はてなキーワード: 長所とは
伊勢田 哲治 (著
入門書としても読めると同時に専門書としても一定のレベルを保っています。今まで提案された科学哲学のテーゼをとりあげ、これを実際に存在する疑似科学と科学の判定に有効か否かということで検証する、といった議論の進め方で話が進んでいきます。著者が言うように、可能な限り専門知識なしに読めるように工夫されています。
またこうした入門書としての気配りがあると同時に、専門書として一定のレベルを保っています。私はこの手の本を何冊か読んだのですが、ポパーとクーンの関係が今ひとつすっきりと理解できませんでした。しかし、この本のおかげでこの2者の長所・短所がずいぶんとすっきり理解できました。
筆者の本書における最終的な提案は,ベイズ主義に基づいて,線を引かずに線引き問題を解決するということなのだが,そこにいたる議論の過程こそ楽しむべし.エキサイティングです.
科学と疑似科学の間が単純な基準では線引きできないとなると,疑似科学と科学の間にグレーゾーンが残るわけだが,かといって,明確に科学的な分野や明確に非科学的な分野が存在する可能性は排除できず,様々な観点から見て,占星術や超能力研究を科学と呼ぶわけにはいかないことは,本書を読めば理解できると思います.科学する人も,占星術などの疑似科学が科学であるとナイーブに信じちゃう人にも,お薦めの1冊です.
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> な なんだってー!! <
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陳腐な文章を書けるのが良いんじゃないか。
みんながみんな突拍子も無いこと書くような人たちばかりだったら、日常のコミュニケーションに齟齬がでるわ。
後は自分が陳腐な文章だと思っていても、それを読んで影響された人たちがどういう文章を書くかは分からないしね。
後、増田は極端に客観性を大事にしてるみたいだけど、叩かれるのを覚悟で主観をもっと強く出してみていいと思う。分かりにくい例えかもしれないけど、「あの娘は笑顔が可愛いし、この娘はスラっとしてる」という感じで一人ひとりの長所を客観的に褒めるのも大事だけど、「お前が一番大事だ!」っていう感じで自分の主観が大事になることも多いんだよ。
「お前が一番大事だ!」って主観振りかざしてる時に、「いや、でもあの娘は胸が小さいし…」とかいう客観的な意見は全く意味を持たなくなる。そういう時に本当に大事なのは「お前が一番大事だ!」っていう主観。
元増田が前向きでよかった。
鼻につき始めたら最悪パターンまで行きかねないと思う。
うちも何度か離婚の危機に直面した。
「無駄」とか「見下し」は、”自分の視野を狭める(ゆがめる)”って意味で止めたほうがいいけど、
それは何もかもガマンしろ!って事じゃないからね。
元増田が言うべき事はちゃんと言った方がいいからね。
不器用で無神経な人は、そもそも悪意とかじゃなく”気付かない”んだから、
奥さんである元増田が、旦那にとってプラスの意味で気付かせてあげるのは
大切な事だとも思う。
でも、旦那を追い詰めないでね。逆効果だから。
言う事言ったら、あとは水に流す。
うちの場合は、いちいち父親の言葉尻や細かい態度でイライラする事や、
父親に気遣いを「常識」として期待する事はそもそもしない。
「なにダラダラ寝てるんだ!」なんて言おうもんなら、思いっきり反論する。
父親は面食らってしばらくスネるけど、放っておくとちゃんと反省してる。
(こそっと子供に飴玉やったり(笑)ごめんな、とはなかなか言えない。)
どうしても頼む事がある場合は遠まわしにお願いするんじゃなくって、
面と向かってこういう理由だからこれして、ってお願いする。
結構嫌な顔もされるし嫌味も言うけど、ンな嫌な顔するなら頼まんわ、
って言うとまたスネるけど、結局頼みごとはちゃんと聞いてくれる。
もういい歳だけど、本当に子供なんだなぁ、仕方ねぇなあ、って思う事しばしば。
元増田の旦那を全面支持するわけじゃないけど、
世の中にはこういう本当にどうしようもなく不器用な男もいるって可能性は心に置いて欲しい。
結婚するまでは自分と相手だけだけど、結婚してからや、子供が生まれた後は、他の色々な人と関わっていくから、
見えなかったこと、気にしなかったことから発生する問題や不快感が色々あると思う。
もし旦那がオコサマなら、元増田にはおかーちゃん属性が必要なんだろう。
妻や母親ではなく、ましてや奥様なんかではない、おかーちゃん。
強かで逞しい、でもちゃんとお父ちゃんを立てられる、おかーちゃん。
嫌味に取りたくて取ってるように見える
休むなら家族の体調不良では有給取りづらいから、俺の体調不良でやすむと言う情報共有をしようとしているのだし(例えばその後会社の人と増田がやり取りをすることが発生した時に矛盾が出ないように考えてだったり)
役所のように・・・の真意は図りかねるが親が教職であることのあてつけと言うよりは一般的なサラリーマンが抱くありきたりな公務員像としていってるようなきもする(増田が思ったように考えてるのかもしれない)
散歩に行こう→雨降るよ
は雨が降ると言う事実を知った上でどうしたいのかを聞いている
傘もって行けばいいじゃないとでも言えば分かったってなるだろう
結婚する前ならたぶん知らずにいって、雨が降ってきて気分が台無しにならないように言ってくれてるんだなとか思って長所に見えていただけのこと
お互いに相手を全然見てない気がします。
夫にいちいち反応しても仕方がない
頭の回転が私よりも鈍い人
形だけ肯定しても、こういう、所謂相手を見下した気持ちは、全て言葉や態度に現れていると思う。
旦那も元増田に、全く同じようなネガティブな感情を抱いているんじゃないかなぁ。
お互いに「いちいち(真面目に)反応しても仕方がない」って思ってるんじゃない?
インフルエンザの子供に怒鳴る、ってのはどういった状況なのかさっぱりだけど
(寝込んでる所をわざわざ怒鳴ってたの??何のために?)
ヒネっているのではない、と言い切るなら間違いなく元増田の旦那は「鈍い」「不器用」な人だよね。
それが結婚前に分からなかったのは、旦那がものすごく頑張っていたのか、元増田が甲斐甲斐しく相手の気持ちを汲み取っていたかどっちかだと思う。「嫌味」も癖だっていうなら、旦那が癖を必死に殺していたか、元増田が嫌味に取らなかったか。
それって、まさしく恋は盲目状態だよね、
その鈍さも不器用さも、嫌味を隠していたとしても、
全部元増田が選んで、一生添い遂げると誓った相手なんだから、
とりあえずは相手を見下す考えを止めるように努力した方がいいんじゃないかなぁ。
勿論、それでも上手く行かないかもしれないけど、
上手く行くものも行かない状況よりは改善すると思う。
でも、アスペでもなければ、芯から性格悪いわけじゃないよ。ヒネてもいないし。
まさしくインフルエンザなのに怒鳴るタイプだけど、インフルエンザって気付かない、あるいは気付いてもストレートに気遣い表現できない、って人。
でも心配してないわけじゃない。ひたすら不器用。
知っててもイラっとするけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20081231180251
ダンコーガイが食いつきそうなネタだったのでお先に美味しく頂くことにする。
「あの人はあんなに○○○だけど、×××という悪い面もあるから」といったネガティブな考え方をやめる。あの人はイケメン・美人だけど、性格が悪いからといったような考え方をしていても、いずれ「イケメンなのに性格もいい」というようなケースに出会い、「どこかにアラがあるに違いない」と目を皿のようにして相手のアラ探しをすることになる。そんな貴方の顔は醜く歪んでいく。
そういうのはもうやめて、「それいいね」と相手の長所を認めよう。そして、自分が真似できることがあれば少しだけでも真似してみよう。そんなポジティブな貴方の態度に人は好感を持つ。
あの大学はいいけどあの大学は悪い、とか、あの会社はいいがあの会社は悪い、というような話は全て、何か絶対的な「良し悪し」の基準があるわけではなく、単に「お金」という価値観から見た場合の話にすぎない。だからそれに振り回されず、「自分にとって何が大切か」を常に考える必要があるが、だからといってお金の問題を考えなくていいわけではない。お金の問題を放棄して「自由」という言葉に踊らされたのが今の30-40代フリーターの姿だということを忘れてはいけない。
お金が本当に無いのであれば、なりふり構わず収入を得る事がまず先決であり、そこそこの蓄えがあるのであれば、ここらで一旦休むという選択肢もある。お金とほどほどに付き合う術を学んだほうが良い。
何か問題が起きたときに、全部自分のせいだと考えたり、その逆に全部自分以外の誰かや環境のせいだと考えたりしても、問題が解決しなかったり、一見解決しても別の問題を引き起こすことが多い。今自分に降りかかっている問題は大抵の場合複合的な原因があり、何か一つ改善すれば一発で解決するというような単純な話ではない。
バランスを取る為にも、「自分が悪かったのは何か」「自分以外の要素で悪かったのは何か」をそれぞれ1つ以上考え、もっとも効率的な解決策を選ぶべきである。その時に、全部の問題に対処しようとするのではなく、何かは諦め、状況が変化してでもとにかく「前に進む」事を先決とした方が良い。
「コミュニケーション能力」というと、相手をうまくコントロールしたり、相手にうまく合わせたりする能力のように思われがちだが、相手をコントロールしようとすればうまくいっても相手を疲弊させ、うまくいかなければ自分が疲弊する。相手に合わせようとすれば、うまくいけば自分が疲弊し、うまくいかなければ自分が疲弊する。どちらも互いに疲れさせているだけの関係であり、「非コミュ」と言われる人はそういう点を良く見抜いている為にそういう関係を自ら断っている。
しかし、本当に大事なのは「誠実であること」だ。互いに相手を思いやることだ。飲み会に誘われて、「明日は忙しいから」と事実だけを伝えるのではなく、「誘ってくれてありがとう。いつもいけなくてすまないが、誘ってくれて嬉しいよ」と言えるようになりたい。
内気な人というのは何かをやる前に事前不安に駆られ、一人でその不安を肥大させ、その時点で怖くなって考えるのをやめてしまいやすい。これは、何かをやるリスクと何かをやらないリスクのうち、やるリスクしか考えていないからである。いや、どちらかというと、やらないリスクについては薄々感じてはいるのだが、敢えて無視している。考えすぎるのは良くないが、考えるのを放棄しては、より良い未来はやってこない。やることのリスク以外にも、やらないことによるリスクを良く考え、その上でやる・やらないという選択を、自らの意思で決めることが肝心だ。
「あの人はあんなに・・・なのに、自分は・・・」といった考えをやめる。特に、あの人はイケメン・美人なのにとか、あの人は身長が高いのに、という身体的なものは比べたところでどうにもならない。それなら、まず今のありのままの自分を全て受け入れてあげる。人の好みは本当に様々で、イケメン・美人が万人に好かれるわけじゃない。実際、自分も美人より、多少崩れてるくらいがタイプだったりする。不特定多数にいくらモテても、自分の好きな人にモテなければ全く意味がない。人はついつい他人の良いところばかりに目がいきがちだけど、普段見えないだけで、その人だって人間である以上、悪い部分もどこかに持ち合わせてる。他人は他人、自分は自分。お互い長所もあれば短所もある。
今の情報化社会は、毎日毎日メディアが新しい価値観を作り上げ、こっちに押し付けてくる。そしてそれを受け入れる事が出来ないやつは現代人失格だという風潮さえある。人生とは自分自身が生きる期間のこと。それだったら自分の価値観を大事にして生きる方が絶対に良い。
最近、勝ち組だ、負け組だって言ってるけど、人の人生に勝ちも負けもない。一流企業に勤めて高給取りなら勝ち組で、フリーターなら負け組?ハァ?それって比較の対象が「お金」だけしか見えてない。世の中にはお金よりも自分の時間を大切にしたい人だって沢山いる。そんな人にとってフリーターの方が人生の満足度は高いかも知れない。自分の幸福度を決めるのは、他人でも世間の基準でもなく、自分自身。自分が楽しい、幸せであると思えればそれでオッケー。
もちろん、原因が自分にあり、悪いのは自分だという時もある。だけど、まじめな人はなにかにつけ、原因が自分にあると考え、内に溜め込んでしまう。でも本当はそうじゃない。悪いのは本人ではなく、他人であったり社会であるという場合の方が多い。それに気付かず、自分一人でストレスを溜め込んでしまい、最後には鬱病になってしまう。とにかく、何でも自分一人が悪いという考えはやめる。
この世の中には大きく分けて、「外交的人間」と「内向的人間」がいる。それぞれに長所、短所があり、本来、どちらが良くてどちらが悪いといったものはない。だけど一部の外交的人間が世の中に対して「社交性(笑)」や「コミュニケーション能力(笑)」といったものを無理矢理に求め過ぎた結果、それらの能力に乏しいものは人間失格のような風潮が広まってしまった。人間の性格というものは生まれたときに既に決まっていて、表面上は変わったように見せることが出来るが、根本的には一生変える事ができない。だから無理矢理「社交性(笑)」や「コミュニケーション能力(笑)」を身につける必要なんて無い。確かに必要最低限は必要かも知れないが、必要最低限で良い。そんなものなくても内向的人間にはそれとは違う長所が必ずあり、これを読んでいる人も既にそれに気付いてるはず。
内気な人というのは何かをやる前に事前不安に駆られ、一人でその不安を肥大させ、直前になって怖くなって逃げ出してしまいやすい。引きこもりの原因に多いのがこれだ。とにかく一人で勝手に妄想して、不安を肥大させるのは避ける。それは、一人で見えない敵と戦っているようなものだから。今までの人生の中でも実際にやってみたら案外大したことなかったということも多かったはず。
私の旦那は女装子です。
そのことは結婚前から知っていました。いや、正確に言うと、知らなかったけど違和感がありませんでした。もともと顔立ちがたいへん可愛らしく、背もそれほど高くない華奢な骨格。私服はスカートこそはかないもののとてもユニセックスで、実際女性に間違われることも日常茶飯事でした。
私はそんな彼とまるで姉妹のように仲良くなり、やがて付き合うようになりました。その時の私にとって、彼と一緒にいることがとても自然なことだと感じたからです。それが恋愛感情だったのかどうか、今となってはわかりません。
風変わりな彼を、でも、私はちょっと自慢に思っていたのです。決して男らしい人ではない。でも、男だからって彼を好きになったんじゃない。私はそういう垣根を越えて彼を愛している。…そんな風に、思っていたのかもしれません。
そうして年齢的なものもあり、私と彼は結婚しました。彼は変わらず可愛らしく、姉のように母のように私を慕ってきました。私も自分なりにかいがいしく彼を支え、2人の生活はとても楽しいものでした。
ある日、彼が言いました。
「子供が欲しいね。」
私も答えました。
「そうだね。」
でもそこで、私は想像することができませんでした。私と彼の間に子供がいる風景を。幼子に向かって彼を指し「ほら、パパだよ」と呼びかける姿を。
ようやく気づいたのです。結婚とは、「父」と「母」になる可能性をもたらすものなのだと。最初から「子供は要らない」と明確な意図がある場合は別として、自分と共に「父」となってくれる人を伴侶として選ばなければいけないのだということを。
私の中の「父」のイメージは、男らしく、いざという時に身体を張って妻と子供を守れる強さを持った人。子育てによってその強さを得るのでしょうが、可愛らしい妹であり娘である彼は、あまりにそのイメージからかけ離れていました。
自分があまりにも典型的な「男親」を求めていることにショックを受けましたが、気づいてしまって以来、彼との将来を考えることができなくなりました。彼の長所であった女性らしさがすべて、伴侶としての欠点にしか見えなくなってしまいました。
彼は何も変わっていない。それは悪いことじゃない。自分の事が何も見えていなかった私が悪いんです。結婚とは何か、そこに自分が何を求めているのか、真剣に考えないまま前に進んでしまった私が。
ああ、その「母親」はね、正確に言えば「赤ちゃんにとっての母親」って意味なんだと思うよ。
赤ちゃんって、自分は絶対悪くない存在でしょ。で、自分に必要なものは自動的に与えられる存在でしょ。赤ちゃんにとっては、それが正しい世界で、世界はそうあるべきなんだよ。
あと、ここからちょっと難しい話になるけど、赤ちゃんを世話しているときの母親は、赤ちゃんが泣いたらすぐに駆けつけてオッパイをあげられる場合と、忙しかったり寝てたりして、すぐにはオッパイをあげられない場合とがある。でも赤ちゃんの認識の中では、オッパイをくれる(自分の思い通りになる)母親と、オッパイをくれない(自分の思い通りにならない)母親は別人であると思ってるのよ。赤ちゃんの世界には、100%自分を受け入れて思い通りになる人間か、100%自分を拒絶して思い通りにならない人間か、このどちらかしかいない。同じ一人の人間が、ある面では自分を受け入れ、ある面では自分を受け入れない、長所も短所も併せ持った存在であるということを理解するのは、もう少し成長してからなんだよ。
で、処女非処女の話に戻るけど、実際は処女だろうが非処女だろうが、どちらも、ある面では自分を受け入れ、ある面では自分を受け入れない、長所も短所も併せ持った一人の人間なんだよね。ていうか処女非処女に限らず人間全てそう。これ当たり前の話。
でも処女厨は、「処女=100%自分を受け入れて思い通りになる人間」「非処女=100%自分を拒絶して思い通りにならない人間」と思っている。で、「処女が欲しい」と言っている…と、こういうことですね。
>>「相手と自分の考えの長所短所をはっきりとさせ、落とし所をお互いに考える」のが本当の論理的思考です。
>あなたが論理的思考を持っていない事はよくわかりました。
http://anond.hatelabo.jp/20081221135201
批評をするのに「思考停止」とか言ったり(書いたり?)する人がいる。
あなたはこの言葉を言ったことがありますか?
もし言ったことがないのなら非常に幸運。これからもあまりに口に出しちゃダメ。
「思考停止」なんて馬鹿を見分けるのに非常に便利な言葉です。「ああネットに影響されちゃってるなー」って感じでね。
批評でこのフレーズを見つけたらそのレビューは「ああ、この人この内容の結論が気に入らなくて、なんとかちゃぶ台返しをしたい様だけど、説得力のある対案が浮かばないんだな」と思って結構です。
「思考停止」なんて言っている人はたいてい「じゃあどうすればよいのか?」について口を割らない。
「思考停止」と言うことで何か「核心を突いた答えを書いた」気になって、実は自分自身が「思考停止」している事を気が付いていないから。
同じく「なぜかを知りたきゃググれ」とか言う人もダメ。そういう人は「自分の主張だけして、責任からは逃れよう」としている。
挙句の果てに「本人がググらなきゃ意味がない」と言って逃げる。本当は「自分の事は聞け、相手の事なんて知るか!」という自分勝手な面が出ているだけなんだけどね。
本当に考えてる人はそんなこと言わずに相手の言葉をちゃんと聞き、自分の考えも言葉にする。
「思考停止」という言葉は危険だ。口に出した瞬間に自分が相手より上に立った気分になって、成長を止めてしまう呪いの言葉だ。
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以上の文も「色々な考えのうちの一つ」として捉えていて、絶対そうだとは思っていません。
なぜこういう文章を作ったか?
「決め付け論」というのは、自分が気に入らない内容をなんとか封じようとする意思が働いている場合が多く、そういう文章に出る特有の「正しいように見えるけど違和感がある」という雰囲気を感じ取ってもらいたかったからです。
結果、「論理的」な様に見えて、実は自分の主張を通そうとしているだけという事が実に多い。
本当の論理的思考は「相手の考えを論理攻め・決め付けで封じ込める」のでは無く「相手と自分の考えの長所短所をはっきりとさせ、落とし所をお互いに考える」のが本当の論理的思考です。
話それるんだけどさぁ。昨日あたりからずーっと思ってたんだけど、そういう趣旨のことを彼女の親御さんにあいさついくときとかに正直に言えばいいじゃない。あなたの娘さんの穴と自分の邪魔にならない意思がないところを好きになりましたって。結婚式とかでもそういえばいいと思う。まぁ貞操観念があり三歩下がって夫に…といういいかたを今まではされていたわけだが、でも後ろめたさがないのであればはっきりそう言えばいいよね。処女で思う通りにできるところが大好きだって彼女に言えばいいよね。それで彼女が喜ぶならそこに第三者が口をはさむ余地はないんだし。
女なら言うでしょ。経済力があって頼れるところが、とか。はっきりと。年収いくらだからとか。女同士で嫌われるけど堂々と言う人は言う。それならばそれでいいんじゃないのか。
そういう価値観だってあるよ、と胸を張って言うなら他人を攻撃する必要もないし、何か言われたところで反論しなけりゃいいじゃないの。価値観なんてみんな違うんだから、匿名ではなく顕名であるいは本名で、彼女に彼女の友達に彼女の親に自分の友達や同僚や上司に、彼女の長所だって誇らしげに言えばいいんじゃないの。好きなタイプはって聞かれて堂々と答えればいいんじゃないの。年上の上司や彼女の祖父母あたりなら理解はしてくれるかもね。ちょっと前までそういう時代だったし。
ちょっと前まで自由恋愛もあたりまえでない時代があったけど、今はそんな古いことを…っていう風潮になってるわけなんだし、そのうち処女厨も認められる時代が来るかもしれないじゃん。同棲をしたことがあるとお嫁にいけない時代があったけど、今は眉をひそめる人はいるけどやる人はやる人でいるわけじゃん。自分がよいと思う価値観なら、ものである彼女はおそらく反対しないだろうしそれでいいって言うだろうから正直に打ち明けて、なにも卑屈にならず攻撃的にもならず、お前らわかってないなーって言っとけばいいんじゃないのかっていつも思うんだよね。
もちろん履歴書の時点でアウトもある。
・とりあえず字が雑のはアウト。汚くてもいいから丁寧に書いたんだな、と思わせてくれ。
(最近は手書きじゃなくてもいいって気になってきた。中途の人とかほぼ印刷した履歴書だし、それを見てもなんとも思わない。要はマイナス点にはならない。字に自信があるのはプラス点だから、そーゆう人は手書きがホントお勧め)
・学生用の履歴書はサークル活動とかいろいろ書くところあるけど、とりあえず空白はないほうがいい。埋めておけ。やる気がないと思われる。
・内容は見ない、っていっても一通り目は通すので小学生が書いたような自己紹介とかはやめれ。 例)「自分の長所は明るく、楽しいところです」(実話)
・趣味に読書とか書くな。どうしてもってのは書いてもいいけど括弧書きでジャンルとか作者とか、または月に何冊、とか書け。突っ込まれたときに答えられないのは書くな。
あのねえ……また非モテを勘違いさせるプロパガンダを画策しているのかもしれないけどさ。
褒めるって行為が仲良くなることへ結びつくのは、口に出す相手次第なんだよ。
それこそ「イケメンに限る」「美女に限る」だ。
好みでもない男や、ブサイクに長所を褒められたところで心なんかは動かない。
人によっちゃ「うわ、何こいつ、キモい」とか、下心を見透かされて敬遠される。
男でもそうじゃん。女がいくら男を褒めても、男がその女のことを認めていなけりゃ効果がない。
戦闘機を竹やりで落とそうとしているようなもんだ。
それは、
褒める。
チャンスがあったらとにかく褒める。相手も悪い気はしない。
ちょっとやりすぎかなと思うくらい褒める。
日本人は恥ずかしがり屋だからなのか、あまり相手を褒めることに慣れていない。
逆に、褒められることにも慣れていない。だから難易度が低いわりには効果が高い。
特に、相手が欠点だと思っている部分を褒めると効果的。
例えば相手が、背が低いことを気にしていたのなら
「背が低いと可愛い感じがして、俺は好きだな。」
という。
相手は少なくとも、背が低いことを長所とは思ってないのだから、
背が低いこと=絶対的に可愛い
という一般論みたいな褒め方には無理がある。
だから、個人の好みだと思うけど俺は好き、というニュアンスを含ませる。
素直に「すごい」とか「うらやましい」といった感じで。
褒めるということは「相手を認める」ということで、誰しも少なからず「他人に認められたい」という欲求を持っている。
それが満たされることで、相手にいい印象を与えられる。
さらに、ここでいう「褒める」というのは必ずしも相手を直接褒めるという意味だけではない。
「間接的に他人を褒める」こと、これも重要。友達と一緒にいるときなど、相手に友達の長所も紹介してあげる。
「あいつああ見えて実は○○がすごいんだよ」と。
「あいつ顔はいいけど浮気はするわ金にはうるさいわで実は酷いやつなんだよ」
といったところで、
友達の評価は下がるかもしれないが、あなたの評価は決して上がらない。
逆に友達を褒めてみれば、友達を大事にするやつだと思われて好印象かもしれない。
別に、悪いところを無理やり褒めろというわけじゃない。
いい点を探して褒めてみようということ。批判は胸にしまっておこう。
「優しくて真面目で一途」ってのは所謂いい人になると思うんだけど、そんで、アンケート回答とかの女性の好みの男性のタイプにはそれが入ってる。
俺はコイツの気持ちわかるけどなぁ
お前は誇れる日本の文化を何か身につけたのか!?とか思ったりはする
オタクの中にも、消費するだけで自己表現を何もしない人達、楽しんでばっかりで周囲や仲間を楽しませようとしない人らはなんだかなーって思う
自分語りになるけど、俺は空手とか剣道とかで日本の文化の一端を身につけれたと思う
オタクとして、絵を描いたり文章を書いたりして住処にしてるトコで色んな人を楽しませあったりした
俺は、日本が好きだから日本文化を学んだり身につけて、日本人なのに日本の伝統や長所何も身につけてない人じゃなくなろうとした。好きだからな日本文化
オタク文化が好きだからオタク同士の身内受けの為の技術や創作力を身につけた。オタクなのに買って文句言うだけじゃなくなろうとした。好きだから。オタク文化
嫌いなのは「○○って凄いよな!俺も○○だからー」ってのだよ
○○を名乗れるだけの研鑽を積んだら、所属してるとか住人とか言っていいんじゃないかなって
オタクとして例えるけど、pixivで絵も描かずROMしてる人をpixiv住人とか絶対呼ばないし
ニコニコ動画で閲覧だけして、ニコニコ動画を楽しんでる人達の為に何もしてない奴をニコニコ動画住民とも呼ぶまいと思ってる
仲間の為に何かやったとか、仲間を笑わせようとがんばってみたとか、そういうのを経て共同体の一員とか、枯れ木も山の賑わいの枯れ木になれたんだなって思う
客だ
文句か賞賛かしか言わず、自分からは何も住人に提供しない客が好きじゃないんだ
金銭が発生しない場の客ほどうざったいものはない
とりあえず見てほしいサイト貼る
この世で最もおぞましい泥棒達だ
http://anond.hatelabo.jp/20081130034946
上の無い知恵絞って必死に適当に書いたまとまりのない文章がなんか様々な反響と参考になる意見を沢山もらっていたので
これを元にもうちょっと掘り下げてチラシの裏に自己分析(診断?)してみます。
*
「長所は短所の裏返し」とのことなので、じゃあ短所を長所に昇華すれば(ry
もうこういう発想の時点でダメな気がする。気休めの捏ね繰り返しにすぎないと思うけど。欠点は欠点だし。
まあ「どこを見ても努力の証が見えない能無しだから」とかだけ言ってしまえば
それで俺は大満足だし皆も言うことないだろうからそういうのは自重する。
一番短所だと思ってるのは、学生時代からずっとコミュニケーションが苦手なこと。
その要因は「滑舌が悪い」「話が面白くない(笑える、興味深いという両方の意味でも)」「声質が変」「声が小さい」「自分の顔が嫌い」「無神経で失礼」
といろいろ。「面白くなくてそれで人間のつもりか」なんて思っちゃってるから、自分からコミュニケーションを取ろうとすることもなく、
克服するために路線バスを利用して料金を払う際に声を出して「ありがとう」と言ってみたり、声を使う仕事に就いてみようとしたり、
「話し上手」なんて無理だから「聞き上手」になろうと聞き手としてどんなアプローチが望まれるのか研究してみたり
ネット上の文章投稿で訓練とばかりの怠惰をしながら「コミュニケーション能力上がらないかなー」みたいなことは思ってたけど
それらが実ることはもちろんなく。そもそも努力ってレベルに満てないから。
そういうこと言ってるけど、実際の所は他人の、主に無神経さによく腹を立てたり憎しと思っていたりで、別に博愛主義者ってわけでもなく。
その辺は、子供の頃に人をからかって遊んでたことは隠せないと思った。
俺はこの短所はどうしようもないと思ってるけど、それでも長所に混ぜ返せるものなのだろうか。
*
そんなこと考えずに一心不乱に努力しろってのが正解に近い答えだとは薄々気づいているのだけど。
そもそも自分には実になる努力は無理、ってのは非建設的なのでやめておくとして、
目標を達したとしてもコミュニケーションが怖いからとか、目標に先立つ自信がないから動けないとかで。
*
自分を好きになれるというか、自信を持つこと、その理由を能力か他人以外にどうしても見出せない。
そういう理屈じゃないとは思うんだけど、誰かうまい自信の持ち方とか教えてくれないだろうか。
自信について、充実した人生送ってる母とか、能力生かして世渡り上手でリア充やってる姉とかに聞いてみたら
「誰も自信に満ち溢れて生きてる人なんていない」って共通した回答が返ってきた。
これは才能なんだな、って思った。
自己陶酔は自信のために必要で、それを表に出すのが驕りに見られるからダメなのかな。
そうは分かっても、自分の体のどこにも自分の好きな所はないんだけど。今のところ。
*
人と比べるというのは、なんか違う気はする。確かに負けず嫌いな思いは強いけど、人の良い所だけを見ようとは思ってない。
自分の好きな言葉には「十人十色」とか「一長一短」とか「攻防一体」とかあって、
俺と付き合って損なことも一杯あるけど、同じぐらい得なこともあるよって心意気で人とは付き合いたいと思ってるけど
*
「自分を嫌いと言っておきながら結局自分が好き」という自分ツンデレは、人間としての、抗し難い最低限の防衛機制だと思ってる。
それを含めて自分が嫌いで、そこは持ち上げるには値しないと思う。ここに書いてるのは、部屋に閉じこもってばかりじゃ価値観が広がらないからで。それも怪しいけど。
*
10才の頃に何してたかなんて、そこまで分析するのはどうかなと思った。
その意味を疑問に思うし、過去からは何も生み出さないっていうし。それに絶対途中でうわあああああああああああああああああああってなるからやりたくない。
こうやって自分にクヨクヨしてるのも、そんな風に今の自分の主観というフィルタから見ているだけだからで、
そのフィルタを外すか、とっかえる方法を見つけないとどうしようもないと思う。
*
・そのパラドックスは怪しいかも。自覚が無いあたりその気がありそう。
・そもそもゼネラリストと言えるほど知識が身につくかどうか・・・
・「自分を受け入れてくれる場所」はネット上で探してるんだけど、IRCでもmixiでも2ちゃんねるでもはてなでもTwitterでもないとは感じてる。
*
あー、やっぱまとまらずに長いだけの文章になった。分析と言えるかも怪しいな。要は非モテ思考だよな俺。
そんななのでエゴグラムという、より客観的な自己分析をやってみたらこんな感じだった。
そうと言われたらそうなんだろうけど。
女から特別な感情を持たれないキャラなんだと思う。
率直に言うと、空気?
anond:20081203215624でも言われてるけど、別に嫌われてない。
だけど好かれてもない。
女から特別な感情を持たれないキャラなんだと思う。
率直に言うと、空気?