はてなキーワード: 関西とは
その、なにか特定の「語」が好きじゃないって感覚がわからんし、大阪の人でいやなのはそこだ。
○○語は好きじゃない違和感を感じる、まして嫌いとか言ってる人までいるし、何か何様なんだよって。
俺は別にどんな方言だろうが別に嫌いになんかなったことないし、普通そういうもんだろうと思う。
各地で色んな方言、標準語も含めて、色んな話し方があるんだからそれはそれで尊重すべきじゃないのか
別にそれは意識しなくたって普通そうだし、普通嫌いになったり見下したりする気持ちは湧かないだろ?普通にしてればさ。
なのにどうして大阪の人はそうなんだ?
別に大阪の人が大阪弁はなすのはどうだっていいけどそうやって他の語を見下してる感じが何様だよって感じで腹立つんだよ。
ただでさえ大阪の人間ってのは大阪以外のものを何かと拒否しがちで。やれうどんは関西だの味噌はどうの。
お前らもうじゃあ大阪から出てくんな、っていいたくなる。
こんな県、ここだけだよ。ほかの都道府県民でこんな事言ってる奴いねーよ?
いやそもそもね、全く見ず知らずの相手だったりそんなに仲良くない相手ならば、丁寧語で話すじゃないですか。そして丁寧語だと、関西弁の表面的な特徴は消えるわけですよ。私もさすがに東京に行って、「トイレってどっちいったらいいんやろか」とか言いませんよ(関西でも言わないw)。「すいません、トイレってどこにありますか」って言いますよ!ほら表記は標準語です。イントネーションは関西弁丸出し(京阪アクセント)ですが、それはさすがに切り替えるのが難しいので許して頂きたい。
「これって○○ですか?」の質問にうっかり、「ちゃいますよ」って答えてしまうときはありますよ。関西弁です。でも東京の人だってはっきりと「 ち が い ま す よ 」って発音しているわけじゃないじゃないですか。個人差だとは思ってもらえないですかね。
「ちょぉお茶でもせん?」(茶ぁしばくとはさすがに言いません)って関西弁で言う時、これを標準語に直せ、といわれて「少しお茶でもしませんか?」は簡単なんですが、「ちょっとお茶でもしない?」(←そもそも正しいのかも分らない)は非常に難しいのです。「どこ行っとったん?○○さん探しとってやったで」を標準語に直す時、「どこに行ってたんですか?○○さんが探しておいででしたよ」は簡単なんです。でも話し言葉だと…「どこに行ってたの?○○さん探してらしたよ?」←何か違う。そもそも「どこ行ってたの?」の最後の"の"が間違いなく"ん"に限りなく近くなる。あーもー無理!
東京にも方言はあるけど、ベースは標準語よ?今これ、くだけた言い方だから口語的表現になってるから、揚げ足とりなしね。
東京の人が大阪に行って標準語つかうのと、大阪の人が東京に来て大阪弁話すのと、全然次元がちがう話でしょ。
異郷の人とのコミュニケーションでスタンダードとされている言葉を使わないってことなんだから。
極端に言えば、コリン語話しているのと同じだろ。
もちろん言葉に幅はあるし、方言が多少は出てしまうのはしょうがない。
ただ、関西の人はそもそも共通の言葉を異郷の人に向かっても話そうとしていない、そこが違うんだよ、他の地域の人と。
東京の人が大阪に住んで、徐々に関西弁を話すのはいいことだ。周囲に溶け込もうとしているわけだからね。
関西の人がそれが嬉しいっていうなら、どうして自分たちは同じことが出来ないの?
殺意を覚える…とかはおちゃらけた言い方で、本気で殺したいと思うわけではないんですよ。気を悪くされたら申し訳ないです。
ただ何だろ…私に限って言うなら、どうしても関東弁は「演技しているっぽく」聞こえるんですね。「~だよね(語尾上がる)」とかどうしても違和感がある。関西弁も同じようにきつく聞こえたり怒ってるように聞こえたり下品に思われたりしているのでしょう。昔修学旅行の際に、「関西弁は喧嘩を売ってるように聞こえることがあるらしいので言葉遣いには気をつけるように。特に播州弁の人間(デフォで「何どい」とかいいますから)」なんて注意されたこともありますし。
ただ関東弁キモい、と、東京に来て何で関西弁使うの?、は若干方向性が違うと思います。別に私は関西に来た関東の人間に関西弁使えよ、とか思いませんし(徐々に染まってくれれば嬉しいですけどね)。
そもそも関西の人が東京の言葉をむかつくとか、8割がた殺意を覚えるとか言っておきながら、自分たちの言葉を、他の地域の人たちが同じように感じているかもねっちゅう想像力がないのが問題だろ。
関西の言葉を悪く言うのが失礼なら関東の言葉を悪く言うのも失礼だろ。
つくづくジコチュウだと思ったよ、関西人は。
でも、こうやって、話し言葉に意識があるということは、自分の発声する声にも意識を傾けることができるということです。
私は、イントネーションよりも、同じトーンで並ぶ話し声や、円みのない角のある発声音が苦手です。大変な苦痛を感じます。
みんなが、話し言葉に意識を傾けることで、町の中の音が美しく変わるかもしれませんね^^。
私の友達は、東京に長い間住んでいたけど関西弁がどうしても直らへんと悲しんでいました。
その方言が強く染み付いた人は、意識的になかなか直せないものです。
私も、昔、酒場でからまれて、半泣きしたことがあるのよ。
どうか、優しくしてあげてね。
みんなで、仲良くしましょうね。
関西人が特異なのは、何年も東京にいて、関西の人以外に向かって東京で関西弁で話すところだろ?
直そうという気すらない、あの態度。
ちなみに、私は、ええんちゃうと言います。
方言は意識して話すものではありません。
関東・中部・関西・四国と渡り歩きましたが、方言は自然に出るものだと思っています。
例えば、大阪に遊びに行って、中部の人と歩いていると言葉が色々と混ざってきて当の本人も訳がわからなくなります。
そして、中部地方の方は勘違いをしているようですが、標準語を使っているような話し方をされますが、イントネーションはまさに中部オリジナルです。
いろんな地方に渡り住むと言葉に対しての壁はなくなるでしょう。
私は、中部地方の方と長年、結婚生活をしていましたが、標準語を話せと強いられ、つらい経験をしました。
ですが、当の本人は和歌山の女の子と浮気をしていたのか、女っぽい和歌山弁をたくさん聞かせてくれました。
「こんなことあったんよう。」みたいな感じでかなりぎょっとしました。男を辞めたのかと思いました。
高知弁もなかなかええき、使ってみいや。
いや、なまりがあるのと、標準語を使おうともしないのは全然ちがうから。
http://anond.hatelabo.jp/20071004093022
関西の人は横柄な人が多いね、っていうだけのはなし。
日本国から出て行ったほうがいいんとちがう?
http://q.hatena.ne.jp/1191162777
逆になぜ東京にいったら標準語を喋らないといけないんだろうか、とか思った。意識して替えるものなのか?
いきなり標準語に切り替えるのも普通無理だし(特にアクセント)。ちょっと長い間滞在してたら、抵抗感あってもいつの間にか関西弁抜けてくるし。そもそも標準語じゃなくて関東弁だろ、と思うし。
テレビや文字ならOKやけど、リアルで話されると約8割の関西人は殺意を覚えます
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://q.hatena.ne.jp/1191162777
これには同意。そういえば昔は、いわゆるテレビ中の【関西弁キャラ】が話している言葉と自分の言葉が一緒だと思ってなかった。気づいた時は物凄く衝撃的だった。
というか自分の出身地以外のところにいったとき、自分の出身地の方言を話すのは普通のことだし、関西だけの特徴でもない。私が住んでいるのは関西の某県だけど、勤務先には就職してもう十年経つのに未だに頑固に関東弁を話す人間も九州弁バリバリの人間も山陰ぽい人間も混ざりすぎてよくわからないイントネーションになってる人間もいる。
九州って青タンのことを青じみって言うんだよ。始めて聞いたときはびっくりした。-ばいと-たいにも厳密な使い分けがあるらしいよ。さっぱり忘れちゃったけど。
ピリピリとした空気の中だった。関西のとある都市に若き家電メーカー営業マンが降り立った。
彼は某社神戸営業所に赴任するなり1ヶ月で1000円の売り上げを記録。「半年でもう伝説やった」と当時を知るものは言う。当時、大学卒の初任給が50円ほどの時代であったから、ものすごい。
彼の武器は1つだけ。新人とは思えない、有無をいわせぬ威圧感だったという。そして顧客に向けその威力を存分に発揮した後、必ず発せられる決めぜりふがあった。そのセリフを聞かされるときには、すでに彼の精神圧迫に巻き込まれているわけだから、言葉自体に力があったわけではない。しかし、関西の営業マンの間では、戦後のある時期までその決めぜりふがまるで護符のように受け継がれてきた。つまり、かの有名な
「どうです家電?」
がそれである。
もちろん、“伝説の営業マン”とは若き日のクロサワであることは言うまでもない。「クロサワが残っとったら、関西の戦後復興は5年早く進んでいたやろうなぁ」そう関西実業界の元老たちが目を細め昔語りをするのも、うなずける話である。
家電量販店はわからないけど、、、
中古車業界なんかは、関西では値切られる事を前提に値付けしているらしいね。
関東では値切っても変な目で見られるし、むしろ印象悪くしてアフター面で逆効果だったり。
関西ではディスカウントを入り口にしてコミュニケーションが始まるけど、
関東だと販売員を信頼して任せ、損して得取れ的な空気って感じかな。
郷に入っては郷に従え、とは微妙に別の話ですね。はい。
いいなぁ。。。そんなお気楽(?)に安く買えて・・・
そういや、うちの兄はJRに就職して、一人大阪に行ったのだけれども、帰るたびに関西弁の方言・なまりが増えている・・・
最近、地元に転属し、帰ってきたけど、それでも少々関西の血が入っているようで・・・
恐るべし、関西パワー・・・――――
そういえば家を出る時に家電を一式買い揃えて、トータル10万ちょいだったのを9万5千円まで値切った。それで交渉終えてレジに行ったら、レジのお姉さんがカタカタレジ叩いて、「あ、これ計算間違ってますね。9万4千8百円です。9万4千円にしときますよ^^」と言った。ちょっと待て!9万4千8百円なら最低でも9万まで値切る!8百円引いて終わらせる気か貴様!と思った。でも瞬時に会計までもっていかれて言い出せなかった。店の方が一枚上手だったのだろうなあ。思い出すと悔しい話。
この話をしたら、量販店で値切んなよ、と友人には言われた。大きい家電なら普通値切る(少なくとも「これ何円になります?このくらいになりませんかー?」くらいは言う)だろと思うんだけどな。
冷蔵庫を買う時に62000円を49800円にしたのが個人的には過去最大の戦果。関西在住の人間ならひとつくらい何か人に語れる戦果を持ってるんじゃなかろうかと思う次第。
http://anond.hatelabo.jp/20070925154752
↑この日記を書いたものです。
さて、別にここのURLは読まなくてもいいです、簡単に説明すると
私は昭和56年生まれの今年26歳になる女で、現在はなんと無職です。
関西の某四大を卒業後、とある企業の受付事務を約3年務めた後、辞めました。
+α情報としては、関ジャニ∞が好きだったりする痛い部類であるという事を付け加えておきます。
あと、白髪を毎週20本程抜いている・・・という事も。
あと、156センチ48.4キロで、体脂肪率が30%だという事も。
さて。
長い間、無職を続けてきた私ですが、
ようやく応募したい職種の仕事が見つかりました。
結果はどうなるか解りませんが、取り敢えず履歴書を投函してきます。
あと、今宵も勿論、ウォーキングに行きます。
きっと養分になる事でしょう(ノ∀`)
250 :名無しさん:05/03/12 13:47:39 0
□難関私立大学 最新格付け 2005□
1位 : 慶応大・・・偏差値・就職・資格など、「自称」だけど私学No1。
2位 : 早稲田・・・私学でトップクラスだが、色々「下品」な話題が挙がる。スーフリ大学w
3位 : 上智大・・・受験界では「早慶上智」と言われるが、マーチに越される(た?)予兆あり。
4位 : 明治大・・・校舎も新築し、就職・資格・偏差値のバランスが良い。「早慶明治」を狙う御茶ノ水大学。
5位 : 同志社・・・関西私大の雄を自認するが、最近では「振り向けばリッツ」の焦りあり。マーチ上位級。
6位 : 立教大・・・マスコミなどに強く、校舎も好評故に、2005年度もなんとかマーチ上位を確保。
7位 : 法政大・・・「改革・躍進」を推し進め、イメージ・偏差値も急上昇。人種の坩堝的な大学。
8位 : 立命館・・・「偏差値操作」で悪評高くも、受験生急増。関西私大トップを目指す。自称「命>同」。
9位 : 中央大・・・「伝統の法学部」で「法学部」は上智に並ぶが、他学部に不調感あり。実績はある。
10位 : 学習院・・・「皇室御用達」だが、それしか誇れるものは無く、「マーチ未満」との評価の小規模学校。
11位 : 青学大・・・女子高校生(限定)に絶大な「ブランド」を誇るが、実績は乏しい。「青学スタンダード」。
12位 : 関学大・・・最近凋落著しく、人気は関西限定。首都圏では「西の関東学院」とも…
13位 : 関西大・・・「法科の関大」でそれなりに評価が高い。「難関私大最後の牙城」。 依然人気は高い。
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その他
その日は朝から作業を進めていたが、さっぱり進まない。夕方になってもさっぱりだったので一区切りの意味もかねて気晴らしに増田オフ(飲み会のみ)へ。
店員に案内してもらって「こんにちは、増田さんですよね?」とか声をかけた気がする。話してても思ったのだけど増田オフだからある意味名前がないのね。なるほど。そう言えば自己紹介も何もなかった。
話題はネットとかそのへん。一部除き特に固定の話題はなくてちょうどこの増田みたいな感じ。アニメと漫画のネタが少なかったのは増田のせいか。……よく考えたらそれらのネタが使えるのも2chとニコニコ動画がメインなのか。とりあえず雰囲気とか全体を通して増田だなぁって感じ。2chとかミクシーとかのオフだっともっと違う気がする。
そして途中からわかったのだが五人のメンバー中、今回初参加は私一人だけらしい。それに増田チャットで多少話したことのある人達らしい。へー、そうだったのか。どうりで会話の中で少し違和感があると思った。会話がスムーズだと思ってたらそういうことね。
とりあえず増田の人達がどんな人達かわかった。増田らしい人たちでよかった。やはりこんな感じが一番心地よい。またその内お邪魔します。
当日は午前中からの野暮用で集合時間には間に合いそうもなく、参加表明をしておいた方が良いような気もしたが、どうなるか分からなかったのでそのままにしていた。前回だって全くその場の思いつきだったんだ、今回も行き当たりばったりで行こう。二度目の増田オフ、ということは俺史上二度目のオフ会参加。
結局現地に着いたのは集合時間より1時間も後。一応該当の場所を見に行ったが、休日の人混みの中にそれらしき一団を見つけることはできず、まあ当たり前か、このクソ暑いのにじっと立って待ってるなんて有り得ないよな、と納得して地下鉄で一旦帰宅した。
着替えて、洗濯物干して、ひとっ風呂浴びて、はてな匿名ダイアリーの画面を開く。この前みたいに夕方合流すればいいか、と思いながら幹事にメールしたり匿名ダイアリーにどこにいるのか尋ねる投稿をしてみたりしていると、どうやら比叡山に向かっているらしい。
比叡山か。夕暮れの比叡山は何かと思い入れのある情景なので久々に行ってみたいし、夕方までにやっつけるつもりだった作業をするにはもう中途半端な時間になっていたので「今から向かいます」と返信して出発。日没までには何とか山頂に着けるだろう。今回も後先全く考えずに動いているが、細かいことは後から考えればいい。
地下鉄、叡山電車と乗り継いで、ケーブルカー。ここまでの間に今にも泣き出しそうな空模様になっていたが、通り雨はすぐに上がった。日曜の夕方、人影も疎らな八瀬駅で、勾配に合わせてあらかじめ傾いだ形の車両の一番前に乗り込む。おっさんになっても、こういう乗り物には何となくわくわくしてしまうのが自分で可笑しい。大正時代に造られたという軌道と回る滑車に導かれるケーブルを眺めながら、もう一度連絡しておこうとして気付く。俺の携帯、ここだと圏外だ。
まあいいや、仕方がない。ケーブルカーからロープウェーに乗り換え、山頂へ。もうじき日も暮れようとしている時間、売店もシャッターを下ろし、閑散とした展望台から京都市街を見下ろす。谷間に溜まった霧のような雲が風に乗って吹き過ぎていく。まだジメジメと蒸し暑い市街地からすればかなり涼しくて快適だ。しばらく風と霧に吹かれながらポツポツと灯りの点り始めた街をぼーっと眺める。あー、なんかいいなー。
気が付いたらもう五時半を回っていた。そうだオフ会だよオフ会。でもケータイ通じないから連絡取りようもないし、さっきの雨でみんなもう下に降りてるかも知れない。確か19時くらいに四条で云々って書いてあったから、とりあえず降りてみるか。再びロープウェーとケーブルカーを乗り継いで下界へ。合流できるかなあ。できればいいなあ。
じっとりと暑い夏の名残に少々うんざりしながら、出町柳の駅で通じるようになった携帯で連絡を取ってみると、みんなまだ山頂にいるらしい。構内のロッテリア――ロッテリアに入るのって、何年ぶりだろう――でコーヒー飲みながら少し待つと「出町柳に着きました」と連絡が。
同じように人捜し顔でキョロキョロしている人を探せば良いんだな、でも駅の出口ってそういう人多いよな、と思いつつ改札を出た所でウロウロ。程なくそれらしい人を発見したので、
「あー、あのー」
「あー、ああ、どうもどうも」
増田さん、と呼びかければもっと分かりやすいのだろうが、一度は同席して数時間話をしたこともある人に、殊更に匿名であることを強調するような呼びかけをするのも違和感がある。でも名前を知らないので、久々の同窓会でお互いの認識はしたけど名前が思い出せない人同士のような、曖昧な挨拶で合流。
前回に引き続いて今回も幹事のKさんと、こちらも前回から参加していたSさん。そして、あれ、二人だけ? 聞けば京都駅の集合場所には他に誰も現れず、二人でお茶してから比叡山に登っていたらしい。それって、まあいいや。
取り敢えず京阪電車に乗って河原町四条に移動。構内の駅周辺地図の前で、多少場所が分かりにくくても良さ気な処にするか、これ以降合流するする人のために分かりやすい場所にするかでしばらく逡巡。分かりやすさを優先して木屋町通四条上ルのイマージアムビルの中の店に決定。
あー、この店か。確か大学の後輩の結婚式披露宴の三次会で来たなあ。それ以外にも2回くらい来たことがあるような気がする。落とし気味の照明とテーブルのキャンドル、青を基調にした内装。大声で騒ぐような雰囲気ではないが、客は同じようにグループ客が多い。日曜の夜なのでそんなに混んでもいない。
席に着くと、他の二人は携帯を取り出して何やら作業を始める。幹事は店の場所の告知を匿名ダイアリーに、もう一人は後から合流する人にメールで連絡を。そうか、前回はこんな風に書き込まれた記事を見て、俺が飛び入りで参加したんだ。今回も誰かがふと記事を見つけて、ふらっと現れたりすると楽しいんだが。
ガッツリ食うのはもう少し人数揃ってからということにして、幹事のKさんの提案でワインのボトルを頼む。俺がワインを飲み慣れてないので、飲みやすそうな白のフルーティーだと書いてある奴を勝手に選んで注文。それにチーズの盛り合わせとかサラダとか。何に乾杯なのかよく分からないまま、何となくグラスを合わせて乾杯。
前回のオフ会で交わされた話から予想した通り、Sさんの携帯端末は最新機種に変わっていて、機種変するかどうかをぬるく悩み続けている俺は手馴染みの具合や画面表示の精細さを試させてもらったり。Kさんが「Sさんの頭の中はゲームと携帯と女子のことでできてるんですよ!、しかも1年に1回は端末乗り換えるって聞いて、それは凄いって言うと『いや、1キャリアあたりにすれば2年に1回くらいだから』って、やっぱり変でしょ!」と笑う。この二人、比叡山ガーデンミュージアムのお花畑の中でどんな話してたんだ。
やがて、前回も参加していて合流するはずのDさんから、地下鉄の烏丸四条に降り立ったところという連絡がSさんの携帯に入った。土地勘が無いだろうから、とにかく東に向かって歩いて四条大橋を渡る手前でそこら辺の人に聞くように、と指示しようとするがすぐに「電車に乗りました」という返事が。前回の帰り際に、電車賃が無いと言ってその場でカンパを募るという大技を披露した奴としては、むしろその電車賃を惜しむ必要があるのではないか、地下鉄一駅分なのに何というヘタレ、などと話をしたことはあるが未だ名も知らぬ若者を悪し様に言いつつ、カマンベールをつつく。
そうしているとDさんではない初めて見る顔が登場。「増田さんですよね」「はいはい、私たち増田です」幹事に連絡が入っていた新しい人だ。以後Nさんとする。若い。学生さんらしい。えーまた理系。いや、俺理系な人も話も意味分かんなくて好きだからいいんだけど、関西のはてな界隈、というか増田界隈は理系率が高いのだろうか。俺も宇宙物理学専攻だし。嘘です。
程なく店員に導かれてDさん登場、と思ったら何だか妙な感じで店員と話している。もしかして我々を認識してない? と思っておーいと手を振るとようやく分かった様子。後から聞くと「すっかり顔を忘れてたのと、増田って言って案内されたテーブルがあまりにもコミュな雰囲気で、こんな人たちが増田な訳がないと思って店員に『この人たちは違います』って言ってました」とか。そんな全力で否定されても。
計5名。幹事が把握している合流予定は以上。匿名ダイアリーにこの店の案内を書き込んでもらって、後2つ空いている席が埋まるのを期待しつつ、パスタなど食事っぽい献立を注文。適当に取り分けながら、前回と同じく自己紹介もお互い名前を呼び合うこともなく、取り留めのない話を続ける。
でもやっぱり前回とは随分違うのだ。Kさんの知り合いのやたらと男にモテて困っている男の人の話とか、Kさんも昔からモテてバレンタインデーとか大変だったとか、いやSさんはもっとモテだ、だいたいSさんの「パンツ見えてるぞ、と注意してやった女子からクリスマスは暇ですと言われてそのままゲットしたという話は何度聞いても意味が分からない」という前回からの引き続きネタとか、そして太一郎ラヴ事件とか。
どれも、もう名前も得体も知れない人の話ではない。いや、名前も得体も知れない人なんだけど、顔も声も笑い声もツッコミどころも、ほんの少しだけど知ってる人にまつわる話なのだ。利害関係はない、持ちようがない。だけどもう人間関係はある。共通の話題が成立する程度には。個体認識をしてしまっている以上、匿名ではあっても、所謂増田さんではないよなあ。この中の誰かがほんとに増田さんって名前だったら面白いなあ。俺、酔っぱらってきたなあ。
太一郎に起きたラヴアフェアの黒幕はやはりあなたではないのか、という追求を「ほんとに違うから!」とあくまで否定する幹事のKさん。何という内輪話。太一郎とは誰か、ラヴ事件とは何か、分かっていないとさっぱりついて行けない話だ。俺もラヴ事件についてはその場でSさんの端末から該当するはてな匿名ダイアリーの投稿を見せてもらって、初めて知ったことだ。
そして俺は太一郎とは会ったこともない。なのに「太一郎」と呼び捨てなくらい抽象的な存在。匿名の投稿の集積でできた場をネタに語る匿名な存在の中の一人が気に入っている匿名の存在に付与された、いやどうやら自ら名付けたらしいいじられ用の記号?。なんだそりゃ。酔いがまわって考えはまとまらず、テンションだけは上がってる。俺酒激弱なんすけど。
誰かが唯一の新参であるNさんに「30代が不毛な話ばっかりしててゴメンね」と謝っている。でも、5人中2名は20代前半なんだから、いいんじゃないか。何がいいんだ? 俺が「いいじゃん、楽しいよ不毛な30代は。早くこっちにおいでよ」みたいなことを言って混ぜっ返してたような記憶があるが定かじゃない。へえ、グラスさんて対面で会うと無口なんだ。いおりんの言語センスはマジで神懸かってるなあ。今頃ブラック太一郎があの人とあの人の名前を消しながら嗤ってるよ。プリンスCは俺とのケビン・ベーコン数が2か3くらいなんだよ、多分。世界は広くて狭いよね……。
突然Sさんが「もう帰らないと電車が……」と言い出した。NさんとDさんも時間らしい。え、さっき来たとこじゃないか。そんな時間なのか。はぁ? もう23時!? 早っ!
勘定してもらって、精算して、電車で帰る組の3人とはここでお別れ。その後今日のネタの反芻などをしてから、しばらくして幹事のKさんと俺が店を出ると強烈な雨。タクシーで帰宅。みんなどこへ帰るんだろう。だいたいどの方向、というのは話の中で何となく分かっていても、どこに住んでいるのかは知らない。ゲラゲラ笑って話してた人たちが、良く知らない人たちに戻っていく。チャットで話したりもしてるけど、それとはやっぱり違うよなあ。
さよなら増田さんたち。酔っぱらってたせいもあるかも知れないけど、あんなに時間が早かったのは楽しかったせいだと思うよ。少なくとも、俺はね。また、いつか。
先日、彼女にふられた。
高校を出てからそういう話がとんとなかったなか、ようやくできた彼女で、
そういった思い入れもあったんだと思うけど。
向こうも、昔にあったさまざまな出来事のせいで男性不信なとこがあって、
ぼくの恋愛面での無知さが純粋に思えたのだろうか、何故かお互いに好きになった。
なんで付き合うことになったかはいまでもよくわからない。
とりあえず気づいたころには、関係が始まっていた。
はじめは何で会ったんだろう。
ぼくは正直演奏するのはうまくないし、キレも悪いけど、必死さがなんかむこうの心んなかに残ったみたいで、
二週間ぐらい断続的にぼくが夢にでてきたらしく、mixiで連絡をくれるようになった。
とてもとても頻繁なメールの後、馬鹿みたいに電話をして、急激に会いたくなって、
会いたい!とか言ってほぼ車を運転したことのないぼくがレンタカー借りて40kmぐらい離れた彼女の地元まで行って飲んで次の日まで一緒にいたりとか
向こうが地理的に全然はなれたところに用事でいってるのに「会いたくなった」とか言って会いにきたりとか、
そこから、付き合いだすのまでは早かった。
一年半ぐらい、そういう時期が続いた。
とりあえず地理的な隔絶をものともせず、会いまくって話をしまくって愛し合いまくった。
いま考えれば、ぼくと彼女は一体なにを話していたのだろうと思う。
ぼくらふたりは、バックグラウンドや、趣味も、全然違っていた;
ぼくが中学、高校のころに、プリンスやトム・ウェイツを聞きながら数学ばっか勉強してるころに、
彼女はタバコをふかしながらケラケラ笑って昭和歌謡やクラブ系の音を聞きながら「ポリをまいたり」したりしてた。
ぼくの憧れだったのはヒルベルトで、彼女の憧れだったのは岡田准一と荒くれNIGHTだった。
正直、いまでもよくわからないけど、なぜか共感しあうことが出来た。
彼女の親にも紹介され、こっちの親はちょっとヤンキーっぽいから、と毛嫌いしつつみとめていき、
なんかよくわからんぐらいうまいことすすんだような気がする。
大学卒業して関西の院にいくことになっても遠いけど一緒に行くよって言ってくれた。
ぼくは、そのことばがとてもうれしくて、ながいこと続けていたバンドをやめて、将来のことをしんけんに考えようと思った。
ちょうどそれぐらいからだったような気がする。
彼女の様子がすこしづつ変になった。
毎日50つうちかくきてたメールが、ぱたりとこなくなった。
朝仕事にいくまえと、帰ってきたあとだけとかになった。
別に浮気しているわけでもないようだし、ぼくが嫌いになったわけでもないようだった。
ただ、自分の部屋から出たくない、とか言って、部屋でとじこもってることが多くなった。
どこにいっても、どこで見ても、仕事場に用事でいったときに偶然すれ違って顔を見たときも、同じ顔をしていて、
とてもとても苦しそうな顔をしていた。
見てるのさえつらかった。
会える日は、当然のように減っていき、連絡もとりにくくなった。
バンドを最終的には喧嘩別れ、みたいな形でやめたのもこのころで、
友人の多くを切ったことになったその夜のことも、彼女に結局その話をすることもなかった。
彼女は付き合いで連日のように深夜まで飲んで帰ってきては、部屋で死んでいる。
もう、よくわからなくなった。
会えなくなって、三ヶ月ぐらいたったあと、ぼくが詰問したのが切欠だった。
会えないのは、しんどいならそれでしょうがない。
けど、どうして付き合いでは飲みに行くのに、俺とは会えないのか。別れたくてそんなことしてるのか。
メール送って、二日ぐらい待ったあと、「なぁ、友達にもどろうぜ。オレ、正直しんどいんだ。」彼女はそういって電話をかけてきた。
「浮気してるわけでもないし、別れたくてそんなことをしたわけでもない。ただ、しんどかったんだ。」
「オマエといっしょにいると、彼女といっしょにいるみたいだ。オレがわからないのなら、それでいい。ひとりにしてくれ」
会いに行こうと言い出したが、それもしんどいんだ、ってことで拒絶された。
「どうでもいいひとじゃないから、友達って形ででも一緒にいてほしいんだ」
彼女を苦しめたのは或る意味ぼくのかけた重圧だったんじゃないか、とか思った。
真剣に考えることは或る意味で重圧にもなるし、彼女の両親もおいらをすごく認めてくれていたのも彼女の重圧になったんじゃないか、と思った。
俺はなにもできなかったし、間違っていたんだと気づいた。
そのあと、ぼくの誕生日がきて、彼女はいまでは遠くなった地元から、二日休みをとってきてくれた。
まだしんどそうな顔をしてたけど、普通に飲んで、あそんで、しゃべって。
でもすごく切なくて、ぼくは結局最後に、もう一度、やりなおさないか、ってことを言った。
無理だよ、って言われた。そのあと、メールがぱたりとこなくなった。
そんな顛末。
或る意味でぼくはとてもとても自分勝手だったってことだろうと思う。
相手のことを考えたような行動ってことが、相手に対して負担なときもあるんだって言い方で表現できるだろうか。
それでもぼくは彼女のしんどさを理解することができなくて、爆発してしまって、ふられた。
ぼくは、とても好きな人のことを、しんどくさせたことを、そのきっかけを今ようやく理解して、このエントリを書いている。
もし、もし、だし、たぶんこんなことはないと思うけど、もう一度やりなおせたら、彼女のことをもっと考えられるようになろうと思う。
でもそんときには彼女のそばにおるのはぼくじゃないのかもしれんし、俺のそばにおるのもあいつじゃないのかもしれん。
それもいいんだろう切ねぇけどちくしょうとか思うことにした。