2007-06-27

もう一人の自分

最近落ち着いてきたけれど、自分のブログに書いて笑い話に出来るほどにはなってないから、ここに書くよ。

病院行って診断受けたわけじゃないから、あれが欝だったのか、そうでないのか、分からないし、今は明らかにマシ

だけど、完治したかもわからない。

でも、去年、僕は欝だったんじゃないかと思う。

どんな感じだったか。

いろいろなものが脈絡もなく、ない交ぜになっていたから、ここに書くこともそうなってしまうけれど。

まず、端的に言うと、「明日生きている自分が想像できなかった」

明日? うーん、分かんない。どうでもいい。

そんな感覚。

そして、ありとあらゆる感覚が鈍磨していった。

ご飯を食べても粘土を食べてるようなもんで、食欲が失せた。

一番ひどいときは、一ヶ月近く、食べる量が半分くらいになった。

痩せた。

とはいっても、120Kgが100kgになっただけだけど。

ズボンがゆるゆるになってしまった。

アニヲタだったし、大学受験のときは、漫画に励まされて、その勢いで、受かってしまったくらいのヲタクだったけれど、

そういうものを見ても、以前の10分の1くらいしか、心が動かないような気がした。

何を読んでも、砂を噛んでいるようだった。

でも、何よりも、一番つらかったのは、そういう風になっている自分を、恐ろしく冷徹な目で観察しているもう一人の自分が

いることだった。

その、冷徹な目で、その自分を見るのが、つらかった。その目で、見られるのが、つらかった。

自分が、どんどん駄目になって行ってるのが恐ろしく良く分かった。

今はどうなのか。

大分マシだとは思う。

ご飯は食べられるし、ニコニコを見ていて、笑うことも出来る。

そして、「明日生きている」ことも想像できる。これは、一日、二日とだんだんと伸びていって、今は1ヶ月くらいには

なっているんじゃないかと思う。

ひょっとしたら、もう少し、長いかもしれない。

ちょっと、よく分からない。

もう一人の自分を意識することは、あんまりなくなった気がする。

消えてしまったのか、隠れてしまったのか、慣れてしまったのか、気にならなくなったのか、それは分からない。

この体験が、僕に固有のものなのか、欝に共通するのかは、分からない。

でも、ああして自分を見つめること、ああして、自分に、見つめられること、そして、その時間は、本当に恐ろしい。

願わくば、二度と味わいたくはない感覚だった。

本当に。

これからどうするか。どうなるかは分からない。でも、一つだけ心に決めていることがある。

いつか、もう少しだけ、時間がたったら、これと同じ内容を自分のブログに書くよ。

それだけは、決めておこうと、思うんだ。

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