はてなキーワード: あなたのためにとは
心中お察しします。同じ経験があるので分かります。
あなたにできること・・・それはお父上の"断片"をたくさんこの世界に残すことです。
お父上のために、あなたのために、そしてあなたの子供たちのために。
まず、お父上がまだ文章を書けるなら、たくさん書いて貰うよう促すことです。
お父上の幼少期の話、学生時代の話、お母上との馴れ初め、お仕事の話、あるいはあなたの幼少期の話、などなど。
文章を書けない、若しくは書く気力がないようなら無理強いはしないでください。
お父上の幼少期の話、学生時代の話、お母上との馴れ初め、お仕事の話、
あるいはあなたの幼少期の話などを上手に聞き出してください。
ただ、いろんな媒体に残してください。
1種類の媒体でしか残していないと後で鑑賞するシチュエーションや気分を制限してしまいかねません。
また絵とか描いて貰ったり歌を録音するのもよいでしょう。
限られた時間、どのようにお父上の"断片"を残すか、という主題こそが唯一、
お父上"そのもの"と向き合う手段となるでしょう。
何が言いたいのかよくわからないけど、あなたがそれでいいと思ってるならそれでいいんじゃないの?
あなたもその友人も、自分の行きたい道を歩んでいるだけ。それに不満はお互いないんでしょ。だったらそれ以上何も言う必要ないじゃない。
それとも、あなたは自分の努力を褒めてもらいたいわけ?言っておくけどそれは期待はずれだよ。世の中はあなたのためにある訳じゃないから。
彼が学生身分を謳歌して旅行を重ね、或いは遊び呆けていた時、私はビジネス系のセミナーに通ったり、インターンをしていた。卒業寸前の3月も続けていたので海外なんてとても行けたものではなかった。
それはご苦労なことだが、それを「すごいな」とか「偉いな」とか「自分も見習いたい」って思う人はそういないと思うよ。かく言う俺も、「あー、そうなの、頑張ってね」ぐらいしか思わない。
俺の乏しい経験からすると、そういう自己啓発系の活動が仕事で実を結んで当然ということは全くあり得ない。そういうのが合う人もいるのかもしれない。でも、合わない人もいる。人によっては、そういうセミナーに行くことよりも、旅行を重ね「遊び呆ける」ことのほうが仕事のスキル向上に有益であることさえある。たとえば、暇があれば本にかじりついてるタイプの人間が営業職なんかに就いた場合はそうだ。そういう人間がビジネス系のセミナーなんかに行くのは有害でさえある。人が相手の仕事まで、「お勉強」でクリアできてしまうと思ったりするからだ。逆に、メーカーの研究所なんかに勤めてる人間は、「自己啓発だのなんだのと下らんことに時間を使ってる暇があったら勉強でもしろ」と考えるのもごく当然。
セクショナリズムや名ばかり管理職などの大企業病や100人以上いる同期を目の当たりにして、出世できるのか不安なのではないかと。
悪いけど、そういう本の聞きかじり知識で偉そうに言う奴ほど役に立たないよ。もしそんな奴がコンサルだったら全く使えないと考える。確かに大企業にはそういう病理もあるところにはあるが、ないところにはない。だいたい、入社当初から「出世したい」なんて野望を持ってる奴ばかりではないよ、大企業は。田中耕一さんなんて、あの人は出世を自分から拒否してた人だぜ。表で祭り上げられちゃったから役員待遇になったけれど、そんなのは最初から期待してたことじゃないはず。
大企業の強みというのは、そういう風に「いろんな奴」がいて、いろんな生き方が許容されることなんだ。ベンチャーみたいに、野心に燃える粒ぞろいの精鋭を抱えている組織とは全然違う。組織の目標自体が違うんだ。だから、君の価値観でその友人を割り切ることはかなり無意味。
将来を悲観視していて、その箇所を突かれて怒っちゃったのではないだろうか。
言っちゃ悪いけど、なんでそんなに傲慢なの?
その友達は大企業なんでしょ。確かにど派手な成功は望めないかもしれない。社長でも年収1億ない超有名企業なんて結構ざらだ。だけど普通の人間は、年収1000万を手に入れられれば大満足、1500万なら大金持ち、そう考えるものだぜ。そういう価値観の人間にとっては、普通の大企業はリスクとリターンが見合った環境なんだよ。君みたいに誰もがハイリターンを目指してハイリスクに賭けるのが正解ではない。価値観が違うんだから。君の価値観で全部を割り切っちゃいけないよ。
追い込まれても勝負を捨てない
楽観がもっとも賢い鎧となる
現実的であれ
理想を信じる
コメディアンになろう
対立を恐れるな
人間は誰しも大差はない
権威を認めるな
よく質問をせよ
幅広い知識を持て
集団社会の崩壊
ものごとは度をすぎてはいけない
学ぼうとする生徒は、恥ずかしがってはいけない。
相手の立場に立たないで、人を判断するな。
自分の肩書きを人に教えようとする人間は、すでに自分の人格を傷つけている。
あなたが知識を増やさないということは、実は知識を減らしていることになる。
忍耐力のないものは教師にはなれない。
もしあなたの周囲に傑出した人がいないなら、あなたがならなければならない。
自分で自分のためにやらなければ、誰があなたのためにやってくれるか。
今それをしなかったら、いつできるひがあるか。
人生の最上の目的は、平和を愛し、平和を求め、平和をもたらすことだ。
なにかをしてあげるときには、全てをそれにかけるものが一番尊い。
反省する者がたっている土地は、もっとも偉いラビがたっている土地よりも尊い。
民の声は神の声。
人間は他人のささやかな皮膚病には気にしても、自分の重病は目に入らない。
人間は20年かかって覚えたことを2年で忘れることができる。
人間は場面によって名誉が高められるのではなく、人間がその場面の名誉を高めるのだ。
要領にいい人間と、賢い人間の差ーーー要用のいい男は、賢い人間だったら絶対に陥らないような困難な状況を、うまく切り抜ける人のことである。
ある人は若くして老い、ある人は老いても若い。
無知と自負は兄弟である。
一日勉強しなければ、それを取り戻すのに二日かかる。
目が見えないよりも心が見えない方が恐ろしい。
出会った人全てからなにかを学べる人こそ世の中でもっとも賢い。
強い人、それは自分を押さえることができる人。それは敵をともにすることができる人。
豊かな人とは自分の持っているもので満足できる人のことである。
人を賞賛できる人こそ本当に誉れ高き人である。
賢い人間の前に座る人、スポンジ型-何でも吸収する。トンネル型-右の耳から左の耳に抜ける人。ふるい型-大切なものとそうでないものを選別する。
賢人になる七つの条件
自分より賢い人がいるときは沈黙
人の話の腰を折らない
答えるときにあわてない
常に的を射た質問をし、筋道だった答えをする
まずしなければならないことから手を付け、後回しにできるものは最後にする。
自分が知らないときはそれを認める。
真実を認める。
子供は幼いときは厳しくしかり、大きくなったらしかるな。
幼い子供は厳しくしつけるべきだが、子供が怯えるようなことがあってはならない。
子供は、両親の話し方をまねる。性格はその話し方で解る。
子供は父親を畏敬しなければならない。
人を傷つけるものが三つある。悩み、諍い、空の財布。中でも空の財布が最悪だ。
体のあらゆる部分は心に依存している。心は財布に依存している。
自分を知ることが最大の知恵である。
高価な真珠がなくなり、これを探すために何の値打ちもないろうそくが使われた。
貧しい人の息子はたたえられよう。人類に英知をもたらすのは彼らだからだ。
記憶を増進させるもっともよい薬は、感服することである。
学校のない町には人は住めない。
知識は浅いとすぐ失われる。
もし人間に悪の衝動がなければ、家も建てず、妻もめとらず、子供も作らず、仕事もしないはずだ。
もしあなたが悪への衝動に駆られたら、それを追い払うために、なにかを学び始めよ。
世界に正しいことだけしかしない人はいない。必ず悪もしている。
ゴシップは殺人よりも危険である。殺人は一人しか殺さないが、ゴシップは必ず三人の人間を殺す。ゴシップを言いふらす人自身。それを反対せずに聞いている人。その話題になっている人。
よいつぼを持っていたらその日のうちに使え。明日になったら壊れてしまうかもしれない。
正しいものは自分の欲望をコントロールするが、正しくないものは欲望にコントロールされる。
他人の善意で生きるよりは、貧しいままでいる方がいい。
他人の前で恥じる人と、自分の前で恥じる人では大きな開きがある。
ためらいすぎてはいけない。
かめを見るな、中に入ってるものを見よ。
行動は言葉よりも声が大きい。
老化を早める四つの原因。恐れ、怒り、子供、悪妻。
一本のろうそくで、多くのろうそくの火をつけても、はじめのろうそくの光は弱まらない。
非常に弱くてもある条件を満たしているならば、勝る。
複数の興味深いメディアを登録しておいて、更新時に見出しを読むっていう実生活での活動がないんだよ。
実は、無いと言い切ると語弊がある。かなり近いのがある。リーダーズ・ダイジェスト。こいつは見事なくらいの要約雑誌で、「忙しいあなたのために」興味深い内容の記事があったらそれを紹介しましょうって奴。アメリカでは大うけしている。ただひとつ違うのは、何が興味深いかを、全部リーダーズ・ダイジェスト編集部に任せてしまうこと。日本ではだいぶ前に撤退した。「本物を読めば済むからだ」という声もあったが、編集方針が日本の大多数の層にフィットしなかったからじゃ無いかと思う。
RSSに似た登録プッシュ型のサービスは以前もネットで提供されていた。Niftyなんかがやっていたスクラップサービスって奴。対応する興味の分野をチェックしておくと、新聞の該当記事をファックスやメールで送ってくれるもの。ほぼ、RSSと言っていい。しかし、これも結果はさんさんたるもの。
RSSが斬新なのは、非PC世界に対応するものが無い技術であることだと思う。しかし、ほとんどの人は、現実の比喩の中でしかPCのアプリを使えないのではないか。
PC技術の浸透といわれるが、実際にはみんな必要になるまで興味を持っていない。たとえば、はじめはGoogle Mapsを女の子に見せてもちっとも感心してくれなかった(もちろん例外はあるが)。それが、Map上で検索できるサービスが増えてくるとぐっと引きが強くなった。待ち合わせや飲み会の場所を探すのに役に立つからだ。彼女たちは地図を頼りに歩こうとは考えない。だが、駅から近い待ち合わせ場所を探すのに、Google Mapsがどれだけ役立つかは一目で理解する。
そういうわけで、RSSリーダーが普及しなかったのは、情報に興味のある人が少なく、かつ対応する技術が実生活に無いからだと思う。ところで、「RSSリーダーとして最も使われているのはGoogle Gadget」という声があった。よくわかる。Google Gadgetって、ある種の釣り広告だもん。俺もRSSリーダーとしてはGoogle Gadgetとはてなモジュールしか使っていない。はてはRSSリーダーはモジュールのための登録ツールとして使っている。
DTMやってると、自分の曲にボーカル入れたいなあと思ってもなかなか叶わない事が多いのね。
自分で歌ったら台無しだし、ネット上で歌手やってる人に依頼するには自分の曲にそれなりのクオリティと、あと報酬が無いと申し訳が無い。
その辺を色々考えると、「ボーカル入れたいなあ」のまま、入らないで終わってしまう曲を作ってる人って物凄い多かった。
ボーカロイドって、そこの欲求にヒットしたんだと思うよ。
(もちろん、キャラ的な魅力やネタ的な新鮮さ、「今コレで曲作ってニコニコ(やピアプロ)に出したら自分の曲も色んな人に聴いてもらえる」というオイシさもあるが)
ボーカロイドならこっちも歌手の顔色を伺わずに曲が作れて、それをどんどん歌ってくれるし、リテイクもいくらでも応じてくれる(←これはデカい)。
全然関係ないけど、個人的にはボーカロイドに歌わせる歌詞はそろそろ普通の詞の方が面白いんでないかいと思ったりする今日この頃。
そろそろ「私はボーカロイド、あなたのために頑張って歌うわー♪」的な「私はボーカロイド」目線の曲はやり尽くされてる感がするんだけどね。だから何って話ですが。
母親にも殴られた。叔父にも殴られた。教師にも殴られた。同級生にも殴られた。
理不尽(だと本人が感じるよう)な暴力に曝されて強くなれる奴なんてほんの一握りだよ。多分。
大半は世の中信じられなくなるだけだし世の中嫌いになるだけだし世の中辛いものだと思うようになるだけだよ。
健やかさってのは世の中を根っこの部分で信じられることだよ。俺みたいな奴にはそれは出来ねーよ。
世の中の親になった人たち、「ガキは殴って躾けりゃいいんだ」ってのは本当の最終手段にしてください。
出来る限り理知的に論理を持って子供が納得できる論理を持って子供を叱ってください。
それが嘘でも構いません。デタラメでも構いません。それでも、それでも子供に出来る限りの前向きな納得をさせてください。
それが何よりの素晴らしい教育です。子供のためにもあなたのためにも世界のためにもなると思います。
俺みたいに卑屈で卑怯な人間に子供をしないための何よりの方法です。
俺と同じように育てられても健全に育つ奴はいる、どんなに健全な育てられ方をしても歪む奴もいる。
最後には結局全て本人の責任になります。だからこそ、子供に理不尽を押し付けないでください。子供を脅えさせないでください。お願いします。
そのうち自殺しようと思っています。
一番仲が良いからこそ「今日はどうよ?」と誘ったときに「どした?なんかあった?」という答えを期待したのではないのですか。また「落ち込んでんだよなぐさめろよー」と冗談めかしてでも言える相手が仲が良い友達ではないかとも思ったりしますが。付き合い方やそのときのムードにもよるだろうからなんともいえませんが。
こう思っているということはあまり恋人に対してのめり込めないということなんですかね。
元増田が選んだんだからいいんだ(他の人がどう思おうと)と思うことが唯一無二の存在と言えるほどのめり込むことに繋がると思うのですが。
友達や周りに「いい人選んだ」と言われたい、というのには元増田の気持ちもこれから現れるかもしれない恋人の気持ちも入っていないと思います。しかもそう言われたい相手は2人水入らずでお楽しみ予定をあなたのためには譲らない人かもしれないのですし。なんか元増田、周りからどう見られるか、を大事にし過ぎて自分から損なとこ選んでるようにみえます。もっと奔放でいいと思うのです。
私があなたのためを思って、真剣に真剣に考え抜いて答えた一言が切り捨てられた。ここまでショックだったことは近年でほとんどなかったことだったので、目の前がまっくらになって、クラクラしてしまった。
「いかにも」とは一体どういうことだろうか。あなたは「いかにも」という一言でどれくらいのことに耳をふさいできたのだろうか。私の助言は、本当に、心の底からあなたのために考えた、あなたのためだけの一言なのに。あなたが人生で壁にぶつかって、困惑していると訴えてきたから、私の人生をかけた言葉をあなたに贈ったのに。
それとも、あなたはこうやって人の真面目な気持ちをもて遊ぶためだけに、元の投稿をしたのだろうか。もし、そうだとしたら、あなたはどれほど心が貧しい人だろう。なんだか悲しくて涙がでてきた。あなたの心には届かないかもしれないけれど、私の気持ちからの言葉をもう一度贈るね。
セックスのうまい方を選べばいいとおもうよ
これはかなりウザそう。
しかも、こういうことしてくるおっちゃんおばちゃんって、たいていそういういらん説教を
「あなたのために」「してやってる」って感じで押し付けてくる。
さらにその中身っていうのが「自分の波乱万丈の人生」から得た「教訓」の可能性が高い。
「人生」とか「生き方」とか「哲学(大抵がくだらないその人だけの経験則)」とか、ほんとどうでもいい。
そんなの一方的にぶちまけれても、知らねえよ。つーか、精神的肉便器にされてる気分になる。
なに?なんなの?語り終わったあとの、その清清しい顔はさ!
お前は気持ち良くても私は気持ちよくもなんともないんだよ!
・・・こんな感じでよろしいでしょうか?
年寄り相手はマジ疲れるわ。