はてなキーワード: パターンとは
>(あるいはへたくそな男ばかり話題に上がるだけ、実際には友人枠から結婚する男は多い)
いや普通に多いよ
ていうか恋愛に辿り着くのに少し遅れる女性が結婚するパターンのかなり主流だと思う
ぬいペニの話が気になるのってそのパターンを多くの男性が自分ごととして捉えるのはまずくない?って思うからだと思う
正直恋愛に積極的でない女を相手にしていると、関係性ができてるのに相手がアプローチしてこなくて、異性としてみられてないのかって言って悩んでる女の方がずっとありふれてるし、ちょっとは女から行ったらって呆れることの方が多い
なのにぬいペニがどうだ好意を見せるのは加害だと一部の迷惑なやつの存在を男が過剰に心配しだしたら、有利になるのは詐欺師ばかりで世の中もっと悪くなると思う
27歳の、まだ十分に生殖能力のある女性が、手術無しで性別変更を認められてしまった。
コメント欄でもあるけれ 、どこの人精神的にも十分女性だと思うんだけどなー。本当に心が男だったなら、女子高で女子と一緒に着替える事に罪悪感なんて感じないと思う。寧ろ喜んで一緒に着替えたがるでしょ。(その反対で、女子トイレに入りたがる『トランス女性』はまさに心も男。)
この人は今後子供を産みそうだし、そして多分逆のパターンで男性器付きの戸籍上女性も続々誕生するんだろうね
何という事だよ
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6503525
心と体の性が一致しない「性同一性障害」。
従来は戸籍上の性別を変更するには、事実上、生殖能力をなくす手術が求められていたが、最高裁判所は2023年、これを違憲とする判断を示した。
これを踏まえ岩手県内でも性別変更を申し立て自分らしく生きる道を切り拓いた人がいる。
一関市の会社員・大滝洸さん(27)は、5月、生殖能力をなくす手術なしで女性から男性へ戸籍上の性別を変更することが盛岡家庭裁判所に認められた。
大滝さんは「積み上げが認められたのがうれしかった。16歳で(ジェンダー)クリニックに通おうと思った自分にとても感謝」と話す。
大滝さんは、1997年に埼玉県さいたま市で双子の姉妹の姉として生まれた。
中学生のころから女性である自分の性別と心とのギャップに気付きはじめ、地元の女子高へ進学するころにはより違和感を覚えるようになったという。
大滝洸さん
「みんな女子がいて、その空気感で自分がおかしいみたいな。服をみんなで着替えるのに罪悪感を感じてトイレで着替えるとか、そういう感じになっていった」
大滝さんは家族に内緒で専門の医療機関に通い、18歳で「性同一性障害」と診断された。
しかし、大滝さんは生殖能力をなくす手術をすることは考えていなかった。
大滝洸さん
「戸籍上女性であることは変わらない。これを事実として受け止めてどこまでやるか…」
大滝さんは大学卒業後不動産建設会社に就職し、2023年10月からは一関市の支店で営業担当として働いている。
最高裁判所が性別の変更をめぐり生殖能力をなくす手術が求められることは違憲だとする判断を示したのだ。
大滝さんはその時の気持ちを「すごいと思った。司法に何も期待してなかった。奇跡だと思った」と話す。
この最高裁の判断を受けて大滝さんはすぐに盛岡家庭裁判所に性別変更を申し立てた。
社会生活で不便だと感じたことのリストなど必要な書類をたった一人で準備した。
大滝洸さん
「手術するという要件がなくなり、初めて自分事として考えた。権利を得ることから始めないとちゃんと人生を送れないんじゃないかと思った」
そして、大滝さんの誕生日でもある5月22日、ついに戸籍上の性別を男性に変更することが認められた。
大滝洸さん
「(自分に)正しかったよって言えるかな。将来は明るいでしょう。最初から人生を悲観する必要はない」
裁判の情報を発信した大滝さんのSNSは同じ悩みを持つ人などの共感を呼び、130人ほどだったフォロワーは1000人を超えた。
裁判所の判断から3日後、大滝さんは盛岡市で行われた性的マイノリティーの人などによる催し「いわてレインボーマーチ」に参加した。
スピーチやパレードを通じて胸を張って堂々と生きる大切さを訴えた。
大滝洸さん
「そんな道もあるよと選択肢を示したかった。大学卒業までに手術して身を隠すというモデルもある。(手術を)後でするのであっても、自分の人生選択で急いでほしくない」
かつての自分のように不安に思う若い世代に自分の姿を見せたいという大滝さん。
手術なしで戸籍上の性別変更が認められた事例は岩手県内では初めてとみられる。
大滝さんは5日、戸籍抄本の表記が「長女」から「長男」に変更されたことをSNSで公表していて、岩手めんこいテレビの取材に「これを見るためにやってきた」と喜びを語った。
そもそも嫌がる子がいたってところからスタートしてるのに、自称医師たちが嫌がる親は虐待跡を見られたくないんだとか
かつて嫌だった子供が成長して親になったパターンを一切想像もできずに(その時点でバカすぎてとても医者だとは思えないけど)平気でレッテル貼ってたのがおかしかったんだよ
目が滑って読めないけど、こんな感じで「こうあるべき」的な規範意識がめちゃくちゃ強い人っているよね。
自分の中に価値判断基準が無いから世間の言うことを丸呑みしてるパターンと、そもそもの性格が極端に神経質なパターン(ASD的)との2通りがありそう。
世間的にはたぶん前者が頻出なのかな。
結婚する前にその辺りについて自身の性格も含め熟慮した方がいいのになあとは思うけど、
そんな悠長なこと言ってたら結婚できねえみたいなところもあるだろうし、めんどくさくて考えたくないというのもあるだろうし、
英語のリスニングどころか、日本語のリスニングができなくて困ってる。
日常会話はだいたい決まったパターンの繰り返しだからほぼ問題ないけど、業務上で議論の場とか口頭指示を受ける時に、簡単な内容でも聞き取れず詰んでしまう。
inu → 🐕
こんな感じで聞こえた音とイメージが直結してると思うんだけど、俺は
こんな感じで、聞こえた音をテキスト(いぬ)に変換して、それを文脈上正しいと思われる意味(犬?)に変換してやっと🐕が出てくる。(あくまで例えであって実際は犬が聞きとれないことはないけど)
英語のリスニング初級者みたいなことを日本語でやってるんだよね。
簡単な話でも口頭だと理解できないことが多いし、できたとしてもかなりの集中力が必要になる。
ちょっと前に「人の話を聞き取れない人は頭の中でテキスト化している」って話を聞いて「えっ、普通の人はテキスト化しないの!?」と大変驚いた。
たぶんAPDなのかなぁ。
自分は女で、小学生のとき同級生の特定の二人の男子に6年間ゆるっといじめのようなことをされてた。いじめの「ような」というのは、その場に他の女子がいれば大抵庇ってもらえたし、私以外が言い返せば何故かノータイムで撤退していった。その二人以外の男子は加勢もしない代わりに止めもしない感じ。(そもそもその二人の男子も特に人望や力があるわけでもなかった。私もだけど。)
初めは一人で怒ったり言い返したりしていたけど1反論すると待っていたとばかりに嬉しそうに内容に関係ない暴言が20倍くらいになって返ってくることの繰り返しだったから、反応を誘う初めのジャブ的な暴言に無視を決め込むことで省エネするようになった。
何かしたんじゃないかと自分でもよく考えていたけどそもそも何かするもなにも会話すらしていなかった。低学年のころの私は人見知りで、特に仲のいい数人としか遊んだり密に会話したりしないタイプだった。だからブスであることや、どん臭さとか身なりのダサさなどで苛立たせていたのかもしれない。6年生のころ、いじめっ子のうちの一人からたまたま二人きりのタイミングでまた暴言を浴びていたとき、何故そんなに絡むのか、私が悪いことをしたなら教えて欲しいと言ったことがある。正面から改まって理由を質問したのが初めてだったからか彼は面食らって「は?は?きっもw」というようなことを呟きながら狼狽えていた。それを遠くから見ていたもう一人のいじめっ子が近づいて「増田が〇〇に告白してるぞ」と大きい声で言いながらまた死ぬほど粘着してきて散々だった。
田舎で6年間ひとクラス持ち上がりだったうえに、家が同じ地区で親同士は婦人会で当然関わりがあって、功を奏さなかったパターンを考えると怯んで大人に相談することもできなかった。ほぼ周知の事実だったけど。今は言えばよかったなと思う。
中学3年のクラスで、そのいじめっ子の一人の男子(狼狽えていた方)と席が前後になった時期があった。こちらからはノーアクションなのにほぼ毎日後ろからお経のように延々と暴言を吐かれていた。はたからは、一切言い返さない私も相当異常で、自業自得に見えていただろう。
ある日私の隣の席の、別の普段静かな男子が痺れを切らしたようにその暴言男子に「いい加減にしろよ」と強めに言ってくれたことがあった。 全然仲が良かったわけでもないから、私のためというより純粋に耳障りだったんだとは思う。私が言い返さないから止まらないし。実際は言い返しても止まるどころかエスカレートするんだけどそんなことは他の小学校出身の彼は知らないし。男子に援護されたことは初めてだったから驚いたしとても感動した。いじめっ子は驚いたのかその場での暴言はモニャモニャとフェードアウトした。しかし、非常に低レベルな話だけど、ここで感謝などを述べたら、それをネタにまた粘着され、しかも今度は怒ってくれたその人も巻き込む形になってしまうのが目に見えていた。我ながら人としてどうかと思うけど、仮にいじめっ子から予想通りのことをされても、巻き込んでおいて私は黙っているしかできないだろうとわかった。だから目も合わせず、自分の机を見つめながら「ごめん」と一言絞り出すのが精一杯だった。
SEKIROでエスト以外のアイテム縛って二重ハードモードで20人抜きやればいいんですか>< わかりません><;
いやマジでさ、なんかしらんけど「SEKIRO初プレイです><」というだけでやたらバズる風潮ないか?
この宇宙のあらゆる初体験の中で最も安定して撮れ高が高いというか。
他のソウルライク全部履修してても、人生初めてのゲームでも、どんなプレイヤーが初めてもSEKIROが最も撮れ高の期待値が高い気がする。
なんでこんなに初心者が求められているんだろうな。
分からん殺しと分かってても死ぬをどういう順番で味わうのかが人によって違う所とかが伸びるんかな?
ネタバレされようが結局慣れるまでクリア出来ないのもポイント高そう。
ゆーて笠を斧で叩き割れるとか、忍者は忍殺してから焼けばいいとかの知識ゲー要素はあるにはあるが。
下手にパターン見切ったつもりになると事故が増える夜叉猿とか、知らずに進んで撮り逃しやすい親父の鈴とか、慣れてきた所に襲ってくる殺しもまあまああるわな。
プレイヤー毎の個性がモロに出る部分として、ババァを毒で倒し切ると割り切って雑談配信やご飯休憩始めるかどうかはそもそものゲーム性に大きく差が出るよな。
絶対に逃げられない実力勝負+知識でゴリ押し出来る抜け道要素、この2つのバランスがプレイヤーごとの物語を生み出すんやろなあ。
燃やせば楽勝じゃん!と学習したあとに油使い切って結局ガチることになるとか、割り切ってレベル上げを始めるとか、まあ色々あるんよな。
飴買い込んで使ってる隙にピンチになるとか、神ふぶきのエフェクトで動きが見えにくくなって弾き損なうとか、そういうお茶目も楽しいし。
やっぱSEKIROだな。
でも俺はもうSEKIROやってるからなあ。
どうすればいいんだろうなあ。
事実全く同じ理由で自殺されたパターンがあるんだけど(打ち切り決定で自殺したやつ。漫画の名前は憶えていない)
読者としては手のひらくるりとさせて「あんなに面白い漫画だったのに! 残念です…」で片づけてる感はあったな。
その辺はみんなドライだよ。
ぬいペニ界隈の有識者にお伺いしたいのだが、ぬいペニ現象だな〜って感じるのは、以下のどれ?
①もともと友人・同僚などで恋の相手として意識していなかった相手に、急に恋してしまう。そこで告白するが、フラれた時
②もともと友人・同僚などの恋愛関係に陥ることを意図しない者同士だったが、好意を持ってしまう。関係性が壊れるのが嫌で好意を隠していたが、思い切って告白しフラれた時
③もともと恋の相手として好意を感じていたが、好意を隠して友人・同僚として振る舞う。その後告白したがフラれた時
④もともと恋の相手として好意を感じていたが、諸事情(職場恋愛になるためためらっていた、年が離れすぎている、友人の身内・元恋人など)で友人・同僚等の関係に甘んじていたが、思い切って告白しフラれた時
⑤もともと恋の相手として好意を持っていたが、相手から「私たち(俺たち)は友人」と牽制されたためアプローチできず、玉砕覚悟で告白しフラれた時
⑥どれも該当しない
なんでこんなことを聞いているかといえば、少女漫画の中で、一目惚れ以外の恋愛(友達、知り合い、幼馴染、先生など、はじめから恋の相手として意識してなかった人を突然好きになってしまう)パターンが多いからである。なんなら、知り合う→なんらかのタイミングで恋する→フラれる→恋の相手として認識してもらえるよう、アプローチを続ける→再告白(または逆告白)なんかもめちゃくちゃ王道の少女漫画ではないか。
ただ、こういう恋愛とぬいペニ現象って、どこに決定的な違いがあるのかがわからない。ぬいペニ現象や、ペニスを出すタイミング論などを見ていると、私が想定しているシチュエーションとはまた違う?とも思えるが、いまいちピンとこない。
俺の会社は人手不足だから仕方なく高卒を取り始めてるけど早くも挫折しかけてるぞ
なぜかというと昔は大学に行ける奴がいろいろな事情で高卒として就職していたが
「ルールを守らない」イコール「ヤンキー」みたいな考え方って短絡的すぎない?
例えばホリエモンやひろゆきは比較的ルールを守らない人達だと思うけど二人ともヤンキーではない。
ルールを守らない人にもいろんなパターンがあって、ルールに反抗してるだけの人もいるし
そのルールが必要だと思えないから守らない、人に押しつけられるルールが嫌い、とか色々あるんだよね。
その他大勢の人達の迷惑になったりすることもあるんだろうけども。
気づかずやっていても意図してやっていても自分と周りの心の健康を害します。
周りにこのような認知の歪みを抱えた方がおられたら優しく注意してあげましょう。
交渉術処世術として自覚的に意図してやっているから大丈夫、という方がもしおられたらそれも要注意です。
人間の脳は不思議なもので、自覚的意図的にやっていたとしても実行するとその思考に引っ張られ定着してしまうという研究があります。
余談ですが、頭が悪く見える特徴とも実は一致しているらしいです。
心当たりのある方はぜひこの機会に自分がどう見えるか顧みてみましょう。
物事を0か100か、白か黒かの両極端でしか認知できない思考。
皆様よくわかっていらっしゃると思いますが、物事は白黒で判断できないグレーなものがほとんどです。
グレーなものを無理やり白黒に押し込めようとするため酷くゆがみ害を及ぼします。
一度や二度の経験や事柄がいつどんな時でも必ず起きてしまうと考えてしまう思考。
物事を客観視できず決め付けで物事を認識するようになるため酷くゆがみ害を及ぼします。
「いつも」「絶対」「すべて」「常に」「全く」「決して」などの言葉をよく使う人によく見られます。
物事をフラットに認識できなくなり悪いことばかりが目につくようになります。
フィルタリングと似ていますが、こちらは良いことを勝手に悪いことに変換してしまう思考。
たとえば褒められた場合でも嫌味を言われたと捉えるなどです。
フィルタリングと同様に悪いことしか認識できなくなるため酷くゆがみ害を及ぼします。
客観的に見れば論理が飛躍した(全く繋がっていない)事実と異なる結論なのですが客観視できなくなっておりその結論を信じ切ってしまいます。
物事を客観視できず決め付けで物事を認識するようになるため酷くゆがみ害を及ぼします。
大抵は悪いことを拡大解釈し良いことを縮小解釈するようになり決めつけて考えるようになっていまします。
特に拡大解釈した事象に囚われ物事を客観視できず害を及ぼすようになります。
日々変化してしまう感情を根拠に物事を決めつけてしまうため酷く歪み害を及ぼします。
ひどくなると「自分がそう感じるならば、そのことが事実でなければならない」という考え方をしてしまうことがあります。
一度や二度起きた事象(またはその性質の一部)をもとに物事や他人などの性質・価値などを決めつける思考。
やはり物事を客観視できず決め付けで物事を認識するようになるため酷くゆがみ害を及ぼします。
関係ない物事や直接責任のない事柄を個人に関連づけ決めつける思考。
自分に結びつけ自分を責め続ける自責思考型と他人に結びつけ他人を攻撃する他責思考型がある。
やはり物事を客観視できず決め付けで物事を認識するようになるため酷くゆがみ害を及ぼします。
白黒思考と近く物事を「〜すべき」「〜をしなければならない」と決めつける思考。
グレーを許さずベストの行動しか許せない状態と言えるでしょう。
皆様よくわかっていらっしゃると思いますが、行動にはベストもあればベターもある、つまりグレーなこともあります。
グレーな行動を許せなため酷くゆがみ害を及ぼします。
いかがだったでしょうか。
これらの認知の歪み、見覚えはございませんでしょうか。
私はとても見覚えがございます。
どこでよく見かけるんでしょうねえ、どことは明言致しませんが。
ススキノ首切断犯人の異常性が続々と明らかになっている。が、キチガイに興味はない。
事件発覚当初、被害者は性的マイノリティを偽装した札付きのレイパーであり殺害動機は父と娘の哀しき復讐であるというアングルがまことしやかに語られていた。
そのように喧伝したものが自ら非を認めるとか被害者の名誉回復に動くことは無いだろう。何しろ「死者に人権はない」のだから。
しかしそんなことでいいはずはない。
※現在に至るも「無理やり中出ししたから〜」とか知ったらしく語ってる奴がいるがこの犯人の言うことは信頼に足らないし垂れ流しに流布すべきでない
何よりどうかしてるのは精神科医である親父の隷属ぶりである。なんでまた?
精神科医であることが娘の仕上がりにどのように悪く働いたのか。就中、ゴリゴリの左翼精神科医であったことが。
「左翼はクソだから娘がそんなことになるんだ」という話ではない。でも関係ないはずはないだろう?
本来精神医学に右も左もない。しかし彼が講演していたのは左翼思想と精神医学の無造作なキメラだ。
構造としてはナチス優生学と同じである(というかマルキシズム自体が「歴史には法則がある」とか吐かす疑似科学なのだが)
ただの無学な親父だってここまでひどい悪手ばかりを重ねることはない。彼の「左翼的精神医学」がどのように裏目に出たのか是非解明してほしい。
いわば左翼教師の子供がグレるパターンの甚だしい例なのかもしれないが、「混ぜものをされた精神医学はただ無力であるにとどまらず効率よくモンスターを育てる」のではないかという疑念がある。
ついでにどうでもいいことだが犯人のことを「シリアルキラー」と言ってるコメントがあった。シリアルってどういう意味だと思ってるんだ。「猟奇的」の俗用についてはもはや言うだけ無駄である。
世の中には自分はサイコーだと思っていても、何故か、全く評価されず、あれは重版でこれは重版でないのはなんで?ということがたまにある。
なんでだろーとほわわんと思っているうちに、打ち切りになって、なんとなく胸にぽっかり穴が空いたような気持ちになる。
これまでは、それを受け入れて来たけれども、今どき、とりあえず狂気的な熱量でその魅力を発信すれば、一定の評価までいけるんじゃねと思い至った。思いついたら試してみたくなる性分で、自分の知るあらゆる場所で喚き散らそうと皆様のお目汚しさせて頂いております。
その漫画やら小説やらが、おもしろーと思う前提が大きく2つあると思ってる。
一つは、いかにうわぁーそれわかるわぁって深いところで思わされるかどうかである。
以下の人は、手に取ってもらえれば少なからず思うところがあるのではないかと思う。
●「馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない」を日常的にひしひしと感じている人
●自分に対して卑屈になって、大した事ない人間だと思っている人
他者はコントロールできず、自分自身のことしか、自分でコントロールできることはないという事実はは、人が幸せな人生を歩むうえで一番大切な考え方であると思う。
隣の芝は青く見える、アドラーの言う「他者と競争しない」ということ、古今東西誰かに嫉妬し凋落するという話は絶えない。
自分ではどうしようもないこと、他者との比較を駆り立てられるような仕組みが、今この世の中は多すぎる。そしてなぜだか、人の性質の一つとして自分が持っていない他人の何かに痛烈な魅力を感じてしまう。本来であれば、それは危機察知や、欲望等自分自身に向けることができれば、とてつもない力を発揮するはずであるのに、間違った使い方を推奨させるような、情報が蔓延ってしまっている。
自分の人生は自分のもので、他人と比較しようとどうしようと、結局自分が何を考えどう行動するかでしか、自分の人生は動かないという事を痛烈に感じさせてくれる。
主人公がその事を少しずつでも確実的に自覚するに連れて、心臓をえぐり取られるような衝撃が体を走り、一旦目を閉じ深呼吸することを強いられる。
嫌われる勇気読んだ人とかも、読んでないけど興味がある人も、この作品を足がかりにしてから、解像度が上がるかもしれん。
自分の人生を幸福にするためのヒントがわかりやすく散りばめられているこの本を読まん奴は本当に損だと思う。
弱いと思ってたやつが実は強い、正体不明の助けてくれた相手は、実はめちゃくちゃ権力者でひょんなことからコネが出来る等々。
葬送のフリーレンも、勇者が死んだあとのストーリーがエモいと言う部分にフォーカスされがちで、言うまでもなく、それがあれの根幹の面白さではあるのだけれど、これでもかというほどに、「あいつ実はめっちゃ強いやん」、が詰め込まれている。それなのに、ブリーチのようにあーはいはい、またそのパターンねとならない。消費されない。十分なタメを作ったうえでのどんでん返しなので、読む方は毎回純粋に重く気持ちよさを感じ取れるのである。
ただ、この紹介したい作品は、その要素を表に出さずに既に7巻まで進んでいる。ずっーと匂わせて、明らかなシーンとして強者を表立てない。それが読者に考えさせる余白を与える。
答えを早々に矢継ぎ早に、気持ちよくわかりやすい正義を振りかざし、相手に考えさせないことで、我々をコントロールしがちな様々なコンテンツとは毛色が違う。私自身もどちらも面白いと思うのだが、あとに引き、心の奥に残り、他の人と共有をしたいと思うのは圧倒的にこの作品である。
月刊だからさ、ゆっくりなのよ進み方が、でもさ絶対終わってほしくなくて、ずーっとゆっくーり1年とか半年とかに1回これが読めるだけでもうLOQバク上がりでさ、打ち切りなんてなったらショックもとてつもないからさ、応援したいわけ。
6月8日に最新刊だから、それに伴って、3巻無料キャンペーンがなされるかもしれん。私は、ユーチューバーの誰かが書評しているのをみて何かの記念で3巻無料でそこから入った口です。
ここのコメントが、そんな王道で面白いの知っとるわであふれることを祈る。
本のタイトルは
「図書館の大魔術士」
まずその二つは二者が別の論を唱えているから別の状態を指してることは明らかじゃん
元増田が現れてるが人として見れないことを前提に自分を騙して口説くっていってるね、これは女性側から見るとけっこうやな感じだな、仕方ないけど
でもその自分を騙すって部分は結局相手を過剰に意識しないってことで共通してるから「過剰に意識しすぎない」ところまではコンセンサスが取れてるわけで、理想とされる普通に接する態度に擬態をする、プラスアピールをしているという状態だという解釈になる
私は女だから①→②で段階が変わるという理論に対して、相手に少しでも好意が発生したらだ、と答えるね
両思いになる前の段階で人としての好意が発生して②を経てさらに意識して恋愛になるというのは普通の恋愛の超王道パターンで、相手も多少意識しているという状態が理想的、そうじゃなくても人としての好感があればアピールくらいは受け止めて貰えるよ、という話だと思う
ただ非モテの視線では、それがいつまでもゼロなんだよ、ということがありえる、人間として振る舞うだけでは全く異性として引っかからないしキモがられるって話をしてる人がいるんだよねたぶん
私は自分的にない人にNOを示したことが何回かあるし、女子が残酷に男子の好意を扱うのも見たことあるから、何にキレてるかわからなくはないんだよ
ここを打算的に回避する方法論を考えるなら、距離感の関係値や周りからの評価を上げておいて、少しくらい好意をアピールしてキモがられても脈がなかったねで済む状態にするという話になるのかもしれない、まず相手からの好感がない恋愛感情ってそれ自体が危険なものなので、拒否られるか、満更でもないのかは天と地の差があって、同じことをしてもキモがられるというのはどうしようもないことなわけ
そこから本当に魅力がない人間が恋愛をするにはどうすればいいかって話をしだすとちょっと長すぎるかも
書いてたら本当に意識してなかった年上に好意があると伝えられたときのイラつきが蘇ってきた、アピールする相手に問題があるから拒否られるというケースをやってるやつは、そもそも相手に恋愛的な好意があるかどうかを少しは見極めろよ、好意を持たれてない相手に恋愛感情を持っていてそれを押し付けるっていうのは、ほとんどが性欲が暴走してるだけでそれが伝わるから女が過剰に拒否するんだよ
こっちの方が絶望感深かったりもする
これらすべての重要な変動要因になりうるものがあります。つまり、より多くのスクレイピング・データでより大きな言語モデルをプリ・トレーニングするという素朴なアプローチが、まもなく深刻なボトルネックにぶつかり始める可能性があるということだ。
フロンティア・モデルはすでにインターネットの多くで訓練されている。例えば、Llama 3は15T以上のトークンで学習された。LLMのトレーニングに使用されたインターネットの多くのダンプであるCommon Crawlは、生で100Tトークンを超えるが、その多くはスパムや重複である(例えば、比較的単純な重複排除は30Tトークンにつながり、Llama 3はすでに基本的にすべてのデータを使用していることになる)。さらに、コードのようなより特殊な領域では、トークンの数はまだまだ少ない。例えば、公開されているgithubのリポジトリは、数兆トークンと推定されている。
データを繰り返すことである程度遠くまで行くことができるが、これに関する学術的な研究は、16エポック(16回の繰り返し)の後、リターンは非常に速く減少し、ゼロになることを発見し、繰り返しはそこまでしか得られないことを示唆している。ある時点で、より多くの(効果的な)計算を行ったとしても、データ制約のためにモデルをより良いものにすることは非常に難しくなる。私たちは、言語モデリング-プレトレーニング-パラダイムの波に乗って、スケーリングカーブに乗ってきた。大規模な投資にもかかわらず、私たちは停滞してしまうだろう。すべての研究室が、新しいアルゴリズムの改善や、これを回避するためのアプローチに大規模な研究の賭けに出ていると噂されている。研究者たちは、合成データからセルフプレー、RLアプローチまで、多くの戦略を試していると言われている。業界関係者は非常に強気のようだ:ダリオ・アモデイ(Anthropic社CEO)は最近、ポッドキャストでこう語った:「非常に素朴に考えれば、我々はデータ不足からそれほど遠くない[...]私の推測では、これが障害になることはない[...]。もちろん、これに関するいかなる研究結果も独占的なものであり、最近は公表されていない。
インサイダーが強気であることに加え、サンプル効率をはるかに向上させたモデルをトレーニングする方法(限られたデータからより多くのことを学べるようにするアルゴリズムの改良)を見つけることが可能であるはずだという強い直感的な理由があると思う。あなたや私が、本当に密度の濃い数学の教科書からどのように学ぶかを考えてみてほしい:
モデルをトレーニングする昔の技術は単純で素朴なものだったが、それでうまくいっていた。今、それがより大きな制約となる可能性があるため、すべての研究室が数十億ドルと最も賢い頭脳を投入して、それを解読することを期待すべきだろう。ディープラーニングの一般的なパターンは、細部を正しく理解するためには多くの努力(そして多くの失敗プロジェクト)が必要だが、最終的には明白でシンプルなものが機能するというものだ。過去10年間、ディープラーニングがあらゆる壁をぶち破ってきたことを考えると、ここでも同じようなことが起こるだろう。
さらに、合成データのようなアルゴリズムの賭けの1つを解くことで、モデルを劇的に改善できる可能性もある。直感的なポンプを紹介しよう。Llama 3のような現在のフロンティアモデルは、インターネット上でトレーニングされている。多くのLLMは、本当に質の高いデータ(例えば、難しい科学的問題に取り組む人々の推論チェーン)ではなく、このようながらくたにトレーニング計算の大半を費やしている。もしGPT-4レベルの計算を、完全に極めて質の高いデータに費やすことができたらと想像してみてほしい。
AlphaGo(囲碁で世界チャンピオンを破った最初のAIシステム)を振り返ることは、それが可能だと考えられる何十年も前に、ここでも役に立つ。
LLMのステップ2に相当するものを開発することは、データの壁を乗り越えるための重要な研究課題である(さらに言えば、最終的には人間レベルの知能を超える鍵となるだろう)。
以上のことから、データの制約は、今後数年間のAIの進歩を予測する際に、どちらに転んでも大きな誤差をもたらすと考えられる。LLMはまだインターネットと同じくらい大きな存在かもしれないが、本当にクレイジーなAGIには到達できないだろう)。しかし、私は、研究所がそれを解読し、そうすることでスケーリングカーブが維持されるだけでなく、モデルの能力が飛躍的に向上する可能性があると推測するのは妥当だと思う。
余談だが、このことは、今後数年間は現在よりも研究室間のばらつきが大きくなることを意味する。最近まで、最先端の技術は公表されていたため、基本的に誰もが同じことをやっていた。(レシピが公開されていたため、新参者やオープンソースのプロジェクトはフロンティアと容易に競合できた)。現在では、主要なアルゴリズムのアイデアはますます専有されつつある。今はフロンティアにいるように見えるラボでも、他のラボがブレークスルーを起こして先を急ぐ間に、データの壁にはまってしまうかもしれない。そして、オープンソースは競争するのがより難しくなるだろう。それは確かに物事を面白くするだろう。(そして、ある研究室がそれを解明すれば、そのブレークスルーはAGIへの鍵となり、超知能への鍵となる。)
続き I.GPT-4からAGIへ:OOMを数える(7) https://anond.hatelabo.jp/20240605210017