はてなキーワード: 芸大とは
id:kokorosha 誰か「東大卒を騙るときに気をつけるべき5つのポイント」という記事を書けば、こういうミスが減るんじゃないかしら…
じゃあ、頑張って!
ブクマで突っ込まれてますが、なんか、後半は一般論になってしまいましたね。
あとはどれだけ具体的なエピソードが書けるかだと思うので、やっぱ足つかって取材してください(笑)
で、補足ついでに少々。
家庭教師、塾講師系は確かに多いようですけど、知り合いにバーテンダーとか、ホテルのフロントもいたし、バイト関連は結構個人差が大きいんじゃないでしょうかでしょうか?
開成みたいな東京の進学校出身の学生だと、知り合いがかなり多かったりする。
ラ・サールみたいな地方進学校も、石を投げればぶつかるとは言わないけど、多い。男子校出身者多すぎ。
サークルや部活動以外でもスタート時点で既に知り合い多いという学生は結構いるんじゃないかと思う。
そこらへんは東京六大学や京大も一緒だろうけど、地方の公立出身者は、違和感あるんじゃないかな?
その点、東大より「芸」があって、芸大より「学」がある学芸大は、地方の公立出身者が多くて、高校時代の知り合いはなかなか見つけられないと聞く。
ついでだけど、
笑ってしまったのが筑駒出身で後期過程で教養に行って大学院も広域科学に行った人。
id:y_arimさんが書いていたので、自分も少々。
駒場だと苗場のチャーハン大盛り。あれはまだあるのだろうか?あれは好きだった。
本郷(内部的には本郷と呼ばれない某所)にいたころは、赤札堂の時間セールで餃子とか。
デジチッの常時3割引の石焼ビビンパもよかった。
こんにちは、園芸大好き増田です。木、いいよね。ベランダに鉢植えをわっさわっさ置いてます。
ところで私の住んでいるところは県の木がけやきだからなのか、道路の両側にけやきを植えてるところが多いんだ。けやきってすごく大きくなるし、夏場は緑がきれいなんだよねー。でも綺麗なだけではすまないのだ。
まず、木を住処にする椋鳥が大発生。夕方になるとすごいすごい。この世の終わりかと思うくらいに空を埋め尽くす。そしてフンが落ちる。そのせいで歩道は真っ白。臭いがすさまじい。ほかに虫も増えるし、木が育ちすぎてアスファルトがぼこぼこしてきちゃったり。結局ケヤキはかなり短く剪定されてしまいました…。剪定するのも大変なんだよね。はしご車がやってきてチェーンソーで枝を落とすの。いくらかかるんだろうあれ。
秋が来て落葉すれば掃除が大変だしね。地面が土なら養分になってよい土ができるんだけど…。都会生活と自然のいいとこどりはバランスが難しい。
むしろ競争は激化するっしょ。
国民に対して実務的な政策は担える立場にはなるかもしれないけど、
国民に使役されている立場ともとれなくもない。上にあがっても政治家の都合でコケることもあるしな。
心骨ささげるぐらいの根性がなきゃめざすような職ではないなとも思うよ。
誰に対して働くのか。その道を進むと誰に対して権力を握れるのか。逆に握られるのか。
実権っていってもいろいろじゃないの?
それともずばり国家主権のことでもいっているのか?
だったら独裁者になるしかないんじゃないの?
だったら防衛大学にでもいきなよ。
にしても受験生は夢があっていいなー
http://anond.hatelabo.jp/20071111032523
いきたい大学か・・・
芸大かなー。
なんでかって?周りの連中が面白そうじゃない。
テレビドラマに出てくるような上流階級みたいのがこの世にある、ってことは知ってる。だけどもう全然リアリティないんだよ。
大学なんか行ったことのある奴は、親戚中探したっていない。
同級生には大学進学を考えてる奴もいたけど、そいつんちはウチとは違う。
ウチは金もないし、親も歳だし、早く手に職つけて働かなくちゃ。一生懸命働けば少しはマシな暮しだってできるだろう。
だけどもそれは、階層を上ることとは全然違うことだった。
この現実にはさらに上に上があって、どこまで行ってもきりがないという事実……。
俺の家なんかは、世間で言えば「エリート一家」なんだろうけど、それでもまだ上には上があるんだな。
親兄弟や親戚は、勤務医や街弁護士や大手メーカーの技術者といったところ。学歴的には旧帝大か東工大か一橋ばかり。理系なら修士出て当然という雰囲気。
俺も、超有名私学から旧帝大の修士を出て超大手メーカーの研究所に就職した。
これ以上望むところがないだろうって?とんでもないさ。
これでも、世間で言う「セレブ」とはほど遠い生活なのはだいたいわかるだろう。親戚の誰も、毎日遅くまで残業して帰ってきて、それでもたとえば大都市に家なんか建てられないよ。郊外のマンションを買えれば十分よかったね、というところじゃないかな。
子供の習い事だって、近所の水泳教室とか習字とか、あるいは塾とか、そんな中の一つだけ通わせるのがやっとのこと。当然、たとえば子供が「スポーツでプロを目指したい」とか「芸大に行きたい」とか言っても「諦めてくれ」と言うしかないよ。そんなに本格的な指導を受けさせられるだけの金なんてないからさ。
でも、世間は広い。東大とか京大とかに行きながら、高校でスポーツの県代表クラスとか、芸大でも行けたような奴なんて掃いて捨てるほどいるんだよ。凡才でも、いい教師が鍛えればそのくらいのレベルにはなれる。だけれど、天才でもいい教師がつかなければその程度のレベルにもなれない。
こういうのを身に付けた本物のお坊ちゃまお嬢様、おっと間違えた「本物のエリート」の前では、勉強以外は全て人並みの俺たちなんて、ただの「ガリ勉」「オタク」でしかないんだよ。「勉強以外何の取り柄もない」「コミュニケーション能力が低い」と言われ、「学歴が高くても使えない」と脅かされ続けている俺たちは、身を護るためには「勉強」という唯一の取り柄を活かした商売に就くしかない。そこで、専門知識を売ろうとして技術者やらなんやらの仕事に就くわけだが、これはステータスの割に苦労も多く、収入が大した職業ではない。
そこで、子供は「本物のエリート」ではなく、ガリ勉のオタクとして育てるしかなくなるわけだ。
起死回生の手段?(逆)玉の輿を狙うぐらいしかないだろうね。でも、ガリ勉のオタクがモテるわけもないしねえ。
結局、どこまで行っても格差ってのはつきまとうもんだよ。
階層を上昇しようと思っても空しいもんだ。俺もどれだけ悪戦苦闘して、お坊ちゃまお嬢様方と対等に張り合おうとしたことか。でも、所詮は無駄だった。年取ってから多少努力しても、生まれた頃から積み重ねてきた相手には勝てないよ。
ところで、世間では、「日本のエリートには教養がない」だの、「米国並みに、大学入試には課外活動の実績も考慮すべきだ」とか言う人がいるよね。そういうこと言う人は、そういうのが「階級選別装置」だって気付いてるのかね?俺みたいなサラリーマンの子は、どれだけ努力してもアメリカの一流大学になんて入れやしないんだってこと。それとも、そういう世の中にしたいのかな。アホでも金があれば階層を固定できる世の中に。
こないだのカンブリア宮殿に村上隆っていう芸術家が出てたけど、彼のやってることは、彼曰く「先人たちへのリスペクト」。そして彼が崇拝するのは宮崎駿。世界では大人気でも日本ではパクリストとして(一部から)認識されてる人を、世界では大人気でも日本では芸術をビジネスにしようとしてる野朗がリスペクトしてる、ていうのが日本の芸大生の一般的な認識のようです。だけどじゃあ、創作活動における「先人たちへのリスペクト」と「模倣」の違いって何なんだろ。連綿として続いてきた、音楽や絵画といった芸術の歴史の系譜をいやでも継がざるを得ない創作活動の中で、完全オリジナルな作品なんて作れるの?それって、先人がなし得なかった要素だけを奇跡的に抽出する一発勝負と同義ではないの?誰かえらい人教えてけれ。