最近落ち着いてきたけれど、自分のブログに書いて笑い話に出来るほどにはなってないから、ここに書くよ。
病院行って診断受けたわけじゃないから、あれが欝だったのか、そうでないのか、分からないし、今は明らかにマシ
だけど、完治したかもわからない。
でも、去年、僕は欝だったんじゃないかと思う。
どんな感じだったか。
いろいろなものが脈絡もなく、ない交ぜになっていたから、ここに書くこともそうなってしまうけれど。
まず、端的に言うと、「明日生きている自分が想像できなかった」
明日? うーん、分かんない。どうでもいい。
そんな感覚。
そして、ありとあらゆる感覚が鈍磨していった。
ご飯を食べても粘土を食べてるようなもんで、食欲が失せた。
一番ひどいときは、一ヶ月近く、食べる量が半分くらいになった。
痩せた。
とはいっても、120Kgが100kgになっただけだけど。
ズボンがゆるゆるになってしまった。
アニヲタだったし、大学受験のときは、漫画に励まされて、その勢いで、受かってしまったくらいのヲタクだったけれど、
そういうものを見ても、以前の10分の1くらいしか、心が動かないような気がした。
何を読んでも、砂を噛んでいるようだった。
でも、何よりも、一番つらかったのは、そういう風になっている自分を、恐ろしく冷徹な目で観察しているもう一人の自分が
いることだった。
その、冷徹な目で、その自分を見るのが、つらかった。その目で、見られるのが、つらかった。
自分が、どんどん駄目になって行ってるのが恐ろしく良く分かった。
今はどうなのか。
大分マシだとは思う。
ご飯は食べられるし、ニコニコを見ていて、笑うことも出来る。
そして、「明日生きている」ことも想像できる。これは、一日、二日とだんだんと伸びていって、今は1ヶ月くらいには
なっているんじゃないかと思う。
ひょっとしたら、もう少し、長いかもしれない。
ちょっと、よく分からない。
もう一人の自分を意識することは、あんまりなくなった気がする。
消えてしまったのか、隠れてしまったのか、慣れてしまったのか、気にならなくなったのか、それは分からない。
この体験が、僕に固有のものなのか、欝に共通するのかは、分からない。
でも、ああして自分を見つめること、ああして、自分に、見つめられること、そして、その時間は、本当に恐ろしい。
願わくば、二度と味わいたくはない感覚だった。
本当に。
これからどうするか。どうなるかは分からない。でも、一つだけ心に決めていることがある。
いつか、もう少しだけ、時間がたったら、これと同じ内容を自分のブログに書くよ。
それだけは、決めておこうと、思うんだ。