私はこの話を聞いた時、最初は過剰に反応しすぎなのではないか、臭いのだから改善すべきという主張は差別ではないのではないか、と考えていた。
しかし、体臭というのは、よく考えれば非常に奥が深く、センシティブな問題である。
なぜなら、体臭は、どこの国出身か、どのような文化のもとで生きてるか、どのような食生活をしているか、どのような生活習慣なのか、によって形成されるものである。
この外国人に対して、「臭いので改善せよ」と要求することは、アイデンティティを傷つける差別にとらえられかねない。
体臭によって他者が被る不利益と、体臭を放つ人がアイデンティティを保つことの利益を比較した場合、私は前者の方が高いとは思わない。
女性アナウンサーの主張する男性が、体臭の他にどのような条件を満たした男性なのかがわからない以上、上記の外国人と女性アナウンサーが指摘する体臭のする男性像を特別区別する必要はない。
そのように考えると、女性アナウンサーは差別的発言をしたとする批判は、非常に妥当なものであると言える。
また、考慮に入れなければならないこととして、人類は有史以来差別をなくし多様性を認める方向へと進歩してきたし、これからも進歩していくだろうということである。