はてなキーワード: プロジェクタとは
http://anond.hatelabo.jp/20091006210805
ツッコミをモヒモヒして待ってたのに、はてブばかりが伸びてる割にトラバツリーがイマイチ伸びてないように見えるので、増田からも。
基本的に「コンデジ」と「デジイチ」を「使い方」という面から差別化するなら、前者はレンズがカメラに据え付きであり、後者はレンズを替えられる、というのが最大の違いとなる。因みにこの分け方の場合、「一眼レフ」ではないオリのE-P1だのパナのGH1だのは、後者。こいつらは「レフ」と表現されるミラーを持たないからデジイチにしては薄くて軽いが(ミラーってカメラの中で斜めに寝た状態にあるから、場所喰うんよ)、ファインダが光学じゃないから、気をつけろ。ファインダが光学である利点は、↓とかを参照。無論、ファインダがデジタルであることのメリットもまたある。
http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/480
は置いといて、コンデジの場合、レンズが据え付きだから、後で替えが利かない。「画質がいいですよ~」とか店で言われたのをそのまま受け取ってGR3とか買っちゃうと、運動会でガキが豆粒にしか写らなくなるので注意だ。一方、やたらズーム率の高いデジカメ買っても、所詮今の高画素なカメラであればトリミングさえしてしまえば十分だったりするので、用途によってはオーバースペックになることもある。ただ、コンデジの場合多数派は後者で、要するに「誰でも何でも撮る」ことを優先していて、ズーム率も高いしシーンモードも色々ある、ことが多い。
自分も、コンデジを買うなら「汎用性」を重視すべきだと思う。ほぼフルオートで、ズームで構図とる以外はほぼカメラ任せでも、とにかく常時携帯して何か見つけたら撮るくらいの気持ちで付き合えば、かなりお気に入りの存在となるはずだ。その場合、広角端を意識して買うべし。さっきも書いたが、ズームはある程度まではトリミングで誤魔化せるからな。
逆にデジイチはレンズが交換できるのが、逆に、あれ撮りたいこれ撮りたいとかなってレンズを無限に買い出すと、レンズ1本でコンデジ2~3台レベルなんてのは普通にいくらでもあるので、財布に気をつけろ。概ね、こうしたレンズ選びは「何を撮るか」の目的に合わせたものになると思う。被写体がはっきりしている場合には、向いているだろう。最初にキットレンズからはじめて、撮る目的が色々見えてきたら、というのはレンズを選ぶ感じか。
室内とか曇天とか、ちょっとした悪条件でカメラのシャッタースピードはすぐ落ちるので、特にコンデジや携帯だと家で子供とかぬこを撮る場合に大いに苦労する経験をされた方は多いだろう。
シャッタースピードは、当然のことながらカメラが受け取る光の量に比例する。逆に言えば、同じ明るさでもカメラで受け取れる光の量を増やせばシャッタースピード稼げるわけで、受け取る量は「レンズの口径を広げる」か「素子を大きくする」ことで実現し、このいずれについてもデジイチはコンデジを大きく凌駕する。ただ、素子の大きさに制約のあるコンデジにおいても、素子の形状や光の受け取り方を工夫することでこの制約を突破する試みは存在し、全社の代表格として富士のEXRシリーズ、後者の代表としてソニーのExmor-R採用コンデジがある。
無論、それでもデジイチとの性能差は大きいのだが、どうせ室内で子供とかバシャバシャ撮っても、A4にすら引き伸ばさず、せいぜいL版でアルバムに収めるくらいなんだったら、コンデジのこの辺りの性能が高いヤツでシャッタースピード稼げば、十分歩留まりのよい撮影になるだろう。それでも「画質がいい方がいい!」だったら、基本デジイチのレンズキットでそんな明るいのは無いので(例外:パナソニックのGF1→キットレンズが20mm/F1.7)、レンズを別途見積もるのを忘れるべからず。
少なくとも今現在の話として、コンデジは、現下の不況と画素数競争の終焉、携帯撮影文化の定着という逆風の中で絶賛苦戦中である。そうした中で、(特にソフトウェア的な)技術だけは着実に進化を遂げる中で、進化の袋小路的な変態機能が各社から繰り出されている。カシオの超高速連写、ニコンのプロジェクタ内蔵、富士の3Dコンデジなど、言わば「ガジェット的」方向性が見出されるコンデジは多い。こうした機能に「釣られてみる」のも悪くは無いだろう。
一方、デジイチというか伝統的なカメラにおいては、伝統的な遊びとして、テレコンやワイコン、マクロレンズ、フィルタ(クロススクリーンでキラキラな夜景とか、NDフィルタで滝の流れを撮るとか)などによる様々な表現手法が存在する。こうした機材による撮影表現遊びは、ハマると愉しいだろうと思われ。
色々と違いを述べたが、最大の違いはここかも知れない。
コンデジはともかく、結構オート化している。高級なものはある程度マニュアル機能も充実しているが、そういうのはむしろ、デジイチを持ってる人が軽さや機動性を求めて購入するものだろう。
確かに、シーンの操作やズームなど、撮影者の意図は入力されるものだが、大きな方向性としてはプログラムシフトだの絞り優先だのシャッター優先だのよりは、カメラが「勝手に決めた」設定で撮影が行われ、カメラが「勝手に」補正し、時にはカメラが勝手に顔色まで認識してくれた上で、絵として記録される。AFやファインダの敏捷性も高くないので、タイミング的な意味でもある程度カメラに「引っ張られる」部分はあるだろう。というと何かコンデジ駄目じゃん的な印象はあるが、実際「カメラが決めてくれる」気持ちよさ、みたいなのは、確実にある。暗所などの弱点はあるが、記録としての歩留まりは確実に今のコンデジは確保してくれるだろう。
で、デジイチの方はというと、これも一部にはオート機能がオプション的に充実してたりはするものの、総じてはある程度以上「撮影者の意図」を反映する機材である。観光地とかで「シャッター押してください~」と声を掛けてデジイチを渡す人は、普通はいない。
絞りをコントロールしてボケを付けたり付けなかったりとか、わざとシャッター速度を最適からはずして流し撮りとかをしてみたりとか、ピントを被写体の目に合わせてみたりとか、色のバランスを変えてみるとか。こういう機能は、ある程度コンデジにもあることはあるが、制約が付いてるケースが大半である。言わば、コンデジが「メニューから選ぶ」もので、デジイチが「自分で組み合げる」もの。ただ、センスがなければ、機材がいくら良くてもヘボいものしか出来ないという意味で、間違いなく敷居は高く、挫折したら投資が無駄になるリスクもあろう。
そうは言っても、素子とレンズの質の高さでしか実現できない絵はあるので、金と目的があるなら、デジイチに挑んでみるのも良いかな、とは思われ。
目の前に使える道具があるのに、使わない手はないと思うのは間違いなんだろうか?
別にアナログを非難してる訳じゃなく、アナログより使い勝手良いデジタルな方法があるのなら、それを使うのが自然の流れじゃないかな?
例を3つほど出しているみたいなので、私なりの解釈を説明します。
これは、後でそのメモを探す場合に便利だから。
「あれ?あのメモどこいった?あれ?あれれ?」の率が格段に減ります。
まぁ、ちゃんと整理しないとメモを無くすのは紙もデジタルデータも同じ。
>・ミーティング……紙じゃなくて、ノートPCとプロジェクタ使えばいいじゃん
これについては、プロジェクタで表示したデータを、見た人に配れるのならアリだと思います。
そうでないのであれば、お勧めできません。
何故か?ミーティングだけで全て覚えてしまう人は皆無だからです。
>・伝言……携帯有るんだから、いちいち自席まで行く必要ないじゃん
伝言を携帯でやっても意味が無いように思えます…むしろ話しが伝わりずらく時間短縮になりません。
何故か?「伝言ゲーム」といえば、理由は分かりますね…言葉で発した情報ほどアテにならない物はないのです。
さらに、伝言を送る時間を気にする必要が無いため、相手に気兼ねなく送れるというのも魅力です。
メールをした事により「伝言した」という事が記録され、さらに相手には「文章で書かれた事以外の事は知らされてない」という事が明確に分かるため「言った・言わない」で口論になる事が少なくなります。
ちなみに、これは「伝言」の場合であって「緊急を要する件」の場合は電話で話す・直接話すというのは昔から変わらないと思います。
アナログなのは悪い事ではありません。
逆に、どちらかに偏る方が問題だと私は考えます。
某大に生息する理系30代既婚女だが、最近ちょうどこれについて考えてた。以前は、本人が好きで、適性もあって、好きなことを仕事にして機嫌よく生きていけるんだったらこういう道もいい、こちらから薦めはしないけど本人が選択したら応援してあげたいと思っていたけど、今は反対したい気分だ。
同時進行中の痴漢の話じゃないけど、学内で性絡みの事件が多過ぎる。そして圧倒的に男性社会なので公にすることも出来ず、当事者が一人で耐えるしかない状況がある。世の中は女に甘いじゃないかと言われそうだが、セクハラ争議を起こした当事者がそのままの場所に留まることは出来ない。声を挙げると将来が閉ざされる最後の手段なので、そうそう行使することはない。大体、それが起こるのが問題なのに、起こった後の処罰が厳しくても本人の役には立たない(似たような事件を防止する見せしめの効果があるかもしれないので、不特定多数の人の役に立つかもしれないが、本人の役には立たない)。
自分一人分の事例だけ考えても、高校~大学の間に、こんなことがあった。
(なお、他人の事例を勝手に書いてよいものかと思って自分の分を書くだけで、漏れ伝わる学内の話を聞くに似たようなものである。)
この辺までが直接的な事例であり、パターンを学習して自衛するか、ものが無くなる系などはある程度の頻度で起こるのは仕方ないと割り切ってきた。
しかし、なかなか割り切れない事例もあった。
一件一件は理系でなくても起こりうる、ありふれた出来事なのだと思う。しかし、偏った男女比のせいであまりにも一人に集中してしまうところが理系の問題なのだ。一件一件は耐えられる事例でも、連続で起きると耐えられなくなる。周囲もまたかという反応になり、余計孤立する。この状況は過酷過ぎる。これが、自分の娘には理系の進路は薦められないと思う理由である。世の中には知らなくてもいいことがある。自分はたまたま知ってしまったわけだが、最初からこのことを知っていたら、あえて愛する者を飛び込もうとさせるだろうか。これが頭の固い世の大人達の正体なのではないだろうか。彼らは狡猾なので、なにがあるか直接言わずに、悪い虫が・・・なんてあやふやな言葉で誤魔化しているだけかもしれない。
最後に、関連で意外な変化があったので書いておきたい。
20代くらいまではこういったことにはひたすら耐えるのみで目を瞑って全力で駆け抜けて来たが、30代に入って子供を持つことを意識するようになって、性が生殖行為であることを実感するようになって、一気に耐えられなくなった。ある意味、若い頃は実感がないために耐えられたが、今は耐えられなくなっている。周囲からは、若い子だってそんなに騒がないのにオバサンが必死でみっともないと映るだろうか。こういった嫌悪感というものが生殖に深く結びついていることを自分の身を通して知った経験談のひとつとして読んで頂ければ幸いである。
いまいち言いたいことがよくわかんないんだけど、
資本関係があるとか子会社だとかなら凸もわからなくもないんだけど、
過去に利用したことがある程度でなんでそんなに騒ぐんだ?
取引実績って要は会議室貸しました、プロジェクタ貸しました程度でしょ?
そんなの選択肢の中の一つだったってだけだよ。
あと、名前名乗らないのイクナイ。
身元不明の、なんかよくわからんクレームつけてきてる電話なんて、
適当に対応されても仕方ないと思うよ。
所属と名前と質問する理由を明らかにして連絡したら、
もっと違う対応だったんじゃないの?
凸したいだけの暇人に付き合ってる暇はないよ。
あと思うのは黒板に板書する時間の無駄さである。今の授業は先生が黒板を更新するのに5分使うが、プロジェクタなら0.2秒で出来る。色だって黒板ならせいぜい8色だが、プロジェクタなら軽く5色じゃなくて5桁は行く。画像だって表示できるし、動画だって見られる。綺麗に板書をノートにうつすのが授業じゃない。
うちの教授がそんな授業をやっておりました。確かに教授からすれば同じ内容を板書だなんて非効率な作業したくはないもんな。
でも、これがノートに写しづらかったんだわ。黒板に手書きした文字を写すのは、パワポを書き起こすのに比べてこんなに楽かと、このときに気づいた。
そんでノートに書き取る時間もなかった。話しながらパワポをプレゼンしてる人の資料を書き写したことあるかい?普通はそんな必要ないからやらないし、プレゼンなら保存したい人はデジカメでプロジェクタ画像を撮るとか、後で資料をもらうとか、そもそもハンドアウトがあるとかだけど、書き取るしかないんよね。(デジカメ以外は単にうちの教授の落ち度だけど)
で、ノートを取らずに漫然と聞いてると眠くなるし、頭にも入らない。(これは俺の落ち度)
だから、良いところもあるけど、良いところばかりではないような気がするよという話
先生側も生徒側もコンピュータリテラシーのある層(ちなみにここで言うコンピューターリテラシーっていうのはチャットとかでの議論力も含む)、感覚的に言えばコンピューターリテラシー偏差値60以上の層をすくいとってむちゃくちゃ最適化した授業をしてみたい。そういう塾を作ってみたいと、最近思う。私塾イズムってやつだ。
これは面白そうだなー、一般企業にいても周りはあんまりリテラシー高くないので、IT系(笑)で面白そうなことやってる人たち見ると羨ましかったりする
なんでパワポのプレゼンを紙に写すのだ?^^; 先生がPC導入したら、生徒側だってデジカメとかパソコン持ち込めばいいでしょうに。
6年くらい前の話だからそこまで先進的じゃなかったのですよ。あくまでもパワポは教授が楽をするためだったのです。
実はデジカメで黒板撮影してみたこともあります。でも、授業してる先生のパワポを生徒が写メなり、デジカメなりで撮影してる状況想像してみてよ。当時かなり異質な行動に見えたのよ。だから先生が後ろ向いてる時に撮影したんだけど、やっぱりかなり怪しいよな。これが生徒全員が写真撮ったらどうよ?やっぱりデジカメで板書を写すのは現実的でないようですね。
ちなみに別の授業でPC使ってノートを取ろうとしてみたこともあるのですが、数式エディタとか使わないと数式が写せなかったり、数学の記号とか出せなくて苦労するんだよね。
だから元記事の人が書いてるみたいに、授業は話を聞くだけで、資料は配布というスタイルにしちゃうとその辺の困った点は解消できるんだと思った。そうすると手で書いて覚えるってのがなくなっちゃうのはデメリットだとも思う。
大学院に通う友人から聞いたんだが、大学の研究室の研究費って年末に余ると無駄遣いするんだってな!パソコンを毎年買い換えたり、プロジェクタ代わりと言ってプラズマテレビ買ったりすんだってな!国立なのに、俺が毎日残業代も出なくても必死に働いて払った税金でプラズマテレビとはいいご身分だな!!俺はやっとのこと貯金して中古パソコン買ったのに、友人は数値計算が専門でもないのに、ろくに研究なんてしてないのに研究費で新品マックを購入ってふざけるなよ!大学への研究費なんて、年末に無駄遣いするのが普通ってくらいのものなら半分でいいだろ!マジふざけんな!大学教員は氏ね!そして、それを通しちゃう事務も氏ね!!!!