はてなキーワード: 視覚障害者とは
https://www.fnn.jp/articles/-/709665?display=full
渋谷スクランブル交差点に黄色信号で侵入したバス側面に、青信号の横断歩道を渡っていた歩きスマホの外国人女性がぶつかり道路に投げ出された瞬間が撮影され拡散されている。
Xを見ると女性が馬鹿女当たり屋等とバッシングされ、バス運転手が同情されているコメントが多数のようだ。
あんなでかい上に人通りも多い交差点に黄色信号で突っ込む方が無謀では?
黄色信号は急ブレーキになる等のやむない場合だけは通っていいだけで止まれって意味だし、横断歩道は歩行者優先なのに歩行者の横断を遮って歩行者が止まるのに期待して突っ込むのも違法だし、バスもかなり悪いようにしか見えないのだが不思議だ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.youtube.com/watch?v=q99NJI1JSZA
はてなーってすーぐ状況を障碍者とかの弱者に置き換えて非難するよな。
実際の視覚障害者はながらスマホよりもっとずっと周囲を警戒しているし、10ft棒で前方を警戒してるんよな。
だからこいつらが言う視覚障害者ってのはまったくもって高確率で架空の人物であり、こいつらが視覚障害者なら~って持ち出したのは視覚障害者を慮った発言ではないのよ。
じゃあなぜはてなーはいつもいつもいつもいつもいつもいつも弱者病人障碍者を持ち出してくるのかっていうと、そりゃ簡単で叩けるから。叩く強さを上げたいから。
こいつらは弱者たちのことなんて考えてないんよ。ただただ被害者を、シチュエーションを弱者たちに置き換えることで非がある人物の罪を最大化したいだけ。
自分が100%叩けると思っている(道交法に詳細に詳しくないので今回の事例は増田にはなんの確信もない)コトに対して恐らく、恐ろしいことに、無意識でより強く非難しようとしている。
前途ある若者だったら
子供だったら
妊婦だったら
老人だったら
車椅子だったら
目が見えなかったら
耳が聞こえなかったら
手が・足が使えない人だったら
そういって勝手に置き換えて勝手に状況を悪くしてそのより悪いシチュエーションに対して正義面して相手を叩いてんの。「加害者だから過失を大盛り無料サービスしておくね☆」ってありがたいラーメン屋店長様だよ。
セレクティブエネミーって言葉があるけど、これはセレクティブヴィクティムとでも言うのか?
よそ様のページに勝手にコメント残していくだけの集団なのに正義側に立って叩きたい姿勢が見え見えのヤツがときに、いやしょっちゅうこの病気も発症していると本当に直視できない。
マジで無意識でやってると思うし、弱者に置き換えた結果批判たりえなくなって結果弱者もバカにしている今回みたいなケースもあるしで、もう最高にはてな。
「UNIQLOのサイト・アプリが視覚障害者には致命的に使いづらく、なんなら健常者も使いづらい」の件は、前から気になっていた。
このUI、誰にとって使い易いんだろう?という点で。
この縦スクロール型のUI、アパレル系だとたぶん先行事例としてZaraとかのUIがあって、さらに元を辿るとニュース系やSNS系アプリのUIが元になっているんだろう。
発想としては、パーソナライズされた情報がスクロールで表示されていくので、ユーザーは何も考えずに情報をスライドさせていって、気になるものがあればタップする、だから個々人にあった情報に辿りつきやすく、特定の目的かまたなくてもそれ相応の情報に辿り着くため離脱しづらいとか、そんな感じか。
ファーストリテーリングのアプリで、手元の端末に入っているUNIQLO、GU、PLSTなんかは同じテンプレートを使っているのか、同じように縦スクロールで動画やバナーが全面展開されるUIが採用されている。
問題はこのアプリを使う目的で、常に自分向けの最新情報・キャンペーン情報を何となく求めているヘビーユーザーのような人には問題ないのではないか。
常に最も新しい情報が、最も力強く画面全体に展開されるので、見逃しはないし印象も強い。何を訴求しているか一目瞭然だ。テキストではなく画像が視覚に訴えかける。
しかし、たまに思い立って「夏物のパンツを買いたいな」「黒いTシャツを買い替えるか」と思った人には、TOP情報は役に立たず、伝統的な検索からドリルダウンするような方法になる。明確な目的を持っているユーザーとしては、画面遷移の分の手間が増えている。
SNSやニュースアプリは良いのだ。事前にどういう情報があるのかは予期できないから。与えられた情報をスライドして見ていくことになる。しかし、同じ道理をアパレル系のUIにあてはめることは妥当なのかどうか。
今は過渡期なのかもしれない。ユーザーの「夏物のパンツを買いたいな」というニーズ自体を、端末やアプリ側が事前に予期できるようになれば。端末側でアプリを開くと同時に音声で目的を把握できるのであれば。
新作映画をネットで映画館のように見れるプラットフォームが必要だろ。
車椅子の移動が困難な人にすら最新映画が提供できるし、視覚障害者にも視聴しやすい環境が作ることも可能だ。
収益化もネットで最新映画みたい一般人に開放するだけで容易だ。
この記事
読んでる途中までは「既存の技術を組み合わせて低コスト化に成功とは素晴らしい。ホームドア設置のハードルが下がったなあ」と感心して見てた。
後半には、それでもなおホームドア設置にあたっての課題があることにも触れており、バランスの取れた記事になっていると感じた。
だが最後の段落で今までの感心を吹き飛ばすほどイラっとした。以下はその引用。
東京視覚障害者協会(豊島区)の滝修会長(64)は「ホームドアのない駅は、欄干のない橋のようなものだ」と指摘する。自身も線路に落ちた経験が何度もあるという。「慎重に歩いていても、方向や距離を間違えると落ちてしまう。物理的に落ちる心配のないホームドアの設置が進んでほしい」と願う。
自分の実家の最寄り駅はホームドアこそないものの、開業から100年近く経ち、今では一日当たりの乗降人数が1~2万人ほどある地域の足の要である。
その駅を十把一絡げに「欄干のない橋」呼ばわりか。
「欄干のない橋のようなもの」という発言は危険性を強調したかったのだろうが、自分からすると「あるべきものがない、劣ったもの」という中傷発言としか思えない。
東京視覚障害者協会(豊島区)の滝修会長(64)は自身も線路に落ちた経験が何度もあるという。「慎重に歩いていても、方向や距離を間違えると落ちてしまう。物理的に落ちる心配のないホームドアの設置が進んでほしい」と願う。
記事にある「ホームドアのない駅は、~」が、東京新聞が会長の発言を要約して作文したものなのか、会長の発言をそのまま載せたものなのかは分からない。
さっき電車の長いシートの一番端に座ってたら、白杖を持った視覚障害者の男性が乗ってきた。
席を譲った方がいいのかと思い、「座りますか?」と何度か声をかけたのだが、反応がない。
自分の声が小さかったか?どうしようと思ってたら、その人の杖が自分の足元まで伸びていて、それに当たってしまった。
そしたら男性が白杖を下にドン!と突いた。その音で周りの乗客もこちらを見た。
その男性の顔を見ると怒っているようだった。
「当たったらダメだったんだろうな。でも自分の足元まで伸びてて当たっても仕方ない場所に杖が伸びてたし。怒ってるなら言葉で言ってほしいかな。でも話すことも難しい人なのかもしれない。でもとにかく怖いからそっとしておこう…」
と、そのまま座っておくことにした。
それで今やっと電車降りた。
一体自分はどうすればよかったんだろう。
少なくとも車らしい音を出してくれないと、視覚障害者が困るです。