はてなキーワード: アニヲタとは
これ↓
http://d.hatena.ne.jp/pmoky/20071120/p1
これによると宣伝になるから権利者は違法アップロードを容認しているが、ニコニコ動画が宣伝になっているから宣伝料、要はみかじめ料をもらわない限り削除しているらしい。「製作者が削除してるんじゃない、ニコニコが削除してるんだ」ぐらいか。これには素直に驚いた。
いままで違法アップロードを擁護する意見としてはおおむね次のような意見があった。
前者ふたつはどちらかといえばクリエイターに好意的であり、そのクリエイターへの好意と違法アップロードとの板ばさみから、証明をまったく行ってないにもかかわらず「宣伝効果がある」、「中間搾取が行われている」などと主張し違法アップロードを正当化しようとした。最後のひとつはなぜか違法アップロードのアニメを見ているのに、いざ批判されると「アニメの質が低い」「アニメなんてつまらないからどうでもいい」「ビジネスモデルがおかしい」と主張、というか開き直りをする。違法アップロードを正当化する意見としては主にこの三つがあった。
当初は「宣伝効果がある」説のように製作者と対立を引き起こさない意見が主流で、そうした説を唱える人は「宣伝厨」と呼ばれていた。しかし最近は「権利者やアニメは糞」説が有力となり、クリエイターを含めた製作者が批判されるようになってきた。きっかけは
である。これによりクリエイターも違法アップロードが嫌っていることが明らかになった。しかもニコニコ動画での規制が厳しくなってきたために、これが一部のクリエイターの意見ではなく製作者全体がそうした意見であることがわかってきた。その結果、まがりなりにもクリエイターを尊重する「宣伝効果がある」、「中間搾取がされているからDVDにお金を出したくない」という系列の意見はなりを潜めてきた。そして違法アップロードを正統化したいがために「権利者やアニメは糞」という系列の意見が台頭し、クリエイターを含めた製作者が批判されるようになった。これは前出の痛いニュースやへいわぼけの該当記事を読めばわかる。また今日はてブにあがっている「ニコニコ動画が成功したのは著作権侵害のおかげではないの?」なんかもその典型例で権利者を抵抗勢力呼ばわりしている。このように最近ではクリエイターを含めた製作者が違法アップロードを嫌っていることがほぼ明らかになってきたため、「宣伝効果説」が崩れ違法アップロードを正当化するために製作者が批判されるようになった。最近では地方で見れないという要求にこたえて、製作者側も最新アニメをGyaoなんかで無料配信してるのにね。
このような一部のモラルのないネットユーザーと製作者との一触即発の事態に「製作者が削除してるんじゃない、ニコニコが削除してるんだ」という製作者と対立を引き起こさない意見・・・、清涼感を感じずにはいられない。「製作者が削除してるんじゃない、ニコニコが削除してるんだ」という意見では製作者は違法アップロードを容認していることになり、違法アップロードを擁護しても製作者と対立を引き起こさない。そして敵はニコニコ動画となる。違法アップロードは宣伝になるがゆえ、ニコニコ動画は宣伝料が払われない限り管理者削除をする。「製作者が削除してるんじゃない、ニコニコが削除してるんだ」説によれば違法アップロードの敵はニコニコ動画なのだ。「製作者が削除してるんじゃない、ニコニコが削除してるんだ」説は製作者と対立を引き起こさない仮説なのである。最近の状況では以前はクリエイターを尊重し「宣伝効果説」などで違法アップロードを正当化していた人も、いまじゃ「製作者糞説」「アニメ糞説」を唱えてそうだ。そうした状況にあってひたすら製作者を立て、違法アップロードを正当化しようとするのはある意味「天晴れ!」としかいいようがない。まぁ、ネタでいってるのだろうし、現実を無視しているけど。でもドクロちゃん事件によって「宣伝効果説」などが崩れてしまったことにより生じた製作者批判の高まりの中にあってはいいネタなのです。いくら「二次創作がすごい」「コメントでおもしろくなっている」っていっても、元の作品がなきゃいけない。だから製作者は尊重しなければならない。そのことだけはきちんと考えているのだから。
つーかアニメがGyaoなんかで無料で配信されるようになってきたのに、違法アップロードする人が批判されねーのはおかしいのですよ。まだ少ないけど、実績をつめばもっと配信されるようになるかもしれないのに。ニコニコは小さいときから見守っても他の正統なコンテンツは支えないのか。
http://anond.hatelabo.jp/20071030225659
元増田です。
一日経って、思いの外多くのブクマコメを頂いた事に驚いています。
いくつか御返事をば。
b:id:FTTH 駄目だ駄目だ駄目だこの増田は駄目だ。「アニメ業界はもう滅ぼせ」ってタイトルなら普通外山テンプレだろ常考。 / 趣旨には同意しなくもないw
b:id:bunoum スクラップアンドスクラップがなくてほんとガッカリだよ
b:id:mojaru 外山さん降臨かと思ったらそんな事はなかった…
申し訳ないです。
このタイトルで書き始めた時はもちろんそれを念頭においてはいたのですが、リアル世界でこういうことやるとことごとく滑るんですね。
で、書き始めたのを読み直したら長い割につまらないので切りました。
有志の立候補があると嬉しいです。
b:id:caprin 高尚であるかどうかの前にあなたは『トップ』や『時かけ』を見て心揺さぶられるようなことは無かったの!? その業界で頑張っている人がいる以上、門外漢が軽々しく「潰せ」と言えるような話ではない。
個人の感傷と、産業としての可能性は別です。
ですから、「業界を潰せ」とは書きましたが、「文化としてのアニメを潰せ」とは書いていません。
ご了承下さい。
b:id:tokoroten999 市場規模を語る時に必ず豆腐業界って出てくるのな。でも豆腐と違ってアニメは腐らないよ。(数十年に渡ってコスト回収が可能)あと豆腐業界(というか食品業界)も袋小路加減は一緒。
しかし、その袋小路に入っている豆腐業界より規模が小さいというのは、豆腐以上にアニメが必要とされていないという事でしょう。
回収が可能である事と、実際に回収できる事はイコールではありません。
将来の回収可能性にかけて墓穴を掘った事業の例など、山のようにあるでしょう。
b:id:moyasi45 バブル期と比べて衰退というのはもう止めないか?
それはおかしいでしょう。
日本経済のバブル期にさえ落ちなかったほどの金がアニメ業界に落ちていて、しかも回収できないというのが問題なわけですから。
b:id:rlight ゲーム業界みたいに新たな顧客層を開拓することが必要なのかな
アニメ業界の一番の先輩方がもう老齢なのですから、そうした方々がプロデュースに関わって、中高年に見てもらうためのアニメを
つくる動きがあってもいいと思うのですね。
アニヲタはやけに嫌いますが、アニメ特撮とパチンコのタイアップなど、入口としては最適でしょうし。
(北朝鮮云々の反論は聞く耳を持ちません、念のため)
b:id:kanose 撤退するところは出てくるだろうから、いずれ適性になると思うけどなあ。それよりも手描きアニメにおいては、海外に外注できない部分(キャラデザやコンテなど)のスタッフ育成ができるかどうかが気になる
押井守にしても、『一発貫太くん』や『ゼンダマン』の演出をしながら腕を磨いて今の世界を作ったわけですから、
作る場さえ残っていればどうにかなるのではないでしょうか。
b:id:mgkiller 釣りとしては論拠が浅いなあ。駄目だからなくせばって言うだけなら阿呆でも言えるわけで。20点
石炭産業だって公営競馬だって、ダメな上に復活の兆しもないから切り捨てたわけで、
アニメも多分無理だから滅ぼせと言う事で。
だいたい、アニメに限らず日本人にはテレビの映像表現に関する限り乞食根性が染みついてるわけで、
テレビ番組に関する金払いがいいなら、アメリカみたいにPPVがもっと広がるわけですよ。
しかし、PPVは勿論の事、WOWOWもスカパーもケーブルテレビも、決して日本人のライフスタイルにおいて一般的な存在になってない。
そんな状況において、いわんやアニメのテレビを経由しないビジネスなど、という話ですよ。
b:id:exhalatio 他人から評価されなくても好きだから続けているみたいな人を全否定するいいエントリーでした。ごちそうさまでした。
語るに落ちたとはこのことでしょうか。
アニヲタはやたら搾取搾取というけれど、好きだから続けているだけで採算も取れないような産業に企業が金を投じているなら、
金を搾取してるのはどっちだよという話です。
好きで続けてるなら、バイトで食い扶持稼いでニコニコに自作のアニメを投下すれば済む話です。
さて、ここからが本題。
事態がこうなった原因は、おもちゃ屋とマンガ屋の宣伝に徹していればいいものを、何を考えたかそれ以外のものを作り始めて、
ほんの一握りの、人の心を掴むのに長けた天才が成功したもんで、これ幸いと背広を着たお偉方から金を搾取できると調子に乗った
アニメ業界側にあるのだろうけれど、考えてみたら、アニメなんかガキとキモヲタの慰み物だと思って愛着のかけらもないくせに、
あるいは「だからこそ」と言うべきか、アニメを博打の駒として弄び大金をドブに捨ててきたテレビ屋と広告屋にも責任の一端は
あるんでしょうね。
まともな大人なら、アニメ作るのに金出せなんて言われたら、
くらいのことは言って追い返せばいい物を、業界内の山師が口八丁手八丁で誑かし、岡田斗司夫あたりが語るアニメ文化論に
ホイホイ乗せられて、勝ち目のない博打に目の色変えて突入して、挙げ句の果てには政府までがそこに乗っかってくる。
正気の沙汰じゃないでしょこんなの。
それでこれから先発展する見込みがあればいいけど、今でさえ零細な上に今後先細りするのは目に見えているわけで
(少子化人口減だから当然ですよね)、どうしようもないでしょ。
テレビ屋広告屋の方々にはいちいちお伺いするまでもないでしょうけど、別にアニメなんか好きでもなんでもないんでしょう。
だったら、こんな儲けも出ず将来性もない事業には、 冷徹にビジネスとしての判断を下してとっとと見切りつけて下さい。
広告屋がスポンサーを探さずテレビ屋が放送しなければ、新しいビジネスモデルを実現できる能力のあるところ以外は
あなた方がさんざアニメ業界を甘やかした挙げ句、いよいよにっちもさっちも行かなくなれば切り捨てるのは分かってるんですから、
「文化を守る」とかいう美辞麗句に騙されず、実行力も経済力も皆無なくせに口だけは五月蠅くネットの中だけでオダを上げる
キモヲタなどにかまうことなく、一刻も早くアニメ業界から手を引いて下さい。
謹んでお願い申し上げます。
==ちょっと追記==
肝心な事を書き忘れていた。
結局、そうすることで何を達成したいかと言えば、
「真夜中に一人でアニメ見ながらブヒブヒ言ってるキモヲタのアニメからの排除」
ということです。おもちゃ屋の宣伝アニメという制限の中で作る側も工夫を凝らし、見る側も目を養ってきたのだから、
http://anond.hatelabo.jp/20071029120717
ネットサービスにおけるロングテール(を見越したマーケティング)とは販売流通の大幅なコスト圧縮によって今まで扱うと採算割れだった商品も取り扱ってその分の僅かな稼ぎも積み増しましょうって商売な訳で。
例えば10年置いていてもに1冊も売れないような分厚い学術書とか棚を占有するくせに金にならないから扱いたくなかった。でもamazonみたいに日本全国の客を相手に1つの倉庫で対応すれば商売になるってかんじでね。
アニヲタ客(予備軍)のロングテールへの対応は現状単価が最も安くつくテレビ(視聴者がべらぼうに多いから一人当たりの単価が下がる)でリーチしてるからフォローできてるでしょ。DVDをタダで上げるのがロングテールへのフォローじゃないわな。
そもそも本当に良いものを求める人はテレビなんか見ないよ
必死になってる時点で君もアニヲタも理解力の無い一般視聴者も同列なんだよ
はっきり言って今更テレビに何期待してるの・・・・?
の件で、どっかの2chまとめサイトに「ドラマは止めないくせに」とか「じゃあコナンも放送止めろよ」みたいなことがあって、これは結構重要なポイントではないかと思う。
たとえば昔は「ギフト」とか、これは確か再放送だった気がするけど「銀狼」とか、その辺のドラマも結構こういう感じで規制がかかったりしていたんだけど、最近はあまりそういう記憶がない。さらにミステリとか、ホラー(実写)とかも、宮崎勤のころは槍玉に上がったものだけど、最近はスルーだ。
なんでスルーされたのかって考えると、なし崩し的に認められたとしか思えない。もちろん当時からそういう規制に対して反感の声をあげる人はいたんだけど、別にそんなに精緻な論理を組み立てたわけじゃなくて、云っていることは今のアニヲタと大して変わらない感じだったと思う。それでもなんとなく認められたのは、表現媒体としていつの間にか地位があがっていたということなんではないかと。
だからアニヲタの人としては、とりあえず声をあげていくのが正しいんではないでしょうか。あと、作り手側がきちんとものを云っていくとか(「ギフト」のときは飯田譲治が本を出してる)、社会的影響力のある人が発言していくとか。つまり、麻生太郎はこういう時に仕事をするべき。
最近落ち着いてきたけれど、自分のブログに書いて笑い話に出来るほどにはなってないから、ここに書くよ。
病院行って診断受けたわけじゃないから、あれが欝だったのか、そうでないのか、分からないし、今は明らかにマシ
だけど、完治したかもわからない。
でも、去年、僕は欝だったんじゃないかと思う。
どんな感じだったか。
いろいろなものが脈絡もなく、ない交ぜになっていたから、ここに書くこともそうなってしまうけれど。
まず、端的に言うと、「明日生きている自分が想像できなかった」
明日? うーん、分かんない。どうでもいい。
そんな感覚。
そして、ありとあらゆる感覚が鈍磨していった。
ご飯を食べても粘土を食べてるようなもんで、食欲が失せた。
一番ひどいときは、一ヶ月近く、食べる量が半分くらいになった。
痩せた。
とはいっても、120Kgが100kgになっただけだけど。
ズボンがゆるゆるになってしまった。
アニヲタだったし、大学受験のときは、漫画に励まされて、その勢いで、受かってしまったくらいのヲタクだったけれど、
そういうものを見ても、以前の10分の1くらいしか、心が動かないような気がした。
何を読んでも、砂を噛んでいるようだった。
でも、何よりも、一番つらかったのは、そういう風になっている自分を、恐ろしく冷徹な目で観察しているもう一人の自分が
いることだった。
その、冷徹な目で、その自分を見るのが、つらかった。その目で、見られるのが、つらかった。
自分が、どんどん駄目になって行ってるのが恐ろしく良く分かった。
今はどうなのか。
大分マシだとは思う。
ご飯は食べられるし、ニコニコを見ていて、笑うことも出来る。
そして、「明日生きている」ことも想像できる。これは、一日、二日とだんだんと伸びていって、今は1ヶ月くらいには
なっているんじゃないかと思う。
ひょっとしたら、もう少し、長いかもしれない。
ちょっと、よく分からない。
もう一人の自分を意識することは、あんまりなくなった気がする。
消えてしまったのか、隠れてしまったのか、慣れてしまったのか、気にならなくなったのか、それは分からない。
この体験が、僕に固有のものなのか、欝に共通するのかは、分からない。
でも、ああして自分を見つめること、ああして、自分に、見つめられること、そして、その時間は、本当に恐ろしい。
願わくば、二度と味わいたくはない感覚だった。
本当に。
これからどうするか。どうなるかは分からない。でも、一つだけ心に決めていることがある。
いつか、もう少しだけ、時間がたったら、これと同じ内容を自分のブログに書くよ。
それだけは、決めておこうと、思うんだ。