はてなキーワード: 負け惜しみとは
みんなどうしてそんなに愛が欲しいのだろう。非コミュの負け惜しみに聞こえるかもしれないが,これは率直な疑問だ。他人に求められることって,人生においてそれほど重要だろうか。私も別に積極的に憎悪や嘲笑を浴びたいとか無視されたいとは思わないし,仕事でも私生活でもそれなりに愛想をつかう。でもそれは厄介を避けたいからであって,それ以上の状態は特に望まない。敵にさえならなければ,他人なんてどうでもいいじゃないか。現実には人の手を借りて生きなきゃならないからコストを払って人付き合いもするけれど,条件が許すなら孤独ほど楽しいものはない。
他者から欲望されたいと欲望すること,そのメタ構造が動物的欲望とヒト的欲望の違いなのだとどこかで読んだ。その意味で言えば,私みたいのは人間性が薄いんだろう。でも人間性の濃さが誇るべきことだとも思えない。愛別離・苦怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦。仏陀はなかなかいいことを言ってるじゃないか。
実際、この通りだと思うから居心地があまり良くないんだ。浮世って。
http://d.hatena.ne.jp/SAGISAWA/searchdiary?word=%bb%ea%be%e5%bc%e7%b5%c1
413 名前:名前は誰も知らない 投稿日:2008/12/13(土) 20:42:01
恋愛至上主義がますます惨くなっていく一方だな・・・。
恋愛していない人間は、欠落人間。彼女いない暦=年齢=欠落人間。
外ではカップル・家族連れが偉い、弧男は下等なという雰囲気。
弧男の行動範囲がますます狭くなり、
カップルや家族連れの行動範囲が広がり、
カップルや家族連れから常時、警戒され、見下され、哀れに思われる。
腐った世の中だ。
よし、俺も正直に答えてやろう。
・あなたの周りのモテ男より、あなたが「中身で」勝ってる点を挙げてください
なんだろ、料理が得意……って、これ中身じゃないか?
女の電話ってクソ長いけど、いくらでも聞いてられるし喋ってられる。
・もし自分がフツメンだったら本当に彼女ができていると思いますか
顔がブサメンじゃなければ性格も変わってた、って言うのは負け惜しみ以外の何物でもないし。
彼女を作るのに、ブサメンもフツメンも差なんて殆ど無いだろう。
イケメンからブサメンになるにつれ、選択肢は減ってくのは確かだろうけどな。
・本当に女は見る目がないと思っていますか
見る目ってなんだ。
その女にとって価値があるからこそ付き合うんだろうから、
それに対して他人が「見る目無い」とか言うのはアホだし失礼だと思う。
・自分は女を顔で選んだりしていませんか
及第点なら何の問題もない。
及第点以下ならお断りだが、上位6割から7割くらいまでなら余裕で付き合える。
ところで、この質問は何のためにされた質問なんだろうな。
どう答えたところで、「だからお前は非モテなんだよ」って叩けるような質問だから気になった。
増田を使い始めて一年ちょい、とうとう勘違いブコメというものが自分のところにも舞い降りてきた。すごい、自分の書いた話を元にした脳内創作話に対してコメントしてる。皮肉も何もかも置いてけぼりに、輝いてると感じた。無自覚の創作性と自信に満ち溢れてキラキラしている。まぶしい。
おざぶとん敷いて、その尻の下にあるおざぶとんの模様について語る感じなのかな。尻に敷かれる感覚と尻あったかい感覚があった。
自分はブコメを記した経験が無いんだけど、似たようなケースに当てはめると、大概おざぶとん敷くだけ敷いて、我が家のふとんの模様を話し始めるタイプなので、初見、しかもチラ見状態のものに、チラ見状態を維持したまま果敢に脳内補完して言及するタイプの人は、とても高度なことをしているように思える。
内容がネガコメ寄りのものだったから、浮かれて引用言及なんぞしてこのエントリが嫌味や負け惜しみとして捉えられる危険性を避けて、浮かれた気持ちだけ書き記すことにした。
もし、読み辛い文に対してわざと勘違いネガブコメをつけて、平易な記述を促すキャンペーンの一環だったらごめんなさい。真逆の解釈がむしろおもしろかったので、促される気は今のとこありません。
すべての分野でまっちょだけあるいはうぃんぷだけのほうが異常。
自分の都合のいいように立場を使い分けることの何が悪いのか?
使い分けのできない世渡りが下手な奴の負け惜しみなんじゃないかとすら思う。
いや、君が読解力ないガキだな、と思われるだけだと思う。てか負け惜しみ臭出過ぎだろwもうちょっと押えろよそこはw
……というかこれ、絶対貧乳の人だろw
貧乳は本当デリケートやでー。自分より胸大きい奴の悩みとか全部食って掛かるからね。
しかし意味の分からない答えだ。
スポーツブラということは子供だな!といっておいてそれは違うよ。といったならひとまずその時点で「スポーツブラという言葉を使ったことにより子供だと判定した自分の誤り」を認めようよ。それと精神的に子供だと思われるだけ、という新たな議題を出してきてごっちゃにするなんてさ、まあそれで誤魔化せると思ってる辺り、非常に子供っぽいけど。大人はその程度の非論理展開は見抜いてしまうものだよ。
元増田です。
少し補足をすると、データロガーの件は、
研究室に入り立ての俺らが研究室で使う測定器になれるための実験の妨げになるからよくないって言うのと
教授には僕の作ったデータロガーの精度が甘い(マイコンのAD変換を使っているので。)ってことを突っ込まれた。
民間出身の助教授(父と同じ会社でびっくり。部門は違う。もちろん父のことは話していない。)
からはこっそり「君はおもしろいことをするね。」といってもらえたけど。
このエントリーを書いたのは同期のオシロスコープ君と将来の話をして疑問に思ったのがきっかけ。
ブクマコメなんかでもオシロ君と似たような意見の人が結構いてウチだけじゃないんだと思った。
どんな話をしてたかって言うと、
オシロ君曰く、
「俺らの大学からメーカーへ行くのはたいてい研究開発。研究所で半田ごて握らないだろ。」
「まあ、おまえの成績じゃ推薦取れないからどっちみち関係ないかw」
「絶対大手。中小企業や現場なんて俺らみたいなの行くところじゃないから。そういうのは工業高校や高専のやつにやらせればいいんだよ。」
悔しかったのでいくつか反論したけどオシロ君は俺より成績がいいので何を言っても負け惜しみっぽく聞こえる。
俺も手を動かすのが好きな、今風に言えばギークっぽい人たちが今の大手を作ったことを伝えたくて
といったら少し感心された。でもすぐに「それだけじゃん。それにおまえがそんなのになれるわけ無いだろ。」
アメリカの企業で具体例を出せば良かったのかな。アップルとかマイクロソフトとか。
オシロ君:理論に強い。固体物性は同期でトップクラスの出来。実技ダメ。成績は俺より上。俺は彼に頭が上がらない。
俺:実技強い。理論(特に数学とか物性とか)がダメ。数学なんて微分方程式解けたら充分じゃんってタイプ。連続性の証明?そんなの理学部のやつがやればいいだろって人間。
って感じ。
余談だが、そんな俺とオシロ君がペアを組んで教授から与えられたシミュレーションの課題をやることになった時の話。
俺は、理論がさっぱりなので、近似式の算出なんかはオシロ君にほとんどやってもらった。
一方、オシロ君はUNIXやプログラミングはさっぱりなんで実装は大半が俺。
なんだかんだで、研究室の中の同期3組中一番早くできあがった。
この組み合わせが、オシロ君タイプ二人だったり、俺みたいなタイプ二人だったら、きっと課題をこなすのはもっと困難だったと思う。
学部の研究室でのわずかな経験で言うのも何だが、開発現場には多様な人間が必要なんだと思う。
だけど実際には理論家の方が立場が上。理論と実践は車の車輪の両輪のようなものだと思うから立場が対等じゃないと車はまっすぐ進まない。
だから俺は理論に強くなってオシロ君を見返したい。少なくとも同等の立場になりたい。院試の点数で勝ったら少しは見直してくれんのかな。
でもむりっぽいな。はあ。
よく、「辛い経験をしたことがある人間ほど人に優しくなれる」だの言われる事があるけどアレは大嘘。
実は嫌な経験や理不尽な経験をした人間ほど人にもそれを強いる。
児童虐待を受けた経験がある人ほど自分も児童虐待をする傾向にあるという「世代間伝達」なんてまさにそれを表してるんだよね。
http://contest.thinkquest.jp/tqj1999/20144/untitled2.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%AB%A5%E8%99%90%E5%BE%85
もっと卑近な例で言えば、一昔前の日本企業(今もまだそういうとこあるけど)の上司が部下に無茶な宴会芸を強いたりするのもそうだよね。
「俺の若い頃はこんな苦労もした……」みたいなDQNエピソードで無茶なこと要求されたりとか。
フィクションの世界では、恵まれて育った金持ちのボンボンは人の心がわからない嫌な奴で、貧乏で苦労してきた奴は優しかったりするけど、あれって現実はそうでないからこそフィクションの世界で持て囃される設定なんだよ。
「成金が嫌な奴」って一般的なイメージは正しいけど、成金になれていない貧乏人はもっと嫌な奴だったりすることも多いんだ。
嫌な経験とか不幸な経験って何の財産にもならないよ。
そういう経験が最後にはプラスになるとか言ってるのはまあ負け惜しみみたいなもんだね。
悲しいね。
ブックマークとトラックバック、一通り読ませていただきました。あまりの反響の多さに驚いています。好意的な反応も悪態も含めて、ひとまずはどうもありがとうございました。
しかしそこで敢えて憎まれ口を聞くと、結局は半分ぐらいの方にしか理解して頂けなかったのだなあ、と思います。あの話を、東京やら関西やらが好きか嫌いか、とか、そういう話だと思ってしまった方がかなり多かったのは相当がっかりしました。そういう風に誤解されないように気をつけて書いたつもりなのに。
個別に返事をすると量が爆発するので、まとめてお返事することにします。ただし、論拠を示さず「関西弁は下品」だの「大阪は民度が実際に低い」だのと繰り返すだけの発言にはコメントしませんのでご理解ください。
まず、親関西(東京)の人にも反関西(東京)の人にもこれはあらかじめご理解頂きたいのですが、私が元記事を書いた前提には、
「東京であれ、関西であれ、その他の地域であれ、文化や言語に優劣などありはしないのだ」
という認識があります。元記事の趣旨はもっぱら、「東京こそが中心である」という思いこみへの批判でしたが、当然「関西は東京より優越している」という命題も全く同様の理屈で論破できることがおわかりでしょう。すなわち、「東京(関東)のローカル文化を特別視して押しつけるな」と言うからには当然、「私も関西の文化を押し売りする気はない」ということも表明しているつもりです。
そういうわけで、私に対して好意的な反応の中には「関西弁で書けばよかったのに」という意見もありましたが、これは私の立場に反するということをご理解いただきたいと思います。元記事でも述べているとおり、私が「じゃん」や「じゃね?」が嫌いなのと同様、関西弁を嫌う人もいることは想像に難くない訳で、それを押し売りするのでは全く筋が通らないでしょう。だから私はここでは共通語(元記事では「標準語」と書いたけれど、「共通語」が適切でしたね)で書いた。それが、日本語文化圏で公共の場でものを言うときの作法だと思うからです。同様に、私は自然科学の論文なら英語で書くでしょうし、無理に日本語で書こうとは思いません。そういう世の現状に対して言いたいことは山ほどあるけれども、です。ルールが気にくわないからと言ってルールを無視するという態度は私は取りません。
同様のことは、関西以外の一切の地域について言えます。私が「東京に対抗意識を燃やしている関西人」だと思った方がいらっしゃるようですが、そう思われるのは私としては不思議であり、不本意でもあります。関西弁が関東弁に劣るものでないのと同様、東北弁に優越するわけでもない。関西文化が九州文化に劣るわけでもないし、琉球文化に優越するものでもない。それはあまりにも当たり前のことです。
誰しも、自分の言語や文化を卑下する必要はありません。標準語との距離がどれほど離れていようと、それは僻地の方言などではありません。同様に、郊外の文化は大都市の文化に従属するものではありません。
こうしたことがよく理解されていないとしたら、その責任は別に東京だけにはありません。早い話、関西人にも傲慢な輩はいるでしょう。しかし私はそれにとどまらず、地方人の屈折した態度全体に問題があると言いたい。
たとえば今回の私の元記事に「関西人はよその土地でも平気で関西弁をしゃべる」という文句を言われた方がいますが、では、外国人があなたの地元で外国語をしゃべっていたら腹が立ちますか?それに腹が立たないとすれば、関西人があなたの地元で関西弁をしゃべろうとも、あなたが世界のどこの土地であなたの地元言葉でしゃべろうとも、誰も文句を言われるいわれはありません。それだけのことです。
こういうと「方言と外国語は違う」と言われそうですが、それは事実に反しています、とだけ述べておきましょう。詳しくは、たとえばロシア語とウクライナ語の関係、ドイツ語とオランダ語の関係などを調べてみられればそのあたりの事情がおわかり頂けるかと思います。
そういうわけで、皆さん、変な奴隷根性や、その裏返しの傲慢さはやめませんか。あなたの言語の価値は、「標準語」からの距離にあるわけではない。実用上は、日本語の共通語だとかあるいは英語その他の外国語だとか、そういった言語を話さざるを得ない状況ももちろん出てくるでしょう。しかし、それはあなたの言語が劣っているせいではないのです。
だから、お互いに意思疎通が負担なく可能な状況であれば、あなたがあなたの言語を話すことに何のはばかる必要もないはずです。逆に、東京で関西人同士が関西弁でしゃべっていようと、中国人同士が中国語同士でしゃべっていようと、それに文句を付けるのは、あなたが何者であれ、了見が狭いことではないでしょうか。
最後に、どうでもいいんですが、「関西人は傲慢だ」と言われる原因についてちょっと自覚があるので書いておきます。
これは大阪に限らないと思うのですが(私も大阪人ではありません)、関西では「負け惜しみ」を自虐ネタとして言うことがあります。一番わかりやすいのは、阪神の低迷期の阪神ファンの言動で、たまに巨人に勝とうものなら「勝った、勝った、また勝った、弱い巨人にまた勝った、勝たんでもええのにまた勝った!」とお祭り騒ぎをしていました。言うまでもなく、このセリフの真意は言葉の表面とは全く反対のところにあります。阪神ファンは「強い」巨人に勝ったから喜んでいたのであり、「勝たんでもええ」どころかどうしても勝ってほしかったから喜んでいたのです。つまり、このセリフは巨人を侮辱しているどころか、憎らしいほどの強敵として賞賛するための屈折したセリフなのです。その証拠に、阪神が強豪と呼ばれるにふさわしくなった昨今、このセリフは余りはやらなくなりました。
ただ、こういう言葉の表裏というのは案外通じにくいものらしいということは、私も最近実感しつつあります。ごく稀に、自虐ネタを言ったつもりが気まずい空気が流れてしまってとまどうことがあるのですが、「暗黙の突っ込み待ち」という文化が関西ローカルであるということを最近ようやく理解して、原因がわかってきたように思えます。私見ですが、関西で一番受けている部類の芸人が全国放送でまるではやらないという理由はこのあたりにあるのではないでしょうかね。
ともあれ、関西人(というか特に大阪人)が「東京なんて所詮あずまえびすじゃボケがぁ、わしらがほんまもんの西側先進国やぞ」とか言っていたとしたら、それは上記の通り、半分以上は負け惜しみの自虐ネタですので、あまり真に受けて怒らないでやっていただけると幸いです。
こんなことぐだぐだ書かずに「マイ・フェア・レディでも観たら?」とでも言えばよかったかな。標準語と首都方言の違いとか(もっともドイツ語なんかだとベルリン方言と標準語は全然違うんだが)、言語で優劣を付けることのばからしさとか、「民度」なんて概念のむなしさとか、あの映画を観れば一目瞭然なんだけれどね。
約一名、普段「リテラシー」が云々とかおっしゃってる方がこの記事にひどくお怒りのようで、言いたいことをちょっと書きかけたのですが、この人だけに反発するのも不公平な気がするのでやっぱりやめときます。元記事もこの記事も、真意は題名その他で強調している通りなので、それ以上に邪推をされる方と話をしても生産的とは思いにくいですし。