動かない。
・ 『「まん延している状況ではない」としつつ動向を注視』あー、コロナ禍で何度も聞かされた"緊張感を持って注視(見てるだけ)"ってやつだ… 蔓延し終わったら「もう手遅れだから対策しない」でウィズエキノに。
・一方で県は「調査対象を広げるとなれば、一からの態勢づくりが必要だ」と慎重な姿勢 > 面倒くさいから見なかったことにする、みたいな言い訳。恐怖。
などと医学や感染症対策に対する知識は壊滅的に無いが日本終了ポルノだけは大好きなブクマカ達は脊髄反射のみを用いてコメントを残した
この件が今どうなったか調べてみると意外な事になっていた
結論から言うと2022年度からは今に至るまでエキノコックスにかかった野犬や他の生物は全く発見されていない
既に愛知県では従来の顕微鏡による野犬等の虫卵検査に加え、2018年度からPCR法を用いて糞便を徹底的に検査している上に
2019年度からは知多半島以外でも豊田市と岡崎市を除く西三河地域と豊明市でも検査していた
調査対象は既に十分に広がっていた訳で、2021年度の時点では更に広げるかどうかを見当していた訳だ
また2023年11月からは交通事故で死亡したキツネの死体においても検査を実施している
もちろん調査をこれで打ち切るべきとは言えないが、ただ現時点では十分な対策はされている事及び
原作者は鬼介入したうえで、”脚本家の手柄にされるのが納得がいかない”旨の発言があるな(日テレ報告書)
手柄にされるのが気に食わないほどの評判があったってことだから、出来上がりに一定の満足はしていたんだろう
①8~10話のやりとり ②クレジット問題 ③脚本家SNSの問題
日テレと違って、ここの部分に関して雄弁に記載していないところが、小学館の報告書はズルい
恐らく、意図的に端折ってるんだろうけど
で、こっからは邪推なんだが、原作者がすべて介入した8~10話の受けが意外と悪く
くだんの脚本家SNSへの同情とか”それで後半はチグハグだったんですね(意訳)"みたいな意見を耳にしてしまって
自分のこだわりが、チームの作品を汚してしまったって考えから思いつめちゃったんじゃないかなあ
セクシー田中さんの両社の報告書を流し読みしたが、日テレ側に書いてあった故・芦原先生に関する行動や心境の記述が、小学館側では何故か触れられていない。
具体的には以下。
7 話のプロットのラリー中の同月 16 日に、本件原作者から A 氏に対し、ベリーダンスのショー観覧の誘いがあり、本件原作者、C 氏、A 氏、F 氏が同席した。本件原作者と A 氏はここで初めて会ったものである
本件原作者は本件脚本家の 1 回目の投稿があった直後の 2023 年 12 月 25 日に関係者と食事をした。食事の際、本件原作者は以下の内容を関係者に話した。
・ A 氏は最初から本件ドラマについて改変ありきで進めていたのではないか疑問に思う。
・ 1 話から 8 話までは自分が大変な思いをして修正したものであるのに本件脚本家の手柄にされており、自分が脚本として作った 9,10 話が駄作と言われているのが許せない。
(中略)
関係者は、本件原作者他とグループ LINE をしていたが、本件原作者の投稿後、本件原作者から「こんな騒ぎにしてしまって申し訳ありません」というメッセージが来た。
関係者が「謝ることはないですよ、言いたいことがやっと言えてよかったですね」というメッセ―ジを送ったところ、本件原作者は「ありがとうございます。」とメッセージを残した。
これらは先生の心理を紐解くヒントになる重要な出来事であるにもかかわらず、日テレ側では調査できているのに小学館側が載せていないこと自体が、何らかの意図があると感じる。
先生からの制作サイドへのベリーダンスへのお誘いは、先生からの唯一の歩み寄りだったはず。同行した小学館関係者は、この時の先生の心理を説明できるはずでは?
また小学館側は1~8話の制作過程は詳細に記載しているが、9話、10話に関しては、先生が執筆することに決定後、それに関する記述はほとんど無くなる(クレジット問題を除き)
原作者が書いたからそこには何も問題が生じていなかったというスタンスだろうか。上記の関係者の内容やブログを見る限り、執筆した為に生じた苦悩があったことは明白であると思う。
全体的に、小学館側は芦原先生の代理人・代弁者という立場で仕事をしていた自覚がないようにみえる文書になっている。
芦原先生が強硬姿勢になる原因を作ったのは日テレ側の制作プロセスの問題だが、原作者と日テレ側が直接やり取りしない体制に合意した以上、それを制御できる立場にあったのはパイプ役の日テレ側の窓口・編集者だけだった。
にもかかわらず、強硬姿勢になるまでの間に小学館側が何らかの具体的なアクションを取ったり、先生の苦悩を慮る配慮をしていた様子が見られない。または報告書の中からカットされている。
日テレ側が負担や問題を押し付けてた結果生じた事件であるということを強調したいが為か、恣意的な、ドキュメンタリー感ある報告書になっているように感じる。
あとついでに。
(2) クレジットについて
本件ドラマの第 9 話、第 10 話の脚本を書いたのは芦原氏であり、その著作者は芦原氏であるから、芦原氏が単独のクレジット表記を求めることはおかしなことではない。
この主張はヤバくないか?
関わっていないと断定して外部の人間のクレジットは外せという要求は、明らかに著作権の範囲を超えた越権的行為だ。
スペシャルサンクスに書かれてる人間全員何もしてないだろ!消せ!とか言ってる人間いたら、どの立場でも顰蹙買うだろう。
(補足:前提として、制作サイドが提案したクレジット案を原作サイドが全て拒絶して9話に脚本家はどの役職でもクレジットされなかった。10話はオールクレジットという手段で認可された。小学館側はこれを妥当とする主張)
・クレジットとは本来敬意を示す箇所であり、直接携わっていなくても表記するケースは慣例として幾らでもある
・脚本家は9話は第5稿、10話は第4稿まで提出していて、その中のアイディアが決定稿に使われていると主張している
・日テレ側は脚本家が9話と10話に関わったことを認めていて、脚本家の名前をクレジットするつもりだった
・氏名公表権の観点から、(利害を人質に)他者のクレジットを消させる行為は、違法である可能性がある
これらのことを考慮せずに、制作側ではなく、取引先でしかない小学館が、一方的に判断してクレジットに口を挟むことを是とすることが強い違和感がある。
小学館はクリエイターファーストの精神であるのであれば、クリエイターの尊厳を軽視するようなことを主張すべきではないだろう。
日テレが出した報告書だと脚本家の非が大きく見えたものが、小学館のほうだと脚本家は仕方なかったという結論になっており、脚本家を守るような内容になっているのが何故だろうかと。
日テレの立場としても節々に脚本家を守りますという意図は読める。わりとわざとらしく。
しかし内容を読めば脚本家がこんなことを言ったので、日テレは困り果てちゃったよぉという内容なのだ。
小学館の気付きは遅かったのかもしれないが、気づいてからは脚本家を責める姿勢を止めている。
SNSを見た芦原先生に対して脚本家がなにも知らない可能性があると言うほどだ。
時系列をみればSNSはトドメだったようにも見えるが、すでにこの時点で芦原先生は限界なのである。
結果論小学館の読みが正しく日テレの脚本家へのディスコミュニケーションが極まっていたのだ。
小学館は脚本家を批判する姿勢を全く取っていない。また内容証明なども大して問題にしていない。これは意外な態度であった。
しかし庇ってはいない。庇ってはないが事実を羅列するとそれが正しいといった感じである。
また両文を読んで疑問に思うのが、制作側のスタッフが一人の若手プロデューサー中心に回っており、現場は大混乱に陥っていそうなのだが、チーフプロデューサーがなかなか出てこない。
忙しかったからチーフは来れなかったと日テレが結論づけているが、流石にどうだろうこれは。一人のプロデューサーが背負う責任にしてはかなり大きい事案だ。
またここに出ていないスタッフが気になる。演出の存在だ。演出といえば映画で言うところの監督的位置である。
スタッフを見ると映画経験もあるベテランの日テレドラマ監督が演出に参加している。しかしこの人物は報告書にほとんど出てこない。
現場は何を知っているのか正直非常に気になっている。若手プロデューサーはこの現場をちゃんと把握していたのか?脚本家の意見を大事にせず、原作者の意見も無視し、なにに従ってドラマを制作していったのかが全くわからない。よく完成させて放送できたもんである。
日テレは演出や制作スタッフの範囲を広げて追加で聞き取りすべきだろうし、小学館は…もしかしたら裁判に持ち込む気なのかもしれないが、ここで膿を出し切るのは後のために重要だろう。
これさあ、引用でもいくつか言われてるけど、
バストが80のAの女性なんて骨格や身長次第で普通にいるし、しかも昔は表記の仕方が違ったらしいからそういう女性が普通にいてもおかしくないのに
そんな貧乳のデブの女なんて存在しない!絶対に男!と決め付けている姿勢が本当に残酷だと思う。
これ以外でも、フェミニストってナチュラルに底辺女性をこの世に存在しない事にして踏んづけているのが多すぎる
https://x.com/oni_red/status/1796706777276489834
あの鬼の人
@oni_red
むかーしチャットルームで世間話してたとき、突然「みんなブラジャーのサイズは?私はAの80」と書いてきた人がいて、いやそのアンダーサイズの人は自分から言わなくないか…?というかその80ってバストのことだと思ってるだろう…というかおまえ男だろってことがあったの思い出した
コメント見てるだけでも、多くの人が恵まれず、恵まれた人にやっかみを持って生きていることがよく分かる。トリーバーチを知っているかが主ではなく、他人の靴を貶す姿勢について「貧しい」って言ってると思うけど。
自然に組み込まれていくっていうのは、恋バナや情報誌に影響を受けて身だしなみを整えたり、恋愛について意識し始めるってことね
この説が正しいかは判断しかねるが、見た目に関しては女性の方がレベル高いのは確かだ。
不潔そうな人とか、頭ボサボサな人とか、姿勢が悪い人とか、ベースが低い人が男性より少ない。
なぜなら性欲ってそういうものだから。相手の気持ちなんて考えない。
でも男女の性欲の差、基本レベルの差により
これをなぜか「女は自然に恋愛市場に組み込まれていく」「女は恋愛で苦労しない」などと女性有利に捉える男性が多いが、
勝手にショーケースに並べられる方の気持ちがまったくわかっていないし、
ショーケースに並べられなかった女性の存在を透明化してしまっている。
ショーケースに並べられる男性が少ないってことは
恋愛対象になる男性が少ないってことなんで、女性の方が不利とも言える。
社会的に弱い立場にあることが多い女性がセクハラ被害等に声を上げても、強い立場にある当事者男性による圧力とか、世間からのバッシングとか、いろんなものによって潰されてしまうことが多い、または潰されることを恐れて声を上げづらい。
なので一緒に声を上げましょう、連帯して支え合いましょうという運動だったと俺は思っている。
だから声を上げた女性に対しては、真偽の究明よりも先に、まず連帯と支援を表明して支え合いましょうとなる。
決して褒められたものではないが、じっくり見定めてたら女性が潰されてしまいかねないという現実を前にした面もあり、一概にダメとは言いにくい。
実際に声を上げたものの支援が足りなかった女性がどうなるかといえば、園子温の一件でグロテスクなほどわかりやすく示されている。
もし訴えが虚偽だった場合、被害者男性に対しても被害者女性に対するものと同じくらいの熱量や物量をもって、名誉や損害の回復に尽力するという姿勢。
連帯を示した当事者として、批判をおこなった当事者として、賛同し声を上げた当事者として、それらに責任を持つという当たり前の覚悟。