意見と人格は分けて考えようと言っても、匿名サイトでさっき自分に理不尽に突っかかってきた人間が、別の場で親身なコメントを寄せてきているかもしれないと思うとやっぱ怖くなっちゃうね。あんまり無いだろうけど。
作品と作者を分けて考えようってのも、そう簡単じゃない。作者と作品が結びついてこそ生まれる価値だってあるだろうし。作者がSNSでアレな感じだと、やっぱどうしても作品に対しても素直な気持ちで挑めなくなっちゃう。
逆に、出演者が大麻持ったの吸ったので映画がお蔵入りになったり編集入れたりするのはアホくさって思うのに。人間ダブルどころかいくつもスタンダードがあるもんですね。
合理的であろうとするには、ラディカルにドライに振る舞うよりも、その辺の筋の通らなさを自覚する事が大事なんじゃないかという気がしますね。合理的っつったって、何を達成するための合理性なのか、その「何」かしらの目標がなければ空虚なもんですが。