はてなキーワード: アンビバレントとは
「彼」((元増田の言っている人ではない、と思う。))は途中からバスに乗ってくる。週に3〜4回くらい。
このバスを使って通勤するのは14年ぶりだが、確かにそのくらい前にも同じ「彼」はいた。
もしかすると違う場所で見たのかも知れないけど。
しかし顔かたち、声も記憶の中の「彼」と一緒だ。
一緒なんだが10年という月日の流れで確実に「彼」の容姿は老けている。
私もきっと同じように老けているのだろう。
「彼」はいつも相手なき言葉をしゃべる。裏声で。
地下鉄のアナウンスとか、テレビ番組のタイトルとか、とにかくフレーズ単位で脈絡なく。
もうとっくに1992年は過ぎていた。これには私も笑いをこらえるのがつらかった。
「彼」はこれからもしゃべり続けるのだろう。裏声で。
私はと言えば会社に行って働いて飲んで食べてスーツをクリーニングに出して……なんなんだそれは。
間違いなくリーマンです、本当にありがとうございました。
なんだか得体の知れないものから何かにカテゴライズする/されることの爽快感と達成感。
「私は私」でしかないのに同時に「スペシャルな私でありたい」アンビバレントな気持ち。
「彼」と私の違いはいったいなんだろう?
すいません迷路に入り込んでしまったのでここらでやめます。
既婚で妻以外の女性とセックスするつもりはなく、ただ一般論として「女性は結婚するまでは処女がいい」などと語っているのなら
(賛同するかは置いといて)気持ち悪くはないけれど。
それならだいたい自分の感覚とも近い。
欲望の対象として「処女」という属性を重要なものとみなすのはガキっぽいというか、性的なものへのコンプレックスと嗜好が一体化しているようであまり愉快なもんじゃないね。多分処女厨房をガキっぽい、と思う人は、そういう潔癖性・コンプレックス丸出しの態度と、個別の女性のパーソナリティを無視した評価の姿勢を見て「ガキっぽい」と感じているんだろうな。
個人的には処女厨と罵られる人間も不憫だなと思う。その手の人々の一部にとっては、処女・非処女の区分はもう理屈や理性の問題じゃなくて、生理的感覚にまで行き着いてしまってるから。そういう刷り込みを受けて育ってしまった人間は、女性と付き合っても幸せになれる可能性が低いだろうし、そういう感覚・感性を持っているということさえ非難の対象・未成熟の証とされてしまう、というのはあまり愉快な経験ではないと思う。
今はもうそういう時代じゃないのだから、彼らもそんな前時代の遺物的感情は一種のトラウマと思って諦めるしかないんだろうけどさ。
こう書いている自分の中にもそういう無意識の「処女信仰」めいたものがかなり強く残っていると感じることがあって、物凄いアンビバレントな気持ちになることがある。正直、連中に石が投げられるのなら、俺も石を受ける必要があると考えている。
何故かと言えば、処女性に拘らない、という態度を意識的に持つことは、もしかすると逆説的に自分が処女性を意識している、ということと表裏一体でしかなく、こういうタテマエ臭い態度が、いざというときにブラッドリー効果みたいなことにならない、とは言い切れないんじゃないかと疑っているからなんだが。そういう風に考えると、酷く自分自身に嫌悪感を覚える。もちろん、結婚・恋人を作るという選択をした時に、自信を持って「処女・非処女という属性になど囚われずに彼女を選んだ」という確信があれば、こういう不安感・猜疑の気持ちというのは消えてなくなるのだろうけど、残念ながら今のところその機会には恵まれていない。だから、未だこういう疑念を拭い去ることが出来ずに居る。
昨日、d:id:umedamochioさんの紹介にインスパイアされて、
http://anond.hatelabo.jp/20081108170922
にて本の紹介記事を書いた。そこで、この本を読んで、熱く反応する人、つまり、水村さんの問題意識に共鳴する人というのは次のような人だということを書いた。
わたしがこの本を読んで思ったのは、
日本という「現地」に帰属しつつ他方で「普遍的なもの」とつながっているという点では「外国人」のような存在、すなわち、「在地の普遍人」というでもいうべきメンタリティーを有している人間にとっては、今回の水村さんの本を読んで刺激を受けるのだろうな、ということだ。
そして、今日、dankogaiさんが書評を書いているのを見つけた。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51136258.html
小飼弾さんがこの本を強く進めているのも、上で書いたような理由で、心に響くところがあったのではないかと推察する。
「在地(ローカル)の普遍人」というメンタリティーは、非常にアンビバレントなもので、ローカルにいて「異国人」であるだけではない。
普遍人であるにもかかわらず、普遍語が話されているその中心にいても(水村さんの枠組みによれば「普遍語」となった英語の話されているその中心にいても)、異国人たる意識がなくなることはない、
というものではないだろうか。
そういうことを思った。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1419821814
↑と同じような体験をしたことがある。で、俺は結局別れた。
まあ結婚はしてなくて、それまで五年付き合ってて、結婚を考えてたという仲だったんだけど。
俺もお前もさんの返答にはおおむね同意だし、他人が出来うるベストアンサーだと思うけど、
同じような経験をした者からするとやはりこれを綺麗に流すのはかなりハードル高い。
読んでて久びさに思い出して胸が苦しくなったので、勢い任せに書いたから
若干いい加減なところもあるけど、全文にレス。
>あなたの過去には何の落度もないんですけれども、
>伝えたのはミスでした。
質問者を気づかってのことだとは思うけど、落度がない、は嘘だよね。
しかも「会社の上司」「30歳差」「処女喪失」って男にしたら相当の三重苦だよ。
>これから彼はその上司のことを悪くいうことが増えると思います。
>そのときは、まるでその上司のことを知らないかのように
>悪くいって、彼のことを持ち上げてください。
>伴侶のあなたしか私にはいないんだと思わせるのに十分なだけ。
仮に女がその上司のことを悪く言ったとしても今度は「気を使われてる」
で、そのことに触れてもむかつくし、その話題を避けようとしても
>あと、彼のこれからの食生活も気をつけてください。
>ちょっとこの話は20そこそこの人にさばくにはきついです。
>彼が真っ当であればあるほどです。
これはその通りだと思う。俺はハンドリング出来ませんでした。
そして結局逃げました。
>もしかしたら、しばらくセックスできないかもしれません。
>私があなたの彼氏の立場でも、泣くかどうかは分かりませんが
>似たようなことになると思います。
これも。俺は実際泣きました。そして怒りました。
多分彼女にめちゃくちゃ言ったと思う。
彼女だけが悪いわけではないと知りながら、悪いなとは思いながら、
それでもやり場がなかった。
>本当は初体験そのものは誰としようとどうでも良いことなんですが
>同じ部署の上司というのはいけなかったです。
>しかも、それが近い年であればまだしも
>51ときたら、なおいけません。
>
>年の差カップルを否定する気はさらさらないんですが、
>51で18の部下に手を出すのは、
>同じ男としては、とんでもなく違和感を感じます。
>誤解を恐れずストレートいうならば、下品な男なんですよ。
>それを見抜けなかったあなたの幼さと、
30も年が離れた男が若い女に見いだすものなんて身体しかない。
身体以外に魅力を感じてるなら(そりゃ個人差はあるだろうけど)
それはそれで問題なわけで、結局、ダメ男だろ。
というような事を散々彼女に言いました。
なんていうか、悔しくてしかたなかった。
>50を過ぎた上司は入社してしばらくの人にとって、
>時間によってつけられた大きな差があります。
>
>何をしても勝てない。
>自分の妻も上司に"手をつけられた女"。
>しかも、右も左も分からない女の子に手を出す男に。
>そいつと俺は顔を合わす度に、
>あいつは俺の妻を知っているぞと思っている。
その通りで、何をしても勝てないからこそ悔しいんだけど、
で、それを肯定するには自分は別れる以外になかった。
俺は若いからやり直しがきく、と。
その判断が正しかったかどうかは今も分からないけど、
少なくとも別れてからはその男のことを聞いても腹が立たなくなった。
>そして自分の妻はそれを自分に伝えることを
>なんとも思っていない。
>
>プライドはもうズタズタですよ。
>
>彼はどうしていいのか分からないと思います。
>あなたのことは愛していますし、その気持ちにはウソはありません。
>そしてそもそもあなたには落度がないことを知っています。
>
>でも、どうにもできないのは
全くその通りなんだけど、この質問者に限らず多分こういうことって
永遠に女には理解できないんじゃないかと思う。
>もしも、あなたがその上司のことを
>わたしは彼を知っているけれども、というような口調で話したり
>最悪のケース、心が完全に壊れてしまいます。
>ですから、それだけは絶対にしないでください。
それはこの通り。だけど、どっちにしても上にも書いた地獄スパイラルになる。
女の方からその話題はもう思い出したくないからやめて、
って言われても何か腹立つし、もうどうにもできないんだよこれは。
時間しか解決する方法はないと思う。
>ご主人はとても強いです。
>驚嘆するに値するほど強くてやさしいです。
>よくぞ自分を保っていると思います。
俺もそう思います。ただ冷静な怒りほど怖いのも事実で、
もしかしたら離婚を考えているかもしれない。
俺は最初は怒って、次にあきれて、彼女を嫌いになろうと努力して、
でもそれで結局別れたら俺はあの男に完全に負けたことになるという悔しさもあって、
アンビバレントな時期がつづいて、最後は別れました。
全然別の理由だったけど、そのことは常に、頭の中にあって、それが別れた理由の半分を
閉めてたと思う。多分、彼女はまだそのことを俺がひきづっているとは気付いていなかったと思うけど
>ですから、あなたは彼に
>"あなたしかいない"としっかり分からせてあげてください。
>
>こんなこと書くのはちょっと恥ずかしいんですけれども、
>セックスでも、もしも彼があなたを求めるならば、
>もう、これでもか、というくらいに愛してください。
>手ぬきなしの全力で。
いった後は後で、「上司ともこんなだったんだろうなあ」とか
自己嫌悪になるけどね。まあそれは仕方ない。
>あと、精神力を支えるのは体力ですから
>ご飯に気をつけてあげてください。
>
>もしかしたら、どこかで話し合わないといけないかもしれません。
>そのときはきっちりと話し合ってください。
女に出来るのは、自分の若げの至りだった、っていうことを
認めてあげることしかないと思う。今は苦々しく思ってると言うしか。
それが嘘だとしても、そう言われて俺は少しだけ楽になった。
>多分、そのうち消化しきると思いますから。
>その強さはお持ちです。しかし、時間はかかりますから。
>
>ま、それを明るくやってのけてください。
>言っちゃったのはしょうがないですから。
>やっべぇ、言っちゃったぐらいの気持ちでいないと
>あなたも体を壊してしまいますからね。
>あなたの過去には本来的には別に問題はないんですから。
>
>しゃあねぇ、正直ピンチだけれど
>乗り切ってみせろ新婚さん!ってところです。
俺も今では反省してる。言い過ぎたと思ってる。
でも多分、時間しか解決するものはなくて、その間を過ごせるかどうかに
かかってると思う。そしてまだ23なら、それはずいぶんかかると思うね。
こんなこと言うのは良くないかもしれないけど、旦那も若いからきっと一度や二度は
そうするうちにだんだん許せるようになってくると思うよ。
まあ変な話だけど、愛とか何とかっていうより人間の惰性というか、結局そういうことだと思う。
てかどうでもいいけど、この人ほんとに未婚者なのかよw
おっさんニコマス民として最近気になる「アイマスゲーム派とニコマス派との距離の問題」というか、
[http://hirorin.otaden.jp/e5544.html:title=ニコマスはアイマスではない]
[http://nakazato.blog.shinobi.jp/Entry/121/:title=リアルアイマスはランクSを目指すべき?]
[http://d.hatena.ne.jp/hajic/20080917/p1/:title=ニコ動の人気ジャンルを本気で応援したければ]
のあたり話題でちょっと。
自分はゲームをしないおっさんニコマス厨の部類に入る。はじCさん(id:hajic)あたりに言わせれば、
「臆病なおっさんだなぁ、お金も落とさずにプレイの醍醐味も知らずにニコマスだけで満足しているなんて。というか、要は勇気がないんでしょ?」
と言われそうなヘタレである。
いや、全くそのとおりである。好きなものは身銭を切って、しゃぶり尽くしてナンボだということはわかっている・・・わかっているつもりである。
友人にも「もしかして箱○買うかも」と漏らしたことも何度かあった。
しかし、その一方でなぜかゲームを買う気がしない。プレイする気が沸いてこない。
「やっぱゲームはプレイしてナンボ、アイマスもプレイしてこそ」という言説にたいしてアンビバレントな感情が沸いている自分がいる。
今回はそのアンビバレントなモヤモヤ感を言葉にして吐き出してみようと思った。
正直後ろ向きな言い訳しか書けないような気がするので「言い訳編」と銘打ってみることにする。
早速それかよと言われてもしょうがないが、まずは理由として上げる必要はある。
当方は年齢30代後半独身だが、収入的には正直微妙。自分ひとりを養う分にはそれなりの収入はあるものの、「洗脳・搾取・虎の巻」と揶揄されるゲームをプレイするのには正直恐怖を感じるのである。
しかしお金の問題は言い訳に過ぎない、というかお金の問題にかこつけて逃げの姿勢に入っている自分がいることを肯定せねばならない。
個人の成育史的には正直これが大きな問題かと思っている。
小学生の時にアーケードゲームやゲームウォッチ(オイオイ)はそれなりに喜んでプレイしていたものの、ファミコン以降のゲームの流れについていくことに失敗した身としては、新規にゲームハードとソフトを買ってプレイをすることに凄い心理的抵抗がある。
そもそもゲーム機のコントローラなるものに抵抗がある上に、アケマスプレイ派の友人から「コントローラをきちんと使いこなせないとアイマスは難しいよ」と言われていることもプレッシャーになっている。
(後にも先にも「ゲームクリア」した経験のあるゲームが、アーケード版の「子育てクイズ マイエンジェル」だけと言う現状ではなぁ・・・)
理由2とも関連するのだが、これは自分の心理的ヘタレさ加減と関連づけて理由にしたい。
自分はリアルの世界でも「敵対」「取引」「友情・努力・勝利(それは少し違う!)」はかなり苦手にしているのである。社会人としてはそれなりにうまく立ち回ってそんな概念とそれなりに付き合っているつもりではあるが、対戦に勝たねば進まぬゲームを生活の一部に持ち込むのは苦痛になるのではないかという思い込みがある。
これは思い込みに過ぎないのかもしれないのだが・・・。
もともと重度のアニソンジャンキーである自分にとって、ニコマスの魅力は
「アイドルが素敵な歌を楽しそうに歌って踊る」
ものだと感じている。実際、自分がニコマスにはまったきっかけはアニソンであるし、ニコマスで好きな作品は今もそのようなものが多い。
その一方で、ゲーム版アイマスで目に付くのは「バックステージの厳しさ」ばかりである。
ランキングシステム然り、プレイ中の膨大な選択肢然り、1年限りでセーブや経験持ち越しの効かないストーリー然り・・・。
正直自分はこの乖離が理解できないのである。この乖離を理解した上でゲームをプレイする必要があるのだろうが、今は正直その勇気が沸かない。
取り合えずプレイしない言い訳を4つほど書き出してみた。書き出して少しホッとしているわけだが、なんとも個人的で後ろ向きな理由だと呆れている。
だが、「ゲームをしないニコマス厨」が「ゲーム版アイマスをプレイしない理由」を書いてみるのも、今回の議論の中で大事なことではないかと思っている。
少なくとも「理由なきいがみ合い」は自分としても見たくはない。
10年ぶりにエヴァンゲリオンを見た。なんてことだ。ミサトに感情移入することが多かった。特に、シンジ君との食卓の場面なんて、痛々しくておもわず左手で顔を覆ってしまった。
これが10年という時間か。もう28歳だもんな。10年前はシンジ君に感情移入して、一緒に世界に対して混乱していたけど、今はそんなことない。ゲンドウひどい!鬼!シンジ君は悪くないよ!大人がしっかりフォローしろよ!と思ってみていた。途中、なぜか何度も涙が滲んできた。シンジ君を抱きしめてあげたい。俺は男だけどそう思った。
ヤシマ作戦の戦いは、以前のTV版よりもシンジ君がヒーローとして成長しそうな熱いものに仕上がっていて、希望を与えてくれる。ほとんどの登場人物が精神を病んでいるとしか思えないディスコミュニケーションな物語の10年越しのリメイクで、今後、俺はどのような感動をしていくのだろうか。ミサトさん、シンジくん、アスカ、レイ、その他のみんなは、物語が終わる頃には少しでも幸せになれているのだろうか。そんな結末は10年前にたぶんみんなが望みながら、そんなのはエヴァらしくないとも分かっていて、そのようなアンビバレントな感情は今、俺の中ではそれでも幸せな結末を望む方向に大きく振れている。
という洞察は興味深いですね。思い当たることは個人的にあります。
自分の見た例はアンビバレントなもので、子供に対して社会的に成功することを強要すると同時に親を見下されては困るという親でしたけど。
その子供は矛盾した要求を出されて心理的にかなり苦労しましたけど、今では喜びを感じられる居方を何とか発見したようです。まあ経済状況やら人間関係やら現実的な悩みが消えることはありませんが、内面的な苦悩は克服しつつある。
親が社会的な位置づけにおいて劣等感をもっていたり、著しく自信に欠けていて常に他人から圧迫を感じているような場合、子供だけが逃げ場だったりしますね。自分に脅威を与えない唯一の存在として利用してしまう。
そういう風に使われてしまうと、自信に欠ける親がいつも優位を確保できる存在としてい続けなくてはならなくなるわけで、自分の人生を生きることは不可能になりますね。