はてなキーワード: 現実感とは
先に断っておくが私は歴代メタルギアソリッドをプレイしてきたし小島監督作品は非常に好きだ
全てが良ゲーだとは思わないしMGS3が傑作だと思っているが、MGS以外の小島監督作品を含めても良ゲーが多いと思っている
その上ではっきり言えるがデス・ストランディングはぶっちぎりのクソゲーだ
PC版のときも「マジで?アホか?」と思ったが、iOSとかマジでやめろ
デス・ストランディング(以下DS)の続編を出すのは構わないと思う
前作の反省を大いに活かしてDS2を作るのは大いに歓迎する(どうせ反省されないだろうが)
だが伝説のクソゲーをまるで名作かのようにiOS版で発売なんて本当に勘弁してくれ
少なくともiOS版で初めてプレイしようと思う人は以下のようなクソゲーであることを理解して買ってくれ
DSが非常に斬新かつ新鮮だったのは、所持品に対する厳密な制約にある
ドラクエの頃から旅の途中で手に入れたアイテムをたくさん持っていることに対して
「そんなにいっぱいどこに持っておくんだよ」「馬車に入りきらねーだろ」
オープンワールドにアイテム数や種類も膨大になり、所持品に対して制約はゲームに対するストレスに繋がる
そのためもうその辺りは一切の説明を諦めて所持品が無制限になっているゲームも少なくない
ところがDSは「拠点AからBへの配送ゲーム」に割り切ることで、所持品に対する制限をゲーム性に変えた
配送するからには重さと大きさがあり、それをどのように持つかを考えることがゲーム内容の一部になっている
敵を倒すための武器や回復アイテムであっても所持品の一部なので重さと大きさがあり、自然な形でそれらの制約を受けることができる
ストーリーが荒唐無稽なフィクションであるのに、この制約の現実感が妙なリアリティを産み出している
以上がDSが斬新かつ優れている点であって、他の部分は全て何かしらのゲームで説明がつく
例えばルート探索だとか開拓だとか、国道・ジップライン建設だとかは似たようなものは何かしらある
オープンワールド系ゲームなら普通に配送的なクエストはあるし、それを楽にするような施設作りなんかもある
せっかく作り込んだオープンワールドをファストトラベルさせないための工夫なんかも各社のゲームで工夫が見られる
一方でDSはそれらのいろんなゲーム要素の中から、ただ「配送」にこだわってゲーム化しただけであって
配送の楽しみが分かってくると楽しいが、やりこむ要素はほとんどない
同じオープンワールド系ゲームでも敵を倒すようなやりこみ系だとバリエーションが無数にあるが
拠点Aから拠点Bに移動することにバリエーションがほとんどないからだ
配送内容はやたらとこだわっていたりするが結局は「重さ」「大きさ」しか無いので
後半になればなるほど中身が何かは一切気にしなくなるし、気にしなくても何も問題無い
国道復旧とジップラインがある程度完成するとやることがなくなるし、各拠点の達成率をMAXにするのも簡単なのでやる気も起きない
各拠点も全く同じ見た目をしているので地域性や文化のようなものもない
ゲームとしては、一応「アメリカ大陸横断」なのだからそれなりに変化を付けて貰えないと、全くトラベル感を得られない
同じPS5系だとHorizonとかLast of usなんかは
という感慨深さとかがあるのだが
肝心のストーリーなのだが、ストーリーの内容をどうこう論ずる以前の問題として
ムービーシーンがむっちゃくちゃ長い
よくエンディングが槍玉に挙げられるが、ぶっちゃけ要所要所で全部長い
オープニングも長いし、ああ、でも、やっぱりエンディングがゲームの歴史上でも最悪レベルに長い
長い、というのは単純に時間が長いのでは無く、演出がクドかったり冗長だったりして長いのだ
映画っぽいといえばそうなんだが、純粋に映画として見たら、それはそれで駄作な気はする
また、映画を見るときはただ見ていればいいのだが、ゲームなので自分が介入しないといけないシーンがあったりする
そのためエンディングはコントローラーを握ったまま2時間近く良く分からない話を聞き続ける必要がある
みたいに言われても「はぁそうですか」という感想しかでてこない
例えばMGS3だと
「キューバ危機回避の交換条件はトルコのミサイルではなく、彼をソ連に返還させることだったんだよ」
とかいう話をしてくれるので、背景知識をこっちも持ち合わせているから何の説明がなくても聞いてて理解しやすいし面白い
MGSも4とか5になってくると非常に怪しい感じにはなるのだが、まだ理解できる部分は多い
DSでもそれを期待したのだが、本編でその肝心な部分が語られることはない
一応、ストーリーを進めると背景資料を読めるようになってそこにはそれっぽいことが書いてあるのだが
めちゃくちゃ長い文章をゲームの中で読まざるを得ず、ストレスが半端ないので大半の人は読んでないと思う
このゲーム、敵との戦闘は初見だとめちゃくちゃ難しくて非常に苦労する
特に幽霊との戦いは最初はそもそも倒せないから逃げるしか無く、非常に苦労する
終盤はただの素材稼ぎの存在として幽霊退治に出かけるようになる
ところが、ストーリー終盤の難易度は異常で投げ出す人も多いのではないか、というぐらい難しい
特に「なぜそうなったのかが分からない」部分が多くてストレスが溜まる
「撃った」「当たった」「ダメージがあった」
と分かりやすいし、武器によって撃つまでの時間やダメージ量が違うというのも分かりやすい
対人戦でも「今のは効いたのか?」となる場合もあってストレスが半端ない
難しいモードを作るのは分かるが、同じ難易度の中で難しさを変えるようなことはしてほしくない
「ここまでこれたんだから慣れたでしょ?」
これだけ酷評したが、DSはそれなりの時間を潰すことができるゲームだとは思うし
人によってはずっと続けていられるらしいので
本当に人を選ぶゲームなんだろうとは思う
とはいえ、正直、一般の人には全くオススメできないゲームなので
本当に暇で暇でしょうがないなら試してみても良いと思う
妻のタイミングで出すとのこと。
もう別居の手配もできているようで、今週末に家を出ていくそうだ。子供がいなかったこともあり、トントン拍子で離婚が進んで行き、現実感もまだあまりない。
5年前、妻との結婚を選んだのが正解だったのか、今でもわからない。
趣味や見ているyoutubeが近く、会話のペースなども合っていたため、居心地の良さから付き合っていた。
性格も良く、相手のことを考えられてかなり献身的な人だなと思っていた。
しかし、学歴が専門卒で頭があまり良くなく、収入も年収ベースで300万円程度とかなり低く、結婚や子育てを考えると少し不安だなと思っていた。
また、顔がお世辞にも可愛いとは言えず、子供のことを思うと少し後ろめたい気持ちになっていた。
趣味こそ合わなかったものの、性格が良い子であることは部活をしていた時から感じており、顔も平均程度には綺麗な子だった。何より同じ高校出身ということで、ある程度学力のレベルが合っていたのが心地よかった。
一緒にいて楽しいのはマチアプで出会った子ではあったものの、やはり将来のことを考えると部活の後輩の子の方が良いように思い、アプリのことは付き合いつつも、後輩の子ともデートを重ねる日々だった。
たまたまその子の教育担当となり、日々仕事を教え、時には仕事での悩みを聞いたりしながら時間を過ごすうちに、私に好意を抱いてくれるようになった。
その子は上記の2人よりも可愛く、また学歴も、年収も1番高かった。自立していて、人に依存しなさそうなタイプなのも好印象だった。
趣味や性格はまだよくわからなかったが、少なくともメンターとして話を聞いている限り、謙虚でいい子だと思っていた。
そんなこともあって、最終的にはマチアプの子と別れ、後輩の子とも連絡を断ち、会社の後輩と付き合い、そのまま1年半の交際を経てゴールインした。
実を言うと趣味は全く合わず、向こうはスポーツや旅行などアウトドアな趣味であったのに対し、私は映画やアニメを家で見たりゲームをして過ごすことが多いインドア人間だった。
それでも趣味を理解してくれて、一緒に映画やゲームを楽しんでいた。
性格も謙虚だと思っていたが、思ったより我が強く、自分の意見を曲げようとしないタイプだった。
結婚までの1年半は、お互い好きという気持ちが冷めなかったため、多少の衝突はあれどもお互いに我慢し、歩み寄っていた。
しかしながら、結婚してしばらく経つとそのような気持ちも失せてしまい、次第に険悪になっていった。
疲れているのに外出しようと無理に誘っては、断る私に対して激昂するような調子だった。
皮肉にも向こうもそれなりに収入があり、自立したタイプであったために、離婚という選択を相手が取るまでにもそう時間はかからなかった。
あの時3人から今の人を選んでいなければ、離婚には至っていなかったんだろうか。
あの時取るべき正解はなんだったのか、教えてほしい。
「AとBは同じ条件なのにAだけ禁止するのはおかしい」という議題に対して、
こちらは「いやAとBは条件が違うんだよ」と答えているわけだ。
ではなければ他に何を答えているの?
フィクションにおけるバイクの二人乗りなどの描写は実際に批判されているので、
それは批判そのものの正当性を考慮されていないのでは?ヤクザが存在する事自体は犯罪じゃないから
批判されようがないと思うが。
五蘊盛苦。一番しんどいのは俺が独占欲をもってしまっていることだ。なんら現実感も正当性もない醜い欲。求め得られない苦しみなどよりもこの欲に苦しめられるのが辛い。彼女は健康になってゆく。危なっかしさはあるにしても。いや、この危なっかしさとやらも俺だけがそれに気付いているということにしたくて無理矢理感じようとしているだけなのかもしれない。彼女は前に進み、自分の時間を取り戻し、趣味、交友、社交など、自身でしっかりセーブはしながら、積極的に動いている。俺との時間は無駄で無為なものになっていくだろう。それは仕方ない。俺という人間の限界であるし、俺がこのような生き方である以上、元々重なるところは多くはなかったのだろうから。引き際ではあるのに、それを見ないようにと首をあらぬ方向に向ける仄暗く強力な力。特別でありたいという、不相応な欲求。俺は俺自身の心に苦しめられている、そんな顔をして目を逸らし続けて
30歳目前になって、同じような年齢の集団に溶け込みきれなくなってきた。
昨今LGBTが浸透してはきたけど、その外枠で知名度も低いA、しかも追加でXに生まれてしまった。身体こそ完璧な女だけど、恋愛感情はない、性欲もない、心の性別は男女どちらでもない。
まあでも正直、今までは普通っぽく生きてきた。でも歳をとって世間一般の人間の指す大人と乖離を自覚し始めた。趣味命!でふわふわ生きていることが許容されない地帯。
この歳になると通常回りで飛び交い始める結婚、子育て、みたいな大人の単語に現実感が無さすぎるせいで、そういう意識のある相手とすぐ縁が切れてしまう。その領域に入ると突然会話をつまらなくしてしまう。聞くこととなんとなく反応をすることは出来るけど全然理解してないことが伝わるんだと思う。趣味や仕事の話はできるのに、大人を上流へ進みゆく人間の立ち位置だとコミュニケーションが適切に取れない。違う世界に生きているような気がする。周囲が何を認識してるか、何を求められてるか、何を返したらいいかわからない。
10代から人格は成長したけど、何かが絶対的に止まっていて宙に浮いているような。やばいもう30歳になっちゃう、と、なんとなく刷り込まれた価値観で言ったりするのだけどそれすら深刻に感じきれてない。現代人間社会に馴染めてない変な生き物のような。でも、それでいて何故か人と違うこと自体に悩んだことはない。AかつXである自分に不足を感じることも、マジョリティになりたいと思ったこともない。矛盾しているけど、多分自他の違いを明確に認識して答えられるほど他人のビジョンを想像できない。周りが本当の大人になり始めて、大人のふりとの差が広がった。
普通の男か女に生まれてたら世界がどう見えてたんだろう。なりたいかと言われたらなりたくないけど、普通の同世代に馴染んだふりができるようにはなりたい。元気に使える寿命が300年くらい欲しい。恐らく、自分が経験豊富な大人のふりを適切にできるようになるまでそのくらいかかると思う。