はてなキーワード: デザートワインとは
ばななは激怒した。必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の店長を除かなければならぬと決意した。ばななには経営がわからぬ。ばななは、村の物書きである。ほらを吹き、羊と遊んで暮して来た。けれどもサービスに対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明ばななは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此(こ)の居酒屋にやって来た。ばななには父も、母も無い。女房も無い。一時帰国していた友だちと二人暮しだ。この友だちは、もう当分の間外国に住むことが決定していた。送別会もかねていたのである。ばななは、それゆえ、ビールやらおつまみやらを買いに、はるばる居酒屋にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それからヨーロッパみやげのデザートワインを開けた。コルク用の栓抜きはないということだったので、近所にある閉店後の友だちの店から借りてきた。歩いているうちにばななは、居酒屋の様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、居酒屋の暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、居酒屋全体が、やけに寂しい。のんきなばななも、だんだん不安になって来た。ちなみにお客さんは私たちしかいなかったし、閉店まであと二時間という感じであった。路で逢った若い衆をつかまえて、グラスをわけてくれる?いいときの日本は、夜でも皆が歌をうたって、賑やかであった筈(はず)だが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて、気のいいバイトの女の子に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。気のいいバイトの女の子はビールグラスを余分に出してくれた。ばななは両手で気のいいバイトの女の子のからだをゆすぶって質問を重ねた。気のいいバイトの女の子は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「なぜ説教するのだ。」
「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」
「たくさんの客を説教したのか。」
「はい、こういうことをしてもらったら困る、ここはお店である、などなど。」
「おどろいた。店長は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。客を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、バイトの心をも、お疑いになり、御命令を拒めば説教にかけられて、叱られます。きょうは、六人叱られました。」
聞いて、ばななは激怒した。「呆(あき)れた店長だ。生かして置けぬ。」
ばななは、単純な男であった。それであまりおおっぴらに飲んではいけないから、こそこそと開けて小さく乾杯をして、一本のワインを七人でちょっとずつ味見していたわけだ。たちまち彼は、どう考えても年下の若者に捕縛された。調べられて、ばななの懐中からはデザートワインが出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。ばななは、店長の前に引き出された。
「このデザートワインで何をするつもりであったか。言え!」店長は静かに、けれども威厳を以(もっ)て問いつめた。ばかみたいにまじめな顔でだ。
「どうしてもだめでしょうか?いくらかお金もお支払いしますから……」とばななは悪びれずに答えた。
「おまえがか?」店長は、憫笑(びんしょう)した。「仕方の無いやつじゃ。こういうことを一度許してしまいますと、きりがなくなるのです。」
「いったい何のきりなのかよくわからない!」とばななは、いきり立って反駁(はんばく)した。「客の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。店長は、バイトの忠誠をさえ疑って居られる。」
「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。客の心は、あてにならない。場所はいいのにお客さんがつかない。信じては、ならぬ。」店長は落着いて呟(つぶや)き、ほっと溜息(ためいき)をついた。「わしだって、もうけを望んでいるのだが。」
「なんの為のもうけだ。自分の地位を守る為か。」こんどはばななが嘲笑した。「罪の無い客を説教して、何がもうけだ。」
「だまれ、下賤(げせん)の者。」店長は、さっと顔を挙げて報いた。「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに不況になってから、もっと自然食をうちだしたおつまみにしてみたって聞かぬぞ。」
「ああ、店長は悧巧(りこう)だ。自惚(うぬぼ)れているがよい。無難に無難に中間を行こうとしてみんな失敗するのだ。ただ、――」と言いかけて、ばななは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。三日のうちに、私はちょっと異様な年齢層やルックスや話し方をする大勢のお客さんを連れて、必ず、ここへ帰って来ます。」
「ばかな。」と店長は、嗄(しわが)れた声で低く笑った。「とんでもない嘘(うそ)を言うわい。逃がした客が帰って来るというのか。」
「そうです。帰って来るのです。」ばななは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。それが成功する人のつかみというものだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、ここに三十四歳の男の子がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」
それを聞いて店長は、残虐な気持で、そっと北叟笑(ほくそえ)んだ。居酒屋で土曜日の夜中の一時に客がゼロ、という状況はけっこう深刻である。
「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの持ち込みは、永遠にゆるしてやろうぞ。」
「なに、何をおっしゃる。」
「はは。持ち込みが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」
ばななは口惜しく、地団駄(じだんだ)踏んだ。ものも言いたくなくなった。
竹馬の友、三十四歳の男の子は、深夜、居酒屋に召された。店長の面前で、佳(よ)き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。ばななは、友にいちおう事情を言った。人にはいろいろな事情があるものだ。三十四歳の男の子が「まあ、当然といえば当然か」とつぶやいたのが気になった。そうか、この世代はもうそういうことに慣れているんだなあ、と思ったのだ。みな怒るでもなくお会計をして店を出た。そして道ばたで楽しく回し飲みをしてしゃべった。初夏、満天の星である。
というわけで、いつのまに東京の居酒屋は役所になってしまったのだろう? と思いつつ、二度とは行かないということで、ばななたちには痛くもかゆくもなく丸く収まった問題だった。
これが、ようするに、都会のチェーン店で起こっていることの縮図である。
【この間東京で居酒屋に行ったとき、もちろんビールやおつまみをたくさん注文したあとで、友だちがヨーロッパみやげのデザートワインを開けよう、と言い出した。その子は一時帰国していたが、もう当分の間外国に住むことが決定していて、その日は彼女の送別会もかねて いたのだった。
フレンチレストランなどで持込に便宜を図ってくれる(ただし持ち込み料はしっかりとるのだが)店ならいざ知らず、居酒屋にワインの持ち込みができるものだろうかと思ったが、送別会への精一杯のお礼のつもりでワインを出してくれた彼女の気持ちを思うと、どうしても叶えてあげたくなった。
それで、お店の人に店長さんを呼んでくれる?と相談したら、気のいいバイトの女の子が「はい、かしこまりました」と言って奥に引っ込んで行った。
すると、店長というどう考えても年下の若者が出てきたのだが、年齢が上だろうが下だろうが、ルールを曲げてくれとお願いをするのはこちらである。
私たちは「突然で申し訳ありませんが…」と前置きして、ていねいに事情を言った。この人は、こういうわけでもう日本にいなくなるのです。その本人がおみやげとして海外から持ってきた特別なお酒なんです。どうしてもだめでしょうか? いくらかお金もお支払いしますから……。
店長には言わなかったが、もっと書くと実はそのワインはその子の亡くなったご主人の散骨旅行のおみやげでもあった。人にはいろいろな事情があるものだ。
しかし、店長は言った。ばかみたいにまじめな顔でだ。
「こういうことを一度許してしまいますと、きりがなくなるのです」 そりゃそうだろう、お酒の量販店が幅をきかせる昨今、持込を許そうものなら、つまみだけ注文してお酒は格安で買ってきたもので乾杯という人たちで店があふれかえるのは想像にかたくない。お酒が最大の収入であろう居酒屋はあがったりだ。店の人が大ごとと感じるのもしかたない、とみな怒るでもなくお会計をして店を出ようとしたが、そのとき店長が続けて言った言葉で立てかけた膝を戻した。
「ですが、私どもではご用意できないワインでもあり、事情もそういうことであれば、グラスをお出ししましょう。お代はいただきません。チェーン店のマニュアルにはない私の一存ですので。
先ほどの気のいいバイトの女の子が店長の指示でビールグラスを余分に出してくれた。コルク用の栓抜きはないということだったので、近所にある閉店後の友だちの店から借りてきた。
それで店長に感謝しつつ盛大に開けてにぎやかに乾杯をして、一本のワインを七人でちょっとずつ味見していたわけだ。
お客さんは私たちしかいなかったし、閉店まであと二時間という感じであったので皆の声が途切れたときに、厨房からバイトの女の子に語りかける店長の声が漏れ聞こえてきた。
「なあ、酒の持ち込みできる店はやっぱり好感度高いかな?」
「そうですねー。でも普通、誰もその店のメニューにあるのと同じお酒持ち込もうとは思わないですよ」
「そうだよな。今のひとたちみたいに、その店になくてしかも特別な意味のあるお酒とかだろうな。だったら、あらかじめ電話をもらってその酒の銘柄を聞いたうえでOkして、持ち込み料もらう…うん、次のブロック会議で提案してみよう」
頭の回る店長である。だが私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を 持っているということがわかるほどの人生経験は積んでいなくてもしかたのない年恰好である。
お会計をして店を出ようとしたとき、店長がこっそりと声をかけてきた。
「チェーン店のルールにはずれたことですので、今回かぎりということで他の方にはご内密にお願いします」
「もちろんです」と答えながら、バッグを探って名刺を出した。
「お心遣い、本当にありがとうございました。また皆で来させていただきます」
彼の頭の中の作家一覧に私の名前も登録されていたのだろう、びっくりした顔でつかえつかえ彼は言った。
「ご本はかねがね読ませていただいています」
どの本を読んだかと聞いてその言葉が本当であるかお世辞であるかを確かめるような無粋なまねはせずに「それは、どうも」とだけ答えて私は店を出た。
ほろ酔いの頬に夜風が涼しかった。】
―こんなのが読みたかったんですがね。
第1問
次の文章は吉本ばなな『人生の旅をゆく』より「ある居酒屋での不快なできごと」の一節である。
居酒屋に欧州みやげのデザートワインを持ち込み、バイトの女の子の協力を得てこっそりと乾杯をする。
しかしその直後、厨房から店長がバイトを叱責する声が聞こえ、ばななも店長より注意を受けることとなる。
本文はその後のばななの心境を描写したものである。
これを読んで、後の問いに答えよ(配点50)
「こういうことを一度許してしまいますと、きりがなくなるのです」
いったい何のきりなのかよくわからないが、店の人がそこまで大ごとと感じるならまあしかたない、
とみな怒るでもなくお会計をして店を出た。そして道ばたで楽しく回し飲みをしてしゃべった。
もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、
みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。(A)
それが成功する人のつかみというもので、本屋さんに行けばそういう本が山ほど出ているし、
きっと経営者とか店長とか名のつく人はみんなそういう本の一冊くらいは持っているのだろうが、
結局は本ではだめで、その人自身の目がそれを見ることができるかどうかにすべてはかかっている。
うまくいく店は、必ずそういうことがわかる人がやっているものだ。
問 下線部(A)の言い方にこもるばななの気持ちを端的に整理するとどうなるか。
最も適当なものを次の1~5のうちから一つ選べ。
1.乱暴と自信
2.照れと率直
3.単純と悲哀
4.媚と喜び
参照
http://media.excite.co.jp/daily/thursday/030904/tugumi.html
http://media.excite.co.jp/daily/thursday/030904/tugumi_p04.html
ひとまずこのお客がよしもとばなな氏であることを外して考えたら、混乱を防げるんじゃないですかね・・・
3~40代の男女数人が、チェーンの居酒屋に土産物のデザートワインを持ち込んだ。
ホール係にグラスを持ってきてもらうことで遠回しな承諾を得て、目立たないように飲んでいたら、そのホール係を店長が叱りつける声が聞こえた。
客も叱られた。持ち込み料を払う提案は、店長が拒んだ。
客が憤慨している。
チェーン店は業務を標準化(マニュアル化)することで短期間に大規模な展開を可能にしているのだから、
マニュアル外のイレギュラー対応(持ち込みとか)に難があるだろうことは、ばなな氏も素面の時なら分かったと思うのです。