母親は夜職でまともに家に帰らないので家で会話することはほとんどなかった
その頃から3人の子どもは親戚の家でバラバラに預けられて離れ離れになった
預けられていたというより祖母が経済状況を見かねて親戚にかけよってくれてなんとかお願いしていたということらしい
祖母と姉は同居していた
夏休みと冬休みだけ三人の子どもが祖母の家に集合して短い期間を一緒に過ごした
妹と私は同じ学校に通っていたが学校で交流することはほとんどなかった
でも妹がいじめられていることはなんとなく気づいていた
祖母から学校での様子を尋ねられたときに正直にいじめられているかもしれないことは伝えた
姉は答えを知っていたようだが(私はなんとなく気づいていた)下の二人がそれをちゃんと聞かされたのはだいぶあとになってからだった
父親は何も悪くなかった
でもそんなことはどうでもよかった
妹が小3くらいの頃に大きな台風がきた
雷がゴロゴロなっていて雨の音がすごかった
それが怖かったらしく妹が泣き出した
夜になっても二人が帰ってこなかったので私が雑炊をつくって妹に食べさせた
当時はスマホはおろか携帯電話もなくて心細かったのを覚えている
その日食べた爽の味は未だに覚えている