はてなキーワード: 人ごととは
地味にコメ返し
なんていうか年収が400万も200万も可処分所得はそれほど変わらない感じ。
なるほど。そういうのが、自分はよく分かっていないのかも。自分がほとんど天引きされないこともあって、額面と手取りがどのくらい違うのかも、最近まで詳しく知らなかったくらいだ。いかんな。
保険だけど、入っているといっていた。増田子もそろそろ入ったらどうかな?って言ってたし(年齢的に)。そうすると月に数万は払っている訳ね。
月10万、ボーナスで15万溜めれば年150万円だから、勤続年数から言えばこんなもんかなあ。
なんという堅実な方だ!外食はなんだかんだとお金がかかるよね。無職の頃は、外食なんて恐ろしくてできなかったもんな。
ちなみに、オタクでも同人誌や商業メディアを買わなければお金は出ていかないから、増田は買わない人なのかな。
というか、君にレスしてる人は皆ウン百万貯めてるというが、
すいません、ついホッとしてしまいました。収入が減ったからといって支出を抑えるのは、なかなか難しいことのようですね。
自分はむしろ「ゼロ(マイナス)からのスタート」だったので、お金をもらえるのが嬉しくて貯まるのが嬉しくて使うのが怖い、という時期なのかも知れません。無職の頃は親に食べさせてもらっていたから、その時にもしひとり暮らししていたら・・・と、やはり人ごとではありません。そういう危機感を持っている自分と、もっていない彼を同じ物差しでみるのは、ちょっと間違っているかも知れないですね。もうちょっとすりあわせないと・・・。
増田は意外と
ちゃんとしてんじゃん。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20071225223949
>結局、男は稼ぎと貯蓄で判断されるという事か。ブ米も含め、こんなもんかと思ってしまう。
こういう意見が増田の方で出てくるんじゃないかと危惧していたが。
まあ、自分が「結婚するつもり」とか書かなければよかったのかも知れないが、むしろひとりの人間として「うつ病で元ワーキングプア的な俺」と「正社員な俺」の、心構えや認識や金銭感覚の差(バリエーション?)を訊きたかったのであって、稼ぎと貯蓄で判断されるとかいう話は全然していない。
増田のトラックバックでは、そんなことを勘ぐってる人はいなかったのにね。なんか、「稼ぎの話を女がする=品定め」みたいな、そういうバイアスかかっちゃってるんじゃないのだろうか。
さて、この時期になると年間ベストテンみたいな企画を個人的に楽しみにしているサイトやブログ主がいると思う。私も自分で選出するのが楽しみだし、人のベスト作品を見て回るのも大好きだ。
ところが、そうしたワクワク感を記事の中で損なっているのがアフィリエイトである。一つの作品を紹介する度に広告然と文章を分断するアフィリエイトが、テレビの山場CMみたいで不愉快極まりない。紹介してたくさんの人に読んで観て聴いてほしいのはわかるが、ひどいところになるとちょっと引用した本や言及した映画等のアフィリエイトまで出てくる。こういうのはいっそサイドバーかなんかにまとめて欲しいなと思うんだが。その後の記事に目を通す気が失せる。お前一人ごときが読まなくても構わないって言われても、そこまでして広告を貼るブログ主には浅ましさしか感じない。アフィリエイトに肯定的な人でも、記事の途中の広告を読みにくいと思う人はいるだろうし。
けど表立っては言えないよね。今はほとんどの人がアフィリエイトをやっているわけだから。だからこそ私もここで書いているわけだしね。
別にそれでいくら稼ごうが気にしない。どんな大手でも月々の収入なんて数百円とかくらいでしょ。でも、それがたくさん集まれば、そこそこの金額にはなるかもしれない。10の大手サイトがある本を紹介してアフィリエイトによる収入がそれぞれ1000円あったとすれば、全部で1万円。これがそっくりそのまま作者に還元されるってんなら私はよろこんでアフィリエイトを利用し、積極的にアフィリエイトで本を買うだろう。でも作者に入るのは原稿料と印税だよね。もし作者のサイトがあって、そこで自分の作品を紹介してたら、そこを経由して買いたい。レビューサイトの広告なんて誰が利用するもんか。でも私はアフィリエイトをしているという矛盾。はっきり言おうぜ、小銭が欲しいと。あわよくばそれで読書代を賄いたいと。
あれほど多くのサイトが面白いと持ち上げてそこそこ売れた本があるとしよう。実際、大手のレビューサイトが某マンガを取り上げて、結構売れているって話も耳にした。ニュースサイト系を中心としたマーケティングが存在してるんじゃね? と訝る声もある。もちろんそんなもんはないだろう。そうして売れた本があったけれども、続刊についてはほとんど言及しないってところも多い。1巻、2巻あたりは周囲を巻き込んで、あたかも多くの人が注目しているって錯覚を起こしたかもしれない。いろんなサイトを見て回っていれば、それがごく一部の盛り上がりでしかないことも察しがつくが、多くの人が毎朝見るテレビはこの局と決まっているように、毎日見るニュースサイト・レビューサイトはここ、という人にとって、その盛り上がりが全てだろう。
でも、いつの間にかその作品の言及は減り、なくなっていく。残ったのはアフィリエイトによる収入と、なんでこんなのに入れあげてたんだろうかという黒歴史。黒歴史は言いすぎか。アフィリエイトでその本を購入した人たちには、何が残るか。楽しんだからいいのかって? もし作者にアフィリエイトの金が入っていれば……とその時私は思うのである。
アニメ製作者の低賃金を嘆く傍らで、アフィリエイトでアニメのDVDを勧める。紹介料で潤うのはレビュー・紹介文を書いたサイト・ブログ主でしかない。1本のDVDを買って入る紹介料なんてたかがしれているとはいえ、なんとも言えん不快感が伴う。まるで製作資金を中間搾取している広告主みたい。いや、繰り返すけどアフィリエイトで稼ぎたい人はそうすればいい。ただやり方をもう少し控えめにしてほしいという話である。記事の最後にまとめるとか。それだと効果がない、というのならば、そもそもなんのためにアフィリエイトをやっているか自問すべきだろう。本音を言えよ、本音を。
レビューサイトなんてたかが素人の戯言だ。数が集まれば、そこそこの効果はあるとは思う、でも結局それはアンケートのひとつでしかない。あまたある作品の読者アンケートのひとつでしかない、ほとんど埋もれるし問題にされない、重要なのはレビューの内容ではなく、レビューした人の数である。俺のレビューが作者や関係者に届いたら……、なんて妄想に過ぎない、そんな夢は見ないほうがいい(現に届いてしまった経験を持つ人もいるけど、だからといって作品の方向にけちをつけるような野暮なことはしないだろう)。
対価なんて求めるな。ネットでレビュー書いてアクセスが集まってニュースサイトで紹介され、はてブがたくさん付いて、コメントがたくさん集まって感想のメールまで来て、それ以上何を求めるの? 多くの人に読んでもらって心を動かした、十分な報酬じゃないか。対価が欲しいなら、雑誌社とかにアドレス売り込んで書評とか依頼されるようになればいい。アフィリエイトをやるならもっと慎ましくしてくれ。お前のレビューなんてクズも同然なんだ。そんなもんに商品価値なんてあるわけない。
読むほうも読むほうだ。素晴らしいレビューは確かにある。それで買った本も私はある。けれども、敬意を表すべきは作者であってレビューの書き手じゃない。アフィリエイト収入が対価というなら、それこそ作者に寄付しろ、アフィリエイト収入を得ている時点で、作者に対する敬意なんてないんだよ。
あなたのそのレビュー、批判に評論にしろ、作者への敬意が感じられるものですか?
そうそう、結局「死ぬな」って奴はそういうガ○キチなんだよ。
「俺らのために、死ぬほど辛く苦しんでるお前はとりあえず生きろ、でも生きたからといって何も俺らはしてあげませんけど」
ってムチャクチャな事言ってる冷酷非道なガ○キチどもなの。
そんな奴らの苦言なんていちいち聞かなくていいよ。
それでいて、本当笑っちゃうんだけどさ、こいつらって自分を「人助けした」とか思ってたりするんだぜw
なんつーかね。どんなフィクションでさえも「やっぱりなんだかんだで死にそうな人は助ける」ってオチになるけどさ。皆思考停止しすぎだよな。死はいけない、ってそこで止まっちゃってる。何故?とか考えない。メディアにとことん洗脳されやすいタイプな。そんな奴らの言う事なんか聞かずに自分が死にたきゃ死ねばいいんだよ。お前の命はお前のものであって誰のものでもない。お前の命を奪うも生かすもお前だけができること。他人が命を奪うのが犯罪なのと同じく、他人が勝手に生かそうとするのも物心ついてからはある意味犯罪だといっていい。人様人様言うならそれこそ、他人ごときが人様の命にどうこう言うなんざ図々しいんだよwてめえはてめえの命の心配だけしとけっつーのなw何様なんだよっていう。
初投稿。よろしくね。
で、おれ(24)の実家は2世帯だから祖父母と両親が同居してるんだが、最近なんかどうも祖父母が年とったなあ、老いたなあ、って感じる機会がふえてさ。毎日睡眠+TVだし、あやしげな健康食品屋にだまされまくったりとか。ひまそう。
率直に言うとばあちゃんとか見てて哀れなんだが、でもまあ、おれも50年後くらいには老いまくりだから、人ごとじゃないよな。
というか、もっと人ごとじゃあないのは、おれの世代と両親の世代の関係だ。年食って、親父や母ちゃんが老いてから災い爆弾が炸裂するのはいやだ。ぞっとする。だから若気のいたりでできた両親とのしこりを軽やかにしてみたりとか、最近両親に対するコミュニケーションのしかたをなんとなく意識的に変えてみている。ある齟齬があったとして、それが20年後残っているか、不可逆的な災いに結び付くかどうか、見積もるっていう視点が出てきたんだよな。うまくできてるかどうかはわからん。
で、そういう人、結構他にもたくさんいるような気がするんだ。よかったらなんか心構えとか小技とか教えてくれないか。
「無視するのが大人の対応」というのは自分が被害を受けた立場にいないから。他人ごとだから言えるんだろ。「俺ならもっと徹底的に論破するのに甘いな」と思うほど、みんな手加減してやっていると思うよ。
いや、粘着された経験あるけど、そうは思わなかったね。
話は全然かみ合わなかったけど、むしろ好きになったよ。ああいう奴をね。
「死ね死ね詐欺」の件では、トニオだけが正論吐いてるような状況だったしな。
あれだけ叩かれても正論吐けるのは大したもんだと思うよ。
あー、別にみんながこいつらを好きになれって言ってるんじゃないんだよ。だけどね、みんな余りにも他人ってもんを一面的に見てやしないかねって思うんだ。
はしごやLやトニオやjituzonや小倉弁護士は、人を攻撃したくてしてるわけじゃないからね。その辺がわかると、「納得はできない、でも気持ちはわかる」とか余裕を持って対応できると思うんだがね。
その辺の矛盾した感情が理解できないのが、はしごやLやトニオあたりの痛さの元凶だろ?だったらこっちが同じ罠に落ちちゃいかんよ。
それはそう思うね。Lはあそこで炎上しといてよかったと思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070924231846
著作物の流通、対価の支払いなどにいろいろと問題が起きている。PC関連機器の発達が著作物の流通過程に生じるコストを大幅に現象させたからである。著作物をなにか形のある商品として流通させることが困難になった今、著作物の概念の見直しが迫られているのではないか。
この文章では、著作物とは「誰が」、「何を」(、「誰に」)伝えたかが重要であると主張してみる。例えば、ゴッホが描いた「モナリザの微笑み」には価値があっても、私が描いた「モナリザの微笑み」には価値が認められないだろう。ビートルズが歌うイエスタデイは、私がカラオケで歌うイエスタデイとは違う。
録音物はあくまでも録音物。MP3プレーヤーがどんなにがんばろうと、歌い手も聞き手もそこには存在しない。録音物を聞く限り、自分はそれを横から聞いている第三者でしかない。
言い替えれば、現行のインターネット上における著作物の流通は中身だけが先行し、その中身を伝える人が見えない。これは表現の世界においてものすごく損をしているのではないか。J-POPの歌詞がどれだけ愛を叫んでいても、それをCDプレーヤーで聞いている限り、その伝えたい内容はあくまでも他人ごとでしかない。つき合っている彼女が私に「愛している」と言えば感動するが、スペースシャワーTV(歌や音楽の専門チャンネル)などで「愛してるぅ」といったフレーズを百万回聞いても感動しない。
つまり、メディアの流通はあくまでデモであり、そのアーティストが自分という個に向けて発信(すなわち、聞き手が共感)したときに初めて大きな価値が発生すると考える。そのアーティストが使った表現を他人が単にパクるだけでは単なる劣化コピーでしかなく、アイディアを拝借するにしても、それが作品として認められるにはより高度な洗練が要求される。
本文章の問題点:
http://anond.hatelabo.jp/20070611061307
絶望していたのは「変わっていく世界」に対してではなく、「変われない自分」に対してなのではないか。
必要だったのは、「変われない自分」を肯定してくれる人だったのではないか。
決して人ごとではない、と思いつつそんなことを思った。
の話なんだけどね。自分のブログに書きにくいからここで書くよ。
10代で知らない相手から性的暴行を受けたという30代の女性は「一生忘れられないし、20年たった今でも悪夢に悩まされる」という。「児童ポルノは持っているだけでも処罰すべきで(単純所持が合法の)日本が、いつまでものんきなことを言っていていいのか、と首をひねりたくなる」
この人の過去には同情するしそういう犯人を厳罰に処することには何のためらいもないけど、しかし性犯罪の取り締まりと個人の内面的嗜好を取り締まるのを同一視しちゃまずいだろーよ。そう言えばこないだも「男の頭はsexで一杯かよ!吐き気がするよ!」ってエントリがあったけど、あれと一緒。
2児の母という兵庫県の女性(37)は「娘がいるので、人ごとではありません。厳罰に処してほしい。女性と子供が安全に暮らせる社会でなければ少子化は止まらない」と訴える。
いや、それ「少子化」って言いたいだけちゃうんか、と。
幼いころ性的被害を受けた女性も「当時は幸いにビデオや携帯電話がなかったが、今は映像に残され、さらに傷つけられてしまう。一生を台無しにされるかもしれないのに、刑罰の甘さにはあきれてしまう」と言う。
つーか、いくつだ?写真くらいはあったでしょ。それと、わいせつ図画をネットで広範囲に複製頒布できて一生が傷つくおそれがあるのは、何も児童ポルノに限った話ではないし、流出が問題なら流出について規制すればいい話。というか、それは現行でも規制されてるわけで。
とりあえずこの人たちは「単純所持の禁止を求めること」の危険性を軽く見すぎてないか?
「ポルノグラフィと性暴力」の著書がある中里見博・福島大准教授(憲法)の話 単純所持の禁止に対し、表現の自由やプライバシー侵害として反対する声はあるが、児童ポルノは麻薬と同様だと考えれば「所持の自由」が認められる領域ではない。国境を越えるネットで流通している以上、各国が協力して規制するしかない。捜査権乱用を懸念する声もあるが、迷惑メールに添付された画像を削除し忘れた人が裁かれるべきではない、というのは原則。運用のあり方は議論すべきだろうが、大きな萎縮(いしゅく)効果があるのは確かだ。」
どこからどこまでが児童ポルノなのか、そしてそれがなぜ「麻薬と同様」なのか、なんの説明にもなってない単なるコジツケに過ぎない妄想を展開されても(毎日の要約もまずいのだろうとは思うが)困る。
単純所持の禁止については「捜査権の乱用を生みかねない」などの指摘が国会の一部にあり、判断を先送りしてきた。しかし、それは法律そのものより、運用の仕方にかかっている。
法律とは、それを運用する人間の良心に期待するのではなく誰が運用しても濫用されることのないように作るものだ、と、昔習った記憶があるんだけど。
なんというか、たとえそれが「殺人趣味」であろうが、趣味のレベルに止まっていることをわざわざ表にひきずり出して「不健全だ」とか「社会の安全への挑戦だ」とか言って叩く構図は見ていて非常に気持ちが悪い。こういうのを放っておくと、そのうち「『健全』な成人男女の異性愛」以外に関する物すべてに規制が入る時代が来るだろうよ。まずは同人誌全般だろうな。