はてなキーワード: 検察とは
検察側が「違法だ!」と判断したから逮捕したんであって、検察側はそのあとその違法性を立証して=有罪であるという証拠をつかんで起訴に持ち込む必要がある。
逮捕=有罪とするのはおかしい。
逮捕状が出ている時点で、検察側は『受取側にも「あれはダミー」という認識があったこと』についてある程度の確証があったのではないだろうか?
あと、国会TV等で確認できるので、発言全文を聞いてみるといいと思う。
1文だけを取り上げてとやかく議論するべきではない。
麻生の発言は「検察側が明らかに違法=罪を犯したと判断したから逮捕されたんだろう?」ってだけじゃないのか?
「明らかに違法性があったが故に逮捕になったということになったんだとと思いますが」って発言してたぞ?
マスゴミはそれを切り貼りして「逮捕されたから違法」って発言したように改竄しているだけじゃないのか?
本人もその改竄と、その意図に気がついて、ぶら下がりで反論してるよ。
いや麻生は行政だからな。検察の頭である法務大臣のさらに上司なんだよ。役割的には。
だから、公的な発言には気をつけるべきだよ普通。
とか言ったら批判受けるに決まってるだろう。
だろう。
その程度のこと、検察だって分かってる。
分かってないのは麻生とあんたぐらいだ。
そもそも「推定無罪の原則」知らんのか。何のために裁判があるんだ?
【政治】 麻生首相「明らかに違法だから逮捕」は、立法府の一員としては失格を意味し、内閣トップの言葉としては危険このうえない
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1237350278/
俺に同意を求めてきたが、ちょっとだけ意見を言ってみた。
俺「この発言、全く問題ないですよ。総理としても。立法府の一員としても。この発言の全容とか背景とか、意図的に端折られて報道されてるから誤解しても仕方ないですけどね。こう端折られると『検察が明らかに違法だと判断した』ことが『総理が明らかに違法だと思った』ことになってしまいますよね。不思議ですよね。そもそも、検察が違法だと思ったものを逮捕しないのなら、何もできないじゃないですか。一体何を逮捕すればいいんですか?裁判所が有罪判決出すまで逮捕しちゃいけないんですか?おかしいですよね。『逮捕されたのは検察が違法と判断したからだ』と思うことのどこが問題なんですか?法治国家の一員として当然の考えじゃないんですか?」
おっさん「だよなぁ。」
日本の話?
日本の話なら、起訴不起訴を決めるのは、検察だ。裁判所じゃない。
2日しか逮捕されてなくて、不起訴になっている場合は裁判所に行くことは無いし、裁判官の勾留質問すらない。
2日拘束されたら検察に身柄を持っていかれるのは本当なので、嘘じゃなくて勘違いかもしれないが。
そして検察の人が「あんたみたいな『普通の人』がどうしてここに来たの?」という発言をしたなら、それは君が犯罪の道に進まないようにするために有効な声かけだと思ったから。君のいう「普通の人」が来たのを奇妙に思ったからじゃない。
層的な現象だけ見てると尾身あたりの異様なまでのスルーっぷりからどう見ても清和会の仕込みです本当にありがとうございました的発想も沸くのだけど、現実問題として単に大物すぎて手が出ないというのも多分にあるだろう。
尾身ってそんなに大物なの?小沢ぐらいの大物やれるんなら別に尾身でも二回でもやれるだろと思うが。自民党の指示で検察が動いてるんじゃなければ。角栄とか金丸逮捕見ても大物だから検察が逮捕できないなんてことはないと思うんだけど。
派遣企業も検察の捜査も悪いこととは思わないから、そこまで厳格な法にすべきとも思わないが。逆に検察の怠慢、金権政治の容認につながっちゃう危険もあるし。仮にそうなった場合一体誰が責任とってくれるのやら。警察は民事不介入でいろいろな犯罪被害を泣き寝入りさせてきたという前科もある。行政の勇み足ばかり気にしてたら無政府国家のほうがいいということになりかねない。というか政府・役人=悪という前提に基づいた一連の構造改革が今の惨憺たる状況を招いてるようなもんだし。
役所も企業も政治家も、「法律を守っている」という体裁さえ守れていれば無限に利益を追求する存在である事は昨今の報道から疑いようも無い。検察も行政機関の一部、即ち役所という分類の範疇だと考えるならば、今回のような「勇み足」が起こる事も十分に予測し得たはずだし、また立法側もそれを十二分に考慮しなければならない。
そこに派遣法の改正で派遣企業が跋扈したのと相似形の構造があるという点に着目すれば、検察の暴走が可能な法律を作った国会議員の責任も問われねばなるまい。
元になってる政治資金規正法自体が、解釈ひとつでクロをシロに出来る法律なんだよね。
ま、もともとそういう風に利用することを前提に小沢が主導で成立させた法律なんだが、逆にシロをクロに解釈することも簡単なわけよ。
いや、単なる政治争いで検察動かしたら国策捜査以外のなんでもないでしょうが。
それを認めちゃダメなんだよ。別に足引っ張り合って共倒れするだけならほっときゃいいんだが。
政治家の責任、なんて言葉で納得してる奴はどうしょうもなくすくいようのない馬鹿だ。
それがいいも悪いも、ここ数年の話に過ぎないだろ。
間接的に影響力を行使している主体としての検察も確かに問題だけど、それ以上に、彼らの行動を支持(サポート)している生活保守的な価値観が一番問題なのではないか。
実際、最近はどこの政党のスローガンも「国民の生活を守る」ばっかりだし。そして、その具体的な内容は、
強きをけなし弱きをわらう。
勝者のあらさがしで庶民の嫉妬心をやわらげ、
敗者の弱点をついて大衆にささやかな優越感を与える。
これが日本人の快楽原則に一番合うんだな。
を地で行くような代物、と。
僕の言い分は、検察はまったく独自の判断で動くべきだ、ということ。
2009年5月から施行される裁判員制度。重大な刑事事件の第一審を6人の裁判員と3人の裁判官で"事実の認定""法令の適応""量刑の判断"を決定しなければなりません。そんな裁判員制度、なぜ日本でしなければならないのか、誰が得をするのか、もしかして一定数の利権の為に国民が利用されるだけなのか、反対賛成という議論ではなく、施行する事で社会がどう変わるのかをドグマ的メモとして言及したいと思います。 (半分パラノイアです)
まぁ、一般的に知らないのが当たり前だと思います。「法律なんか分からない」「私には無理だよ」というのが大多数ではないでしょうか。しかも、マスコミ、特にTVや新聞で報道される過激な犯罪、無罪を主張する被告人、嘆き悲しむ被害者遺族の姿、少年犯罪などを見て勝手に、「最近では、変な犯罪が増えたよね~」などと思い込まされているし、悪いことをすれば、全員が逮捕され刑務所に入れられると思っていたりもする。
しかし、マクロ的に見ると全く違う。むしろ逆のロジックなのかもしれない。逮捕されたところで刑務所のキャパシティが決まっているので数パーセントしか入れられない。少年院を合わせても想像以上に少ないのが現状だろう。
それからマスコミで報道される事件というのは、万人受けする記事を書く上での選別をしているので、つまらない殺しとか、話題性のない強盗とかは一切取り扱わないし、教育上使えるものを選んでいる程度だと思われます。だから実際裁判員として法廷で担当する案件はもっとえげつない事件に当たる可能性は十分にあります。
例えば、4人で銀行強盗をして帰りに仲間3人を殺したなど、マスコミでは報道していない(できない)事件を目にすることになると思うし、事件現場の写真や、証拠写真、バラバラ遺体写真も見ることになるかもしれない。言うまでもないが、これもTVで見ることはできない。
そもそも日本というのは、犯罪率や再犯率が非常に少ない国であります。重大事件といっても年間で何百件程しかないですし、その内7割が全面自供をしているので、裁判員として法廷に参加しても、7割の確立でただ見ているだけという授業参観状態になると考えられます。国民が想像している「無罪を主張している被告人」などというのは1%にも満たないですし、それがマスコミで話題になり報道されるので、人々が誤解をし勝手なイメージで司法を捉えてしまっているのではないでしょうか。
刑事事件というのは、警察が逮捕して検察庁に送られます。そこの執務室で検事が起訴するかを判断します。起訴された被告人は裁判所で裁かれる流れなのですが、この時の裁判所での有罪率が99.9%と言われています。ということは、検事が起訴すれば有罪。逆にいうと、犯罪者でも起訴されなければ無罪になるということなのです。つまり、裁判所で白黒を決めているのではなく、検察で有罪か無罪かを決め、裁判所で量刑を決めているのです。
少し話が脱線しますが、被害者遺族が法廷で被告人に質問などができるようになりました。しかし、この制度も明らかに奇妙なのです。例えば、こんなシーンを見た事ないだろうか。自分の子供を殺された母親が被告人を恨んで殺してやると涙してる姿を。しかし、実際にはこんなケースは希有で、殆どの殺人は身内殺人や遺族殺人ですから意味がないのです。しかも、色々時間掛けて参加しても最終的に無罪になれば被害者遺族は無残な事になります。このことから被害者参加の意味というのは私には理解ができないのです。
ご存知だと思いますが、国民の殆どが裁判に興味がなく参加したがらないのが現状です。これは施行後も変わらないでしょう。なのに裁判員制度は走りだしています。検察も弁護士も判事も政治家かも、これといって得をする組織がありませんし、国民も得をするとは思いません。
今までの司法村のあり方にガタがきているからか?グローバル化によって日本が静寂してるからか?いくら考えても何の為に施行するか考えつきません。個人的には、裁判官と話ができるし、法廷の雰囲気を体感できるので前向きに参加するのでいいのですが、俯瞰的に見たときにこれといった理由が思い浮かばないのが結論です。
ここからは私の理想論なのですが、裁判員制度を施行するのであれば、もっと国民が司法に介入してもいいのではと思っています。今の裁判員制度だと一生に数回しか参加できないですが、国民一人ひとりが裁判員を年に1回参加する頻度にすればいいのではと考えます。確定申告みたいに。そして、取り扱う案件も幅広くし、裁判官の人事権も参加できるようにすれば良いのではないでしょうか。つまり、社会の当たり前として考える事により色々解決すると思う訳です。具体的に何が変化するのか考えて見ました。3つあります。
一つ目は、大企業は勿論の事、中小企業や個人で仕事している人でも裁判員制度で穴が開くことを前提で仕事を組み立てようとします。そのことで働きすぎの企業体系も、仕事のあり方すら変化するのでは考えます。
二つ目は、司法村の改革です。重大事件以外も裁判員制度にすることで保守的な司法をオープンにできればと願います。
三つ目はは、国民一人ひとりの意識改革です。日本人は極めて傍観者的であり、お任せ意識が強く、何事にも関わろうとしません。昨今では、グローバル化で日本は先進国と言われていますが新興国の追随で、このままでは淘汰の可能性もあります。裁判員制度をきっかけに、銘々が少しでも自立し国全体の温床になればと妄想します。
ショッキングな事に、裁判官は法律を調べて量刑を決めていません。判例と比較して量刑を決めているのが実態です。なぜかというと、司法村で個性的な事(判例を無視した量刑)をすると左遷やクビになるからです。冒頭で述べたように、基本的に検察が白黒を決めているようなものなので、裁判所ではセレモニーが行われているだけなのです。判事にとってノルマは絶対ですし、仕事を溜めるのはご法度、勾留を却下することもできない、そんなマニュアルを見ているが如く流れ作業をしている判事なので、裁判員制度くらいでは保守的な考えは直らないだろうと思う訳です。
何が言いたいかと申しますと、例え裁判員(素人)が参加したとしても、3人の裁判官の内一人でも無罪に入れないと過半数でも無罪にならないことから、判事は絶対の権限を持っていますし永山基準は変わらず、保守的な形態は緩和しないのではと懸念します。
先ほどでも述べましたが、私としては、判事の人事権や重大事件以外(勾留判断とか)でも国民の監視下に入れることにより、ブラックボックスの司法村の透明化、国民のインセンティブ、国の温床になると考えますので、やるのであれば徹底してやるべきだと私は思う訳です。