はてなキーワード: 電子書籍とは
当社の電子書籍市場調査報告書によると、予測期間中の年平均成長率は約2.4%で、2036年には約200億米ドルの規模に達すると予測されている。さらに、電子書籍市場規模は、2024年には低い成長率になると予想されています。しかし、当社のアナリストは、電子書籍市場は2023年に176億ドルに達すると予測している。
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この需要を重要なものにしているのは、特に生活の変化や技術の進歩の中で、簡単にアクセスでき、持ち運びができる読書の選択肢に対するニーズである。消費者は品質、価値、環境への対応を求めており、電子書籍はこれらすべてを提供し、従来の印刷された書籍の良い解決策となっている。したがって、電子書籍市場の成長トレンドは、世界でも日本でも最高レベルで継続する用意がある。
アジア太平洋市場は、市場で最も収益性が高く、やりがいのある機会を提供すると予想される。この地域は、デジタル インフラストラクチャの急速な拡大、識字率の向上、スマートフォンの人気の高まりにより、電子書籍の市場普及に大幅な潜在力を持っています。アジア太平洋地域は2036年までに市場の約29%以上を占めるようになる。同地域は、デジタルインフラの急速な拡大、識字率の向上、スマートフォンの普及により、電子書籍リーダー市場への参入に大きな可能性を秘めている。2023年、デジタルQOL指数によると、韓国は1点満点中0.96点を獲得し、アジア太平洋地域の電子機器市場で第1位となる。
当社は、電子書籍市場に関連するさまざまなセグメントにおける需要と機会を説明する調査を実施しました。当社は、カテゴリ別および垂直別ごとに市場を分割しました。
世界の電子書籍市場はカテゴリに基づいて、無料電子書籍、有料電子書籍に分割されています。これらのセグメントのうち、無料電子書籍セグメントは市場で重要な地位を占めており、2036 年までに市場総収益に最大 67% の貢献を果たします。無料の電子書籍は、読者に膨大なコンテンツのライブラリへの無料アクセスを提供し、電子書籍市場の重要な成長ドライバーです。
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先に電子書籍買ってしまったらそこで統一する方が管理が楽なんだよね……
エロ本とかだったらFANZAに分けたりするかもしれないけどamazonからhontoやらbookwalkerに分ける意味がなー
Amazonが電子書籍を持ち込もうと言う時に、紙媒体の絶対的優位性を信じて電子書籍を馬鹿にして対策をろくに取らず、結果kindleに市場を全部持っていかれたのは出版社の責任なんだよなぁ。
情報漏洩の可能性をずっと指摘されているのに、連絡手段としてLINEを使い続けて国内で仕組みが完結しているSMSすら使わないのは地方自治体や国の責任なんだよなぁ。
他の業界は知らんけど、大体どこだって似たようなもんだろ。IT業界に責任なすりつけるな。まずは発注側が危機感を持て。IT業界は所詮御用聞きなんだから、まずは発注側が意識改革しろ。
それもかなり良い身なりした爺さん婆さんホームレスが多いんだわ
(お出かけ・仕事じゃないので身なり気にしないモードになってる時のワイくんよりも、よほど身なりが良い)
なんだろうな?良い身なりが出来るような人がホームレスに落ちる事案が増えているってこと?
それとも最近は寄付で良い物寄付してくれる人が多いから、ホームレスでも身なりが良いってこと?
ただ、完全に自律神経は壊れていて、暑いのにダウン着てたりする人もするんだよなぁ・・・
ハウジングファースやっている団体やらに寄付する以外に、今のワイにできることって何かあるのかしらね?
まぁ、単純に金がないだけで無く、さまざまな原因が重なって目の前の結果があるわけで、
その激重な原因を、ワイのクソ雑魚メンタル&不器用さで受け止めたり、いい感じで割り切りつつ支援の手続きしたりが出来る気が微塵もしないので、
太古の昔から言われているように、自分自身が財を成して他者に余裕で援助が出来るようになるか、希少性のあるスキルや資格(例えば弁護士とか)を持つほかないのだろうけど、
何か自分に出来ることはないかな?と思いながら、何もできずに死にたくはないなぁ・・・(まぁそれ以前に自分の老後と老いた親の安泰の確保なんだが)
でも手元に無限のお金があったら、手当たり次第ホームレスに100万あげて、家借りて、メンタルクリニックに繋げるしてぇなって妄想するよね
それだけじゃ全員の解決はしないだろうけど、10人に1〜3人位は、これでなんとかなったりしないかなって思う
あと、重たい障がいがある家族がいる人に休息の支援と、重たい障がいのある人のQoLをあげたり、選択肢を広げたりもやりたい
点字図書の寄付とか以外に、ITでなんとかできたりしないかな?それこそ電子書籍の音読とかさ。アクセシブルライブラリーとか素敵よね
特別好きでも得意でもないITで頑張って技術支援するのと、希少性のあるスキルや資格(例えば弁護士とか)習得して支援するのどっちが良いのかなぁ・・・
まぁ老後考えたら両方やれなんだろうな
前述のとおり、公式でレーベル一覧をまとめている組織であるならまだいいのですが、
そうでない場合、いかにそのレーベルの作品数が一番多そうなサイトを見つけたとしても、また実際数自体は最大であったとしても
それをそのレーベルに関する漏れの無い目録として活用することはできないということなんでしょうね。
その数最大のサイトにはなくて、そうでないサイトで売られてる作品があるということがあり得るのでしょうから。
(これに対して読者側から行える抜本的な方法論があればよいわけだが、そもそも電子書籍のプラットフォーム自体、ラブコスメみたいな自社レーベルだけ取り扱ってるようなところを除外したとしても、「これですべてを列挙した」と判定することは難しい)
しかし、古い漫画ならまだしも、電子書籍流通が確立されてからの、紙と電子がセットで発売されるようなレーベル(=雑誌掲載)の作品でも、著者の口出しに左右されるんですね?
漫画家が出版社と契約した時点で、電子化も拒否できない契約内容になっているものかと思ってました。
(その方が、それこそいちいち新作のたびに著者にどのサイトならいいかとかお伺い立てるような手間がいらず、プログラムで自動化された流れでレーベルに登録した漫画を一括で統一的に電子の販路に流せていろいろ管理も楽でしょうし。)
マンガmeeというレーベルについて、シーモアとbookliveで作品数が違っています。
シーモアは162件なのに対して、bookliveは160件です。
https://www.cmoa.jp/magazine/10555/
https://booklive.jp/search/keyword/k_ids/12687
また、このようなことが起こるのはなぜなのでしょうか?
出版と小売の関係における仕組みを考えると、ある出版社があるレーベルを持っていて、そのレーベルの作品をある小売、すなわちこの場合電子書籍と提携して売ろうとするとき、「レーベルを売りに出す」のだから、そのレーベルに属する作品全てがその小売先で売り出されることになると思います。
ということは逆にいえば、ある電子書籍サイトである作品を見つけたとき、それがあるレーベルのものだったならば、その電子書籍サイトではそのレーベルの作品は(特に在庫の概念がないので)全て置いてあるはず、と推論されるはずです。
つまりそのレーベルを扱っている電子書籍サイトという条件であればどこであっても、そのレーベルについて同じ作品数を保有していることになる、サイトによるそのレーベルに対する微妙なラインナップの違い、漏れがあるおそれを心配する必要がない、ということになるはずです。
しかし事実として、上記のように、同じレーベルなのに作品数に違いが生じています。
一部の電子書籍サイトだけ見て、「このレーベルの作品はこれで全てだ」と思い込んでしまうと、それが誤りであるという可能性があるわけです(今回の場合、162件ですら全てではなく、他のサイトではもっと多くの作品数がある可能性があるということ)。
今回は集英社という大手のレーベルということなので、そのレーベルの作品を一つ漏らさず知って吟味したうえで読む作品を決めたいという場合でも、公式サイトを見れば漏れなく知ることができる可能性もあります。
しかし電子書籍サイトにレーベルを出しているようなところには、果たして法人格を持っているかも謎で、公式サイトも当然ないみたいな組織もあります。
このような場合も考慮すると、特定のレーベルの作品がサイトによってあったりなかったりするのは困ります。このようなことが起こるのは素人のイメージとしてですが出版と小売間の構造上、一見不可解です。
まともな本棚を置けない。絵を飾るスペースがない。靴はひとり数足しか保管場所がない。
大きな冷蔵庫を置けないのでヨーロッパや東南アジアの珍味を貯めておけない。
ホームベーカリーを置けない。ピアノを置く場所がない。食器が一家で20枚もない。
子供が学校で作った紙粘土の鳩を飾れない。五月人形やひな人形を飾れない。
結婚式で作ったドライフラワーはクローゼットの奥にしか置き場がない。
ダブルベッドを2つ置ける部屋がない。もう使わないゴルフバッグを念のため置いておける物置部屋がない。
狭すぎて子供を作れない。それでも仕事のために東京にしがみついている。
生殖を制限してまで働いているという意味で、本当の社畜だと思う。
弟夫婦が練馬区に住んでおり上に書いた状況だった。心底気の毒だと思う。
プライベートのかなりの時間は自宅で過ごすのだから、家を文化的にすべきだ。
俺は人口30万人の地方都市に住んでいる。上に書いた程度のことはすべて実現できている。
しかし美術館や博物館は何回も通って飽きた。お気に入りの画集を家に置けば十分だ。
飲食店は多いが、どこもすし詰め状態で居心地が悪い。高い金を払って不健康なものを食べたくもない。
図書館の数や取り寄せサービスは素晴らしいが、借り出し・返却の時間が勿体ないのでネットで買えばいい。
文化都市・東京にあって粗末な家に住む方々は本当に不思議な存在だ。家の中と外とで文化水準が大きく異なることに疑問を抱かないのだろうか。
俺が思う最適解は、東京・名古屋・大阪あたりに本社を持つ大企業の、地方の事業所周辺に住むことだ。
俺が勤務する事業所は3000人以上働いている。近所には大手電機メーカーの1万人近い事業所もある。
こうした町は企業城下町の様相を呈しており生活には困らない。しかも家が広くて安い。
共感するコメント、共感しないコメントを予想外に多く頂けて嬉しい。
共感しない旨のコメントに多いのは、モノを家に集めることは文化ではないという趣旨。
しかし文化は基本的に媒体としてモノを必要としていることを認識してほしい。
二、三例示すると、
たとえば節分の豆まきには鬼の仮面、大豆、大豆をまけるスペース、掃除道具が必要だ。これらのモノ無しに「鬼は外、福は内」を口誦するだけの風習ならとうの昔に途絶えていると思う。現に口誦するだけの文化が身の回りにどれだけあるだろうか? そうした文化は歌くらいだ。
次に、小説などの文学作品は雑誌に掲載されても単行本や文庫にならない。芥川賞を受賞した作家でさえ、そのほとんどは、半分以上が雑誌掲載のみで終わる。その雑誌が電子書籍で出ていなければKindleで読むことは出来ない。ましてや詩歌は99%は雑誌掲載のみ。Kindleで閲覧できる文学作品は実はごくわずかでしかない。
最後に、美術に触れる経験を子供に与えるには画集のように家に置けるモノがあると都合がよい。いきなり美術館へ連れて行っても高い確率でほぼ全部素通り、帰りの外食の方をよほど楽しみにしている。画集が家にあれば日頃から絵画というものの存在を認識するし、すごく暇なときに開いて読んでいることも稀にある。大人が楽しむにも、プロの解説付きの画集は何度も読み返して理解を深めることができる。
以上のように、個人として文化を深く楽しむにはモノが必要だし、それを子供に伝えるにもモノが必要。モノがいつでも目の前にある、手で触れることができる環境は文化への距離を縮めてくれている。だから私は家にモノを置きたい。
書籍を発売日に買うってどういうことか。電子書籍なら発売日にストアにて購入。紙ならば予約もしくは発売日に書店にて購入する。
地方では「発売日に書店で購入」はまずないな。本は発売日に本屋に並ばないもんだ。
客が“ちょっと気になった商品”を買うのにそこまで労力を割かせないと実績にならない業界って馬鹿みたいだな。
読書好きだからと言って毎日新刊をチェックするわけじゃない。リアル店舗はそんなに気軽に行ける場所にはない。
そんな客をふるい落としてまだ出版業界が成り立ってることの方が不思議だ。
出版社とか流通とか作家とかとりあえず書籍生産者全般、本はどういう人間がいつどこでどういうふうに買って何が購入の決め手になるのか知らないんじゃないかな。
電子書籍で18禁出してるオリジナル女向け作家は多いので、紙の18禁商業女性向けエロ本が普及しないのはひとえに出版社の都合だわな
人気作家が18禁で出しても別に大半の腐女子は文句言わず18禁コーナーに買いに行くと思うよ
ただでさえニッチな世界なのに更に細分化なんかしてられないだけじゃない
売れるBLは単行本が100万部売れたりもするけど雑誌の売上はショボい
「窮鼠はチーズの夢を見る」の1巻が出た2006年はちんこが簡易ではあるが描かれアナルのシワもあったが
2020年に実写化し新規が入ってくる時期になったら重版分からちんこはシルエットになりアナルは消滅した
電子書籍は2020年より前に買った人でもサイレント修正された
別にちんこいらない派だけど、ちんこにこだわり持って描いてる作者もいるからこだわりをそのままみたい人もいるんじゃない
窮鼠~はこだわってないちんこだったけど
これ→ - (半角ハイフン)を行頭に使うと箇条書き出来るよ。だからなんだ?という話でもないが
例
言いたいことがいくつかまとまりとしてあるので箇条書きの形式でまとめる。
・たとえば乙女ゲーにどっぷりだったりZEROSUM読んだりしてるような分かりやすいオタクが週刊女性とかワイドショーとか見てると思うだろうか?
むしろ彼女らは世間に疎いと言われるぐらいにはそういう井戸端会議のネタになるような、市井の地に足のついた、言い換えれば「夢が微塵もない現実的な情報」は積極的に拒絶してる感じするが。ピーターパン症候群も持ってそうだし。
(むしろそういう二次元系のオタクってピーターパン症候群的な童心が残ってることがそれになってしまう必要条件で、レディコミの生々しい内容を好める成熟した大人とは対極の存在に思える)
・琥珀の夢で酔いましょうが電子書籍サイトでレディコミに分類されているのがなんだうと思った。
「メシヌマ」よりはよほど男でも楽しめる余地ある青年マンガっぽい中身に感じるのだが、なにをもってレディコミなのか
(rentaやbookliveではレディースコミックや女性漫画に括られていて、シーモアやめちゃコミでは少女漫画に括られているので、全会一致というわけでもないが)
・フィーヤンはレディコミといわないという主張があって気になったんだが文句なしのレディコミってどんな作品だろうね。グランマの憂鬱とか認知症になった魔法使いみたいな、おばあさんが主人公の作品はほぼレディコミで確定かね。傘寿まりこは少女漫画と出版社側が言ってるが。
・レディコミには「男が容姿に対して可愛いと思うようなキャラが出てこない」というのが最低条件としてあるんだろうか?
たとえば乙女ゲーで例はひと昔古くて申し訳ないが薄桜鬼やうたのプリンスさまにはヒロインが可愛いという理由で男がヒロインだけ目当てでそういう乙女ゲープレイしてる事例はあった。
しかしレディコミだとキャラが可愛くて男のファンがつく、みたいな魅力がキャラにある作品は(ほぼ)皆無じゃなかろうか。
性的嗜好を刺激するような不細工さというのでもなく、ほんとうにただだぱっとしない売れ残りの女おばさんという感じ。
それはレディコミの定義に関する必要条件みたいなものだからだろうか?またこれにはは意図的に男性をファンから排除しようとする目的もあるのだろうか?
(ほぼ、と書いたのは「アラサー独女シマちゃんのベランダレシピ」)はレディコミならが可愛いヒロインだったから」
・レディコミには今流行りの画風からは外れたひと昔以上前の画風の作品が多い気がする(流行りの絵柄と一致しないのは、逆に画風が流行りにはいままでなかった未来に進んでいるからという場合も想定されるが、そういうわけではなさそう)
とするなら、レディコミを読むのは懐漫を読む感覚を、味わいたい、あるいは懐漫の雰囲気で新作の物語を読みたいからという人も多いのだろうか。
・レディコミや、コアブックスの風刺漫画などが「漫画」という主語で言及される資格を持っている違和感。
たとえばカズオイシグロのようなノーベル賞作家の小説を読む人と、フランス書院のエロラノベ(だけを活字主体の媒体としては)読む人がいたとして、
前者は当然「小説を読むのが好き」というだろうが、後者の人が「小説が好き」とは言わないと思う。
形式的な分類では純文学もエロラノベも確かに「小説」なのだが、あまりにも書き手読み手双方が持つ文化の間では隔たりがある。
そして前者やSFでもミステリーでも大部分はそれを読んでいることに対して、「小説が好き」ということには違和感は感じられないが、エロラノベをもっぱら読んでる人が「小説を好き」といっては、単に媒体だけ共通項の文化圏が他の小説好きの文化圏を侵してるかのような感じになる。
だからこの場合は「小説好き」というのは別に他の「小説らしい小説が好きなわけではない」ことからも自己認識に遭わないから、「エロラノベが好き」というより狭い括りでの言及の仕方になるんじゃないかと思う。
同じことはレディコミ等と他の漫画のあいだの関係にも言えそうで、レディコミはジャンプに比べれば「漫画らしい漫画」というところからかなり遠いところにあるものだと思う。
夢を見せる漫画や不条理をみせるにしてもドラマティックな展開があるのが漫画の多数派ななかで、レディコミは読者投稿に基づいたりするから淡々と現実を描写するだけになる。夢も希望もない。
作者がpixivもやっていてその作品が熱心なファンの萌え語りの対象になるような漫画と、作者がインスタやっててネット記事のおまけコーナーで中年主婦のリアルを描いてるような漫画では、それを取り巻く文化圏は全く相反して交差することもないと思う。
前者は漫画の代表(求心力の中心)たりえるが、後者は漫画のコマ割りや吹き出しや感情の記号化という形式だけを倣っただけの内容面では全然別物を描いてるのにその分類に対して間借りしているだけに見える。
まさに、学習漫画や進研ゼミの販促漫画を読むのが好きだった人が「漫画好き」にあてはまるのかなあ?と同じような感じ。それに対する態度も文化も典型的な漫画好きとは全然異なっていると思う。
あるいは「絵」とは形式を抽象すれば「色の違いによって平面に表現する」ことで、この点で油絵の風景画かラノベイラストレーターも絵描きで、作られたものは絵なのだけども
そこで「絵が見るのが好き」というとき、前者と後者を両方同時に内包し得るのかなあと。両者はその供給も需要もひっくるめて生い立ちの時点で全く異なる文化圏にいるもの同士だろう(もちろん美大出の漫画家レーターもいるっちゃいて前者の文化にもなじんでる人もいるだろうがむしろ例外的)。
そういう意味で、レディコミを読んでる人に向けての「漫画好き」と、少女漫画を読む人に向けての「漫画好き」(あえてレディコミを漫画という総称的用語で言及してよいのならだが)は、言葉が同じというだけで実質別物の意味合いと捉えた方が自然じゃなかろうかと。
・大人にとっては「向け」などないようなものなのに、漫画に対して出版社がいちいち手間かけて性別の年齢で分類するのはなぜか考えたが、まさに子供のためなのだろうと思った。
つまり「少女漫画」は子供の女から読めるが、男の子にはわない。「ヤングレディース」は高校生とか大学生じゃないと楽しめない確率が割とあるし、これまた男の子やその高校生大学生は楽しめない。
そして「レディコミ」は大人になってからじゃないと楽しめないが、逆に大人からみれば少年漫画も青年マンガもルポ漫画も楽しめるという具合。
だからこそ大人の視点でみるとこういう分類ってなんの意味があるんだろうと思えてしまうことがあるが、視点を切り替えればいいのだった。
「子供にとって自分に合うものを探すには便利な目安」なのだと思った。ラノベという分類の定義はほんとうにあってないようなものだが。
続き買ってる?
忙しい時期が続いたりすると、いつのまにか買っていた漫画の続きが出ていたりする
それが1〜2巻くらいなら普通に買うのだが、たまに5〜10巻くらい差が開いている時がある
それくらい離されていると数千円はかかるし、何よりその値段の分楽しめるかが不安になってしまうのだ
それらを買うくらいなら、読んだことがなくまだ追いつけている、あるいは新規の漫画を買った方がお得なのでは……?と思ってしまう
買っていない期間が長いということは、それだけ以前に読んだストーリーも薄れている。読み返すのもちょっと億劫だ。
途中で止まっている漫画を電子書籍アプリのライブラリで見かけるたび、「果たしてそんなうろ覚えな状態で買ってちゃんと値段分楽しめるのか……買わない方がいいんじゃないか……?」という不安と、「せっかくここまで読んでいるのに中途半端に途切れているの気持ち悪いな……なんだかんだ読み返したら再燃するんじゃないか……?」という迷いで葛藤してしまう
そういうの、大抵の人は律儀に買い直すか、それとも諦めるのだろうか
ちなみに何タイトルか上記の状態になってしまっているのが、今1番悩んでいるのは薬屋のひとりごと(ガンガン版)である。
ちょうど数年前、アニメ化範囲の7巻まで買っていたので、アニメ終わったら買おうと思っていたらなんか絵の人が脱税で起訴された。
はてなーは「電子書籍が出れば紙書籍が売れなくなるのは当然の流れ」というノリで生成AIとイラストレーターのことを語ってるけど、実際のところは「漫画村で読めるから単行本は買わない」というノリに近いのが今の生成AIの現状なんですよ。
ここら辺は漫画家の中でも理解できていない人がいて、森川ジョージさんが正にそれで同業者からフルボッコにされている真っ最中なんだけどね。
還暦近い方なので仕方ないところではあるんだけど、漫画家協会の理事やってるから面倒なんだよなぁ、マジで。
それはともかく、画像生成AIは数億のイラストを元にして絵を生み出してるんだけど、その元となったイラストはほぼ全部無断転載で、中には児童ポルノ画像まで入ってるのまで有って問題になっているんですよ。
なので欧米では法で規制しようかという話も当然のように出ているわけです。
将棋AIはAI同士で対局を繰り返してその棋譜を元に強くなるんだけど、画像生成AIは現状はどうしても人間が描いたイラストを元にせざるを得ないので問題を孕みまくっているんですよね。
クリーンなデータセットを元に学習すれば良いんだけど、そのようなイラストは現状だと著作権切れの古いイラストしかないんじゃないかな?
そんな面倒なことをせず、Pixivというジャップが大量に良いイラストを纏めてくれてるからクロールしてぶっこ抜いて使おうぜ、というのが今の画像生成AIの現状だと思う。
それでも身内だけで使ったり、自分の画力向上のための添削ツールとして使ったりするくらいならまだ理解できるんだけど…
現状だと「才能ないし努力もしたくないけど、SNSで漫画やイラストでチヤホヤされてるインフルエンサーが羨ましくて仕方が無い! でも自分では努力したくないでござる!」というクズが画像生成AIで勝ち誇ったり、勝手に嫉んだ漫画家やイラストレーターに似た画風の画像を出力して誹謗中傷に使ってるから問題になっているんだよ。
先月までアニメやってた「即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。」の主人公のクラスメイトが他人から貰ったチートでイキってたけど、正にあんな感じのクズが量産されてるんだよね。(「即死チート」の作者は人間の愚かさというものがよくわかってらっしゃる。)
そして最近だと更に先鋭化してAIを使ってるに違いない、とAI警察化して勝手に認定して冤罪発生させまくりなんだよなぁ。
イラストレーターが潔白証明しても耳を貸さないし、懲りないし、本当にクズなんだわ…
とにかく、功罪のうち、罪の方が大きすぎるのでイラストレーターや漫画家はピリピリしてるんですよ。
はてなーの中には「Winny本体が悪いんじゃなくて、悪用するユーザーが悪いんだ!」という人が居るかもしれないけど、今の画像生成AIは「違法画像を大量に同梱したWinnyを配布している」状態なんですよ。
さっさと法規制して欲しいものだけど、日本でそれ関係の国会議員である赤松健氏はこの件に関しては動くことは期待できないと思うんだ…
AIが擬人化して開発者である主人公とラブコメする作品を描いた人なんだよ?
最新作の「UQ HOLDER!」では人類の進歩を全肯定し、そのために血を流しながら前に進むような漫画を描いた人だよ?
https://anond.hatelabo.jp/20240401122022
その2で終わりです。
この巻では、太助とシャオに試練が降りかかる。太助はなんとか突破するのだが、ここでシャオが恋愛感情について○△◇~といった事情で、とてつもない壁があることを思い知る。
でも、シャオも止まってばかりじゃなくて、恋愛感情の生まれかけみたいな想いと向き合って、自分をちょっとずつ変えていこうとする。
⑥シャオリンが新春カルタ取りで一番になれなかった後、山野辺と帰る時のシーン
「あーあちょっと残念だったです」
「ん?」
「なんか叶えてほしい願いでもあんのか?」
「願いっていうかね 神様に許してほしいんです」
「?」
「太助様が言ってました 俺に頼れって… だけどね… …不安なの 本当に太助様に頼っていいのかわからないから… 本当に私… 変わっていっていいのかわからないから… 神様に聞いても答えてくれないでしょ だからカルタ大会で一番になって 許してほしいなって思ったんです」
(あちゃ――ウソついてまずかったかな――なんか罪悪感 でも…ま……いっか)
「神様は許してるよ シャオは 七梨に頼っていいし変わっていっていいんだ あたしがさっき願っといたからさ シャオの願いが叶いますようにって そんでもって あたしってばカルタ大会で一番になったことなんて 数えきれないほどあるんだぜ!!」
「翔子さん…」
(――ありがとう…)
シャオは素直である。山野辺の「新春カルタで一番になったら願いが叶う」という嘘を信じて、神社でのカルタ取りに挑戦する。
このあたりから、シャオが気になってしょうがなかった。果たしてシャオの心を変えることはできるんだろうか? 実は、そのあたりの伏線は登場している。その原因についての。
もし俺が15才とかだったら、すっかりシャオが大橙好きになっていたと思う。今は40代のおじさんだから、素直に好感が持てるとか、そんな月並みな印象でしかないのだが。いずれにしても、実弟がドはまりした理由がこれでわかった。
この『まもって守護月天!』というのは、絵柄の綺麗さもあるけれども、なにより男女に共感される形で登場人物のリアルな感情の動きがわかったり、それを具体的な行動に落とすところとか、そういう所作がハイレベルである。
現代漫画だと、『鬼滅の刃』とか『恋は雨上がりのように』とか『Vivy』とか『僕の心のヤバイやつ』とか、そういう畢生の作に連なるものがある。
バレンタインデーが舞台だ。リアル増田は、2/14頃にこの日記の初稿に取りかかっている。
え、俺がもらったチョコレート? ……会社の若い子からひとつもらえたよ。事務のおばさんからもひとつ。義理チョコだけどな。
ああ、あとは妻からもチョコレートをもらえたよ。義理チョコだけどな。
⑦-1ひと悶着ありつつも、河川敷でシャオが太助にチョコを渡した後のシーン
「翔子さんに教えてもらいました今日はバレンタインデーっていう日だって…」
「そ…そう」
「太助様」
「ハ…ハイ!!」
「気持ちって なんですか?」
(へ………?)
「バレンタインデーにチョコと一緒に伝える気持ちってなんですか?」
「……………」
「気持ちを伝えたい人はいっぱいいちゃダメなの? 一人だけに伝えるの?どうして一人だけなの? 伝えるのどうなるの? 翔子さんに教えてもらったこととか 私の気持ちとか…考えたらよくわからなくなっちゃって… …でもね そのチョコ買ってここに来るまで なんだかそわそわしちゃいました …えっと 太助様 そのチョコ受け取ってもらえますか? まだ気持ちは伝えられないけど…」
「もちろん!」
⑦-2キリュウに不敵な内容の試練をメモ書きで要求し、突破した後のシーン
「…………」
「約束だ なんでこんなもの[※メモ]を私に渡したか教えてくれ」
「自分で望まなきゃ 試練にならないと思ったんだよ そうでなきゃ与えられた辛いことに耐えてるだけで 越えられないだろ もったいないじゃん せっかく成長できるチャンスなのに いやいや受けてるよりは 試練とだって仲良くした方が効果あると思わないか?」
「…ああ そうかもな…」
キリュウというのは、この7巻からの新キャラである。万難地天という、主人に試練を与えるキャラクターである。物理的にモノを巨大にできる。やはり、この時代のラブコメは暴力性が強い。ジョジョ5部に出てくるホルマジオの「リトル・フィート」を思い出した。あっちは小さくするんだっけ。
上記の場面で太助は、この試練を利用して力をつけ、シャオとの心の距離を埋めて一緒になることを意図している。
文学性とでも言おうか。レベルが高い漫画って、文学みたいだよな。
『百年の孤独』とか『ライ麦畑でつかまえて』とか『わたしを離さないで』みたいなガッツリしたやつじゃないにしても、キャラと行動が嚙み合っていて、しっくりときて、心にスッと入ってきて、それで自然と涙が出てくる。そんなやつである。
この巻あたりから、シャオ自身が太助に近づこうとしてアプローチをがんばる場面が出てくる。あくまで俺の考え方だが、恋愛って、基本は男性→女性にいくものだ。恋愛に必要なステップが10あったとすると、そのうち9くらいは男性が引っ張っていく必要がある。
ラブコメ作品では、現実世界よりはるかに――女性が恋愛に積極的である。現実にいたとしたら痴女か恋愛ハンターである。そんなレベルの恋愛Junky。
しかし、シャオリンの場合は、奥ゆかしさがあるというか。最初のきっかけはシャオが作ることもあるけど、最後は太助がバッチリ決めようとする。空振りになることも多いが笑
⑧-1その年の梅雨最初に振った雨が止むまでに誰とも話さなかった二人は……夏に幸せになれるという山野辺の嘘を真に受けたシャオリンが太助と一緒に路上を走っているところ
(――ねぇ翔子さん 私… わがままなのかな ずっと雨止まないでほしいなって 思っちゃうの)
⑧-2太助と一緒に登山中、遭難して夜になり山林で小休止しているシーン
「…俺 もうちょっとまわり見てくるから シャオはそこで待ってな」
「――え… ――太助様… ねぇ離珠 太助様怒っちゃったかな …私守護月天なのに 支天輪忘れてきたなんて言ったから[※太助に嘘をついた] 役立たずだ………って 思われちゃったかな………」
シャオは、太助に近づこうとしている。不安げな気持ちが読者に伝わってくる。自分の気持ちに向き合おうとする姿が印象的だった。ピュアと言うほかないのだが、大人になって忘れていた感情を思い出した。
ただ、やはり非現実的な描写が目立つ気がする。この回では、乎一郎が山中の樹木の上に夜中じゅう放置されて終わりという、トンデモエンドを迎えてしまう。しかも、ルーアンが気が付いたのは次の日の朝という……。
太助の家族の話だ。本来は4人家族で、一緒の家に住んでいるはずなのだが、みな海外に旅に出ている。普段、家には中学2年生の太助しかいない。ラブコメ的な都合にしてもちょっとひどい。
この巻では、太助の母であるさゆりが出てくる。実は、太助が赤子の時に旅に出ているため、彼からすると他人状態である。
実際、太助もそんな人間を母と認めるような甘いことはせず、放置気味にさゆりを突き放すのだが、とはいえ母親が恋しい感情もある。そんな葛藤を描いた巻である。
⑨太助が放置親への感情を整理した後、シャオがその手を握りしめた直後のシーン
「え…?」
(私が ここに来たのは あなたの中にある孤独や寂しさが 私にはよくわかったから あなたのその気持ちが 言葉じゃなく 私の心に 届いたから ――ねえ太助様 大切なのは 話すことじゃなくて お母さんのことを知りたいと思えたその気持ち そのことにどうか気づいてほしいの)
実の母親は実弟ばかり可愛がっていた……まあしょうがない。俺は、小学生の頃から警察に補導されてばかりだった。母親が、俺を損切りして弟をかわいがるのは当然だったかもしれない。
大学生になっても、京都の祇園や木屋町とかの飲み屋街で暴力沙汰を起こして、何度もパトカーに乗せられたよ。俺はそっち側の人間だった。母の判断は正しかったのだ。
ただ、かくいう俺も実弟がかわいいとは思っていた。ドジだったけど、優しい気質だった。将来どんな人間になるのか楽しみだった。事故で死んでいなければ、まともな社会人になっていたと思う。「家栽の人」になっていたかもしれない。
これを含めてあと2巻である。
この巻はキリュウが主役だ。7巻から出てきたキリュウだが、俺はこの子が気に入った。シャイキャラで、芯が強いみたいな感じだ。この作品についてはググらないと決めていたのに、この子についてはググってしまった。キャラ人気では相当上位らしい。
第9巻の冒頭にあった人気投票でも、主人公である太助が5位で、キリュウは2位だった。シャオリンが1位を獲得。
⑩キリュウが太助の姉との関係性の悩み(※嫌われるのが当然なのになぜか好かれる)をルーアンに相談するシーン
「ルーアン殿は自分が変わっていくことについてどう思う シャオ殿が言ってた ここは昔と違うことが多くて自分を変えなきゃいけない シャオ殿は自分を変えたいと思ってる でも変わるのは怖いと言ってた」
「……………」
「ルーアン殿は変わったな こうやって私の愚痴を聞いている ルーアン殿は変わるのは怖くないのか?」
「変わるって何? あたしは変わってないわよ 変わるってなんだと思ってるの? 何か今まで気付かなかったことに気付くこと? あたしはここに来ていろんなことに気付いたけど 変わったなんて思わないわよ? 変わったんじゃなくて… 知る暇もなかった知らないことに 気づける余裕が出来ただけ」
「……………」
(ルーアン殿の言う通り 「変わること」が「気付くこと」なら 私はもう気付いてる ここには今まで感じたことのない 優しさがあって安らぎがあって 悲しくなる程の幸せがある でも…だから私は そのことに気付かない振りをしてるのに…)
この巻では、登場人物それぞれの悩みをガッツリ表現している。キリュウは、「ご主人に試練を与える」という性質上、主やその家族に必然嫌われることになる。ずっとそうだったのだが、ここは現代社会である。昔に比べると価値観が相当異なる。そんな中で、彼女らも『気付いて』変わっていかないといけない、というのが上記の会話のテーマである。
キリュウは、幸せになることを受け入れたくない、変わりたくないと思っている。だが、ラストでそれに向き合おうという気持ちに変化している。
キャラの心情を精緻に描いている作品は少ない。物語作ってるプロの人ってさ、やっぱりこれくらい悩むものなのだろうか。自分の分身であるキャラそれぞれの心持ちについて、本気で考えてるんだろうな。きっと。
この巻で終わりである。実は当初、全11巻で一応の完結が見られると思っていた。そんなことはぜんぜんなかった。
この巻では、10巻からの一連の流れで、キリュウがこれまでと趣向を変えた試練を太助に与えている。シャオが○○して、これはもうダメかも……と思わされるのだが、太助がその試練を乗り越えて、シャオと対話をして、心で向き合うことができて、今後にご期待ください~といった具合で11巻は終わる。
どこかを引用しようと思ったが、やめておこう。もしかしたら、まもって守護月天!が大事な思い出になっている増田読者の方で、電子書籍で読んでみたいという人がいるかもしれない。うん、きっとそれがいい。
代わりに、カバー裏にあった桜野みねね先生によるおまけコーナーを紹介したい。
巻の⑪です――。
ここらでここに描くものもちょっと変えたいなーってことで今回は、
前回までやってた「のたもーた」とかは、まだやってないキャラもいるので、そのうちまたやろうかな、と思っているわけなのです。
ではまた12巻で~~。 みねね
これで最後だ。
弟なんだけどさ、交通事故で病院に入ってからは大変だった。自転車で走っている最中、真後ろからトラックにぶつけられたのだ。それで轢かれたらしい。外傷だけじゃなく内臓もやられていた。苦しんでいる姿がストレートに目に入ってきた。
それでも、お見舞いに行く度に、病室には守護月天の漫画が置いてあってさ。何度も繰り返し読んでたんだろうなって。
今、俺が手に取っているのはまさにそれである。本自体、相当なダメージを受けている。何回読み返したんだろう。弟は、セリフの細かい字面とか、…の数も気にして読むタイプの人間だった。漢字で書ける台詞がひらがなになってるとかも。
ただ、何度繰り返し読んだとしても、この作品であれば楽しめたのではないか。
桜野みねね 様
幣日記をご覧になる機会はないとは存じますが、このようなメッセージを失礼いたします。
桜野先生の作品を読ませていただき、家族について考える機会をいただき、感謝でいっぱいです。
実弟も、病院の中で苦しんで逝ったとは思います。でも、弟は先生の作品に出会いました。痛みや苦しみの中でも、僅かばかりの楽しい時間を過ごすことができました。
一人の読者の家族として、重ねて感謝いたします。『まもって守護月天!』という作品を世に産みだしてくださり、誠にありがとうございました。
令和6年3月16日