なんてことをふと思い付いた。
なぜ「求めている」のか?それは技術の発展や経済成長が鈍化しているから。
以前の社会では発達障害を抱える人々のことはほとんど気にされていなかった。
もちろん「発達障害」という障害の存在が知られていなかったことも大きい。それでも、「なんか変わっている人、変わり者」として認識はされていただろう。
以前の社会と現代社会の大きな違いはその「変わり者」を「社会的な支援」を行ってまで「有能な人材」として育て上げようとしている点だ。
これを否定するつもりはない。むしろ良いことだと思う。でもなぜ、以前から「変わり者」はいたのに、今ほど気にかけられていなかったのか?
それは、前述の通り、「そのままでも当時は充分な経済成長ができていたから」ではないか。
気にかける必要がなかったのだ。
しかし今では鈍化してしまい、更に資本主義での競争が激化し成長が強く求められるようになった。
その為、今まで「戦力外」とされてきたような「変わり者」の人々を支援してまで「有能な人材」として育てる必要が出てきたのだ。
まさに、この「社会的な支援」とは、「経済社会からの支援」と言えるだろう。
また、「発達障害は個性であり障害ではない」と主張する人を稀に見かけるが、この主張は「発達障害を抱える人々までをも資本主義社会でのソルジャーのように扱うな」と言っているのと似たような意味かもしれない。
ただ、我々の暮らしている社会は既に資本主義に支配されている為、「変わり者」のまま生きるよりも「ソルジャー」となる道を選ぶ方が「幸福」な人生を送れる可能性が高いだろうけれど。