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はてなキーワード: 祖母とは

2024-05-14

anond:20240514092004

うちの場合、母はずっと正社員で働いてたけど子供2人はネグレクト状態だった。

親1人でフルタイムで働いて家事やって子供2人の面倒も見るとか最初から無理がある。

近所にサポートしてくれる祖父祖母みたいな存在がいる家庭ならともかく。

2024-05-12

anond:20230423104346

その話してんのカッペだけだからよく飽きないなって思ってる

まぁ24/365で男女厨論やってるやつとおなじだと同じだと思いますけどね

地方である自分が如何に恵まれいるか自覚がないのかなぁ・・・

 

東京育ち上級国民、もしくは祖父祖母世代から家持ちで家賃ゼロ団地住みで家賃格安とかでない限り、カッペよりも物知らずなこと多いぞ

家賃がクソ高いから生きるだけで必死から

 

あとカッペはとんでもなく勘違いしてるけど都内通勤圏の千葉埼玉神奈川だってファミリータイプはクソ高いやで

例:

※ 条件は徒歩10分内で築10年内

※ 例は、地価を表すものではなく、単純に今ネット検索したら出てくる空いてる物件家賃。なお、ファミリータイプはすぐ埋まるので、千葉船橋とか築15年↑ でも、30万、16万とかある

※ 築30年↑ でも良ければ、近隣に3DK(55平米くらい)のRC10万以下も有り

 

自分母親は壊れていて、それで小学校入る前から親戚やら近所の人達自分文句を言ってきた。

祖母がきちんと嗜めているにも関わらずの行動なので、祖母には言いにくかったのだろう。

父は仕事柄あまり家におらず、人付き合いがうまくなかったのもあるだろう。

実家にいた頃は壊れた母が当たり前で、父のように人付き合いが苦手な自分はいじめられてもひとりぼっちでも当然だと思っていた。あの頃はそれについて疑問を思ったことはない。

実家を離れしばらくたった。最近、母関連で悩まされる事がある。昔のように対応を求められる。たったひとりの母親でしょう、と。

それから母親を滅多刺しにする夢をたびたびみるようになった。

2024-05-11

anond:20240511214035

日本人が今の中国人みたいな下品なことをワイらの祖父祖母時代にさんざんやってた歴史ネットに出てこないんだよなあ

親は優雅な(?)生活に憧れていてそれへの執着が凄い

実家地方都市で平均的な庭付き一戸建て

庭はイングリッシュガーデンみたいになってて土日は母の焼いたケーキ家族みんなで庭で食べる

テーブルもおしゃれなクロスを敷いて、皿やティーカップ等はウェッチウッド/ロイヤルコペンハーゲン/マイセンetcで揃える

家の中の調度品もよく分からないが高そうな皿や絵が飾ってあり、普段ご飯もものすごく豪華

普通にフレンチみたいなご飯特別な日じゃないのに出てくる

友人から漫画の中のヨーロッパ貴族みたいな生活してるねと言われる様な家だった

これだけなら親ガチャ成功と言えるんだけど

執着が強すぎて、私の着る服、習い事部活、筆箱、鉛筆母親意にそぐわないものは一切できないし持たせて貰えなかった。やりたくなくても辞めさせても貰えなかった

ドレスとまでは行かないけど発表会で着るようなフリフリのワンピースか母の作った不格好なワンピースしか許して貰えず、嫌で嫌で仕方がなかったので、祖母にお願いしてイオンジーパントレーナー買って貰った時はヒステリーになり奇声を上げながら祖母と私の前でビリビリに破かれて1週間口を聞いて貰えなかった。

授業参観クラス男の子と話しているのを見られれば家に帰って髪の毛掴んで2階と1階の階段を往復して引き摺られたりもした。

けどこれを誰に話しても信じて貰えず、いい暮らししてるんだからそのくらい我慢しろと言われる。

大人になっても実家には帰ってないので自由にできるが、当時から友達には帰ってあげなよ寂しがってるよいいお母さんじゃん、わがままだよと言われる

彼氏を1度連れて帰った事もあるが、良い親じゃん!そんなに気にする?子供の頃の話だし子供なんて親の好きなようにしてなんぼだよと口論になり別れた。

いくら親であれここまでするのは頭がおかしいと思うがいまだに我慢できなかった自分が悪く、我慢できてたら今でも親といい関係でいれたのではと思うことがある。

2024-05-10

anond:20240510211851

なーなさいのぉ、ときぃー、

パパとマーマがぁー、

離婚してぇー、お祖母ちゃんのぉー、

家でぇー、暮らしたぁー

そんなぁー、ボクのぉー、

心のさーさえわぁー、

可愛いぃー、柴犬のぉー、

コロちゃんー、だあったぁー、

母の日の思い出

小学1年生の冬に両親が離婚して、母親に引き取られた。

離婚とともに祖母が1人で住んでいる母親実家引っ越した。

非正規雇用祖母高卒の母では稼ぎが少ないため、当然お小遣いもない。なので母の日お金がかからないプレゼント母の日に渡していた。(田舎だったのでその辺に生えてる綺麗そうな花を集めて花束にしてプレゼントしてた)

引っ越しから数年が経ち、何回目かの母の日を迎えた。普段から仕事で忙しい母を思いやってのことだと思うが、祖母母の日プレゼント用のお小遣いくれた。

近くの駄菓子屋に行って、最近祖母からもらって美味いと思った月餅があったので買った。自分が美味いと思ったものプレゼントすれば喜ぶだろうなと思って母親母の日プレゼントだよという感じで渡したら「祖母が買ってきてもらったものをそのまま渡してるだけだろ、気分が悪い」みたいな感じでキレられた。このとき、2度と母の日プレゼントは渡さないと誓った。

その後、なんやかんやあって自立して実家を出た。母親に会いたくないのであまり地元には近づかないようにしている。

何年先になるか分からないけど、もし死ぬ間際の母親と話すことができたなら、この話とともに育ててくれた感謝の意を込めて月餅を渡してやろうかなと思う。

anond:20240510005703

なんか中身よりもほぼ見た目だけで嫌ってる家族の方がド畜生なだけっていう印象受けるんだが

父はルッキズム全開な祖母とかのせいで歪んだんじゃないすかね、知らんけど

お父上よりも一族郎党が滅んだほうが人類にとって有益なんじゃないか

2024-05-09

から義実家への資金援助を辞めさせたい

妻の義実家は、両親と祖母が3人で賃貸暮らしをしている。

はっきり言って生活に余裕はない、極論祖母が亡くなると年金収入が減るので破綻さえありうると思っている。

義実家子供を連れて行くと、その度におもちゃが増えている。

うちはクリスマス誕生日以外にプレゼントをあげないから、と説明しているが

「これぐらいいいじゃない」といった感じで、トミカトーマスおもちゃがしれっと増えている。

義実家では、妻が滞在中の外食や買い物は基本的に妻が払っている。

それは服とか靴とか、そういう日用品まで基本的にはすべて払っているらしい。

「うちはお金がないから」というが、その支出はうちの家計なんだが?という気持ちがぬぐえない。

爪に火を点すような、食うものに困るような生活をしているのであればわからないではないのだが、

祖母は別として両親は「あればあるだけ使ってしまう」タイプのように思える。

そのお金趣味だったり、酒だったり、化粧品だったり、そして子供へのおもちゃ食事に消えている。

(高いイチゴとかを山ほど買って帰りに持ち帰らせたりする)

買ってあげたい、喜ばせたい、という気持ちはありがたいが、事前に相談もなく、

かつそれを買ってお金がないと言って妻からお金を送っているのは何か違うと思う。

うちの実家は太くはないが、田舎の戸建てでローンは完済しているし、

親共に慎ましい人なので資金面で老後の生活に困ることはない。

何なら多少の遺産は残してくれようとしているらしい(使い切ってくれと言っているが)。

そうなると、妻に「実家資金援助するのはどうなのか」と注意したくても

「お前は実家がそれなりに裕福だからそんなことが言えるんだ」

自分がこれまで育ててもらって、今自分が稼いでいるんだからいいじゃないか

「お前だってそれなりに稼いでいてうちにも貯えがあるのに自分の稼ぎから少し送るのもダメなのか」

と言われそうで、なかなかハッキリと言えない。やんわりと注意するだけだ。

明確に「金をくれ」と言い出したら縁を切るでいいと思うのだが、

現状「一緒にいるときの買い物や外食を出す」「何か大きなものをもらったときに何割かを返す」

くらいなので、ずるずるとそれが続いてしまっている。

貧乏のくせに贅沢すんな、クリスマス誕生日以外何も買うなってどうやったら伝わるのかな...

2024-05-06

紫月ゆかり💜ゆかりーぬ

@shizuki_yukari_

【実話】3つ下の実弟長男)へ

作品にしてしまたからもう一生逃れられないね小学生からの数年間の強姦を大した事ないと思って無かった事にしようとしている家族もお祖母ちゃん幸せだね。公的機関だけでなく、AVにも残せて嬉しいね

これでみんな幸せだね。また俺はレイプをしてしまうかもしれないと思いながらお医者様の卵の彼女と楽しく笑顔暮らしてね♪私に似た可愛い姪っ子が出来ると良いね。 

君が私にしたことは一生消えないよ。

お姉ちゃんより

実の弟に届きますように。お手伝いよろしくお願い致します。

男優さんのおちんぽ気持ち良かったしもうどうでもいいや♥自尊心を削られて執着心を感じられないと落ち着かない狂った性癖女の子になってもう10年だよ♥

#性的虐待 #児童相談所 #毒親

https://twitter.com/shizuki_yukari_/status/1787045296440263143

[] 2024-05-06

今日入院している祖母に会いに行く日だ。入院前はもう呆けて風呂も入らないぐらいひどい状態だったが、入院してからちゃんとしているらしい。

それはそうと、lisppython環境を構築する話だが、結局オートコンプリートはうざいし、使う機能といったらautopep8とisortぐらいなので、以下を.emacsに組み込んだ。

(defun python-autopep8-and-isort ()
  "Run autopep8 and isort on current Python buffer."
  (interactive)
  (when (eq major-mode 'python-mode)
    (shell-command-on-region (point-min) (point-max)
                             "autopep8 - | isort -" nil t)))

(with-eval-after-load 'python
  (define-key python-mode-map (kbd "C-c C-r") 'python-autopep8-and-isort))

.emacsファイルには他にも様々な設定を付与したが、ここではコードを書ききれない。

さてそういうわけで週末コーディング趣味としてちゃん機能することはわかったが、毎週作るとなると、いくつも何かを作るよりは一つのタフなものを作りたいと思うわけである

それで、最有力候補は「Elasticsearchのようなものpython実装する」という話がある。

Elasticsearchが徹底された設定外部化によってjsonを多用するのだが、これがあまり柔軟性がないので、コードを直にいじれるようにしたいと思ったためである

例えば自作日本語トーカナイザを組み込みたいときElasticsearchプラグインJavaで書かなければならない。私はJavaが嫌いであり、プラグインを「インストールする」という手順も冗長に感じる。

それよりはpythonで作られた検索システムに、適当トーカナイズ関数実装して呼び出すことができればかなり柔軟であるように思うわけである

難しい点があるとすれば、大規模分散システムへの対応で、金をかけなければそういうシステムテストすることができない。

できるだけ金をかけずに趣味をやるというのがモットーなので、これではまずいわけである

まあ何事も困難というものはある。まずは手を動かすことが重要だ。Linus Torvaldsも"Talk is cheap, show me the code"と言っているではないか

2024-05-05

いわゆる下方婚してもらった男の話

5年前に結婚。子無し。

増田は35歳、妻は26歳だった。

増田:理学系の博士号持ち。専門を活かした仕事に就いている。年収650万。ずっと国公立大学と院は奨学金で行った。

妻:文系修士卒。日英蘭語が話せる。年収900万。

出会い友達主催しているボドゲサークル

結婚するまで自分普通の稼ぎがあると思っていたが、結婚前にお互いの年収資産額を明らかにしたら、妻の方がより稼いでおり、資産は0が一個多かった。

さら結婚してからは妻の実家の太さに驚嘆すること多し。

 

結婚ときはお祝いで300万、家を買うとなったら1000万、それ以外にも祖母から毎年100万くらい贈与されている。

もらった金はNISAとか投資信託で増やしている。

妻の親戚もこういうのが「当たり前」なので特別なこととは本人も周りも思ってない。

増田実家結婚したときのお祝いは100万、それ以外の支援特になし。不満があるわけではないが、妻の実家と比べると気後れする。

妻にそれを伝えたら「そんなの気にしてたの?周りがやりたくて勝手にやってることだし、もし二人共仕事辞めても10年は暮らせる貯金はあるな〜って思いながら心穏やかに過ごそうよ。」と言われた。

妻の実家は集まりが多い。盆暮れ正月彼岸に〇周忌とか。

すべてに増田が行くわけではないが、顔を出すと妻の親戚の華麗な経歴と直面する。

私大学部卒は低学歴に入る感じだ。修士普通高学歴に入るのは博士からって感じ。(口には出されないが)

頑張って博士号を取って良かったと思う。

妻と二人の時は何も思わないが、妻の親戚と過ごすとぼんやり劣等感を覚える。

妻の希望もあり、子供は今すぐには持つ気はない。妻は女系一族なので婿入りとか養子抵抗がなく、「もし出来なかったとしても、子供が欲しいならもらってもいいんじゃない?」と妻も妻の両親も気軽に言うのでちょっとびっくりする。

そんな感じで増田勝手に気後れしたり劣等感を覚えるだけで楽しくやっています

見合い話を持ち込まれた時の思い出

何十年も前の話。当時、私は19歳。
帰宅すると祖母仏壇の前で泣きながら「どこへもやらん!!」「嫁にはやらん!!」と叫んでいた。
何事かと訳を尋ねると「まだ嫁に行ったらあかん」と泣き叫ぶばかり。
丁度そこへ親が帰ってきて、私に見合い話が来たことと、それが原因で祖母狼狽しているのだと教えてくれた。
その頃の私は生涯非婚を決意しており、それを祖母に伝えたが、なかなか泣き止まずなだめるのに苦労した。

話の種や人生経験として受けても良いかなと思ったりもしたが、最初から断るつもりなのに記念受験か何かのノリで臨むのは相手申し訳ない。
それに断るつもりとはいえ、実際に見合いしようものならば祖母がまた大泣きしそうだった。
親は「受けるも受けないも好きにしたら良い。ただ断るつもりなら気を持たせないうちに返事をした方が良いと思う」という考えだった。
一応、釣り書きには目を通したら?ということで、見せてもらった。
渡された封筒には、高級紙に達筆の釣り書きと、ちゃんとしたスタジオ撮影したと思われる写真が入っていた。
年齢を確認した時「話を持ってきた人の顔も立てないといけないのかなと思っていたけど、安心(?)して断れる」と思った。
と、いうのも相手男性とは30歳近く離れていたからだ。
自分年の差婚自体特に賛否はないが、当時の世間的な考えからすると断りやすかった。
親に「お断りしておいて」と言って、それでもうこの話は終わりと思っていた。

後日、見合い話を持ち込んだ張本人である大工親方が私に謝りに来た。
未成年者だとは知らなかった」
「しっかりしたお顔つきなので、もう何年もお勤めしていらっしゃる方だと思い込んで、先方には良いお年頃の娘さんだと言ってしまった」
などなど、お世辞だか何だかからないことを言っていたが、まあ、正直な人だと思った。
当時、我が家は新しい住まい建築中で、親方はその現場を仕切っていた。
新築現場と自宅は同一敷地内であったため、遠目で私を見かけたことくらいはあっただろう。
「お、嫁き遅れの娘がおるやんか。相手ももう良い年だから丁度ええな!」とでも思ったのかもしれない。
「私、生まれつきの老け顔なんで大丈夫(?)ですよ」と返事しておいた。
ようやくこの騒動も終わって一安心の筈だった。

更に後日、人伝に相手側の話を聞かされた。
見合い話を積極的に募っていた母親は「未成年と知っていたら、お願いしなかった。向こうの娘さんが傷ついていないか心配だ」と仰っていたそうだ。
しきりに恐縮がる母親の隣で息子は「僕は19歳大歓迎だけどなあ」と言ったそうである
この親子に対してよく分からない、もやもやっとしたものが湧いた。
こんなことをわざわざ伝えてくる人にも、同様のものを覚えた。
「向こうは悪気なかったんだよ」と言いたかったのだろうが、私自身は「物好きな人もいるなあ」と驚いただけで別に傷ついた訳ではなかった。
せっかくだからお会いしてみれば良かったのに」と言いたげな口ぶりだったのも嫌だった。

何でこんな話を今頃思い出したのか分からないが、書くだけ書いてみた。
どうでもいい内容だから後で消すかも知れない。
因みに生まれつきの老け顔というのは事実である
おまけに産まれた時から頭髪が黒々と生え揃っていて、初産だった母親はたいそう驚いたそうだ。
そういった新生児はそれほど珍しくはないらしいが、頭部戦線だけでなく全身毛深いのが今も辛い。

女系毒親遺伝

ボケて介護になった祖母についての怨みつらみを地元を離れた私に連絡してくる母

昔は私に「あなたが産まれてきてくれたからあの母親の元を離れることが出来た。私の天使」と自分に言い聞かせるように何度も言っていたのに、今は

「私があの人の介護で体調を崩したらアンタが戻ってきて私の面倒を見なアカンのや。私はいつまでも不幸」と呪いを吐く

私に子供が生まれて、いくらこの不幸を繰り返さないと誓ったところで、いつか発芽する種が私の中にあるんだろうな。

私は子供を生みません。あなたの面倒も見ません。

繰り返される呪詛はここで終わりにします。

それが私の、母への感謝気持ちです。

anond:20230510234029

富山じゃないけど、親が家継げ同居希望から結婚は諦めたな。

母と祖母(嫁姑)のパワーバランスは嫁>姑だったが、この状態だった勝ち気な人のところに嫁を入れたら姑>嫁になって家庭崩壊するのが目に見えてる。

親のそのあたりのストレス子どもに向かうからさら可哀想なのよ。

どこでこの思想差がでるか観察している限りでは、自分の老後に子をあてにしているか否か。

自分は親の面倒をみたので因果応報自分も子から面倒みてもらえると考えている。

長男ってことで面倒みるところまではやるが他人や下の世代にそれは引き継ぎたくないので、私の代はここまで。

2024-05-04

祖父の死から考えたこ

私の祖父は昨年の夏に90歳で亡くなった。田舎農家長男に産まれ兄弟は皆就職結婚を機に家を出るも、長男なので家に残り、生まれた家から一度も引っ越すことはなかった。遂には生家で急に倒れてそのまま亡くなった。

祖父典型的田舎の爺さんだった。一家の長である自分が一番風呂でないと気が済まないし、台所には絶対立たない。祖母家事を全てしていた。祖母入院したときは、娘(私の母)が料理を作り置きしたり、レトルト食品なんかを用意したりしていた。

そんな祖父だが、娘三人は大学短大まで出していた。田舎なので地元大学はなく、娘三人にはそれぞれ一人暮らしをさせた。頭の古い祖父ことなので、「女に学問はいらん」などと言いそうなものだが、そんなことはなかった。

おそらく、祖父子どもの頃に進学したくても進学できなかった悔しさがあったのだと思う。祖父高卒で就農し、しばらくしてから地元町役場に勤めたが、通信制慶応義塾フリースクール(?)のようなものに通っていたらしい。大卒資格はもらえないが、科目履修のようなものだろうか。

祖父から慶応フリースクールに通っていたことを何度も聞かせられた。民法が難しかったと言っていた気がする。特に私が法学部に進学してからは、その話をよくしていた。同じ法学徒同士で嬉しかったのだろうか。

私は特に祖父には可愛がってもらった。私は初めての孫で、しかも男。祖父感覚からしたら嫡孫だろうか。前述の通り、祖父には娘しかいなかったので、長女の夫(私の父)を養子に迎えて家を継がせている。家にこだわる祖父は念願の男児誕生にとても喜んでいたらしい。

私は結婚しているが、現在子どもはいない。妻が子を望んでいないし、私もそこまで子どもに興味が無いからだ。妻が望むなら子作りをしてもいいが、望まないのなら無理にする必要は無いかなくらいに考えている。祖父は毎回会うたびに、子どもを作るなら早い方がいいぞ、と言っていた。私はそのつど適当な返事をしていた。祖父は生きているうちにひ孫が見たかったのだろう。

祖父が亡くなった日、子どもを作らなかったことを初めて猛烈に後悔した。生きてるうちにひ孫の顔を見せてやればよかったと、何度も悔いた。

しかし、祖父四十九日が終わる頃にはその後悔はどこへやら。無理して子どもを作る必要はないか、と元の考えに戻ってしまった。

おそらく私の代でわが家は途絶えるだろう。祖父があれほど大切にしていた家を途絶えさせてしまうのは忍びないが、子どもを作る気が湧かないのだ。

子無しの我々夫婦がどういう老後を迎えるのか、私にはまだ想像がつかない。妻に先立たれたら、私は天涯孤独になるのだろうか。その孤独に私は耐えられるのだろうか。

だが、子どもがいても面倒を見てくれるとも限らない。ましてや、障害を持った子が産まれ場合子ども社会適応出来なかった場合は、私が一生子どもの面倒を見なければいけない。

おそらく、子を持つべきかどうかに正解はないのだろう。だからどういう選択をしても良い。まぁ、だからこそ、一生悩む羽目になるのだが。

2024-04-29

さす九のリアル上京して「お前の地元おかしいよ」と言われるまで〜

「実は、女は台所で美味いものを食べて楽しくやってるんですよ」という話で噴き上がったさす九。

じゃあ、実際はどうだったのか。1人の九州出身者(身体女)の体験談を、列挙していく。

もちろんこれは、単なる個人体験談であり、また実際に以下の事象が起こったという裏付け証拠を出せ!と言われても無理である増田から匿名だし。

ただまぁ、こういうことを経験したと主張する人間が、少なくとも1人存在する。

小学校

テスト

すごく賢い男の子がいた。

私と彼は、競い合っていたわけではないけれど、だいたいテストでいい点を取るのはこの2人だよね、的な空気クラスにはあった。

ある時、別の賢い男の子が転校してきた。

そしてその男の子2人は点数を競うようになっていった。

まり点数を気にしていなかった私も、2人の姿に競争心が刺激されて、点数を稼ぐための勉強をした。

ある時、私が満点で、男の子2人は満点を取れなかったテストがあった。

点数を聞かれて、私は自慢げな気持ちを抑えてテストを見せた。

男の子たちは、私に凄いと褒めてくれた後、とても悔しそうに呟いた。

まさか、女に負けるなんて」

何だか、全部バカバカしくなってしまった。

女の子が産まれたら

私はずっと、父親から「お前が生まれたと聞いた時、駆けつけて『女の子ですよ!』と言われてガクーッと来たんだよなぁ」というのを、ジェスチャー付きで言われつづけてきた。

そして、祖母は「どうして男を産まなかったのか」ということで、ことあるごとに母をネチネチ虐めていた。

そして、従兄弟が産まれたら大騒ぎし、初めての男の子!と色んなプレゼントをし、男の子から!とお金を渡し、やたらに可愛がっていた。

兄弟クズだったしバカだったが、それでも従兄弟の方が可愛がられた。

これで無関心になってくれれば良かったのだが、孫の中で唯一私だけが、ある程度進学校として名の通っている中学校に進んだので、祖母の自慢要員(アクセサリー)兼おさんどん係として、今後も振り回されることになる。ちなみにアクセサリーとして祖母随伴してもお小遣いはもらえない。旨みなどまったくない。

・私の顔

私は、嫌になるほど祖母に似ていた。

外で歩くと、「あら〜増田さん(仮)ちの子でしょ!」と顔を見て言われるほどで、本当に嫌だった。

そして、祖母はおじ(父の兄弟)と似ており、私はおじの子だと間違われることがかなりあった。

私はおじも嫌いだったので、母に「また外で似ていると言われた。そんなに似ているか?」と愚痴った。

「そうねぇ、アンタは産まれた時からおじさんに似てるって言われてたわぁ。○○おばさん(祖母姉妹)なんて、『本当に似てるわねぇ。何でそんなに似てるんだろうねぇ』って言ってきたのよ」

「えっ?それって」

「明らかに、おじさんと不倫したんでしょ、ってニュアンスだったわ」

ギョッとした。それからしばらく、なにも言えなかった。

中学校高校

・寮

田舎小学校あるあるかもしれないが、会話していても本気で話が通じなくて苦痛だった(A=BでB=CならA=Cだろう、という会話で何でなんでそんなのお前の感想じゃんじゃあA=Dじゃん!みたいなことを喚かれる)。

から脱出先を探し、幸運にも「親の出した条件」をクリアする学校が見つかったのでそこを受験した。

というわけで、若干遠い学校に通うことになった。

一時期、寮に入っていた。

その時、管理人(男/中高年/既婚者)が、授業中に無断で女子生徒の部屋に入っていたことが判明し、問い詰めたことがあった。

下着も干している、プライベート場所だ。なぜ留守中に入る必要がある、今すぐやめてくれ」

私の主張は鼻で笑われた。

「お前達は子供だ、親は部屋に入るだろう。俺は親代わりなんだから部屋に入って当然だ」

私は食い下がった。

「お前は親ではない。というか親だったとしても、親はわたしプライバシー尊重してくれる。留守中に、下着を干している部屋に無断で入ったりしない」

男は心底驚いた顔をした。

「それは、お前の親が、家庭がおかしいんだ。お前の親、おかしいよ」

周りには、部屋に入られた他の寮生もいた。

管理人の異様さのせいか、みんな何も言えなかった。

親がおかしいとまで言われ、私は絶句し、泣いた。

どうして下着を見られたくない、それだけのことなのに親まで詰られなければならないのか。

翌年から私は寮を出た。

私も、周りの子も、親や教師相談をしたと思うのだが、奴が問題になって出ていく、みたいなことはなかった。

お前達は子供からお前らの下着を見ても別に興奮しない、みたいなことずっと言ってたけど、疚しかったんだろうなぁ。キッッッショ(感想

・その他

あとは、その辺で陰茎出してるお兄さんとか本屋で尻触ってくる痴漢かいた。あと、ちょっと気持ち悪すぎてここでは書けない(性被害の度合いとして酷いことをされたというより、なんかもうキショすぎて口に出すのを憚られる。周りからすると笑えることだと思うけど、今でもキッショいなぁ〜恥ずかしいなぁ〜口にできねぇ〜!って思っちゃう)ことがたくさんあった。この辺りは九州特有の、というわけではない気がするので今回は割愛する。

一般の、日本に生きる女子中高生としてよくある性被害を受けていた(これも大概どうかとは思うが)。

大学

このあたりで、うっすらと「フェミニズム」が九州でも認知されてきたように思う。しかしそれは、九州的な「女がすべきこと(雑用)」を完璧にこなして男様を気持ちよくさせた上で男様の2倍の実力を発揮できるようでなければ、自分権利を主張するな、という空気しかなかった。

今も変わらない?そうかな……そうかも……

部活

部活は男女に分かれている一方で、用具の準備やらなんやらの雑用はかなり女子が多くやっていた。

理由は「女の方が弱いのに、同じ体育館を使わせてもらってるんだからその分部活に奉仕しろ」とのこと。

今思うと頭おかしいが、当時はせっせと雑用をしていた。

もちろんマネージャーもいて、お茶の用意などは基本的彼女らが全部やってくれた。だがマネージャーであると同時に友達でもあるので、やっぱり時間があれば手伝うことも多かった。

引退する時、部長(男)が全員を集めてこう言った。

「お前らは知らないだろうが、マネージャーはずっと俺たちにお茶を作ってくれたりと雑用をして支えてくれたんだ。お礼を言おう」

しらねーーーーーのはお前だけだがーー!!?!?!?!(流石にキレる)

感謝気持ちがあるなら毎回手伝えばよかったじゃん!?!?!?!?!?!?手伝ってたのは女子部員だけだし、女子部員は全員毎回誰かしら手伝ってたんだよ!!!!それも見てなかったの!?!?!?!?!?

最後感謝して俺いいこと言ってる✨顔してんの、何なんだよ!?!?!?

葬式

母の父、私から見て祖父が亡くなった。

人が亡くなると、49日までお経あげたりと度々集まるような宗派だったので、私は毎回その集まりに駆り出され、おさんどんをさせられていた。

食事は、「気が詰まるだろうから」という「お気遣い」をいただき台所で食べた。

「そんな扱いされると分かってるなら行くなよ!」とか「拒否れば?」って思う人も多いかもしれないが、こちとら物心ついたときから盆や正月、親戚が集まれば配膳や酒を注ぐやら灰皿変えるやらさせられていた九州の女である。手伝いに行くことに、疑問すら持たなかった。

唯一疑問を持ったのは、祖父の墓に参れなかったこである

お経を上げ、お墓参りに行く時、女衆は座敷のセッティングをして墓参り組を待つのだ。

ただ、みんな車に乗っているので、お酒の準備はないし、料理も既に用意していたりお弁当を並べるだけだったりして、正直女でも2人いればどうにかなる。というか、机動かすのとか男がやれよなって今なら思えるが、当時はそんなことも思い浮かばなかった。

最後の集まりの時、おじから「今までお墓参り行ったことなかったよな。今日は行くか?」と聞かれ、私はもちろんと頷いた。

ここまで、孫なのに墓に参ることもなく、おさんどんだけさせられて帰らされていたというのは(そして男の孫はそんな目には遭っていない)かなりグロい状況なのだが、そんなことには気づいていなかった。そして、初めてお墓見るなぁと、少しワクワクしていた。

お坊さんがお経を上げ終わり、じゃあみんなでお墓参り行こうかという準備をしていた。私は、ギリギリまでおさんどんして、残る人たちの負担が少しでも減るようにしていた。

完全に行くつもりで玄関に立っていた私に、母から

「やっぱり、お墓参りちょっと……今回は、家で待っててもらえる?」

と言いにくそうに言われた。

「今回は」も何も、一度もいけたことはなく、ずっと家で待っていたが?????おん?????????

と思ったが、絶対絶対お墓に行きたーい!みたいな情熱は無かったので、まぁそう言われるなら……と私は了承し、家で待った。

何で「やっぱり、お墓参りちょっと」なのか。

兄弟たちは行けるのに、なぜ私はダメなのか。

そういえば、私以外の女の孫は、みんな来てないなぁなんて思いながら、墓参りに参加するために急いで用意してしまいやることがなくなった台所で、ぼんやりと親戚一同が帰ってくるのを待ったのだった。

・さつまおごじょ

大学は、九州各地から色んな人が来ていた。

そんな中でも、鹿児島の人たちの話は強烈だった。特に女性から聞く話はもう、上記のような経験をしている私からしても「おかしいよ!!」と絶叫するような話ばかりだった。

そのうちの一つが、以下に書くような話だ。

「胸が大きいと、同級生先生からセクハラ行為を働かれる。

というか、胸の大小について、男性から公的場所で、大っぴらに色々と揶揄われる。触られる。性的言葉をかけられる。」

これまで私が受けてきたセクハラは、「性的意図はないから!」みたいな隠れ蓑が必ずあった。建前というか、私は悪いことしてませんよ、と言うために本音を隠す「何か」があった。

でも、鹿児島にはそれがない。女にセクハラしようが何しようが、性的意図で触ることが「悪」ではない。少なくとも、その場で眉をひそめられたり、他人から咎められることではないのだ。

私は中高生時代に、胸が小さいことをさんざん同級生揶揄われたので、スタイルが良くて良いねと心の底から羨ましがったら、「胸が大きくていいことなんかない」と言われ、上記のことを教えられた。その後、鹿児島ってそうなの?と別の子に聞いたら、そうだよーあるあるーみたく言われ、本当にヤバい場所だなと認識した。

から余計に、「鹿児島は本当にやばい、いわゆる男尊女卑とはああいうのを言うんだなぁ。私は普通でよかったなぁ」となった。

普通じゃないことを知ったのは、上京してからのことだ。

大学

祖母ダブルパンチ

大学院に進んだ。

そこそこ名の知れた学校で、進むにあたりかなり頑張ったので、私はかなり鼻高々だった。調子に乗っていた。

父方・母方の祖母2人に、進学を報告した。

一方はかなりボケていたが、どちらも全く同じ事を言った。

「女がそげん勉強して、どがんすっ」

翻訳すると、「女がそんなに勉強して、どうする」という意味である

小さく、私にしか聞こえないように、告げられた。

戦争で進学を諦めた、母方の祖母なら理解してくれると思ったけれど、この地はそんな祖母気持ちすら奪った。恨むべきはこの地なのに、私は祖母が受け入れてくれなかったことを、裏切られたように感じてしまった。

荷物持ち

大学院に進んだ後、同じ研究室の人と軽いパーティをしようという話になった。

買い出しで、私は当然、重たい水の入った袋を持った。だって運動部で、鍛えていて、そのくらい持つ力があったし、「男と同じように扱われたいなら少しでも男に甘えてはいけない、それはダブルスタンダードだ」という考えが、日常から言葉でも言葉になっていなくても、骨の髄まで染み込んでいたからだ。

男性陣はそれに驚いて、「いいよ!増田ちゃんは軽いやつ持ってよ」と言ってきたが、ああそういう『ポーズ』ね、と思い「大丈夫だよ〜わたし力つよいし」とそのまま行こうとすると、

女の子なんだから

と言われた。

雷に打たれたような気持ちだった。

こいつは何を企んでいる?と思った。

どう対応すればいいのかわからなかった。初めての経験だったから。

頭が真っ白になっている間に、男性陣が荷物を持っていってしまった。

女の子から、という理由作業免除されたのって、もしかしてこれが初めてじゃないか?書いていて思った。

感想

さす九の何が嫌かって、「女は3歩後ろをついてこい」「外では俺を立てろ」と要求してくるのに、女を全然守ろうとはしないことなんですよね。女に守ってもらい、女にお世話してもらい、女に気持ちよくしてもらい、というおんぶに抱っこ。少しでも自立しようとすれば「だったらこれもやれ」「俺の世話も手を抜くな」「そこまでやって初めてお前は権利を主張できるんだ」と。

もちろんそうじゃない男性もいるとは思うんですけど、私が20ウン年あの地で生きてきて、荷物持ってもらえただけで衝撃を受けたってのは、やっぱりあの地に残る空気感、仕草、そういったもの日本の他の地とは違っているからだと思います

普通に訪れたり、一人暮らしするだけではわからない、実際にあの共同体に組み込まれて、初めてわかるものがある。

中学生くらいの時から欧米女性自分で何かをやり、自分で自立することをフェミニズムという!お前らは権利を訴えるだけ!見習え!みたいなことを言われたりもして、そうかぁ!そうだよなぁ!!ってしゃかりきになって勉強して自立しましたが、最近になって「欧米女性そもそもお人形さん』『アクセサリー』のように大事に扱われるのがデフォから、そこからの脱却を目指していたんだよ」と聞いてズコーーーっ!!!とずっこけました。

前提が違うじゃん!お前は割烹着きて家事育児して俺のご飯の準備とセックス相手をして少ない給料でやりくりしてから好きなこと言え!働きたいなら最低限そのくらいしないと自立した女じゃない!みたいなのが日本の反フェミっていうかフェミが台頭したいならちゃんしろよ論者が言ってきたことじゃん!?少なくとも1020年前の九州ではそう言われていた。

生きづらくて逃げに逃げて、逃げた先から昔いた場所俯瞰して「やっぱあそこおかしかったんじゃ〜〜ん!?そこから脱出できた私えら〜い!!」って、今は自分を褒め称えようと思います。いやマジで頑張った、ありがとう、本当に今とても楽です。

【おまけ】トランスジェンダーになりたい少女たちについて

上の話を読んでなんとなく察した人もいるかもしれませんが、私は小中学生時代男の子になりたかった。

だって男の子だったら本を読んでいても、勉強していても、不細工でも、問題ない。何も言われない。変だとか、生意気だとか、言われなかった。

男の子がよかったのになぁ」と言われることもなかった。

セクハラされることも、顔や体つきについてとやかく言われることもなかった。

一度、男の子みたいな格好をしてみた。別にそれで何か嬉しかったりとかはしなかった。

ただ、私が男の子だったら、こんな面倒なこと、摩擦が起きなかったのに、という、消極的気持ちで、男の子になりたかった。

あの時、「あなたは本当は男の子なのよ」って言われたら、泣いて喜んでいたと思う。

私は男の子なの、男の子として扱って!となり、治療も受けていたと思う。

けれど、男になった私を、親族は誰も受け入れたりはしなかっただろう。跡取り(そもそもそんな立派な家ではないが)として扱われたりなんかはせず、ずっと後ろ指を刺されていただろう。

今、私は、身体違和を感じていない。

まれながらの心の問題とは別に社会構造として、男に憧れてしまう(少し意地悪な言い方だが)状況がまだまだある以上、そして誰も責任を取らない、取れない治療である以上、成人前の子供に性適合治療をすることは、厳に慎むべきだろう。

2024-04-28

anond:20240428215736

吉田戦車奥さんの『微熱バナナ』で男孫の肛門を舐めて孫の子作りを応援する祖母の亡霊ってネタがあったなぁ

惨めな人生

父親は未診断のASD

母親カサンドラ祖母操り人形

その間に生まれわたしは当然人でなし

子どもが欲しかった

丸くて可愛いほっぺをつまみたかった

嬉しいことがあったら一緒に飛び上がって喜んで

悲しいことがあったら膝の上に乗せて話を聞いて

いいことしたら笑顔で頭を撫でて

いけない事したら叱って諭して抱きしめたかった



ブスだから結婚できない〜とか言って行動しない幸せな家庭で育った自信がないだけの人見ると心から腹が立つ

ブスだろうが何だろうがお前は人間だろうが

人間なら子どもを産む権利がある

子ども幸せに育てる素養がある

常識とか愛とか接し方とかあらゆる無数の判断を迫られる中 正解を教えてあげられるじゃないか

まれてくる子どもは正しく人間になれる

ブスとか言って逃げるな

いか 人は生まれながらにして美しい

どんな人にも必ず特有の美しさがある

まりブスなんて教養がなく美的感覚に乏しいと自ら暴露しているに等しい奴が勝手に作っただけの言葉

そんなものはこの世に存在しないんだ

人間である以上お前は美しい

お前とお前を取り巻くやつらにその美しさを理解する経験知識がないだけ

美術を学べ 美術館へいけ チビおっさんも 女の裸を覗き見するおっさんも カウンターで疲れ切った女も 眉毛が繋がった女も みんなみんな美しい

お前は美しい それを理解してくれる教養ある人間を探せ 望むのなら子どもを産め 産みたくないならそれでいい でも産みたいなら産んでくれ お前は人間なんだから 生まれてくる子ども人間になれるんだから

でもな わたしは違う 人でなしなんだよ

人でなしが子どもを産んでも人でなししかまれないんだよ

人でなしが人間集団の中でどれだけ惨めな思いをするか知ってるか? 知らないだろう いいんだ知らなくていい お前は人間なんだから

ムカつくんだよ 人に生まれたくせに

美しいくせに 子ども欲しいとか言ってるくせにブスだから無理とか言い訳してるやつ

無理じゃねえんだよ

出来るんだよ

ふざけんな

ふざけんな!!!!!!!!!

じゃあわたしと変われよ!!!

わたしはお前になりたかった!!!

人間に生まれたかったよ!!!!!!

2024-04-26

ネット偏見だけで語るチノちゃんについて

ある日、16歳の女子高生チノちゃんは、彼女の口癖、「うるさいですね・・・」とつぶやきながらカフェラビットハウス」を出て、彼女の愛車であるシビックに乗り込んだ。しかし、チノちゃんは、心の中で密かにある計画を練っていた。その計画は、スタバを爆破するというものだった。

チノちゃんは、「ラビットハウス」で経験した苦々しい思い出が、彼女をこのような極端な行動に駆り立てることになったのだ。空前絶後も戦慄する変わりようを見せた彼女しかし!その計画には深い事情があった。

かつて、チノちゃん子宮を摘出しなければならない病気にかかり、彼女の心は深く傷ついていた。そして、その病気が原因で、彼女掲示板サイト声優悪口を書き込むつまらない日々を過ごし始めていた。

しかしその中で、ある日突然、彼女メチルアルコールを飲んでしまい、その後失明してしまった。これが彼女の心に更なる暗雲をもたらすことになる。もはや、彼女の心には光など存在しなかった。

なんと、チノちゃんは、この爆破を通して彼女の一部を取り戻そうとしていたのだ!この爆破を成功させることで、彼女自分を取り戻すことができると信じ込んでいた。そして、その計画が進行するにつれ、チノちゃん固執ますます深くなっていった。

チノちゃんは、細工された爆弾を何度も何度もシビックの中で繰り返しチェックし、自分がその時が来るのを待ち望んでいるように時間を過ごした。そして、その時がついに来たと感じた瞬間、彼女は決意を固め、スタバへ向かった。

スタバに到着すると、チノちゃん視力がないため、手探りで爆弾を取り出し、その爆弾レジカウンターの下に仕掛けた。彼女は、静かに「うるさいですね・・・」と呟いた後、シビックに戻り、起爆装置を押した。

すると一瞬、周囲は爆発音と炎に包まれスタバは跡形もなくなくなった。

このような無慈悲行為に心底絶望し転がる人々の中、チノちゃん彼女の決意が遂に実を結んだことに胸が弾んでいた。しかし、彼女はその先にあるものに気づいていなかった。これから彼女に降りかかる様々な試練を乗り越える力を持っているのだろうか?

チノちゃんが気付かぬ勢いで爆破事件報道が繰り返され、彼女事件と向き合わざるを得なくなった。追い詰められる彼女最愛祖母汚名が付けばとウジウジ悩む毎日、困り果てている中で、その触れたくもない爆破事件過去のものとなっていた。

チノちゃんの心に、再び光が差すことはあるのだろうか?彼女は、このまま闇へと消えてしまうのか?まさかこのスタバ爆破が、彼女永遠の闇をもたらすことになるとは、誰も想像しえなかった。彼女運命は、もはや彼女自身しかからない。

ネット偏見だけで語るチノちゃんについて

ある日、16歳の女子高生チノちゃんは、彼女の口癖、「うるさいですね・・・」とつぶやきながらカフェラビットハウス」を出て、彼女の愛車であるシビックに乗り込んだ。しかし、チノちゃんは、心の中で密かにある計画を練っていた。その計画は、スタバを爆破するというものだった。

チノちゃんは、「ラビットハウス」で経験した苦々しい思い出が、彼女をこのような極端な行動に駆り立てることになったのだ。空前絶後も戦慄する変わりようを見せた彼女しかし!その計画には深い事情があった。

かつて、チノちゃん子宮を摘出しなければならない病気にかかり、彼女の心は深く傷ついていた。そして、その病気が原因で、彼女掲示板サイト声優悪口を書き込むつまらない日々を過ごし始めていた。

しかしその中で、ある日突然、彼女メチルアルコールを飲んでしまい、その後失明してしまった。これが彼女の心に更なる暗雲をもたらすことになる。もはや、彼女の心には光など存在しなかった。

なんと、チノちゃんは、この爆破を通して彼女の一部を取り戻そうとしていたのだ!この爆破を成功させることで、彼女自分を取り戻すことができると信じ込んでいた。そして、その計画が進行するにつれ、チノちゃん固執ますます深くなっていった。

チノちゃんは、細工された爆弾を何度も何度もシビックの中で繰り返しチェックし、自分がその時が来るのを待ち望んでいるように時間を過ごした。そして、その時がついに来たと感じた瞬間、彼女は決意を固め、スタバへ向かった。

スタバに到着すると、チノちゃん視力がないため、手探りで爆弾を取り出し、その爆弾レジカウンターの下に仕掛けた。彼女は、静かに「うるさいですね・・・」と呟いた後、シビックに戻り、起爆装置を押した。

すると一瞬、周囲は爆発音と炎に包まれスタバは跡形もなくなくなった。

このような無慈悲行為に心底絶望し転がる人々の中、チノちゃん彼女の決意が遂に実を結んだことに胸が弾んでいた。しかし、彼女はその先にあるものに気づいていなかった。これから彼女に降りかかる様々な試練を乗り越える力を持っているのだろうか?

チノちゃんが気付かぬ勢いで爆破事件報道が繰り返され、彼女事件と向き合わざるを得なくなった。追い詰められる彼女最愛祖母汚名が付けばとウジウジ悩む毎日、困り果てている中で、その触れたくもない爆破事件過去のものとなっていた。

チノちゃんの心に、再び光が差すことはあるのだろうか?彼女は、このまま闇へと消えてしまうのか?まさかこのスタバ爆破が、彼女永遠の闇をもたらすことになるとは、誰も想像しえなかった。彼女運命は、もはや彼女自身しかからない。

anond:20240426154955

少子化ターゲット層を子供だけにしぼっていたら衰退不可避だから課金してくれる大人を取り込もうとするのは当然。

子供たちに向けて作るにしても、子供自力映画を観に行けるわきゃないので、主たる出資者である母親祖母を巻き込むのは必須だ。

2024-04-25

家族むず

父に病気が見つかって入院してるんだけど、どこまで踏み込んでいいのかわからない。

今までずっと遠方に住んでて長らく部外者ポジみたいになってたし、そうでなくとも親的にはあんまり弱みを子どもに見せたくないんじゃないかなとか考えちゃうし、

ちゃんと知りたいという気持ちも、もし万が一があったら受け入れるつもりもあるんだけど、めちゃくちゃ聞きにくいし声かけにくい。

今日母が医者になんか説明を聞きに行くのは知ってたけど、ついてこうか?って言うのも出しゃばり感あるよな~とか思って言えなかった。

でも今日祖母から「ついていってあげて」って連絡きてて、気づいたの今さっきで、やらかしちゃったかもしれない。

そもそもこんな考え込むほどやばい病状なのかもよく知らないし、これから先もどう立ち回るのが正解かもわからないし、むず~~~~。

親が免許返納した人達に聞きたい

買い物やら病院やら日常の移動はどうしてるの?

買い物難民の話で気になってさ

うちの場合祖母が同居だったので車で一緒に連れて行ってた

それも80歳半ばまでが限界だったか

今だとやっぱヘルパー頼みになるのだろうか

そういったのを見て育ったので親が歳を重ねるにつれてこれがまた来るのかと気が滅入る

2024-04-23

愛犬と愛猫が1周忌を迎えるにあたって、私の部屋で私だけで供養したいと思った。

詳細は避けるけど、愛犬が亡くなったのは、母に責任の一端がある。

母は、自分に都合のいいように自分記憶改ざんして、同日の朝亡くなった愛猫が愛犬を連れて行ったと宣っていた。

この人は、いつもそういうことを悪気無くする。

人を傷つけたことも忘れて、自分がいつも悲劇のヒロインだという顔をする。

その母に一周忌法事をさせたくなかった。(母は僧侶

てか、2匹の命日すら覚えてないかもだけど、念のため、遠ざけておきたかった。

別に母を恨んでない。

責任の一端はあるけど、故意ではなかったろうから

愛犬もそれを望んでいないし。

ただ、事実を捻じ曲げたのでなく、本気で自分がやったことを忘れている母の人間性ドン引きしたし、もうこの人と関わって傷つくのが嫌になったのだ。

母のことは好きだ。

いいところも思い出もある。

でも、そういうところが、大嫌いだ。

まるで自分が2匹を一番愛してお世話してきたかのような顔をして、一周忌を取り仕切られるのは我慢ならなかった。

(命日すら覚えていない可能性のほうが高いけど)

そういう、スタンドプレーがイタくて、恥ずかしくて、消えたくなる。

祖母葬式で、私を含めて全員が静かに悲しみを抱えていたのに、自分世界で一番悲しんでいるみたいな顔をして、構ってアピールが激しかった。

極めつけは、葬儀の終盤、出棺の音楽が鳴った瞬間、大声を上げて泣き出す始末。

それを同じスタンドプレー大好き継父が「大丈夫か!」と大げさに泣きじゃくる母の肩を抱いて退席する一幕。

私と弟、泣くのも忘れて白眼。

隣の席のいとこも白け切ってるのが気配でわかったし、親戚にも

「お父さんたち、仲がいいわねぇ(失笑)」

と言われて、穴を掘ってでも入りたかった。

私の中で、あの二人はすごくお似合いな「劇場型」カップルだと思ってる。

全てが大げさで、わざとらしくて、見る人が見たら、失笑するレベルなのに、本人らはいたって真面目で、周りは分かってくれないと思ってる。

父は血がつながってないけど、母と同じ血が流れてるのかと思うと、泣きたくなる。

私も感情がすぐ顔に出ることは子供のころから指摘されてきて、周りから浮きがちだったのは母の影響があったからではないかと思うとほんと辛い。

人のせいにできる年齢ではないし、意識して気をつけてるけど。

劇場型なだけならまだしも、すべてを自分に都合のいいように、悪気なく記憶改ざんするから私はもう関わりたくないんだ。

そんな人間に、私の大事な2匹の供養をさせたくない。

そもそも、命日だって忘れてる可能性があるのに、たまたま思い出したくせに、まるで一番悲しんでるかのような顔で供養に来るのは許せない。

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